Fly Up! 61

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが鋭く叩かれた音がコートを走った。風を抜けてシャトルが舞う。さながら、砲弾のように。
 吉田の右斜め上を抜けたシャトルを、武はラケットで叩き落す。攻撃的なロブに対して、更に強くスマッシュで返したため、威力十分に相手コートに突き刺さった。

「ぉおっし!」

 振り返った吉田とハイタッチ。乾いた音が響き、審判をしていた三年の島田が試合の終わりを告げる。相手は三年の小谷と阿部のペア。金田・笠井ペアの二番手だった。

「絶好調だな、相沢」
「そうみたい」

 吉田の問いかけにも笑顔で答える武。確かに調子は良かった。それも、自分が持っている物差し以上に。いつもならば部活と試合で勝手が違ったが、今は試合と同じくらいの力が出せたと自覚している。学年別大会のように。

「気持ちが落ち着いてるとプレイに集中できるからだろうな」

 吉田の言葉には答えず、武はトイレへと歩き出す。廊下と繋がるドアを開けると、そこには一年がたむろしていた。

「こんちわ!」
「おっす」

 背中を向けていた状態から振り向いて挨拶をしてくる竹内に、武も挨拶を返す。そこから波状に広がる挨拶の輪。ちょうど、六人。武の進行方向にはネットの代わりなのか、ビニールテープが伸ばされて、その先に川岸が立っていた。邪魔にならないように避けて、先に進む。
 廊下を曲がり一年の姿が見えなくなると、シャトルを打つ音が響いた。

(確かに落ち着いてるかな)

 残った一年が六人。ちゃんと入ってきてくれたことに武は満足していた。特に川岸がいる事は嬉しかった。一年の初心者四人の中では最も運動が苦手に見え、実際にそうだと語っていた川岸。それでも変わりたいと思い、バドミントンを選んだ。そのきっかけが自分と吉田が全力を尽くした試合だという。

(そりゃ気分いいよな)

 自分は確かに繋がった。与えられる側ではなく、与える側として。今までにない幸福感に心が満たされる。

(やっぱ、バドミントン最高!)

 用を足す間も、再び一年の間を抜ける時も、顔をにやつかせないことに必死になった。それほどまでに嬉しかった。だがその笑みも体育館のドアを開けたところで止まる。
 空気が一瞬にして重くなった。

「な、なに?」

 思わず口に出してしまう。見ると庄司の周りに三年と二年が集まっていた。吉田が早く来い、と手を振っていた。

「どした?」

 早足で隣に立ったところで、庄司は止めていたらしい話を再開する。

「相沢も来たので改めて言うが、今度の試合で団体を組むメンバーを決めるために部内戦を行う」

 庄司の言葉に場の空気が引きしまる。武が来る前にも同じ話をしていたようだが、二度繰り返されたことで部員の中に自覚が芽生えたのだろう。遂に正式な試合へと動き出したことへ。

「団体はダブルス二つとシングルス一つ。俺としてはいろいろなパターンを試すよりも固定メンバーで望みたい。すでに一年を通してお前達はパートナーは決まっているだろうから――」
「先生」

 庄司の言葉を遮って、金田が手を上げた。特に不快感も見せずに庄司が問い返すと、金田の言葉に熱が宿る。

「俺、今回の団体戦はシングルスで行きたいと思っています」

 金田の言葉に動揺が走る。金田・笠井は二年連続で学年別を制覇しているペアだ。彼らが団体戦で組めば確実に一勝は手に入るだろう。それを今回はなしというのだから、特に三年の間に不安が走る。

「それは、どうしてだ?」
「ダブルス一つ勝てても仕方が無いからです。俺達の年代は、シングルスと第二ダブルスが弱い。前回の学年別でも俺と笠井は一位だったけど、小谷と阿部は四位だったし、シングルスでも俺の次は四位。組み合わせによっては市内で十分敗退します」

 金田の口ぶりには力があった。冷静に部を観察して語る言葉は、反感を買うかもしれない内容に反して誰もが静かに聴いている。

(金田さん……かっこいいなぁ)

 武は凛々しく立つ金田に憧れた。実力だけではなくリーダーシップもあるというのは自分にはない才能。だからこそ、惹かれる。

「だが、お前がシングルスに回るならシングルスしか勝てないんじゃないか?」

 庄司の問いかけにも特に気負わず答える。

「ええ。そのままならそうですが、俺がシングルスに専念すると言って、これから部内戦が行われるなら誰もが燃えて来ますよ。俺と笠井に頼るわけには行かないのと、ダブルスとして試合に出られる可能性が高まるんだから」

 浅葉中はダブルスプレイヤーのほうが多い。中学の団体戦の性質もあるだろうが、ダブルスで力を発揮する者が例年多い。
 一年前は桜庭という絶対的なシングルスの柱がいたが、その前まではシングルスよりもダブルス二つを勝ち取って団体戦はコマを進めていった。
 だからこその、金田の発言。強い者が試合に出る。実績を残しているならば、優先的に使われるのは当たり前だ。その実績を残したものがシングルスに行くのならば、チャンスは多くなる。
 実際に、空気が変わっていく。団体戦のレギュラー取りへの道が少しだけ広がる。今の三年生で第一ダブルスを除けばダブルスは三組。二年生は吉田と武、橋本と林で二組。杉田は大地とダブルスよりもシングルスで出るだろう。
 五組の内、二組。無論、シングルスも可能性はないことはない。少なくとも金田が駄目だった場合に備えて第二シングルスプレイヤーが必要だった。

「どちらも激戦だ……」
「どっちも取るつもりでやるしかないな」

 武の呟きに呼応するように、少しだけ大きく呟く吉田。さほどうるさくはなかったその場には十分過ぎるほど通る。
 三年と二年。全ての視線が集まった気がして武は首をすくめた。

「確かに吉田達は強いけど、それだけにやりがいはあるねぇ」

 阿部が吉田の後ろに回り、ヘッドロックをかけた。右手をこめかみにぐりぐりと押し付けながら笑う。阿部のスポーツ刈りの髪の毛はツンと空に向き、生命感溢れる瞳と共に人には好感を与えていた。だからこそ、一見いじめにも取れるような行動をとっても冗談だと誰もがわかった。場の雰囲気が和やかになるのを武は感じ、その空気を作り出した阿部にも感嘆した。

「いた! 痛いですって、阿部先輩」
「ふふ。先輩への敬いが足りないぜー」

 そう言いつつも手を離し、吉田をしっかりと見る。口からはさらりとした、それでいて強い言葉が紡がれた。

「実力でお前らを倒して、団体メンバーになっちゃるよ」

 阿部の言葉と共に頷く三年生達。上級生全てが、本気を出して吉田を潰しにかかる。正確には、吉田と武を、だ。

「盛り上がってるところ悪いが、ミーティングはこれで終わりだ。これからは十一点三ゲームで試合をしていく。ダブルスシングルス共に総当たりだ。早くて申し訳ないが、二日後にはどちらにエントリーするか決めておいてくれ。もちろん、両方に出ても構わない」

 庄司が解散を命じ、通常の部活へと戻った。金田がノックを開始する中で、武は今度は女子を集めて話している庄司へと視線が向く。

(女子は誰がなるのかな? 由奈や若葉も試合出れるといいけど)

 早坂は特に心配ないだろうと、武は思考に付け加えた。
 実際、早坂は学年別を終えてから、当時の一年女子とは別に先輩の中で練習をしていた。そしてシングルスならば誰にも負けなくなっていた。
 特に一度休んでからの彼女は前よりも練習に貪欲になり、オーバーワークと周りからは見えるほどだ。

(やっぱり、あいつの中で何か変わったんだろうな)

 バドミントンが好き。
 それは最初、誰もが持っていたはずだった。向き不向きがあるとはいえ、武もバドミントンがマイナーなスポーツと自覚している。それでも続けてきたのは、楽しかったからだ。シャトルを追い、ラケットを振り抜き、コートに風を起こす。タッチのほんの少しの差で絶好球にもその逆にもなりうるシャトルをコントロールする喜び。コートを駆けて、次の球を予想し、その上を行くために思考する喜び。例え弱くても続けてきたのは、その喜びを分かっていたからだと武は自信が持てる。
 早坂も最初はそこからだったはずだ。だが、早熟な才能は彼女を一気に実力者へと押し上げ、楽しさを奪ってしまった。勝つことが目的になり、バドミントンを好きだと思う余裕がなくなっていた。だからこそ、余裕を取り戻した早坂は武が時折ぞっとするほど、上手い技術を見せるようになった。

(今やったら、勝てないんじゃないかな)

 今まで練習の中でやってきた試合の数は十回ほど。初めて勝った時から通算すると六対四の割合で武が勝っている。だが、その勝率も今ならば――。

(試合、してみたいな)

 早坂とのシングルスを渇望する自分がいる。吉田と組んでのダブルスも武に確かな手ごたえと興奮を与えてくれるが、シングルスはまた別の熱さをもたらす。

(どうして中学は片方しか出られないんだろうなぁ)

 高校からはシングルスとダブルス両方にエントリーできるが、中学まではどちらか一方のみ。学年別が特別だっただけ。
 その学年別大会も次からは正規ルールに則るらしい。出られたとしても吉田のように最後まで通せる体力はないだろうが、内から来る欲求を武は中々抑えきれない。

「相沢。ぼけっとするな!」
「あ、はい!」

 ノックの最中ということをすっかり忘れていた自分に活を入れて、武はコートへと入った。
 矢継ぎ早に飛ばされるシャトル。足を踏み出し手を伸ばし、ラケットを届かせる。どのコースに飛んだシャトルもネット前に落とすように指示され、武は力をコントロールする。
 バドミントンは数秒から数十秒のラリーと、サーブを打つまでのインターバルが交互に行われる。ラリーは、動き続けなければ勝機は生まれない。動いて打つ。言葉にすれば簡単なことだが、実践となると難しい。
 通常は、ノックで行われるほどシャトルの応酬は速くない。打った瞬間に次の手が来ることはほぼないからだ。それでも、より速い動きに慣れていれば試合で有利になる。

(もっと、速く!)

 ドロップでシャトルをネット前に運ぶ。前に落とされれば、足を踏み出しラケットを限界まで伸ばしながら追いつく。ダブルスならば叩かれてしまうだろう高さまでシャトルは浮かぶが、それでも相手のネット前ぎりぎりに落ちていく。
 心臓の鼓動を感じながら、武はただただ無心に近づいていく。


 ◇ ◆ ◇


(相沢……どんどん上手くなるな)

 吉田はノックを受ける武を見ながら思う。最初はフォームが綺麗なだけでそれほど脅威ではなかった。無論、吉田は基本のラケットワーク、フォームがどれほど大事なのかを理解しているから、武は伸びると信じていた。だからこそ、後の副部長を頼み、西村が転校した際にはパートナーに選んだ。
 今、考えているのはその伸び率の大きさだ。

(多分、あいつは今、自分の力がどんどん上がってることを肌で感じてる。それは……とても嬉しいだろうな)

 武が一勝も出来なかった過去。そこから吉田と学年別一位まで昇りつめたこと。その間の気持ちは理解できた。どんどん上手くなり、上に立つ。その快感を一年の中では誰よりも知っていると、奢りではなく思う。
 ショットが日に日に精度を上げていく。威力を上げていく。そして――

「危険だ、な」

 吉田の目が呟きと共に鋭くなり、武を射抜く。当人は気づかずに、ノックを終えて吉田達がいる壁側に歩いてきた。

「相沢」
「ん? なに?」

 息を切らせながら反応する武。吉田は横に回って背中を軽く叩きながら、ささやくように言った。

「今度の日曜、時間取ってくれ」
「お、おう」

 言葉の鋭さに武は怯みながらも答えていた。
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