暗闇の中で一つの生命が終わろうとしていた。
長い間待ちわびていた光の時。
ただこの、自分の周りを取り巻く闇から逃れんがためだけに待ちわびた時が、無と化す。
それは生命の精神を、何よりも『心』をえぐった。
(誰か……助けてください。僕はただ外に出たいだけなのです。光が見たいだけなのです。
どうか……助けて!)
言葉にならない叫び。
魂の叫び。
誰にも届くはずの無い声。
(助けて……助けて、助けて! 助けて!! 助けてぇえ!!)
魂を震わせる叫びはしかし、ただ闇に吸い込まれたのではなかった。
【光が、欲しい?】
唐突に響いた自分以外の声。
それは純粋な声ではなく、感覚的なもの。けして誰にも聞こえるはずの無い声。
生命に複雑な知覚があれば、その声が幼く、穏やかな物だと理解できるはずだ。しかし
そもそもこの場所に聞こえるはずがない事をも悟るはずだが。
生命にはただ「自分の声に応えてくれた存在」としてだけ声を受け入れた。
【光がほしいなら、与えるよ。でもそれは君にとってとても苦しい事かもしれない。この
まま永遠の眠りについていたほうが幸せかもしれないよ?】
(生きたい)
生命は即答する。
ただ切望する。
声の言う言葉はほとんど理解できはしないが、自分の望みが否定されかけている事は感
じていた。だから、言った。
(僕はただ外に出たいだけです。生きたいだけです)
文字通り、魂の叫びだった。
生命の鼓動が闇に吸い込まれ、しばらく静けさが支配した。
やがて、声は紡ぐ。
【分かったよ。君を理解しよう。でも時間は変えられない。君の寿命の時間までは。それ
まで、再生させてあげるよ】
生命の周りを包んでいた闇が徐々に狭まっていく。
光が闇を飲み込んでいく。
【忘れないで。光が満ちていても、常に闇はすぐ傍にあるのだと。君の束の間の生が幸福
でありますように……】
声が消えるのと同時に光がその場を埋め尽くした。
八月十日、日曜日。
さかまき公園にはストリートミュージシャンが溢れていた。
この場所で成り上がったアーティストも数人いて、誰もがその夢に賭ける為に日夜、ギ
ターをかき鳴らし、歌っている。真夏の陽光が最も差し込むこの公園は家族、カップルの
憩いの場となっていた。その事からも自分のアピールには丁度良く、時折鳴くセミの声と
共に公園には音楽が途切れる事はほとんど無かったのだった。
新城正人も夢を追いかけている人々の一人だった。
単身、勘当同然で家を飛び出して都会に出てきてからもう三年。
いくつものレコード会社に自分を売り込み、挫折してきた。
「♪僕は〜うた〜おう〜。星満ちる夜に〜うた〜おう〜♪」
自らの手で作詞作曲をしていた高校時代。
自分はクラスの中でも、地元でも歌に関しては一目置かれていた。
一度、テレビの素人歌番組にも出場した事もある。
彼は確かに周りに比べれば歌は上手かった。だからこそ、彼は自分はプロでもやってい
けると錯覚してしまったのだ。
「♪僕の〜心を〜込めるから……この歌を〜君に〜送るから♪」
しかし実際には、自分のように歌えるものなどざらにいた。自分が特別な存在ではない
のだと知った。世界の広さを、知った。
それでも彼はまだ夢を捨てられずにいる。
いつか、自分の歌で日本の頂点に上っていくという夢を諦めてはいない。
「♪いつしか繋がる〜夢のために……♪」
ゆっくりとギターでの演奏を終える。
まばらに起こる拍手。そして去っていく観客。
時計を見てみるとすでに時刻は深夜零時に指しかかろうとしていた。
今の観客も遅くまで家に帰らない若者。こんな時間に歌っていてもたいした出会いは無
い。彼を喜ばせるような出会いは。
「……もう帰るか」
職にもつかずに食べてはいけない。
正人は次の日にあるコンビニのバイトに備えるためギターケースにギターをしまう。
その間にも溜息一つ。
「もうそろそろ……潮時かな」
限界。
高校時代に嫌いだった言葉。
今、彼の肩にずっしりと圧し掛かってくる。
ギターを持つ手がやけに重く感じるようになったのは最近からだ。バイトで疲れたから
かもしれないが、うすうす限界を感じていた正人にはそれが神様の忠告だと思った。
「帰りたくないけど……帰るしかないか」
準備を整え、自宅に帰るために正人は歩き出した。しかしその歩みがすぐ止まる。
それはベンチに腰掛ける一人の青年を見たからだった。
(なんだろ?)
その感覚は正人にも説明できない物だった。
引きこまれるというか、眼を奪われるというか、そういった感覚に似ていたが何かが違
う気がする。
その青年はぼんやりと上を見上げていた。
視線の先には満月の月。
月明かりを浴びて青年の輪郭は光を放っているかのように見える。正人はその光景にし
ばし見とれた。だがその静寂が破られたのはすぐだった。
「ん〜ん〜……」
青年は突如鼻歌を歌いだした。
その時、正人の頭の中に一つの光景が映し出される。
真夏の草原。
眩い太陽。
風の香り、感触。
正人は押し寄せてくる感覚の洪水に溺れそうになって思わず叫んだ。
「うわ!」
「……?」
正人の声に驚いたのか、青年は歌うのを止めていた。正人は激しく鼓動する心臓を押さ
えつつ、青年に近づいていった。
「あ、あ〜、あんた……」
「なんですか?」
青年の声は透き通った綺麗な声。空気を振動させ、正人の鼓膜の中に心地よい感触を与
えてくる。今まで聞いた事の無いような声だった。
「……あんた、さっきの鼻歌はなんて曲なんだ?」
青年は少し考えこみ、どうやら自分が奏でていた旋律の事なのだと理解したようだった。
「別に、意味ある曲じゃないですよ。ただ……歌いたくて」
「歌いたい?」
青年は空を見上げて呟く。
「心の中から聞こえるんですよ。何かが言っている……『歌え』って。僕も歌いたくてた
まらないんです。今、自分ができるだけの歌を、歌いたい……」
正人は体に電流が走った気がしていた。
自分も高校時代にそんな感覚を得た事がある。今は少しも感じなくなってしまったが。
自分は先が見えない。だが、この男には自分には追えないであろう夢を掴めるに違いな
い。この男と共にいれば、自分にもまだ夢を追えるのかもしれない。
どうしても諦められない夢を、たとえ一時でも繋ぎとめられるかもしれない。
正人は、決めた。
「なあ、あんた。一緒に歌を歌ってみないか?」
「……本当かい?」
青年は表情を輝かせて正人の前に立った。
「俺が作詞作曲をする。あんたが歌う。もし出来るなら、あんたが作詞作曲でもいい。俺
と一緒に歌ってくれないか?」
「いいよ! 歌えるならなんでも!!」
青年は子供のようにはしゃいだ。正人はそこまできてふと、不思議に思った事を口にし
た。青年の言動が少し変な事に気付いたのだ。
「ところで、あんたの名前は?」
「僕の名前は……ショウだよ」
一瞬の言い澱みがあったものの、正人は気付かなかった。感じた違和感は気のせいだっ
たのだと思い直し、正人は手を差し出した。
「俺は新城正人。よろしくな、相棒」
「うん。よろしくね!」
無邪気に青年は笑った。
それは一夏の物語。
魂の歌の物語。
歌という夢を追い続けた二人の物語……。
『Love Song』
『第一話:運命の邂逅』