『夜が明ける』





 ロウがたどり着いた先に見たものは、完膚なきまでに壊されている自らの家だった。

 戦火が消え、統一された世界の、ある定点。

 戦乱の中心から少々離れた場所にあったその村は、住民こそ逃げおおせたものの、戦の

焔が飛び火したことで、ほぼ全てを焼き尽くされていた。

 ロウは視界をゆっくりと周囲に移す。建物は全て崩れ落ちていて、飼われていた家畜の

骨がそこかしこに転がっている。家畜の保有量から、村の単位としては豊かな暮らしを戦

前まで営んでいただろう。自分をそれまで育ててくれたと言ってもいい、家畜の白骨へと

ロウは頭を下げた。家を何とかしてから一斉にどこかに埋葬をしてやろうと考えながら。

 頭を上げ、今、目の前に横たわる問題をロウは見据えた。最初に見ていた家を上から下

へと眺め、ため息をつく。この中から何か使える道具を取り出さなければいけない。

「……日が暮れないといいが」

 時刻としては昼も中頃。ゆっくりと地平線へと日が向かい始めた頃だった。瓦礫を取り

除き、必要なものを探す。さほど大きな家ではないとはいえ、一人で片付けるには何日も

かかるものだ。今の自分に耐えうる体力があるだろうか、とロウは包帯を巻いた頭を摩り

ながら思考す―――――







「あの……」

 ロウの背筋を言葉が衝撃と共に昇る。あまりに唐突に聞こえた声に大声を出すことは免

れたが、それでも動揺は抑えきれずに慌てた口調のまま言葉を返した。

「ななな、なに……か? あなたは?」

「あ……いえ。お手伝いしましょうか?」

 身体の前に手提げ鞄を持った女性――いや、少女が立っていた。

 年は生まれてから十七年、といったところ。髪の色はロウと同じ黒。長さは数倍あるだ

ろう。腰まで届く髪は手入れが行き届いていないのか毛先は縮れている。服は上は簡素な、

丸首で上から被る程度。下は穿けるだけのズボン。元は綺麗な山吹色だったのだろうが灰

や汚れにくすんでいる。器量よしの顔もまた、何日も洗われてはいないようだった。

 よく見える首筋には唯一の装飾品と言っていいネックレスがあった。先は服の中へと入

っている。意識か無意識か、少女はその先に指を服の上から這わせていた。

「……いつの間にここへ?」

「王国の方々に皆で保護されて、さっき帰ってきたんです」

 少女が指差した方向を見ると、見事な白甲冑に身を包んだ兵士達が何人かと、少女と同

じような身なりの人々がいた。ロウはふいに太陽に視線を向ける。少女が不思議そうに自

分を見つめてくるのに構わず、時の流れを確認する。

「……いつの間に、時間が経っていたんだろうか」

 太陽の位置は先ほど見た時よりも確実に水平線へと進んでいた。戦地から意識を失った

まま帰還し、目覚めた時に大事な物を失った。

 その影響が今でも出ているのだろうか。

「わたしたちが着いた時、あなたはそこでぼーっと立ってましたよ?」

「そうか」

 ただでさえそれまでの時を失ったというのに未来の時までも奪われるのかと、ロウは目

の前に急に闇が広がったような想いにかられる。想いの強さにふらつくと、少女がロウを

支えた。

 汚れても、なおも失われない少女の香りに、ロウは少しだけ意識がはっきりとする。

「大丈夫ですか?」

「ああ……出来れば手伝ってもらえるかな?」

「はい」

 少女がロウの右に立ち、支えながら瓦礫の前に立つ。何かが頭を過ぎったような気がし

たが、ロウはすぐに忘れてしまった。

「……そうだ、君の家は?」

「同じく、瓦礫です」

 言葉にかすかな悲哀を見つけ、ロウは口を開かぬまま手を動かし始めた。



* * * * *
 二つの国の争いの結末だった。  それまで均衡を保っていた二国間に訪れた雷鳴、一方の国の王が崩御したことで世界は 急激に動いていった。二十年にも及ぶ戦乱に人々も国家自体も疲弊していった。  そして二国が限界に達した時、戦争を仕掛けられた国が降伏を宣言。  残ったのは荒れ果てた大地と、かろうじて生き残った人々。  形だけの国家だった。 「ロウさんは戦争、行ってきたんですね」  瓦礫の除去に取り掛かってすぐに教えあった名前の一端を、少女はすぐに用いてくる。  ロウはどこか気恥ずかしさを感じながらも少女の問いに答えた。 「……ああ。民兵としてかり出されたんだ。もう十年前になる。ここは、俺の家だった… …らしい」  ロウの口調の曖昧さに、少女は首を彼に傾けた。それでも手元はゆっくりと瓦礫を持ち、 横にどかす。ロウは少女よりも力強く腕を動かしていたが、瞳の焦点が心なしかぼやけた ように見えた。しかし少女が名を呼びかけると、すぐに問いに答えた。 「俺は記憶が曖昧なんだ。どうやら前線で戦って、頭に怪我を負ったらしい。この通り、 包帯をしてるだろう? そのせいか知らないが、過去の記憶がほとんどない」  ロウは包帯に包まれたこめかみをさすりながら微笑んだ。その笑顔は、どこか寂しげで あり、少女の胸中に何かを生み出した。悲しく歪む少女の顔を見ることなく、ロウは視線 を前に戻す。 「それに、たまに時間が一気に過ぎることもあるんだ。後遺症なのか、立ったまま数時間 経過したこともあった。ちょうど終戦で良かったよ。こんな俺がもう戦えるはずもないし、 普通に生活もどうなることやら」  ロウの顔に映るのは、確かな陰り。口調にこもるのは諦め。  過去と、未来を奪われようとしていることを受け止め、抗うのではなく諦めた者の弱々 しいオーラに、少女は何も言うことなくただロウの横顔を見つめていた。  自分に向けられる視線をロウも分かっていた。そして、自分が持ち得ない物を全て持っ ている相手に対して湧き上がる嫉妬を少しでも霧散させるため、目の前の瓦礫に意識の全 てを集中する。  結果として無言のまま、日が暮れるまで二人は身体を動かし続けた。互いに後ろめたい ものを戦争の傷痕と共に埋めるように。  そ――――― 「――ウさん?」  一瞬、視界がブレた。  気づくと日の光がかがり火へと変わっていた。  ロウは環境の変化に動揺し、周囲を見回す。かがり火が見せる世界には、少し離れた場 所で同じく崩れた家に向き合っている者達は存在していない。照らし出される場所にいる のは少女ただ一人。 (誰……だったか)  一瞬考え、頭を振り信じられない考えをかき消す。目の前の少女は自分を手伝い、自宅 だったはずの家から利用できる道具を探していたのだ。  記憶にも残っていない、この家から。 「大丈夫ですか? さっきから虚ろな目をしてましたが……やはり休んだほうが」 「いや、大丈夫だから」  全ての大地を照らしていた日の光と違い、火の照らし出す狭い世界の中、ロウは先ほど まで以上に瓦礫を除去していく。まるで世界を切り取られた変わりに力を得たように。暗 闇に閉ざされた世界から逃げ出すための出口を、掘り出そうとするかのように。 (なんだ? 何を掘り出そうとしている? 俺は何を求めてる?)  闇に追い立てられるように瓦礫を掘り出している自分を、ロウは見下ろしていた。  無論、現実にはありえない。実際には、今、彼はその作業をしているのだから。  しかし、ロウの視界に見える『ロウ』は、闇に追い立てられるように少女の隣で腕を動 かす。手から鮮血をほとばしらせながら、黙々と腕を動かしている。  そして少女はそんな『ロウ』を黙って見つめていた。  頭上から見ているために表情は分からないが、血を流している『ロウ』を止めることさ えもせずに眺めているだけ。 (どうし……た?)  少女が顔を少しだけ上にしたことで、ロウの目に入ってきたものがあった。  一雫。  少女の頬をたどり、落ちる涙。  何を思い、泣いているのか。『ロウ』に何を見ているのか。ロウは心を刺す激しい痛み に襲われ、顔を歪めた。 「大丈夫ですか?」  声の方向へと顔を向ける。心配そうにロウを見つめる少女が一人。先ほどまで何か、自 分の姿を見下ろしていたような気がしたが、頭を振ってその幻想を消そうとする。しかし どうしても少女の涙だけは消すことが出来なかった。ゆっくりと少女の顔を見ても涙の跡 は見えない。 「ん……今は……どれくらいだろう」 「もう少しすれば夜が明けると思います」  少女が指差した方向に、ロウも顔をめぐらせる。  うっすらと黒を焼き、侵食していく赤色。  世界が新たな一日に喜びの炎を掲げるように、世界は今、夜明けを迎えようとしていた。  今回はどうやら記憶が飛んだのではなく、作業に没頭した結果らしい。 「俺に夜明けはあるんだろうか」  血まみれの手を涙で歪む瞳で覗き込む。すでに乾いた血を涙が濡らし、混ざり合って落 ちていく。ロウの未来までもが零れ落ちていくように。 「こんな俺に、未来があるのだろうか。過去を忘れて、未来も奪われて。一人では、生き ていけるとは思えない……」  顔を手で覆い、その場に頭を伏せる。頭部に感じる土の感触が、夜の冷たさを直に伝え てくる。  ロウの視界は暗闇に包まれた。  自らの手で作り出した闇。徐々に明けゆく空からの光さえも、彼の目に届くことは―― 「そんなこと、ないですよ」  少女の声が聞こえ、地面についていた頭部が徐々に持ち上げられる。少女が懸命に自分 の顔を見ようとしているのだと知り、脱力していた身体に蘇る力を感じる。 「あなたは一人じゃないです。わたしが……います」  ロウにとって、その言葉は若さゆえの軽い言葉のように思えた。  赤の他人である自分達。  ただ、半日ほど共に肩を並べていただけの存在。  未来に自信をなくしている大人に対して、先に輝きを見ている者が哀れみをかけている だけ。だからこそ、ロウはしっかりと少女を見据え、静かに言葉を紡いだ。  さっきまで滲んでいた視界を元に戻して。 「軽々しく、そんなことを言うものではないよ」  だが、少女は動揺しなかった。  ロウの言葉に相対したのは強い決意の込められた瞳だった。  言葉よりも如実に、彼女の思いを表す物。  少女を押し留めようと放った想いは、思いもがけず跳ね返り、ロウを硬直させた。 「あなたは覚えていないでしょう……ここであなたと暮らした人のことも、子供のことも ……全て忘れていても、事実は残ってるんです」 「暮らした……人? 子供?」  少女は立ち上がり、首にかけたペンダントを外すと、ロウに向けて差し出す。しばし呆 然としたままペンダントを見ていたロウだったが、頭痛と共に過去の映像が甦ってくる。  戦地に赴く自分。  それを見送る妻。  そして、別れ際に手渡すペンダント。  その造形は今、少女が自分に見せている物と同じで、円形の枠にはまる赤色の宝石だ。 「君は……」  重なる幼い少女。  今見ている少女の特徴をそのまま残し、過去の残滓がロウの脳裏に再現される。  確かに、妻の隣にいた子供だった。  彼の愛した女性の面影を残した、間違いなく自分の子供だった。 「母さんは……病で亡くなりました。あなたも――父さんも、過去の記憶を失った……で も、わたしは生きているの。ここにいるの」  少女はロウを抱きしめた。  もう二度と離れることはない。その気持ちをロウへと直に伝えようと。抱きしめる力に 少女のその想いを感じ取り、ロウは再び視界が歪んだ。  今度は、絶望ではなかった。  重なった二人の影が伸びる。夜が、明ける。  ロウの瞳には、もう闇は映っていなかった。  見えるのは戦争時も、終わった今でも変わらずに昇る太陽。  感じるのは戦争時には無く、還ってきた温もり。  想うのは、確かな安堵感だった。 「ありがとう……ドーン」  娘の名を紡ぎ、脱力していた手をそのまま背中に回す。触れた背中は陽光の温かさをま とい、ロウの身体に正の活力を満たしていく。 「父さん」 「なんだい?」 「……頑張ろうね」  顔は見えなかったが、身体の震えを感じたロウは身体を抱きしめる力を強めた。力を込 めすぎないよう、優しく包み込むように。  返す言葉は無かった。  ただ、昇り逝く太陽を見ていた。  新たな人生の夜明けを、見ていた。


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