200X年9月1日 午後一時三十分 北海道、鈴木匡家
 夏。  夏である。  暦の上では秋に入っているはずの日ではあったが、今年はいつも以上に暑い日が続き、 八月の終わりに落ち着きかけていた暑さが再び北海道を覆い尽くした。少し季節外れの暑 さに誰もが身体にだるさを覚えている。  窓を開け放しているにも関わらず鳴らない風鈴へと、うちわで風を送りながら鈴木匡は ため息をついていた。短い髪型、ランニングTシャツに風通しのいいジャージ、と三拍子 揃いながらも体のそこかしこに玉の汗が光っている。 (だっり……)  大学二年生ともなると一年の頃とは違って慣れが出てくる。夏休みの間は友人達も実家 に帰ってしまい、自分も実家で大人しくしているしかない。高校までの友達は誰にも連絡 が取れない。  今の状況に匡は何となく孤独を感じていた。  この北海道で遊び倒すと言っていた友人達は自分が誘いをかける前、テストの最終日を 終えた瞬間にレンタカーでくりだしてしまった。  曰く『絵葉書をたどって北海道の全市町村を制覇するのだ!』などなど。一番最近にメ ールが来た時には百五十番目に突入したということだった。  正に大学生の暇つぶしにはちょうどいい。  自分もそこまでは行かずともどこかに出かけたい。このまま家にいたのでは脳味噌がア メーバへと変化してしまう。  ぴんぽーん  呼び鈴が鳴っていた。匡は暑さのために動作が鈍い。玄関に行くまでに来訪者は更に呼 び鈴を慣らし続けた。その音はリズミカルで何かの音楽を奏でている。  ぴぽぴぽぴんぽんぴぽぴんぽーん ぴーぽーぴーんぽーん  匡は玄関のドアを思い切り押し開けた。鈍い衝突音が聞こえたが気にせずに、目の前に いる男へと言う。 「『しとしとぴっちゃん』なんて鳴らすんじゃない、士郎」 「おはこんばんちわ。家で寝ててもアメーバと化してしまいそうなんで、お前の家に来た。 早速棒アイスとガラナと夕張メロンをくれ」  扉が間違いなく額にヒットしているにも関わらず、士郎と呼ばれた男は何事も無かった かのように匡へと話し掛けてくる。額は確かに赤い。しかし匡ももう慣れたもので、気に せず答える。 「アイスとガラナならある。メロンはない」 「常に常備しないといけないな。いけないぞ」 「はいはい」  そんな会話をしながら二人は家の中を歩いて行った。階段を上って二階に行こうとする と階段横の部屋から女性が顔を出す。その顔立ちからも匡の母親ということは間違いない。 「あら、田中君いらっしゃい」 「お久しぶりです、おば様。この暑さではその厚い面の皮も落ちることでしょう」 「自前のなので落ちないのよ。ほほほ」  言葉のキャッチボールをしながら二人の間では、母親から投げつけられた口紅を士郎が 指二本で受け止め、投げ返すというある意味凄い光景があった。しかし匡は日常茶飯事だ というかの如く、気にせず二階へと上がる。すぐ後に士郎もついていった。 「うむ。我が好敵手も腕を上げているようだ。うかうかしていられん」 「はいはい」  階段を上って右の部屋に匡の部屋があった。  ドアを開けるとエアコンによって冷やされた風が二人を包む。 「何故、最初からこの部屋にいないで下の畳部屋にいたのだ?」 「そのほうが風情あるし」  エアコンにテレビデオ。その下にはDVDレコーダー。巨大なMDコンポに部屋の端に はベッド。天井まで届くかと言わんばかりの本棚がこの部屋にはあった。確かに日本の夏 という風情を味わうには日本ぽい所はゼロだ。  匡は士郎を座らせて自分は頼まれた飲み物とアイスを取りに行った。ほどなく帰ってき た彼の手にはペットボトルと二本の棒状のアイスがある。  ペットボトルの中身は黒々とした液体で炭酸特有の泡が液体表面にあり、アイスは二本 とも黄緑色だ。 「おおう。青りんご味か。サンクスベリーマッチョ」 「お前が来ると俺の取り分が二倍減るんだ。味わって食べろよ」  二人は座ってアイスを手に持った。棒状のアイスは真ん中で折れるようになっていて、 べきっという音と共に二つに別れる。そして開いた先からがりがりと食べ出す。  先ほどまで暑さの中にいた二人には心地よい。 「早くあれを見せるのだ! あれを!」 「ああ……了解」  士郎が匡をせかすと、匡は一本のビデオを取り出した。ラベルには大きな文字でこう書 かれている。 『このビデオを見たら一週間以内に死ぬよ?』 「お主、影響されすぎ」 「サ○ラは馬鹿にできないぞ〜。○子は睨みつけたら相手は死ぬだけだが、サ○ラは相手 の顔溶かすんだぞ」  さりげなく外国版を話題にしつつ匡はビデオデッキにビデオを装填。テレビは機動音と 共に映像を映し出した。 『鉄道戦隊! ヒカレンジャー!!』  じゃんじゃじゃじゃじゃーん じゃじゃん!! 「先週は、とうとう『駅弁ロボ・ブラックストマック』が倒されたのう。見逃すわけには いくまい」 「『空弁帝国』の勝ち寸前だよなぁ。レンジャーも後は『レッド九州新幹線』しか残って ないし。こっからどう逆転させる気なんだ? 脚本家……」  テレビ画面ではいきなり人間の姿のまま血塗れのレッドの姿が映し出された。壊れたロ ボから出てきたレッドは辺りを見回して死に絶えた仲間達を見つける。 『くそ! 俺達を戦隊にした奴め!! 仲間を返せ!! 思えば人間達も全員俺達ばっか り頼りやがって!! 俺達にお前等は何もしてくれなかった!! その結果が、これだぁ ああ!!』 「うーん。ブラックブラックだな」 「そこがこの番組の良い所ぞ、匡」  二人は絶望と憎悪の炎に包まれているレッドを見ながらアイスをぼりぼり食べている。  二十分も経ってアイスを食べ終え、ペットボトルの中身を飲みながら二人は結末の見え ている戦隊物を見ていた。部屋をペットボトルから流れ出た独特の匂いが包む。  結局、テレビではレッドが敵の本拠地に特攻して終わっていた。 「実は今週が最終回じゃないとは……前回の予告では最終回って言ったぞ」 「収拾つかなかったのだろう。これぞ必殺、『あの予告は無かったことにしよう』だ。こ の奥義を使うと番組を何とか立て直せる代わりに信用を失う」 「それはかなりまずいよな」  そこで、会話が途切れた。  元々暇を持て余していた二人だっただけに、この沈黙がやることがなくなったことの合 図だったのだろう。しばらく二人はペットボトルに残っているガラナを体内へと吸収させ ていた。  やがてペットボトルも空となった時、不意に士郎は遠い眼をして言った。 「なあ……旅行こうか」 「旅?」  いつものように、士郎は突拍子もない事を言った。  匡はいつものパターンを脳裏に描く。  以前、『富士山に登りたい』といって二人で登山しに行った時は富士山に入る直前にな って『カキ氷を食べに行こう』と北海道へと舞い戻ってしまった。  また『鈍行に乗っていけるところまで行こう』と言って準備を整えた次の日に、『今日 はなます斬り忍法帳の発売日だ』と出発を取りやめた。  ……つまりは士郎は気分屋なのだ。  しかも、ただの気分屋ではない。 (常に本当にやるかもしれないってことが問題なんだよな……)  士郎は不可能に近いことでも平気でやろうとする男だった。だからこそ、いきなり突拍 子も無い事を言って笑っていた友人達が、本当にそれをしたことで何も言えなくなったと いう光景を何度も匡は見てきた。  そんな士郎を許せる匡だからこそ、大学まで付き合いが続いているのだろうが。 「旅って言っても、どこに行くんだ?」 「それは、行ってからのお楽しみさ」  そう言って士郎は立ち上がった。 「明日の午前九時に家の前で待っているがいい」 「分かったけど……なんでまた?」 「いいじゃないか。もう二十一世紀だ」  わけが分からない返答も慣れた物。  匡は士郎が帰っていく様をずっと見ていた。何か、見ていなくてはいけない気がしてい た。今までにない何かが、心の中に広がっていく。 (何だろ? この気分)  しばらく考えていた匡だったが、結局諦めて家の中に入った。  それは当たり前の感情だったのだが、匡にとっては麻痺している感情だった。  すなわち、『不安』  今まで散々士郎の理不尽な行動に振り回されてきた匡だからこそ、この感覚が鈍ってい た。そしてその感覚が久しぶりに眼を覚まし、匡へと警鐘を送ったのだ。  この旅が匡にとって人生最大の困難になろうとは、この時誰も予想していなかった。
200X年9月2日 午前九時 北海道、鈴木匡家
「というわけで、準備はOKだな? 匡」 「まあ良いけど……」  匡の格好はTシャツにハーフパンツ。三泊四日ほどの着替えが入った鞄が足の下に置い てある。士郎も同じような格好だった。ただTシャツの胸には『漢』の文字が入っている。  匡には行く先も、どれだけの期間行くのかも分からない。とりあえず三泊四日を果たせ るようにバイトで溜めた金を持ってはいた。匡は内にある疑問を躊躇なく尋ねる。 「ところで、どこ行くんだよ」 「ふふふふふ……それはですねぇ、えへへへへ」  士郎はいきなり腰を低くして年寄りじみた口調で言う。たまに口調を変えるのは士郎の 癖だと分かっているので特に気にしない匡。士郎はポケットに手を入れて勢い良く手を掲 げた。 「これで決めます!」  手の上には、サイコロがありました。  しかもそれはサイコロキャラメルの箱です。 「なんだよ、それ?」  何故か童話口調で匡はモノローグを入れると、士郎に尋ねた。  しかし、聞かずにはいられなかったとはいえ、後に来る展開が読めてしまったために絶 望から肩を落としてしまった。おそらく士郎以外が匡の顔を見たならば、間違いなく気遣 わしげに声をかけてきただろう。  士郎を除いては、だ。 「これはサイコロキャラメルですよ〜。そして、ここに目的地が書かれたボードがあるの です! このサイコロを振って目的地を決めます!」  やけに上機嫌で説明する士郎。右手には目的地が書かれたボード。そこにはサイコロの 数字が上から順に並び、数字の横には地名が書かれている。  上から順に 『一:モンゴル』 『二:スリジャヤワルダナプラコッテ』 『三:インド』 『四:アステカ』 『五:マヤ』 『六:バビロン』    日本の地名が一つも無い。  そして、六は地名ですらない。 「それじゃ、振りますよ! ぽれぽれ〜」 「ちょいま――」  匡が止めようとする間もなく、士郎はその場で周りながら思い切り上空へとサイコロ (キャラメル)を放り投げた。青ざめた顔のままサイコロの行方を見守る匡。道路に落ち たサイコロはころころと転がって止まった。 「おおー! 三だ〜」  士郎は声高らかに叫ぶ。匡はボードを即座に見た。 「……一応パスポートはあるが、そこまでの金は無いぞ」  行き先はインドになったようだが、匡は最後の希望を持ってそう言った。しかし士郎は 笑顔でボードの端をつまむと一気に手を振り上げる。手に合わせてボードの端がめりめり とめくれる。どうやらシールになっていたらしい。 「海外なぞ最初から行かない! 目的地はここだぁ!!」  下に現れた選択肢の三の項目にはこう書かれていた。 『愛暖県』 「愛媛県〜!」  匡は自分が間違っていたことに気付いたのだった。というか、愛媛の漢字が違っている ことにも気付いていたが、訂正する気力も無かった。




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