Little Wing
EX「共に歩んでいく」
自分を除くバドミントン部員の内、実力が上位のメンバーがフロアに降りているのを見て、凛は不思議な感覚に包まれていた。いつもならば自分が下にいる立場なのに、今は顧問や試合に出れない一年生達と一緒に眺めている。フロアでは少し前から始まった開会式にて、市内大会に出場する選手達の前で市長が精いっぱい頑張るようにと激励を送っていた。
「ふわ……」
込み上げてくる眠気に耐えきれずにあくびをしてしまう凛。大きく口を開けないように耐えつつ、更に掌を口元に当てて隠す。それでも顔が歪み、目元から涙が零れ落ちてしまって慌てて指で目元を拭った。誰もが開会式の方へと視線を集中しているから気付かれていないだろうと思っていたが、一人だけは凛の隣にやってきて囁くように言った。
「疲れてるね」
「……アキちゃん。うん。そうだね」
清水谷は凛の座っていた長椅子の隣に腰を下ろすと両手を組んで上に伸ばし、小さく唸る。凛も合わせて両手を上に伸ばすと体に残る怠さが抜けていくよう。前日まで蓄積した疲労が昨日の今日で回復することもなく、どうしても疲れに体はふらつく。
「凛はインターミドルでも体力は大丈夫だったのにね」
「バドミントンする体力はあるんだけど、時差ボケがね……」
「シンガポールの時差って一時間じゃなかったっけ」
「それでもなの。ほらほら。開会式終わるよ」
凛は詳しく言おうとして諦めると清水谷に後輩達へと視線を向けさせた。会話をしている間に市長の話も終えて、そろそろ試合が開始するらしい。今回は出場しない凛も清水谷も、試合をする部員のサポートをすることになる。練習相手から線審などの雑事一通りだ。
「それにしても。別に凛は来なくても良かったんだよ。昨日まで海外で試合だったんだし。休んだって誰も文句言わないし」
「部長だし、出なくても見たかったんだよ、みんなのこと」
「そっか。部長らしくなったんじゃない?」
「まだまだだよ」
二人は笑いながら顧問の傍へと向かい、フロアから戻ってくるだろう部員達を待った。
凛も清水谷も、今回開催されている市内大会には出場していない。凛は前日までシンガポールで開かれた世界ジュニア大会に出場しており、体力的にも参加が無理ということ。清水谷は試合に出場する枠が決まっているため、他の部員に経験を積ませるようにあえて自分は出場していない。
インターミドルが終わり、三年生が引退すると共に二年生から部長や副部長など部活を運営する役職が入れ替わった。凛と清水谷はそれぞれ部長と副部長となり、部を回していくことになった。
最初、凛は日本国内の大会の他に少しずつ海外の大会へのエントリーもバドミントン協会の後押しで行っていくことになったため、学校を休むことも多くなると部長職を渋っていた。しかし、全員の賛成や元部長の三枝の推薦によって最終的に引き受けることにした。
自分を取り巻く状況が変わる中で、今日の市内大会は凛が七浜中のバドミントン部の部長になって対外試合ということになる。
「皆、緊張してるかな?」
凛の目から見て、戻ってくる後輩や同年代の仲間達の動きは鈍いように見える。心なしか周りの視線が集まっているようにも見えて、首を傾げながら眺めていた。隣で清水谷は一つため息をつき「あのね」と口を開く。だが、凛は清水谷の言葉を手で押しとどめると自分から言っていた。
「やっぱり、私が出ないから舐めてるって思われてるのかな」
「……気付くようになったね、凛。偉い偉い」
「凄く馬鹿にされてる気がするけど許してあげる」
頭を撫でてくる清水谷の手の感触が心地よく、凛は自然と頬を緩ませる。部の中にいても部員という雰囲気ではなかった凛を見ていた清水谷から見れば、驚異的な成長とも言えた。
「私達は市内なら優勝候補だしね。凛と私は差はあるけど実力ナンバーワンとツーだし、他の学校からは面白くないんだろうな」
「やっぱり無理でも出た方が良かったかな」
「それはみんなが戻ってきたときにでも」
清水谷には何か考えがあるのか、ウィンクをして凛の考えを止めさせる。すぐ後に部員達が戻ってきて凛と清水谷。顧問の田中の周りに集まってきた。先に見ていた通り、部員達の顔は沈みがちで肩に力が入っている。見た目から緊張しているのが理解できた。
「はい、注目注目」
清水谷が手を軽く叩いて全員の視線を集める。自然と、隣にいた凛の姿も見えたのか、視線が集中するのを凛は感じた。流れてくる感情が読めると錯覚するほどに、視線には心細さが伝わっている。
「えーと、今日は七浜中バドミントン部が新体制になって初めての試合です。えーと、なんだろ。頑張ろう」
注目を集めた本人である清水谷が何か気のきいたことを言おうとして失敗しているのを凛は隣で黙って聞いていた。周りに立っている部員達の目を一人一人見ていき、誰もが不安で瞳を揺らめかせていることを知る。
やがて、しどろもどろになった清水谷の肩に手を置いて話を止めると凛は言った。
「皆。今日は私もアキちゃんも出ないけど楽しんでほしいな」
凛の一言に緊張に沈んでいた空気が少しだけ動きを止めた。凛は笑顔を浮かべながら全員を抱きしめるように両腕を広げ、歌うように言う。
「私達はさ、確かに市内なら負けない方が難しいとか思われてそうだけど、そんなの先輩達がいたころの話でしょ。今は、私やアキちゃんが中心で、主力は変わるんだし。本当のお披露目は、別にあるからさ」
凛が告げているのは年末にある学年別の大会のことだ。その後、年度末に行われる全国規模の大会へと進んでいく。その先は、学年が上がった上でのインターミドルだ。あくまで今は、そこへ続く道の入り口に入ったということを凛は言っている。
「今日は出ない分、精一杯応援するからさ。皆、練習の成果を出していこう〜」
最後に右拳を作って上に突き上げて激励して言葉を終えた凛から波が広がるように、部員達に笑顔が戻っていく。緊張がなくなったわけではないが、肩の力は入っていても笑顔を交わしあい、頑張ろうと励ましあう。それまでは隣に気を遣う余裕もないほどだったのに。凛が皆の様子を見てほっとしていると、顧問の田中が絶妙なタイミングで口を挟む。
「よし、じゃあ試合開始までもう少しだけ時間あるから、皆、準備よろしくね。解散!」
『はい!』
ミーティングが終わると共に全員が自分のラケットバッグの置き場所へと散らばっていく。既にユニフォームに着替えている部員はラケットを取り出してシャトルを軽めに打ちに行き、着替えていない部員はユニフォームを取り出して更衣室へと走っていく。それぞれの動きで時間を使う部員達を眺めていた凛は、自分に向けられている視線に気づいた。
「凛。なんか、インターミドル前とは別人じゃない?」
清水谷は心の底から驚いて、尋ねてきているらしかった。凛はごまかそうと思ったが、ため息一つつくと口にする。
「私なりにね、部長としてどうやって皆と接していこうかって考えていたんだけど……ようやく固まったのは、実はインドネシアオープンの時だったんだよ」
凛はつい先日に行われた海外での大会のことを清水谷に語りだす。そうすることで自分の中にぼんやりとでも形作られた思いに、もう少し枠を与えられるかもしれない。ただ、正直に話していいか凛は言い淀む。
「大丈夫大丈夫。凛がちょっと失礼なこと言っても私に気にしないし。皆も聞いてないから」
清水谷があっさりと言った言葉に苦笑すると共に、凛は体の力が抜けていく。いつでも自分を優しく見守ってくれている友達に感謝を込めながら、凛は口を開いた。
「インドネシアオープンにね、全国大会で活躍した人達と一緒に、行ったんだけど。その時にね、凄く応援してたんだよね、私が」
市民大会の試合会場が脳内のイメージに置き換えられて、インドネシアオープンの会場へと入れ替わる。
周囲は誰もが英語や母国語で話していて自分達はぽつりとそこにいる。相手のレベルも高く、一回戦から全国大会でも上位の試合を強いられる。同行した選手達も自分に負けず劣らずの力を持っていたにもかかわらず、なかなか力を発揮できなかった。初の海外で初の試合。慣れない環境に体は緊張して上手く動かない。凛も例外であり、いつものフットワークが全く使えていなかった。
四面楚歌の状況の中で、凛は自然と声を大きく出して応援していた。それは七浜中の部員達と一緒にいる時には全く出すことのなかった種類の声だった。
「周りが皆、怖くてさ。寂しくて。きっと、今の部員達も心細いんだと思う。そんな時に声をかけられると凄く嬉しくて。だから自分も声をかけて。実は当たり前のことなんだけど、改めて思いなおしたんだ」
「……だから、皆にも優しく声かけたんだね」
全員が集まったところで話した凛の姿を思い起こしているのか、清水谷が微笑んでいるのを見て凛は気恥ずかしくなる。多くの言葉を言えたわけではない。当たり前のような言葉しか言うことはできなかった。でも、自分がここにいて皆を応援するという思いをできる限り伝えたつもりだった。
目の前はいつもの市民体育館へと戻っている。自分がいるのは海外でも全国大会の舞台ではなく、今、仲間達といる場所。
「あとね、もう一つ。考えれば当たり前のことだったんだけど」
誰も今は聞いていないとは分かっていても声を小さくしてしまう。清水谷は微笑んだまま小さな声で会話できるように凛へと近づいた。
「私はやっぱり、皆とすぐに離れないといけないんだなって理解できたんだ」
声に含まれる寂しさに清水谷も笑みを止める。凛はあたりを見回して、各自で準備をしている部員や、他校の選手まで視界におさめてから口を開く。
「全国大会に出て。海外で試合もして。分かったの。きっとね、部の仲間も、この体育館の中にいる人とも。この時しか一緒にいないんだろうなって」
まだバドミントン部に「参加」していた頃。全道大会、全国大会と勝ち抜いた時を思い出す。一人で頂に立って、漠然と自分は一人なのだと思っていた頃。バドミントンに自分を捧げるように邁進していったのもバドミントンをやるためにやっていたようなもの。
でも、今は心の底からバドミントンを楽しんでいる。だからこそ、共に楽しい時間を送れるのは一人に義理の人間なのだと理解してしまった。
「慣れあいとかじゃなくて。目の前の試合を一緒に頑張っていけるように支えあうのが仲間なんだなって思ったんだ。だから私、頑張るよ。部長として」
凛は椅子から立ち上がると背伸びをして唸る。それを見計らったというわけではないだろうが、試合開始のアナウンスがかかる。男女のシングルスから順番に名前が呼ばれ、波紋のように広がっていくと会場全体が活性化していくようだ。
「今日はたっぷり応援しようね」
「うん!」
清水谷の言葉に満面の笑みを浮かべて凛は前を向く。かつては置いてきたものを全て視界に入れるように、包み込むようにと気を付けながら、君長凛は七浜中バドミントン部の部長としての第一歩を、ここに踏み出す。
夏が過ぎて秋が訪れた、生まれた土地で同じ部活の仲間達と共に歩んでいく。
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