Fly Up! 99

モドル | ススム | モクジ
 バックハンドで前へと確実に落とす。しかし、笠井も前に詰めてシャトルをプッシュしようとラケットを立てていた。

(ぎりぎりか!)

 まだまだバックハンドには自信がなかった武にとって、それは一種の賭け。結果として成功し、笠井はヘアピンで武の左前に落とすのが精一杯だった。それでも、バックハンド側。笠井は徹底的に武の弱いところであるバックハンドを狙う気が伺える。

「はっ!」

 身体を接近させて、遠心力を使いシャトルを跳ね上げる。武にとってもこれはチャンスだった。苦手なバックハンドを練習でも意識して鍛えてはいたが、実践に勝る練習はない。徹底的に笠井が狙ってくるのなら、利用して苦手を克服しようというのだ。

「ストップ!」

 自分を鼓舞するために叫ぶ。シャトルはやはり、武の左側をスマッシュによってえぐってきた。
 今度はヘアピンで前に落とすことで笠井を前へと走らせる。後ろに前に。コントロールを誤れば、一瞬で攻め落とされてしまうだろう。
 今回のように。

(ちっ!?)

 シャトルは前回よりも少しだけネット上に浮かび、そこを笠井は突いてきた。
 バシッと武の耳に届く、鋭い音。足元へと落ちたシャトルは、床に跳ねて武の右足にまとわりつくように転がった。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 得点を言ってからシャトルを返す。まだに0対1とほとんど点数は動いていない。お互いに探り合っているからか、試合のペースも上がらない。

(ここで根負けしたら試合まで負ける、な)

 今は耐える時だと武は感じる。相手の状態を探りながらの攻防。自分達の身体を温めて、徐々に調子を上げていく。
 それまでは出来るだけ点差をつけられないようにする必要があった。笠井レベルの実力となれば、得点差がついた場合に容易に逃げられる。
 無論、笠井と武を逆にしても成り立つことだったが。

「ストップ!」

 笠井のサーブは外側のシングルスライン上に向かうショートサーブだった。武は無理をせずにクリアを上げて笠井を待ち構える。

(作戦は変わらない。思い切りクリアを上げまくる)

 ハイクリアで武の頭上を越えていくシャトルを、身体を反らして打ち返す。
 大抵のプレイヤーならば打点がおかしくなり上手く飛んでいかないが、武の打球は綺麗に笠井のコート奥へと飛んでいった。ボディバランスと柔らかさ。上半身の強さ。武の、武器。

(守りながら攻めてやる!)

 スマッシュもドロップも、武は前傾姿勢で待ち構えてクリアを上げていく。後ろにクリアを打たれてもバックダッシュからのハイクリアで十分相手コート奥へと弾き返せるため、前に落ちるシャトルへと集中できるのだ。

「はっ!」

 後ろへ飛び、頂点に達したところでラケットを振る。シャトルを上手く掴んで、高い打点からドライブクリアで笠井の右上空をえぐっていた。ドライブの速さと軌道。ハイクリアの高さを持ち、シングルスラインぎりぎりに降下していくシャトルに笠井も体勢を崩してクリアを上げていた。
 武のコートの中央。絶好のスマッシュ位置。

「はっ!」

 前方にジャンプして、シャトルと共に落ちていくようにスマッシュを放つ。体重が乗せられたシャトルは笠井がいないコート左側へと激しい音を立てて決まった。

「サービスオーバー。ワンラブ(1対0)」

 笠井はそう言って、小走りにシャトルへと寄るとすぐさま武に返した。そしてすぐにサーブを待ち受ける体勢を取る。

(焦ってる? いや、そうじゃないか)

 武は逆に、一度間を取った。サーブを打つ姿勢で深く息を吸い、吐く。ネット越しの笠井から来るのは焦りを含むようなネガティブな感情ではない。まだまだ自分の負けなど見えない闘志。

(そうだ。金田さんと一緒に、笠井さんもこの部活で一番試合をしてきたんだ)

 実践に勝る練習はない。張り詰めた空気の中で、一点をもぎ取るために相手と知力と体力を競い合う。部活内で最も勝ってきたプレイヤーとはつまり、最も多く練習を積み重ねた者のこと。
 ある意味、どんな練習よりも効果はあるが、それは力ある者しか与えられない。
 けして金田の引き立て役ではない。金田を支え、金田に支えられ、互いに力を高めあいながら上へと昇っていた男。

(俺は……笠井さんをやっぱり舐めていたのかもしれない)

 自分の中にあったであろう甘い考えを、武は思い起こしてから一気に捨て去った。想像の拳で自分の頬を殴りつける。自らの意識の中で気合を入れて、サーブ姿勢を取った。

(もう慢心はない。これが俺の、全力だ)

 武は目を少しだけ細めた。視界に入るのは笠井と、彼を取り巻くコート。
 しかし、その周りは徐々にシャットアウトしていく。
 集中力を高め、相手とシャトルとコートのみに意識を傾ける。
 必要な情報を分けていく。最終的に十五点に先に到達すればいい。相手との知力戦を制するのは勿論だが、結局その目的とはそういうことだ。だからこそ、武は戦法を変える。

「一本!」

 全力で叫び、シャトルを打ち上げる。高く上がったシャトルがそのまま垂直に笠井の上へと落ちていくようにと願ったような、力強いサーブ。アウトとインの境目をさまよったシャトルを笠井はドリブンクリアで武の右奥へと返す。ハイクリアよりも低い軌道を辿るシャトルはコートの右奥につく頃には既に角度あるスマッシュを打つには低い位置に来ていた。

「うおおっら!」

 それでも、武の右腕はシャトルを思い切り打ち抜いた。空気を破裂させてシャトルが突き進む。速度は十分。角度もある程度ついていたが、笠井が取りやすい位置に向かう。コース自体は左側でバックハンドになるが、ただ当てるだけで絶妙なヘアピンを打ち返せるような隙。
 笠井はラケット面を立ててヘアピンの体勢を作る。
 しかし、そこでシャトルを強引に跳ね上げた。

「だっ!」

 それでも、足りない。
 前にダッシュしてきた武を視界の端に捕らえたのか、笠井は後ろを抜こうとロブを上げたのだ。しかし、ほぼ同時に武もジャンプしてラケットを伸ばす。
 武のラケットは見事にシャトルを笠井のコートへと押し返していた。
 着地による音と、シャトルがスマッシュによって打ち落とされる音はほぼ同時。少しだけ硬直した後で、武は握り締めていた左腕を掲げていた。

「しゃっ」

 先ほどまでとは明らかに違うテンションに、笠井も呆然と武とシャトルを見比べていた。武は今までの自分を恥じるように気合を身体から思う存分に発散する。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 だが武は、それまで出していた闘志をいきなり収めて笠井へ静かに言うと、自分のサーブ位置へと戻っていった。振り向いた先に見えたのは、更に顔をにやけさせる笠井の顔。ただ笑うだけではない。あからさまな嬉しさが見える。

「やっぱりそれがお前らしいよ。ほんと、金田とお前って似てるな」
「それ、めちゃくちゃ嬉しいですよ」

 シャトルが返るまでのやり取り。ふわりとラケットで返されてから掌の中に納まる。

「さあ、一本!」

 次のサーブはショート。センターライン上に落とす狙い通り、ふわりと向かう。少しだけ下がって構えていた笠井は足を踏み出して、ロブを上げてコート中央に陣取る。武はその様子を一目見て、次の行動を判断していた。

「はっ!」

 飛び上がり、上半身を逸らし、ラケットを腕自体の振りと上半分のばねを使って振り切る。十分な力に乗ったシャトルは笠井へと突き抜けていった。
 笠井は自分の顔目掛けて飛んでくるシャトルをバックハンドで返そうとしたが、フレームに当ててしまいコートの外へと飛んでいた。
 武は再び左拳を握り、腰溜めにガッツポーズしながら叫ぶ。それから静かにポイントをコールした。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」


 ◇ ◆ ◇


(どれだけ速くなってるんだ)

 笠井は自分のコートの外に転がっているシャトルを取りに行きながら考えていた。急に武が気合を前面に出すようになってから、一つ一つのショットにスピードが増した。特にスマッシュは体感だけならば金田以上の速度を持っている。実際の速度ではどうかは分からないが。

(気合もあるだろうけど、身体がほぐれてきたからってことだろうな)

 冷静に思考できる分、まだ落ち着いていると自分に言い聞かせる。そもそもまだスコアは3−0であり、悲観する点数差ではない。しかし、このままだと押し切られる可能性もある。

(ここで一つ、止めるか。ダブルス対策だけど)

 笠井は自分の戦法を決めると、シャトルを返す。コート右側の範囲に立ち、ゆっくりとラケットを上げた。

「一本!」

 武の咆哮とシャトルが放たれる音が重なる。心地よい気迫。金田の横にいた時と同じような感覚に笠井は自然と頬が緩んでいく。

(これで、本当に部活から卒業、か)

 ドロップで前にシャトルを落としながら笠井は考える。これからは武達が部活を引っ張っていく。
 ストレートにヘアピンで返されたシャトルに、右足で思い切り踏み込むと上げると見せかけてクロスヘアピン。虚を突かれた武はしかし、追いかけてロブを上げた。

(相沢達なら大丈夫だろう。なら、後はこの勝負に勝つだけ!)

 自分達が引き継ぐべき物を後輩達はちゃんと受け取っている。それを確信できた今、笠井も迷わず勝利へとラケットを振る。副部長としてではなく、一人のプレイヤーとして。

「ストップ!」

 武の気迫に負けないように、笠井も咆哮する。気合と気合。そして、技術と技術。試合を構成する全ての要素をぶつけ合い、笠井と武はシャトルを打ち合う。

「はっ!」

 笠井がスマッシュを放った瞬間、武がネット前に飛び出す。そのままラケットを立ててプッシュでシャトルを笠井のコートへと跳ね返していた。

「しゃおら!」

 武のガッツポーズとシャトルを見比べる。自分のスマッシュに完璧なカウンターを合わせられ、笠井は武の潜在能力の高さを垣間見た。

(俺のスマッシュは確かに速いとは言えないが……ここまで綺麗に合わせられるとな)

 笠井はシャトルを返しつつ、次の手を考える。スマッシュやドロップを多用していけばスマッシュは簡単には打てないだろうと思っての配球だったが、速い球に対しても今の武は合わせられる。一年の頃はまだまだだったが、いまや地区屈指の攻撃力を得ようとしている。
 後衛からのスマッシュの威力。
 前のチャンス球を嗅ぎ分ける嗅覚と、飛び込む脚力。
 シングルスとしても十分通用するだろう。
 代わりにヘアピンやサーブなど細かい配球の技術は吉田に一歩譲るとしても。

(やっぱり、ヘアピン勝負かな)

 弱点を突くのは卑怯ではない。勝負では当たり前ではあるが、笠井には不安が残る。武もまた、試合でその弱点は何度も突かれてきた。それでもダブルスはパートナーがいる。そこで入れ替わるなどの対策をしてきたのは見ていた。
 今回はシングルス。自分のカバーをしてくれる吉田はいない。ヘアピン勝負は避けてくるとしても、何度も仕掛ければミスをするかもしれない。

「ストップ!」

 自分の中の弱さを断ち切るように叫ぶ。自分なりの全力で、武を倒す。不安など実際にピンチになった時に浮かべば良いし、それを打開すれば良い。
 まだ見ぬ未来に不安を覚えるな。
 笠井は自分に言い聞かせ、武のサーブを待った。武はロングでコート奥に飛ばす。笠井は立てた作戦通り、ドロップを前に放っていた。
 すかさず前に飛び込む武。しかし先ほどのスマッシュほどには浮かばず、ヘアピンで落としてきた。落ちる寸前に笠井はラケットを伸ばし――

「うら!」

 クロスヘアピンを武の逆サイドへと放っていた。
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