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Dear My Friend

EX「やり残したことなんてないんだ」

 あゆむがしまった、と感じた時にはその男子生徒は目の前に来ていた。特に怖いところもなく、今時珍しいおかっぱ頭に丸眼鏡。眼鏡を取ってコンタクトにすれば顔立ちも整っているし、もてるのではないかと分析する。あゆむがそうして分析している間にも、男子は目線をいろんな方向に飛ばしながら言葉をひねりだそうとしていた。自分には授業もないが、相手にはある。なら、先輩としてリードして上げないといけない、とあゆむは考えて口にする。

「何か用?」
「は。はい! あの!」

 怯える男子生徒をみて自分の言い方が怖かったかと振り返る。淡々とし過ぎたかもしれない。変に感情を出すと勘違いをされそうだからと極力感情を入れないように言ったことが逆効果だったのか。余計に体をくねくねと動かし始めたところで、チャイムが鳴る。次の授業を知らせるチャイムだ。

「あ、あの! 放課後に体育館裏で待ってます! 来てください!」

 それだけ大きな声で言って、男子生徒はあゆむの横を通り過ぎて走っていった。次の授業が何かは知らないが、どう考えても遅刻だろう。自分と違ってまだ中学生活が残っている後輩に迷惑をかけたかと思うと気が重い。

「気が重い、わけないけどね。誰だろ、あの子」

 自分で思ったことをあっさりと否定する。
 全く知らない後輩から、いきなり体育館裏に呼び出された。まるで一昔前の学園ドラマで、決闘でもしそうな雰囲気だ。だが、あゆむは自分の向かいからやってくる男子生徒をみた時点で、確信にも近い感覚を得ていた。

「久しぶりだな。告白されるの」

 一番最後に告白されたのは、自分が中学三年生で、始業式から一週間ほど経った日。入学したての男子からだった。理由を言う必要も特にないと考えて、当たり障りのない言葉で断った。好意を向けてくれるのは嬉しいが、受験もあるし、今はそれどころではないと。
 二年の時はそれなりに告白されていた。自分が彼氏である勇の存在を隠していたために、同学年の男子や後輩。挙げ句の果てには先輩までも。結局、二年生の間には10人に告白された。いずれも本当の理由は隠して、ある程度素直に気持ちを告げて丁重にお断りをした。幸いにも、逆恨みや諦めの悪さからストーカーをするような男子はいなかった。

(モテる女は辛いね。なんでモテるか分からないけど)

 うっすらと自分の顔が映る窓ガラスをみる。そこまで可愛いと自分では思わない顔。自分の好みとしては朝比奈の方が可愛く、バドミントン馬鹿の正体を知らなければモテるのではないかと思える。

(とにかく、ちゃんと断らないと、なぁ)

 あゆむは人知れずため息をつく。
 誰もいない廊下。誰もいない教室。三年生はすでに自由登校で、さらに明日は卒業式だ。二月最後の日は各々家で明日の準備をしているのだろう。こうして、誰もいない三年生の教室が並ぶ廊下を歩いているのは、自分くらいと思う。

(卒業前に禍根は残したくないしね)

 受験も終わり、自由登校ということで学校にも来なくなり。明日はとうとう中学生活最後の登校となる。厳密には高校の合格発表後に訪れて、先生に結果を伝えるというイベントはある。そこで落ちてしまったなら二次志望に向けてもう少しだけドラマがある。そうなると三月末まで休めないこと必死のため、誰もが一次志望で終わってほしいと思うだろう。
 あゆむの周りではこの点に関して心配するようなメンツはいない。バドミントン部の仲間も、スポーツ推薦の二名を含めて誰もが志望校の受験結果には手応えがある。よほどのことがない限り落ちることはないだろうと。

「ふんふん……ふふん……」

 鼻歌を歌いながら廊下を歩いていく。三年のクラスは階の端から端までで六クラス。教室の扉の窓から見えるのは、それぞれの机の上に置かれている紙。おそらく、当日のスケジュールを書いたものを置いているのだ。
 中に入って見ようとは思わなかった。卒業式はあくまで明日。幕間である今の時点で確認するのは野暮だろう。

「ふふん……ふ」

 鼻歌が途中で止まる。それは一番端のクラスから出てきた女子生徒が見えたからだった。扉をゆっくりと閉めて歩きだしたところにあゆむの姿をとらえて、一瞬体を硬直させる。すぐにきびすを返して、最も外側にある階段から下へ降りていった。

(どこもかしこも、最後だからかなぁ)

 好きな男子へのラブレターでも机の中に入れたのかと思ったあゆむは、春の訪れを思う。無性に勇に会いたくなったが、あゆむとは違って授業中だ。諦めて時間を見ると、放課後まで三十分くらい。体育館裏にいくまでの時間の潰し方について考えて、保健室で保健教諭と雑談でもしようと歩いていった。


 * * *


 放課後に呼び出された体育館では、あゆむの予想通り告白が待っていた。あゆむは彼氏がいることをはっきりと告げて、丁重に断った。男の影を中学では見せていなかっただけに相手は驚いていたが、納得して去っていったようにあゆむには見えた。

(さって。帰るかな)

 長居するつもりはなかったが、結果的に放課後も時間を使ってしまった。本当ならばすぐに帰ってだらだらと過ごすつもりだっただけに、逆にこのまま帰るのはもったいないという思いが生まれる。ふと、傍にある体育館の入り口から中を覗いた。あゆむの目にバドミントンをしている後輩の姿が見えた。

「あら、そんなところで何やってるの?」

 入り口をかすかに開けて覗いていたあゆむの耳に聞き慣れた声が届く。目線を向けると自分をのぞき込んでくる顔が見えた。あゆむはゆっくりと扉を開けて、外靴を脱いで中に入る。

「こんにちは。多向先生」
「久しぶりね」

 多向は笑みを浮かべてあゆむを見る。あゆむは外靴を手に持ちながら、多向がしているように壁際に背中を預けた。視線はコートで躍動している後輩を見たままで口を開く。

「ちょっと、体育館裏に呼び出されてまして」
「ん? ああ、そうなんだ。不良の呼び出し?」
「違いますよ。うら若き中一男子に告白されたんでフってました」
「へぇ。モテるのね、宮越は」
「私も意外です」

 同級生なら知っていることでも顧問は知らない。そもそも言う機会がないからだ。今日に限って言うつもりになったのは、自分が明日、卒業するからかもしれない。生徒と先生という立場から離れて、大人と、子供になる。でも、まだ三十代前半の多向とは子供と言うほど離れてはいない。不思議な距離間になる。

「皆、頑張ってるみたいですね」
「うん。今年は、あなた達までの年みたく突出した子がいないから、みんな留守番。庄司先生も久しぶりにこの時期は子供の引率しなくてすむってほっとしてたわ」
「そうですか」

 二年前のこの時期から始まった全国規模の大会。
 三月の一週目に全道大会が。そして最後の週すべてをかけて全国大会が開かれる。
 対象は、市内中学の四校から選抜された選手達。一月末に行われる学年別大会までの成績が参加資格となり、合同練習で振り切られる。第一回大会から三年連続で代表に選手を送り込んでいた浅葉中も、今年は一人も送れなかった。あゆむ達の下の世代は伸び悩み、成績を残せなかった。

「そういう年もあるわよ」

 あゆむの心の内を読むように口にする多向。練習を必死に行っても勝てないことのほうが多い。あゆむも、辛いことの方が多かったと思う。

(でも、そうじゃない時がやっぱり、嬉しいんだよね)

 後輩達もまた、自分のように。他の仲間のように、大きな何かを手に入れるために頑張っているのだろう。多くの後悔を積み上げながら。

「体育館の裏にいたのは分かったけど。なんで学校にきたの?」

 多向の言葉にあゆむは黙る。答えづらかったわけではなく、自分でも明確な答えを用意していないためだ。場をつなぐために唸りつつ、どう言ったらいいかと言葉を探す。

「私も、よく分からないです。ただ、なんか来たくなって。三年生の教室あるあたりをぶらぶらしてました」
「誰もいなかったでしょ」
「はい。いなかったです。休日以外で、初めて見ました」

 普段学校が休みである休日ならば、誰もいない状態は見慣れていた。けれど平日で、普通ならば人がいるはずの空間に誰もいないというのは不思議で、胸に穴がい開いたかのようだ。

「誰もいない教室を眺めてて。そうですね……何か、やりのこしたことがあるような気がして。違うかな。元々、何かやり残したことがある気がして、学校に来たんだと思います。でもどんどん消えていって、分からなくなりました」

 あゆむは自分の中の思いを整理しながら話した。多向は「そう」とだけ呟いて何も言わないまま練習を眺める。あゆむもしばらく黙ってシャトルの行方を見ていた。
 やがて、多向の口が開く。

「そういうものなのよ、きっと」
「そういう、もの?」

 多向に視線を向けると、優しい笑みがあゆむを迎える。いつくしむように。

「終わる時ってね。何か残したことがあるんじゃないかって思うのよ。でも、振り返ってみればそんなことはない。いえ、ないんじゃなくて、ありすぎるの」
「……たくさんあるってことですか?」
「そう。特定のやり残したことなんて。ああすればよかった。こうしたらよかった。こうだったらよかったのに。それでも」

 多向は言葉を切ると、あゆむの頭に軽く手を乗せてから言った。

「今日まで過ごしてきたこと以上のものなんて、あなたにはないのよ。だから、やり残したことはない。完結してるのよ。自信を持って、卒業しなさい」

 多向の手が柔らかくあゆむの頭を撫でていく。感触が心地よく、あゆむは目を細めた。体の奥にあったもやもやとした感覚がすぅっと空気に溶けるように消えていく。
 何かをやらないといけないと漠然と考えた。ぼんやりと動かされてやってきても、学校には何もなかった。告白されて、断ったことはあくまで偶然だった。
 自分が何かやり残したことなど、最初からない。
 過去は固定され、完結している。
 その時々でやることをやった上で生まれた出来事でしかないのだ。

「そっか……やり残したことなんてないんだ」

 呟くと、心が軽くなる。自分の中にあった形のない何かが、完全になくなっていた。あとには不思議な爽快感。

「後輩達も自分達で何とかしていくわ。あなたも中学でやれることは終わった。だから、明日、安心して卒業していきなさい」
「はい」

 あゆむは多向から離れると頭を下げる。上げた顔には満面の笑み。それでは、と別れの挨拶をして入ってきた時と同じように体育館の横の扉から外へと出た。
 駆け足で自転車置き場に向かう中、あゆむは明日の卒業式の後に思いを馳せる。卒業する三年のバドミントン部だった仲間達と、卒業式後にカラオケに行く約束をしていた。

「やりのこしたことはないし。明日は明日で弾けますか!」

 中学三年生。受験生という荷物もない。浅葉中バドミントン部の部長という肩書きもない。
 真っ白ではないとしても、白に近い自分になって、中学生から旅立つ。
 先にある道に向かって。
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