バイトの田中さん

掌編コーナーへ



「バイト先に田中さんって人がいるんだ」
 そりゃまた分かりやすい名前だ、と言おうとして口をつぐんだ。目の前でカレールーと白米をもみむちゃむちゅむちゅむちょ、というようにかき混ぜてる男、林は作業を中断されることを極端に嫌う。話の腰を折って昼食時を昼食怒気にするわけにはいかないし。俺上手いこと言ったな。ぷぷ。
「その田中さんがなぁ、面白い人なんだ」
 かき混ぜる作業の中で、林は口を開く。自分から中断するのはいいらしい。
「それがな。自分をさ、不老不死だというんだ。笑っちゃうよな」
 不老不死。なんとまあ、面白い人もいるものだ。
 何が面白いって、俺と同じ人がいるなんてことだ。
「コンビニのバイト暦百年だってよ。確かに凄まじく熟練した手つきだよ。配達されたサンドイッチとか牛乳とか三分あれば全て並べられるし、冷凍室の缶も俺なら十分くらいかかるけど、あの人なら三分あればいいし。もう店長以上に店長らしいよ」
 実際に百年あればそりゃ凄いよな。でも百年前にはコンビニはないと思う。さらっと言うところを見て、それだけ田中さんが不老不死だということを信じていないんだろう。
「面白い人だね。凄く会ってみたいよ」
「なら、今度バイト先に来いよ。紹介するからさ」
 かき混ぜたカレーを今度は食べることに集中しだす。俺も自分の昼食であるカレーうどんを食べながらこれから会えるだろう不老不死の田中さんとやらに思いを馳せた。
 さて、その田中さんとやらはどういう目的で生きているのか。俺と同じように、世界がどこに向かうのかを見てみたいと思っているのか、日本転覆でも考えているのか。中々楽しみではある。
 不老不死、と言っても俺の場合は見た目も内臓も歳をとらないだけで、銃で撃たれたりナイフで刺されたりすれば死ぬ。癌になれば手術も必要だし、転移がどうしようもなくなれば死ぬ。俺が生まれた明治の世から大体百年。いろいろ戸籍操作しながら生きてきたけれど、田中さんも苦労してきたのかな。
 まだ見ぬ田中さんに俺の心は震えた。


 * * *


 そして深夜のコンビニ。午前三時。
「あの人、か」
 林の隣に立つ女の人を、コンビニの外から見る。ネームプレートには「田中」の文字。黒く長い髪は腰まで届くほど。目は大きく眉毛は整っていて、鼻は小さく口紅が血を吸った後のように赤い。
 正直、胸がドキドキする。なんつー美人だ。外見は二十代前半といったところなのに熟成された色気を感じる。フェロモンむんむんではない。ひょろろんんびゅえー! という感じだ。思わず、コンビニ内に入っていた。
「いらっしゃいませ」
 田中さんの声はソプラノで、とても澄んだ声だった。透けて向こう側が見えるシャツくらい透明。まるで半身欲をしているかのように心地よい。
「よ、よう。遊びに来たよ」
「冷やかしならけぇってくんなー」
 俺に気づいた林が言葉に乗って返す。田中さんはクスクスと声を漏らしながら俺を見ていた。目は全く笑っていなかった。
 間違いない。この人、怖いよ。何か怖いよ。絶対何かよからぬことたくらんでるよ。
 会いたいと言った手前、ここで帰ると林が何されるか分からない。大人しく立ち読みをしながらバイトが終わるのを待つ。
 終わりごろを狙ってきていたから当たり前だが、二人は共に十分ほど経ってから交代要員と変わってコンビニの制服を脱いできた。林は眠そうだけど田中さんは特に問題ないようだ。
「田中さん。こいつが俺の友達で田中正行っす」
「あなたも”田中さん”なのね」
「初めまして。田中さん」
 俺は田中さんに向けて手を差し出した。素直に握り返してくれる。手に付いた肉も適度な感じで、握り心地が良い。
 同じ田中姓で不老不死。何か田中には不思議な力があるのかもしれない。
「あ、俺ちょっとトイレ行ってきますね」
 そう言って林はコンビニのトイレに駆け込んでいった。あの様子から見ると大きいほうだな。しばらく時間かかりそうだ。
「田中さん。不老不死なんですよね」
「そうよ……ってあなたも田中ですもの。紛らわしいから名前で呼びましょう? 私は杏子(きょうこ)と言うの」
「分かりました。杏子さん。あなたも不老不死なんですね」
 俺の言い回しに気づいたのか、杏子さんは少しだけ笑った。
「同じ田中だからそうかもと思ったけれど、あなたもそうなのね」
「田中姓だからなんでしょうかね」
「今まで私が出会った不老不死の人々はみんな田中姓だったわ」
 そりゃ驚いた。俺はこの杏子さんが初めて会った不老不死者だというのに、杏子さんは何人も出会っているのか。エンカウント率の違いなのか、生きている年月が違うのか。ちょっと考えても仕方が無いし、気になっていたことを聞いてみよう。
「たな……杏子さんはどういう目的を持ってるんですか? 不老不死だと目的ないとつまらないですし」
「あなたは何か壮大な目的でも?」
「俺は……世界がどうなるかを、見たいんです」
 言ってから気恥ずかしくて顔を背けた。なんか十代の夢想と現実が良く分からなくなっている男の子みたいだ。でも、どうせ不老不死になったら普通の人が出来ないことをしたいと思った。でも頭はさほど良くないか悪いことをするにもチンピラくらいしかないし。俺が選んだのは世の中の流れを俺の目から見てどんな感じかを書くことだった。最初は手書きだったけど最近はパソコンだ。すでに数ギガファイルが出来ている。
「杏子さんは、どんな目的なんですか?」
 さっき感じたなんらかの怖さを考えると、日本転覆とか考えているのかもしれない。
 だから、その言葉は聞き誤ったのかと思った。
「貯金よ」
 あっさりと答え。あまりにあっさりで、小さい理由に俺は自分の目が点になっていると思った。実際、杏子さんも俺の反応を分かっていたのか楽しむように笑う。
「他の田中さん達もそんな目をしたわ。世界全ての国を回るのかとか、全ての食材を制覇するのかとかいろいろ聞いてきたけど、私の目的は貯金そのものなの」
 貯金。お金を蓄える。
 そりゃ、年月分溜めればお金は溜まるだろうけれど……。
「一体なんのために?」
「ゼロが一つ増えるのって見ていて楽しいのよ」
 凄く楽しんでいると言わんばかりに頬を赤く染めてうっとりとしていた。よほど俺の顔がぽかんとしていたんだろう。杏子さんはバックから預金通帳を取り出して見せてくれた。
 てか『フローフシー銀行』って安直過ぎて逆に気にならない名前なんですけど。ありそうだし外国に。
「不老不死の人用に講座を貸し出してる銀行よ。あなたが思っているよりも不老不死の人は多いの」
「はぁ」
 杏子さんの通帳の中身には、ゼロが15桁並んでいた。

 1000000000000000

「はぁ……!?」
 多ッ! めっさ多いよ!? こんな金額初めて見た。
「ここまで来ると一桁ゼロを増やすのも大変でね……でも、だからこそ挑みがいがある。山が高ければ高いほど達成感も大きいしね」
「これってどれくらいかかって、溜めたんですか?」
「レディに歳を聞くのは失礼よ?」
 そう言って杏子さんはコンビニ前に設置されていた煙草の販売機から煙草を買った。一度吸ったことがあるけどまずい部類のものだ。
「杏子さん。その煙草、まずいですよ?」
「そうよね。美味しくないわよねこれ」
 ならなんで飲むんだと思ったら。
「でも一番安いし」
 どうやら吸わないという選択肢は無いらしい。自分の欲望は最低限叶える。代用品があるならば我慢はしない。バックに忍ばされているペットボトルも、百円の水のペットボトルに緑茶が入っていた。恐らく家で沸かしたのを冷やして入れてるんだろう。
「じゃあ、その服も」
「そう。バーゲンで大安売りしていたやつを買ったのよ。おばさんたちは強敵だけど、こっちも年季が違うからね」
 確かに違うよな。多分、バーゲンが始まった時からずっと参加してるんだろうし。
 白いシャツに青いジャージ下。顔がやけに美人だけど服装が追いついていない。
「それだけお金があるなら服も買えばいいのに」
「服は生活に最低限しか必要ないから」
 ふふ、と笑って視線を振る。トイレから出てきた林が見えた。
「他の田中さん達にも会いたければ私に言えばいいわ。私、結構顔広いからさ」
「はい。ありがとう、ございます」
 上機嫌でやってきた林は杏子さんに笑いかけて一緒に歩き出す。これから朝まで飲むらしい。そりゃ今日は土曜日だし別に寝ていいだろうけれど。
「また林君の四分の三おごりね」
「いつもお世話になってますから〜」
 微妙なおごり率だ。きっとこういう風に節約しながら、今後もこの人はお金を溜めていくんだろう。なるほど、確かにいかにしてお金を溜めるかというのは戦略的に考えなければいけないし、それに応じて更に人との付き合いも上手くする。お金の消費を恐れて飲み会とか断り続ければ心証が悪くなるし、際限なく参加すればお金はたまらない。
 ただ溜めるだけでは人生は灰色だ。だから、人と適度に付き合いながら、それでもお金を溜めていく。凄まじいバランス感覚。
 これは正に人生を賭けたゲームなんだ。不老不死という条件を用いて、お金を溜めるゲーム。
 たかが貯金されど貯金。
 奥が深いんだなぁ、貯金。
「俺も、今から始めようかな」
 不老不死ならなんか壮大なことをやろうと思ってた。だから世界の行く末を見届ける、みたいな大仰そうなことを目標に掲げた。
 でも結局自分では何もしてなかったじゃないか。ただ、見ていただけ。書いてただけ。
 大日本帝国憲法制定も大正デモクラシーも太平洋戦争もオイルショックもなんでも、見ていただけだ。見ていて「しょうがないな」とか一歩引いたような視線で見て、適当に書いて、悦に浸ってただけじゃないか。
 でも身近にこんなにも魅力的でやりがいがあることがある。
「よし、決めた」
 まずは俺も林からおごってもらうテクニックを磨くために、杏子さんに弟子入りすることにしよう。
 でも多分、やがては袂を分つだろう。
 俺はぼんやりと自分の手を見ていて思う。俺は確かに見ていただけで、だらだらと書いていた。
 でも、一日たりともさぼったことはなかった。毎日世の中にあったことを書いてきた。なら、俺の中にも力はあるはずなんだ。

 初めから勉強しなおして、いつか。
 小説家に俺はなる!


掌編コーナーへ


Copyright(c) 2008 sekiya akatsuki all rights reserved.