風の辿り着く場所

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  第十三話【未来】  

 美緒が体育館に入ると、三年男女含めて部員達が拍手で迎えた。自分の目の前に広がる光景と耳に入る音の洪水に多少の申し訳なさを感じつつ、美緒は早足で皆の所へと向かう。
 自分と同じ立場である三年生まで自分よりも早くきている事実に美緒はため息をついた。

(この日に寝坊するなんて……)

 前日の夜、今日のこの時を想像すると気持ちが高ぶってしまい、眠りにつくのが深夜の三時くらいまでかかってしまった。普段の美緒ならば夜更かしをしてしまっても目覚まし一つで何とか起きられるのだが、特別な日を迎えるということで精神的にも疲労していたらしい。夏休みであり、バドミントンに一区切りついた後だからと親も起こさなかったのだろうが、今日に限っては完全に裏目に出た。

「さあ、朝比奈もそろったところで、始めよう」

 庄司の声に全員が返事をする。そして、三年生が集団から前に出て、一年と二年はその場に体育座りをして、前に立つ三年生を見上げる。美緒も他の三年と共に一年と二年を見下ろす形になり、改めて考えた。

(今日で、部活も卒業か)

 インターミドル全国大会が終わってから数日後。八月のとある日に、浅葉中バドミントン部三年生の引退式が始まった。

「まず、朝比奈が挑んだインターミドルの成績だが、二回戦負けだった。二回戦といっても、試合内容は本当に素晴らしかった。これからが楽しみな結果を見せてくれた」

 庄司の言葉が終わったタイミングで仲間達が拍手をしてくれる。美緒は照れながらも一歩前に出た。一度頭を下げて、美緒は目の前の一年と二年。そして、視線を横に移して三年に「ありがとう」と言った。お礼の言葉から少し間を開けて、美緒は昨日から言おうと考えていたことを口にする。ゆっくりと、一言ひとことはっきり伝えるように。

「皆のおかげで、私は全国に行けました。三年には話したんだけど……皆にもらった色紙のおかげで、全道大会で負けそうになっても踏みとどまれました」

 全道大会の準決勝で挫けそうになった時に見えた色紙。それが美緒の中で蓋をしていたものを取り除き、力を振り絞ることができた。そして掴んだ全国大会の切符。約束の舞台へと足を進められたこと。全てのことに改めて礼を言って、美緒は笑う。その様子に一年と二年、そして三年も呆気にとられたように美緒を見ていた。
 美緒にとってはよく分からない反応に首を傾げていると、斜め後ろに立っていた宮越が顔を近づけてきて囁く。

「美緒。なんか明るくなったよ。だから皆。驚いてるんだよ」
「明るくなった? 私、暗かったの?」
「正確には、壁がなくなった、かもね」

 その言葉には心当たりがあった。だから美緒は無言で笑い、頷く。説明をするには、全道大会が終わったあとで遊佐にしたような説明を再びする必要がある。それは時間がかかるため省略することにした。
 皆に伝えたいのは過去よりも、未来のことだから。

「全国で二回戦負けだったけど、悔いはありません。私は全力を出せて、その結果だったから。私の実力はそうだったってことだし」

 そこまで言って、一年と二年の顔が少し強ばっているのが見えた。それが以前に見たことがある顔と被ったため「違ったらごめんね」と前置きをしてから言う。

「もしね、私に続こう、とか思って困るようだったら、そう思わなくていいと思う。部活はもちろん大事だけど、私は私だし皆は皆だから。昔ね、先輩の成績を受け継ごうって気を張って頑張って、空回りしてた人を見たことがあるから思うの。自分がいいと思うことを、まっすぐにやっていってほしい」

 美緒の言葉が誰のことを指すのか。三年の何人かは理解して頬を緩めた。今はもう卒業した先輩のことだ。
 美緒は思い出す。中学一年の頃に対立したことがある当時の部長のことを。
 彼女も先輩や後輩からの圧力から逃れて、自分の道を見つけた。それに感化されて、美緒の道も変化した。
 自分がしっかりと自分の行きたい道を進むことで、自然と人は人と影響しあって、未来へ続く道は変わっていく。その変化を恐れずに触れ合うことが、一番大事なことなのだ。

「私からはこれで終わりです! ありがとうございました!」

 美緒が勢いよく頭を下げると、一、二年が拍手を大きく鳴らした。顔を上げる前に涙腺が緩んで出てしまった涙を軽く拭き、笑顔を向ける。二年と数ヶ月、仲間と共に過ごした部活から遂に去る。
 次からは部長の宮越から順にメッセージを伝えて行った。順番を考えるならば何も役職に就いていない美緒は後になるはずだが、優先してもらえたことに感謝する。いろいろと話が終わったあとに発言すると、涙で何も言えなくなりそうだと今は思う。一人ずつ後輩へと向ける言葉。自分へと向ける言葉。そして、共に頑張ってきた仲間への言葉。すべてを一字一句聞き逃さないように、美緒は聞いていった。
 男子も含めて全員が話し終えると、庄司が手を叩き、一度流れを切った。

「三年はいままでよく頑張った。ここから受験勉強に集中していくが、ここで培った様々なものを生かしてほしい。受験勉強だけでなく、今後の人生にも生かせると思っている。バドミントンだけじゃなくて、バドミントンで得たすべての物が、お前達の財産になる」

 庄司の言葉を聞きながら、美緒は過去を思い返す。
 バドミントンを通して親友達との絆を深めることができた。
 転校して、一人になったと思っても、自分から少し踏み出せば、仲間達は支えてくれた。
 そして、遊佐がいた。

「――それでは、三年は今日は解散。引退後の引継もかねた記念試合は、別途日程を連絡するからな」
『はい!』

 全員が答えて、その場は解散となる。一年と二年は練習を開始し、三年は帰るために玄関へと向かった。そこで美緒はトイレに行くと言って皆の流れから外れて、自分の教室に向かう。夏休み中で誰も人はおらず、窓ガラスの向こう側から野球部の部員が出している声がかすかに届いた。
 教室の扉をゆっくりと開けて静かに閉める。そして自分の机に腰掛けながら、来るはずの相手を待った。
 美緒から遅れること、五分ほど。扉を開けて入ってきたのは遊佐だった。

「すまん。待ったか?」
「んん。そんなに」

 まるでカップルの会話のようだと思ったが、美緒はその気持ちを横に置いておく。遊佐は美緒と同じように静かに扉を閉めて、傍にやってきた。

「昨日メールもらった通り、多分、皆には気づかれてないはず」
「私達がそろっていなかったら結局、怪しむかもね」
「そうか?」

 美緒は引退報告が終わったら自分の教室で落ちあうように遊佐へとメールしていた。呼び出した理由は一つ。
 結果を伝えるためだった。

「で、二人には会えたんだ」
「うん。会えた。二回戦で負けた相手が、亜紀だったよ」

 全国大会のために東京入りした当日、美緒は久しぶりに亜紀へと電話をかけた。数回のコール音の間、最後に電話で話したのはいつだったかと思い返す。それが、一年次のインターミドルが終わった時期だと思い返した瞬間に、相手が出た。
 聞こえた声のかすかな違いと、年月を経ても変わらないところに胸から切なさが込み上げてきた。泣きたくなる衝動を抑え込み、試合が終わったら会いたいという素直な気持ちを告げたのだ。結果、了解をもらえて試合に挑んだのだが、試合後を待つことなく試合で再開できた。

「なんかね。いろいろ変わってた。凄く可愛くなってたしね。あと、強くなってた」
「強いが先じゃないのか……でも、そうか。良かったんじゃないか?」
「そう?」
「だって、朝比奈は試合で亜紀って子と対戦したかったんだろ? 全国で会おうってそういうことだと思ったけど」

 遊佐に言われて美緒は考える。
 そのつもりではあったのだが、全国で会おうと決めた時には、実はそこまで考えてはいなかった。単純に会えなくなるからバドミントンで頑張って、全国大会の会場で会おうということになったのだ。遠出をするきっかけとして、全国大会を選んだだけ。
 まだ世界が狭かった自分達には、それくらいしか思いつかなかったのだ。

「そうかもしれない、ね。ほんと、ぎりぎり負けちゃった。でも楽しかった。負けても嬉しいとか久しぶりだったよ」

 美緒は一度言葉を切って天井を見上げる。その時のことを思いだす。バドミントンをやっていて、体の隅々まで充実感が満ち足りる。体力がなくなって空になった場所に代わりにそそぎ込まれるように。

「じゃあ、もう一人の男とは?」

 気になるのはもう一人というのが言葉に含まれていた。遊佐の分かりやすさに美緒は微笑んで首を縦に振る。

「友君はね、そもそもバドミントンをやめてたんだ」
「……そうなのか」
「うん。一年の夏休みに先輩とうまく行かなくなって部活辞めたんだって。それでバスケ部に入ったら楽しくなっちゃって、もうバドミントンはしてないってさ。自分で全国で会おうって言ったのに離れちゃって、申し訳なくて疎遠になったんだってさ」

 亜紀に連れられて二年半ぶりに友和に出会うと、だいぶ雰囲気が変わった男がいた。小学校六年の時よりも筋肉がついて、声が低くなり、男っぽくなった。自分の知っている友和と全く違う。それでも、残っている何かが彼を友和だと美緒に伝えていた。
 そこでバドミントンを止めたこと。バスケットボールを始めたこと。
 そして。

「あと、バスケ部のマネージャーが彼女だって。なんか羨ましかった」
「そ、そうか……朝比奈は、それで、大丈夫だったか?」
「? ああ……うん。大丈夫だった」

 遊佐が言いたいことを理解して、美緒は頷く。
 過去の自分が持っていたかもしれない友和への恋愛感情。
 もしそれが本当だったとしても、今の友和から彼女がいると聞かされて、何も感じることがない自分がいた。

「大切にしてきた気持ち。久々に会って、全くなくなったものと、残った物があったよ。きっと、友君への思いも、なくなったもののほう」

 彼女がいると聞かされた時、自分でも驚くほど動じなかった。自分の中の二年半と、友和や亜紀の中の二年半が重なった時、美緒の心の中でいろいろなものがパズルのようにはまっていった。
 その後には、今後もお互い頑張ろうということと、もう少しは連絡を取ろうと約束しあって帰ってきたのだった。
 古い約束は叶い、新しい約束が生まれる。

「たまには連絡を取ろうって約束してきたけど、多分これからも私はたくさんのことを経験して、二人には連絡は取らなくなっていくんだと思う。でも、それでいいって思えた。私達が親友だとお互いに思えたのは確かだし。新しい経験を積んで過去が片隅に置かれていくんだとしても、そのことが消える訳じゃないから。今の亜紀と友和を見て、そう思えたから」

 美緒は机からおりて遊佐の前に立ち、しっかりと顔を見つめる。これから言うことのためには勇気がいる。自分がもっともプレッシャーがかかる場面――試合であと一点取られたら負けるというところを思い出して、美緒は勝負を挑むように遊佐を見た。

「だから、遊佐と一緒に新しいこと、経験したいんだ」

 美緒は照れに頬を赤くし、それでも視線を逸らさなかった。遊佐は何を言われたのか理解するのが遅れて反応が鈍かったが、やがて意味を理解して顔を真っ赤にする。

「えと、それって、つまり……」
「うん。遊佐の返事、受ける。私も、遊佐と付き合いたい」

 改めて口にして、美緒も更に顔を赤くした。
 付き合う。彼氏彼女になる。
 帰りの飛行機の中で言うことは決めていた。その時はそれほど意識していなかったが、当人を前にして言うとその後のことに妄想だけが膨らんでいく。
 それでも胸の中にある思いを一つずつ吐き出していく。

「一人でやろうとしてたときも、皆と頑張ってた時も……大会でも、私を応援し続けてくれたし。私も自然と惹かれてたよ。素直になって、改めて好きだなって思う。でも私、こういう気持ち初めてだから恋愛感情かって言われると自信ないんだ」

 自分の気持ちを素直に表して、手を差し出す。遊佐はその手と美緒の顔を交互に見て、それから手を握った。

「だから、もっと遊佐と一緒に過ごしてみたい。それじゃ、駄目かな?」
「……いいよ。じゃあ、よろしくお願いします」
「なんか、試合の始まりみたいだね」

 二人で握手をしながら「よろしくお願いします」というのはさながらバドミントンの試合のよう。
 きっと、本当に試合が始まったのだと美緒は思った。
 これから遊佐と彼氏彼女として互いを知り、より好きになるか、あるいは嫌いになるか。
 真剣勝負の始まり。美緒が今まで全く経験したことのない未知のゾーンに入る。
 不安もあるが、それ以上に期待感がある。

(楽しみ、だな)

 緩む頬をあえてそのままに、遊佐の手の温もりを感じながら、美緒はこれからの未来に思いを馳せる。
 過去に蓋をするのではなく、すべてを受け入れて、新しい経験を積んでいく。
 無限の未来への第一歩を、遊佐と一緒に踏み出すことを意識しながら、美緒は改めて口にした。

「よろしくお願いします」
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