ディープ・ナイトメア

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 携帯電話が震えるのを感じて、目が覚める。薄く目を開けると、充電器にかけてある携帯が予想通り震えていた。三度バイブ音を響かせて止まる。まだ頭に霞がかかったような感覚が抜けないけれど、手にとって見てみると知らないメルアドからだった。というか、今は深夜二時だ。こんな時間にメールをしてくるなんて失礼だな。
 文面だけ読んで寝ようと本文を見ると、メールアドレス変更の知らせだった。てことは俺の電話帳にいる誰か、か。
『おっす。メルアド変えました』
 タイトルには『田中』の文字。田中って言われても俺の電話帳に田中って。
「あ」
 一人だけいた。田中幸美。元カノだ。別れてから特に気まずいことはなかったけれど一年くらい連絡を取っていなかった。メールアドレスは電話帳の中で埃を被っていただろう。
 確か今は就職して九州の、佐世保にいるんだっけ。北海道とは真逆の地域だからきっと暑いはずだ。そう思うと深夜に起こされたのは気にならなくなった。田中の好意に甘えることにしよう。
『久しぶり。元気だった?』
 メールを送信してから会話を続けることに申し訳なさを感じる。考えてみれば深夜二時。こんな時間に送って来たのは仕事が忙しかったからとかいろいろ理由があるかもしれない。このまま会話を続けるのはどうだろう。
 でも、ブルブルと震えた携帯の液晶は好意的な文面が並んでいた。
『元気だったよー。九州出てきて一年経ったけど、まだまだ暑さに慣れないわー』
 どうやら会話を切らなくてもいいらしい。続けてメール。
『もう十月だろ。なら暑さはまだマシなんじゃ』
『いやいや。半袖で汗かくよ』
『ほんとかよ! それは食べ物ちゃんと食べないとな。そっち、食べ物美味いだろ』
『うん。すっごい美味い。特に博多のラーメンは良く食べに行ってるよ』
『同じものばっかり食べると太るぜー。佐世保バーガーとかも食べたら?』
『いやぁ、なかなか食べる機会無くてさ』
『俺も食べてみたいぜ。もし遊びに行く機会あったら案内してよ』
『おっけ。観光地研究しておくわ』
『あ、ソフトバンクの試合見にいったりした? 確かホークスファンだったよな』
『違うよ、ロッテだよ。でもホークスとの試合なら見に行ったよ。やっぱりドームはいいわ』
『ハウステンボスとかは』
『微妙に遠いから行かないんだよねー。スペースワールドならあるよ。宇宙の力を貰ってきた』
『うっほ。ぴらみっどぱわー!』
 何の変哲も無い会話。いつでも出来そうな会話。取るに足りない会話だけれど、一年を超えて交わしているものだ。めったに出来ないからこそ、取りに足りないものも光り輝く。社会に出てから分かるようになった、日常の煌きを大切にしたかった。
 でも、楽しい時間も終わりはやってくる。切ない風が心の隙間に吹く。
『もうこんな時間だね。もう寝ようか』
 そんなメールの文面を見て、ようやく一時間経っていることに気づいた。光陰矢の如しってか。楽しいことは時を忘れる、か。深夜三時。眠気はなかったけれど、寝ないと今日の業務に差し支えるだろう。そう思ったとたんに眠くなってきて、まどろみが俺を包む。意識を失いかける時の気持ちよさに気をよくして、ちょっとだけ冗談を送ろうと思った。それも半分は冗談で半分は本気。寄りを戻したいなと思ったのは、長らく田中の存在が自分の中で希薄だったからかもしれない。
『俺がさぁ、まだお前のこと好きだって言ったら寄り戻したりする?』
 かなり冗談めいた文体だと思うけど、実際はどうなんだろ。まあいいか。ぽちっと。
 そこで俺の意識はブラックアウトした。携帯が震えたような気がしたけど、すぐ眠気が勝った。


 ◆ ◇ ◆


 目覚めたら、携帯を片手に眠っていた。うつ伏せになっていたからか枕に涎が付いている。汚い……てか、俺は携帯を持って何で寝ていたんだ?
 しばらく考えてみると、夜中に繰り広げた会話を思い出す。そうだ、確か田中と久しぶりにメールやり取りして――
「ぎゃー!」
 思わず叫んでから布団に頭を何度もぶつけて、携帯を叩きつけた。柔らかいから壊れはしない。だからこそ、思い切り。穴があったら入りたい。俺は何をしたんだ一体全体馬鹿すぎるだろう!
 携帯を恐る恐る取って開いてみると、メールが一件来ていた。差出人は、田中。タイトルは返信を表す『Re:』だ。中身を見なければどういう返事か分からない。落ち着くためにまずは正座をして携帯を前においてからお辞儀をしてみる。ゆっくりと下から掬い上げて、メールを、見る!

『ごめんなさい。人違い、みたいです。そちらさんと付き合ったことないし。そもそも俺、男だし。送る相手、間違えました』

 別の意味で。
 穴があったら入りたかった……
 どれだけ会話噛み合ってるんだよ。そういや、確かにホークスファンだったはずなのにロッテだし、佐世保に住んでるはずだけど博多のラーメン良く食べてるって言ってたし。ハウステンボスは近いはずなのに微妙に遠いとか言ってたし。他にもちらほら違和感。それに気づかないのは深夜のテンションのなせる技か……
 最後の最後まで間違ってることばれないってどれだけ運が良いのか悪いのか。
 一気に血の気が引いた脳味噌に考えられる返信文面は一つだけだった。

『すみません。そして俺もそっちの趣味はないです』


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