Fly Up! 98

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「島田さんってあんなに強かったっけ」

 肩を落とした杉田が戻ってくるのを見つつ、武はストレッチを続ける。言葉の矛先は吉田。スルーすることはなく、自分なりの意見を語る。

「杉田の動きを完全に分かってたんだろうな。日頃部活で動き見て」
「……でも試合だと」

 武はそこから言うのを躊躇う。先輩だが、自分達よりも勝ち星は少ないことをここで言っていいものかと。しかし吉田はさらりと言ってのけた。

「分析が得意でも、技量が足りなかったってことだろうな、試合だと。でも今回、杉田は確かに島田さんよりも技量はあるけれど、経験がほとんどなかった。だから島田さんに動き読まれて先回りされて、自滅したと」
「なるほどね」

 吉田の明快な説明に納得し、武は腕を上に伸ばしながら唸る。
 バドミントンに限らず、スポーツはメンタルに左右される。精神的に弱気になれば決まるショットも決まらない。逆に強気になれば本来ならばミスショットも運を呼び込んで絶妙なチャンスに変えられる。
 竹内がいい例だった。途中までしおれていた気持ちが、急に高まったことで最後に良い追い上げが出来た。それも田野という意識するプレイヤーが隣にいたからだろう。
 だが杉田は一人だった。そこが竹内と杉田の得点に見る違い。

「杉田の心配もいいけど、自分の心配しろよ。ここで負けたら俺達の負けだからな」
「分かってる。出来るだけやってみるよ」

 杉田が傍に来たところで会話を打ち切る。武にとっては、負けた当人を前にして話を続けるのもどうかと思ったこともあるが、何より試合が始まる。

「次、シングルス二番手。出て来いー」

 金田がそう促しながら、床に座って身体を伸ばし始めていた。自分の出番のための準備。

(俺が、勝つと思ってるのかな?)

 釈然としないものを感じつつ、コートへと歩いていく。相手は、笠井。金田の唯一のパートナー。
 武が倒さなければいけない相手。

(笠井さん、か)

 シングルスプレイヤーとしての笠井を見た記憶が、武にはない。いつも金田と共にダブルスの柱として立ち、一度としてシングルスとして出場したことはなかった。ダブルス巧者がシングルスも得意とは言えないが、否定しきれない要素もある。

「お手柔らかに」

 先にネット前に立っていた笠井が、右手を上から差し出す。それを握り返してから、じゃんけんで武がシャトルを取る。

「なら、コートはそっちで」

 笠井の言葉に首を傾げる武。バドミントンを始めてから七年になるが、最初のサーブ権とコート決めで変更を要求したプレイヤーを武は見たことがなかった。
 七年で初めての経験。自然と口が開く。

「なんで、こっちなんです?」
「そっちのほうがシャトル見えやすいんだよ。こっちだと、たまにシャトルが体育館の壁と重なって遠近感が変になる」

 気になったことを素直に聞いてみると、笠井は少しだけ笑って言う。内容は武にとっては聞き逃せないものだったが、それ以上に笠井が試合を優位に進めるために試合中のことだけではなく、その前から思考を展開していたことに驚いていた。

「今までの試合も、そんな風に?」
「条件が悪かったらな」

 移動しながら、ネット越しの会話。互いに特に緊張感もなく、しかしただ楽しむという雰囲気もない。だが、けして油断できる気配もない。二人の間は和やかな会話の中でも何か違和感が支配していた。それを武は感じつつ、思考をめぐらせる。

(この人は、侮れない)

 金田が何も考えていない、とは武は思わない。しかし、超攻撃的なバドミントンをする金田をサポートしてきたのは笠井だ。武も金田と似たタイプだからこそ分かる。自分がどれだけ吉田の配球に助けられてきたかを。
 笠井は相手のバランスの崩し方を心得ているはずだ。チャンス球を上げさせて、それを金田に決めさせる。コートを支配する側の人間。

(この人を倒せば、吉田にも勝てるのかな)

 不意に浮かんだ考えをかき消す。相手は吉田ではなく笠井。余計な雑念は判断を鈍らせる。

「一本だ」

 笠井とすれ違って、コートのサーブ位置に着く。そこで呟いてからシャトルを見た。
 今までの試合を通じて三個目のシャトル。意外とぼろぼろになっていないことを確認しながら、武は笠井の姿を一目に収める。ゆったりとラケットを上げて構えるスタイルは特に他にプレイヤーと変わらない。おそらくは、武のロングサーブに対して最初はクロスにドロップを打ってくる。
 そう予測してから、思い切りラケットを振りぬいた。
 パンッと小気味良い音が弾け、シャトルは笠井のコート左奥へと向かっていく。追いかける笠井は落下点に入り、クロスドロップを放ってきた。
 武の予測通り。しかし、前に詰めた武だったがぎりぎりに落ちてくるシャトルを強打できず、ラケットで当てるだけに留める。
 ヘアピンを打たれることは見越していたのか、笠井は難なくシャトルをロブで返してくる。武もしかし、後ろへの動きは負けていない。すぐ様シャトルを追いかけて落下点に入り、一瞬だけ笠井の隙を探す。

(右奥!)

 速いスマッシュを長く叩き込む。通常ならば最短距離で相手コートへと叩きつけるのがスマッシュだが、武はそれを崩し技に使っていた。勢い十分で突き進んだスマッシュは笠井のバックハンドをドライブ気味に襲い、結果、中途半端なロブが上がった。

「はっ!」

 狙い通りにふらふらと上がってきたシャトル目掛けてジャンプする。ジャンプの最高点とラケットの長さ。そしてシャトルの落下が一つの点で交わっていた。
 ジャンピングスマッシュでシャトルはコートに硬い音を残して跳ねる。ジャンプからシャトルの激突まで体感では一瞬。今までの他の部員達の試合では聞かれなかった音と、速さ。

「っし!」

 拳を腰まで力強く引いてガッツポーズ。武へとサービスオーバーが告げられた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 笠井の声には動揺はない。それでも、武は確信があった。必ず笠井にはダメージを与えているはずだと。
 自分のスマッシュへの絶対の自信。磨き上げてきた強打は絶対に相手への脅威となると、経験が語りかけてくるように武には思えていた。

(これで笠井さんは俺を飛ばさないようにしてくる。でも、まだまだここからだ)

 ロングサーブを中央のラインぎりぎりに放ち、中央に構える。打たれるショットは八方向。しかし、どの位置も動いて取りにいく速度は同じとなる。相手の出方を見るのは分かりやすい絶妙なショットだ。
 笠井はハイクリアで武を後ろへと下げた。先ほどと同じように素早く後ろに入り、今度はハイクリアで左奥へとシャトルを運ぶ。笠井もまた追いつき、ハイクリア。
 三度、四度。ハイクリアの応酬が増えていく。互いにクロスにハイクリアを打ちながら、いつ攻めるかを考えてラリーが続いていく。

(――よし! 次のクリアをドロップで落とす)

 武がそう決意してクリアを打った時、相手の気配が変わったことに気づいていた。武の顔に浮かぶ焦りの感情。

(しまった!?)

 相手の意図に気づいて前に踏み出した時には、ストレートにドロップが放たれていた。クロスに打ったため、武から最も遠い位置にシャトルが落ちていく。

(届け!)

 武は全速力でシャトルへと飛び込む。出来る限り体勢を低くしてラケットを伸ばし、コートにつく直前にシャトルを捉えることに成功したのも束の間、シャトルの微妙なコントロールがかからずにネット前に浮かんだところをプッシュで落とされていた。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「……ストップです」

 悔しさを隠すことなく、身体から滲ませながら武は呟いた。それを見る笠井は何も表情を変えず、自分の立ち位置へと戻っていく。武は先ほどのラリーを振り返りながら、シャトルを拾っていた。羽根の綻びを直す振りをして時間を作る。

(考えたことを読まれたわけじゃない。俺の仕掛けが一歩遅かった。でも早すぎても意味が無い)

 整えてから優しくラケットで打つと、シャトルは笠井の手の中に向かうように飛んでいった。自分のコントロールはまだまだ十分。シャトルをどれくらいの強さでどこに打てば、どうなるかは感覚で分かっている。

(まずはドロップとスマッシュ、クリアの多用でいくか)

 戦術を決めて構えると、笠井から「一本!」と声が先に向かってくる。金田がいつも気合を前面に押しだしていたためか、武は初めて笠井の闘志を見た気がしていた。

(いや、違うか)

 ロングに飛ばされたシャトルを追っていく中で考える。
 笠井はけして金田の引き立て役ではなかった。自身や金田を何度も鼓舞し、対戦相手と戦ってきた。チャンスを作るための配球を心がけてはいたのだろうが、けして自分を脇役とは考えていない。

(そうだ。吉田も同じ。相手や、俺を操って理想のラリーを演出してる!)

 ドロップを打とうとしてた身体が、自然とスマッシュを打つ体勢に変化する。落下点にいた武はバックジャンプで強引に打点を前にずらし、ラケットを振りぬいた。

「らっ!」

 笠井も武がドロップを放つと思っていたのか、動きが一瞬だけ遅れる。ストレートに笠井の胸部へと突き進んだシャトルの前にラケットを差し出すだけで、ヘアピンとなって前へと向かう。武もまた前に向かい、シャトルに肉薄する。

「はっ!」

 今度はラケットが間に合い、ストレートロブで笠井を後方へと下がらせる。次に取ったのは、その場にただ留まること。中央へと移動せずに前で笠井の次手を待ち構える。

(さあ、どうです?)

 あからさまな誘い。空いているスペースに打ち込んだところに急接近し、カウンターを返す。島田が笠井へと使った手。島田の場合は杉田の打つパターンから導き出した戦法だが、武の場合は違う。試合の中で培われた直感とでも言うべきものを用いて相手の攻撃を予測する。
 笠井の腕の動きを見た瞬間、武は右へと動いていた。

(こっちの、逆!)

 クロスで打たれようとしていたシャトル。笠井の腕の振りを見ながら方向を予測し、移動する。しかし、それは武のフェイント。
 それを見た笠井が咄嗟にストレートに変えるという予測によって少し移動したところで右足を踏み込んで慣性を殺す。
 その結果、ストレートに放たれたドロップを真正面で受け止める形になった。

「はっ!」

 前に詰めてドロップを叩き落す。笠井も今回は完全に無理と諦めたのか動こうとはしなかった。再び、サーブ権が戻ってくる。
 ゆっくりとシャトルへと笠井が向かう間に武はまた考える。次の戦法をこのままにするか、更に別のものを選ぶか。

(全部クリアにして、みるか)

 相手の攻撃を受けきってみる。笠井のスマッシュは武の視界の中では吉田よりも遅い。そう簡単にはエースは取られないはずだった。どこまで耐えられるのかは確認する必要を見出す。

(うし)

 返されたシャトルをラケットで取り、左手に持ち変える。サーブ姿勢を取り、シャトルコックを笠井のほうへと一度向けた。
 シャトル越しに見える笠井。次の武がどのようにラリーを組み立ててくるのかを予想しながら迎え撃つ気迫が、透けて見えるように武には感じる。

「一本」

 シャトルを落下させるためにコックを下にして、笠井を視界から消す。相手を断ち切る意志を込めて。シャトルを空高く弾き飛ばした。
 笠井は武の考えに乗るように、スマッシュをストレートに返す。武は中央から一歩左側に右足を踏み出して、バックハンドでストレートに返した。先ほどとは違い、また中央に戻って待ち構える。完全な受け。攻撃を通さない意志を示す。

「はっ!」

 笠井が武にとって珍しい叫びを発しながら、今度は逆サイドにスマッシュする。
 自分の目の前を通り過ぎるシャトルを無理せず飛ばし、それを追った笠井がストレートで武の真正面にシャトルを飛ばしていった。
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