戦乙女に祝福を01

ススム | モクジ
 エル・リーナスは夢を見る。
 それは一年に一度の夢。毎回、同じ時期にやってくる。
 空は炎が覆い尽くしていて、焼かれた空気が彼女の灰を焦がす。それも記憶が作り出した幻想だと理解しているのに、熱さは現実を伴ってエルへと襲いかかる。
(やめて……)
 言葉は誰に向けて放たれたのか。自分か、それとも他の誰かだろうか。答えはすぐ後に訪れる。うつぶせに倒れていた身体を起こすと、視線の先には一人の男が立っていた。少年と言ってもいいくらいの、白い髪を持つ人物。服もまた白が基調の物だったが、原型がないほどに千切れ、幼い肢体を外にさらしている。
 肌は赤く染まっていた。彼が殺した相手の血で。
「エイク……」
 幼馴染の少年。いつも隣で笑顔を見せてくれていた、大好きな男の子の名前を呟く。それまでは子供特有の無邪気な悪さをした彼への注意や、親しみを込めて紡がれていた名前は、初めての感情を乗せて焼けた風の上に流れた。
 胸の内からこみ上げてくる、制御出来ない怖れと共に。
「エイク!」
「――がぁあああああああああああああっ!」
 エルの存在に全く気づかずに、エイクと呼ばれた少年は空へ向かって咆哮した。つられて見上げた空は灼熱に覆われ、彼女の肺を焼く……かのように錯覚させる。
 涙が溢れ、目をそむけようとするエルだったが、向けられた殺意に気づいて身体を強張らせた。視線の先にはエイク。そこだけが普段と変わらない白髪。変わるのはいつもと全く違う紅色に光る瞳。エルに向けられる視線には、彼女に向けての感情というものは感じられなかった。
「エイク!」
「あああ!」
 走り出して右拳を振り上げるエイク。そして――


 いつも、悪夢は終わるのだ。
 変わらぬ悲劇を繰り返して。
 遠い過去の取り戻せない世界を繰り返して。


 ◇ ◆ ◇


 開かれた瞼の先に見えたのは自らの部屋の天井だった。薄茶色の染みが多少ついているが、純白に近い白。瞼さえも焼き尽くす紅ではない。
 その白さを見てエルは嘆息する。熱を帯びた吐息は朝の空気の中に触れ、消えていった。この場所には、焼け焦げた香りはない。
 身体を起こすと、少なくない寒気にエルは身体を震わせた。汗で重さを増していた寝具を無言で見下ろし、目を一度閉じる。脳裏に残る悪夢の一欠けを幻の手で取り除いてから、しっかりと目を開けて立ち上がった。
「相変わらず最悪の夢ね」
 呟き、寝具を脱ぎ捨てて肌を朝に晒す。窓から指し込む光は彼女の肌を伝う滴を照らし、輝かせた。エルは今脱いだ寝具の乾いている部分で汗を拭き取り、無造作に寝台へと放り投げると下着を替えのものと変える。
 その時、扉の前に立つ気配に気づいた。
「姉さん、起きた?」
 扉を控えめに叩くと共に聞こえるまだ幼い男声。しかし、エルは構わずに今度は窓を開け放って風を部屋の中へと送り込む。
 季節は涼しげな風を運ぶ頃から進み、徐々に気温を上げていった。少し前までは朝は肌寒く、今のように上半身を晒すのは体調を崩すことに繋がっていた。
(気をつけないとね……)
 そうでなくとも、最近は体調が崩れやすい。エルはつい三日前に高熱を出して倒れたばかりだった。幸い、一日だけ薬を飲み眠って回復したが。
 十八年間生きてきて病気などしたことがなかったはずのエルが、ここ数ヶ月は何度か熱を出して倒れている。日頃の訓練がきつくなってきているのが原因だろうとは思い、体調管理には気をつけているつもりだったが、あまり成果は出ていない。
(……はず、って自分のことなのにね)
 思い浮かべたことに苦笑する。まだ自我が確立できていない頃は体調を崩したかもしれないが、と心の中で言い直す。
「姉さん?」
「今着替えているの」
 エルには扉の外に居る人物が息を飲むのが、伝わってくる気配で分かった。可笑しくなり口元がほころぶ。それだけで身体と精神の疲れが薄れていく自分にまた笑みが浮かんだ。自身で方法を凝らすよりも一人の大切な人間を思うことが回復に繋がるなんて。
 今年で十五歳になるにも関わらず、義弟のエイクは女性に弱い。道を歩いていて腕が掠っただけで顔を赤らめ、手や体に触れてしまった時は息も途切れ途切れとなる。同世代の同性と異なる反応をするそんな彼だからこそ、エルも親愛の情を寄せていた。エルも同じ歳の同性とは一線を画していたことも要因の一つだろうが。
 一日世話になる服を一瞥してエルは小さく息を吐く。いつも変わり映えしない服装。耐久性のある素材で出来た黒のズボンに同色のベルト。白い無地のシャツの上には前が開いた黒の上着。同年代の女性は風を通すふわりとしたスカートや桃色の素材で着飾っているのに。
(仕方がないけど、ね)
 自分の歩んできた道を振り返り、エルは後悔が無いことを確認する。
 生まれ落ちて十八年。その内、体を鍛えることに費やしたのは十二年。自らの中にあるただ一つの目的のために律してきた身体は、付きすぎず少なすぎずという筋肉の鎧を構築して、女性らしい丸みを帯びていた面影などない。いや、身体の発育過程でもうそんな部分は消えていた。それほどまでに、彼女の体は戦士として出来あがっていた。
「遅刻するよ」
「うん。用意できた」
 エイクのいつもと変わらない声に気分が高揚する自分に、エルは少しだけ不思議に思った。もう何年も一緒に暮らしているのに、こうして朝に扉を叩かれるだけで気分は明るくなる。
(きっと夢見が悪いからね)
 そう自分に言い聞かせると正常に戻った。それが正しい証だと思えば更に落ち着く。ただ、心臓の鼓動だけが耳に響く。
(緊張してるの? エイクに?)
「姉さん? どうしたの?」
 扉一枚挟んだ向こうに居るエイク。取っ手を掴み、開ければその姿は見える。
 開けた瞬間に、あの赤い空が。
(そんなわけない。もう空は赤く燃えないんだ)
 夢を見る。起きていても見る夢。空が、大地が、全てが燃えさかる夢。
 その中央に居る、男。
「おはよう、エイク」
 扉を開くと同時に言う。目の前にいた少年へと。
 自分の全てを賭けて守ると決めた男の子へと。
「おはよう、姉さん」
 エイク・フェルファタール。
 心の中で名前を呟く。それは呪文だった。彼を、義弟を受け入れる言霊。向けてくる笑みに笑いかけつつ、エルは部屋の外に出ると心に浮かんだ言葉をも押し込めるように扉を閉めた。


 * * * * *


 学校へ向かう道の間に流れる空気をエルは気にいっていた。休日とは違ったせわしなさや人々の呼気。様々な要素が溢れる。世界は学生も仕事をする者も内包して生きている。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます、ハンナさん」
 日課の散歩をこなしていたらしい顔なじみの女性に声をかけられ、隣を歩くエイクと共にお辞儀をする。
 ハンナは丸みを帯びたふっくらした顔に均等に配置される丸い瞳と、細い鼻を持っている。笑いから怒りまでめまぐるしく表情が変わる様子は近所でも評判で、人気があった。歳は生まれてから四十は数えたとエルは聞いている。
 十年前にこの土地へと越してきてからというもの、何かと二人の世話を焼いてくれた彼女は、二人の隣をゆっくり歩きながら栗色の短い髪の先を触りつつ言葉を続ける。
「体調はどう? 最近調子悪かったでしょう」
「何とか回復しました。ありがとうございます。食事も作っていただいて」
「いいのよ! あなたが調子崩したらエイク君も心配でしょう」
 そう言ってハンナは視線をエイクに向ける。彼は一歩下がって微笑んだ。歳が母親くらい離れていても異性には弱かった。
「本当にお姉ちゃん子ね」
 エイクは姉の後ろに隠れながらも一つ会釈をした。もう人見知りの激しさは分かっているハンナは気にせずに頭を撫でた。そうされるエイクは心地よさそうに頬を緩ませ目を細める。だが、次の瞬間にはもう手の下に頭は無い。
 一歩、ハンナから距離を取ってエイクは笑みを浮かべたまま「今日も学校がんばってきます」と言って一人駆け出してしまった。突然の行動にエルも驚き、ハンナに謝罪をすると慌てて後を追う。名残惜しそうな視線を感じたのも一瞬。すぐにエイクへと意識を集中する。
「待って、エイク!」
 走っている義弟にいつもならばすぐに追いつくはずだった。エルの身体能力は同年代とはかけ離れて高い。同じ地点から走り始めれば一秒以上は確実に差が開いていた。
 それでも、エイクとの差は縮まらない。
(まだ……体調が万全じゃないから?)
 結局、エルが追いついたのは学び舎の門の前だった。
 王国で唯一、治安騎士団である『リヴォルケイン』へと入隊する戦士を育てるための場所。
 未来の騎士団員達が集まる学び舎。その名も騎士団と同じく『リヴォルケイン』
 切れた息を整えてエルは尋ねる。
「エイク。いきなり走り出してどうしたの?」
「ハンナさんの……いや、なんでもない」
 エイクは言いかけた言葉を飲み込むと、エルの手を引いて校門をくぐる。すでに時間は授業が始まる直前だった。通う種類が違うために建物の中に入った時点で二人は別れる事になる。いつもは見せない強引さで分岐点まで引かれたエルは問い掛けの答えを聞く機会を逸してしまった。
「じゃあ、また夕方に」
「うん。気をつけて」
「姉さんもね。まだ本調子じゃないんだから」
 エイクの言葉に微笑むと、満足したように彼も同じような笑みを返し、自らの教室へと歩いていった。その後姿が消えたところでエルも目的地へと向かう。
(でも、間に合ってよかった。ハンナさんに捕まってたら絶対遅れて――)
 そこまで考え、エルはようやく気づいた。
 エイクは学校に遅れないためにハンナから逃げ出したのだと。
 そして、全力のエルでさえ、エイクに追いつけなかったのだと言うことを。エルの脳内で時間が逆算される。
 結果、いつもの自分の速さで今の時刻だと導き出された。
(エイク……)
 胸に込み上げる不吉な予感は、夢で嗅いだ匂いに良く似ていた。



 少し汚れが目立つ壁を両脇に、エルは黙々と進む。時間でいえばまだ教室に入らなくてもいいはずなのだが、ここに通う者で時間いっぱいを使う者は無に等しい。
 学園の名に付いているリヴォルケイン――王立治安騎士団はこの国を守る精鋭部隊であり、緊急時にも対応できるよう時間は常に確保する必要がある。特に規則には定められていないが、生徒のほぼ全てが実践していた。
「おはよう、エル」
「話し掛けないで。顔が汚れるから」
 ほぼ全て、を全てに出来ない原因の一人は、その青い前髪をかきあげつつエルへと話し掛ける。投げ掛けられた言葉を眼前でたたき落とし、エルは男の前を通り過ぎた。
「あいかわらず痺れるね、その答え」
「痺れて一生動けなければいい」
 吐き捨てるように言って、エルはあと一つ先にある教室へと迎う。付いてくる足音に苛立ちながら。
「いつものように女の子をはべらせてればいいじゃない。私にかまわないで」
「そうしたいんだがな」
 相手の歯切れ悪い答え。いつもならば軽快に答えてくるからこそ、その違和感に振りかえる。瞳に映るのは変わらぬ造形。一瞬、自分を騙すために声色を変えたのかとエルは勘ぐった。だが、男は腕組みしつつ眉間に皺を寄せて教室を見た。エルと同じ場所を。
「編入生がきたんだ」
「編入生?」
 聞き慣れぬ単語にエルは首を傾げた。学園は年に一度の入学試験に合格した者しか入れない。卒業する過程で辛さに耐えきれず別の道を歩む者はいても、中途入学はこれまでなかった。少なくとも、エルが知っているかぎり。
「そいつがさ、新人特有のめずらしさに注目を集めてるのさ。だから俺は今、寂しい」
「珍しさに興味を取られるのは魅力がない証拠よ」
「なら俺はエルを手に入れているわけだ。俺と話しているし」
 男の論理展開にため息を吐き、エルは再び歩きだした。廊下の端に担任教師の姿が見えたからだ。
「アレン。早く入らないと腕立て百回やらされるわよ」
 男――アレン・ボーイングも教師の存在に気付き、慌ててエルに並ぶ。傍に寄られる嫌悪感に左足がアレンの右足に伸びて、常人ならば骨を貫通しそうな威力をたたき込んだ。アレンは少し顔をしかめたくらいだったが。
「手加減しろよ」
「実習でしか出来ないのよ」
 扉を開き、二人は同時に教室へと入った。見えたのは一ヶ所に固まる女子数人の姿。ちょうど部屋の中心で、その周りに男子が点在していた。エルの目に映る男達はみんな同様の表情を浮かべていた。
 アレンと同じ憎々しげな、編入生に対する嫉妬。
(そんなに格好いいのかしら?)
 他の同性に比べて興味は薄いが、エルもれっきとした女子だ。ここまで注目を集める男がどのような容姿をしているのか気になった。
「さぁ、席に着け!」
 一歩編入生の方へと足を踏みだしたところで、教師が入ってきた。同時に散らばる女子。人の壁が剥がれた結果、エルには背中だけ見える。
(私より頭一つ高いか)
 座っている状態から身長を目算し、いくつか相手を叩き潰す手が脳裏に浮かぶ。無論、理由なく戦うわけではない。とっさに襲われた際にすぐ対応できるよう身につけた技能だ。
 エルの席はちょうど編入生の後ろ。教室の最も後ろであるため顔は見えなかった。
(男なのに長髪。筋肉の盛り上がり方から見て力で叩くよりも内部に威力を通すのが得意そう、かな)
 エルの分析は更に続く。息をするように人の戦力を視る。完全ではないが、彼女の分析が大きくはずれたことはない。
「みんな、分かっているだろうが編入してきたランスロー・ディスティンだ。おい! 前で挨拶してくれ」
「はい」
(なんか、黒い色した湖ってところね)
 自分の例えに苦笑するエル。低く耳触りがよいランスローの声を聞いて浮かんだ映像は周囲も暗く、水の色さえも澱みない黒だった。それでも不快感を覚えないのは、湖が放っているのが程良い暖気だったからだ。
(不思議な人ね)
 前に歩いていくランスローの背中が自分の中で大きくなっていくのを感じ、エルは自然と顔がほころぶ。
 そして、ランスローが振り向いて顔を見せた。
「ランスロー・ディスティンです。よろしくお願いします」
 一礼して顔を上げるまでの流れは滑らかで肉体がよく鍛えられていることが教室にいる誰にも伝わる。簡単のため息が洩れ、時が止まっている間にランスローはまた席に戻っていった。
「さすがに凄いな。隙が無いぜ」
 声の主は、誰にも気づかれずにエルの後ろに周り込んでいたアレンだった。体勢を低くして座っているエルの傍に身体を寄せて、囁く。だが、エルは答えない。
「エル?」
 顔を下から見上げ、アレンは蒼白な顔を見つけた。
「どうした?」
「わからな、いけど」
 エルは喉を抑えて苦しそうにしながらも言った。
「あいつは、駄目だ。何がなのか。何故なのか分からないけど」
 身体の奥から込み上げる衝動を抑えるために、エルは身を屈めざるを得なかった。
「あいつは、駄目だ」
 再び繰り返す言葉。アレンはただ黙ってエルを見ているしかなかった。
ススム | モクジ
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