Fly Up! 51

モドル | ススム | モクジ
 第三ゲームが始まる時、観客のほとんどが小島の勝利を確信していた。
 吉田は体力を消耗し、第二ゲームの最後はほとんど動けていない。武の目には、それが吉田とゲームをやった刈田と同じように見えていた。

(吉田。もう、駄目なのか?)

 まるで自分が試合をしているかのように、焦燥感を募らせる。突破口が見つからない。小島はただ、コースを狙っていけば勝てるのだ。しかし吉田は小島の正確なコントロールにくらいつき、更に攻撃を加えなければいけない。
 スピードと技。どちらも上回る相手にどう立ち向かうのか。
 一時でも見せたからこそ、第一ゲームは取ることができた。そして続けることが出来ず第二ゲームは落とした。第三ゲームも第二ゲームの終わりごろのように体力の限界から圧倒的に崩れ去るに違いなかった。

「一本ー!」

 その時、その場にいなかったはずの人物の声が、武のすぐ傍から届いた。
 金田と早坂。
 たった今試合を終えたのだろう。上気している肌を拭きながらも吉田に向けて声援を送っていた。

「お前達! 今こそ声を出す時だろ!」

 金田の激に慌てて他の部員達も口々に吉田へと声をかける。金田から生じた波が大きくなっていった。

「まだ吉田は諦めてない、きっと」

 早坂は武の隣に割り込む。由奈とはちょうど反対側。早坂としてはより試合が見える位置にきたのだろうが、武には由奈と彼女に挟まれる形となる。

(両手に花、って感じでもないか)

 由奈のいる側とは違い、左腕がしびれるような錯覚。しかし先ほどのハイタッチを思い出して苦手意識は消える。

「早坂から見て、吉田の勝機は?」
「さっきから見だしたから分からないけど、二割くらいでしょうね」
「二割……」
「それだけあれば十分よ」

 早坂の言葉に込められている力。それはおそらく、勝って来た者が持つ確信なのかもしれない。

「それだけあれば、活路は見えるわ」

 早坂の言葉と重なる小島のサーブ音。吉田は先のゲームからの疲労がたまっているのか今までの素早い動きはなく、緩慢な動きでシャトルを追う。
 ようやく追いついた吉田は落ちてくるシャトル目掛けてラケットを振り――

「はっ!」

 鋭い音を立てて空気を切り裂いたシャトルに小島は反応するも、ラケットのフレームに当ててしまいシャトルは後ろへと弾かれていた。少しの間、小島は転がったシャトルを呆然として見ていた。

「サービスオーバー。ラブオール!(0対0)」

 何が起こったのかをすぐ理解した者は少なかっただろう。おそらくは、対峙している小島を除けば一握り。武は反射的に庄司の姿を捜し求めた。彼ならば何か答えを知っているだろうという無意識の行動。
 武の予感は当たっていた。

「まさか、吉田は二ゲーム目を捨てたのか?」
「やっぱりか」

 庄司の後を続けたのは金田だった。武の少し後ろから試合を覗きながら金田は言葉を続ける。

「体力が減っていたのは間違いないだろう。一ゲーム目から飛ばしすぎて体力を落とした。だから、二ゲーム目は途中から手を抜いたんだ」
「あの小島を相手に?」
「あの小島だからこそ、さ」

 金田の瞳には小島の姿が映っていた。一学年下だというのに、明らかに警戒の炎が灯っている。

(やっぱり、金田さんも感じてるのか?)

 金田さえも勝てないと吉田は言った。そのことは無論、本人には伝えていない。
 しかし試合を見ていればその実力は十分伝わるはずだ。今までの小島の試合で金田も自分と対戦した時のシミュレーションが出来たのだろう。
 実力を認めたことでの、苦い視線が向かっていた。

(吉田……これがお前の言っていたことか?)

 体育館に来た時に、会話をした内容が蘇る。

『いいか。バドミントンは技量だけじゃない。頭だ。最も考えた奴が、勝つ。もしシングルで小島に当たったなら考えてみるんだ』
『考えて、みる?』
『そう。実力で劣るなら戦略で勝つんだ。いつも心がけてきただろう?』

 配球、スピード、技、体力。自分の持つ全ての力を使って、小島に立ち向かう。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 武達が見ている前で着々と点を重ねていく吉田。その動きはとても二ゲーム目を落とした男には見えないほど鋭い。小島も試合を通して変わらないコントロールを見せているのだが、吉田はそれに対応してシャトルを拾っていく。
 そして――

「ポイント。エイトフォー(8対4)。チェンジコート」

 第三ゲームの折り返しをリードで吉田は迎えた。バドミントンのルール上、第三ゲームの八点目から場所を入れ替える。その間に一分ほど身体を休める機会を与えられる。吉田は一足早くサーブ位置に立ち、目を閉じていた。

(やっぱり相当辛いんだろうな)

 いくら体力を温存したとはいえ、これまでの試合数からも限界に近いはずだった。それでも吉田は勝利を目指してシャトルを追いかけていく。
 彼を動かすのは何なのかと武は考えた。
 小学生の時からこの地区の一位だったプライドなのか。日ごろの言動からはそこまでのものを武は感じない。プライドに執着するのならもう少し吉田を苦手としていたはずだ。
 そこまで考えて、武は自然と早坂へと話しかけていた。

「なあ。ずっと一位のやつって何を考えてるんだろうな」

 それはあまりに自然で、最初は早坂も自分に向かって問いかけられているとは思わなかったらしい。しばらく吉田の試合を見ていたが、サービスオーバーとなった時点で視線を武へと向けて尋ねる。

「え、私に、言ってたの?」
「そりゃそうだろ。早坂だって小学生の時は一位だったろ?」
「吉田は小四からだし、私は六年の時だけでしょ」

 吉田とは違う、と呟きつつ試合を見る。それでも口は動き続けていた。

「でも、いろんな人がいると思う。変にプライド高くなっていい気になったり、負けることに怯えたり」
「早坂は?」
「私は……」

 言いかけた彼女の口が閉じ、そのまま会話が虚空に消えていく。武も小島が五点目を取ったことで試合が動き出すかもしれないと観戦に集中する。その中で武の右から左へと言葉は流れていった。

「怖いわよ、負けることが」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


(負けられないだろ、そう簡単には)

 スマッシュを叩き込み、サーブが返ってくる。点差は三点。八対五。あと七点取ればシングルス優勝が決まる。
 普段ならばここまで来ると一気に試合は決まっていた。大抵、相手は刈田であり最後は体力の差で勝利をもぎ取ってきた。
 しかし今回は逆の立場に立たされている。体力は明らかに小島のほうが上で、逃げ切ることが難しい。小島のポーカーフェイスは体力がどれほど減っているのかを分からせないため、それも吉田の精神にダメージを与える。

(負けられ、ないだろ!)

 ハイクリアに追いついて前にドロップを落とそうとしたが、前につめてきた小島に気づき、急遽ハイクリアへと変更する。強引に力を込めたがどうにか真っ直ぐ飛び、小島は前に踏み出していた足で反動をつけて後ろに下がっった。

(やること全部やらないで、負けることほど嫌なことはない!)

 ドロップに追いつきヘアピンで落とすと、小島はシャトルが下につく直前からラケットでネットぎりぎりに返してきた。それを取ることができず、またサービスオーバーとなる。

「くっ……」
「おしかったけど、ここまでだな」

 聞こえてきた声に驚いて、床に落ちていた視線を上げる。そこには小島が少しだけ笑って吉田を見ていた。その顔を見ながらシャトルを返す。
 小島はシャトルを受け取ると、すぐきびすを返してサーブをせんと構えた。

(なるほど、ね)

 吉田も立ち位置に戻って構える。同時に放たれるサーブ。今までと同じ、ではない。

(お前も大分辛いみたいだな、小島!)

 内心の声をシャトルに乗せてハイクリアをクロスに飛ばす。飛距離が長く追いつかれやすいが、今の小島にとっては移動距離それ自体が辛さと比例するはずだった。

(自分の勝ちを相手に突きつけないといけないくらい、追い詰められてる!)

 それは吉田が培ってきた洞察力から見えたもの。ポーカーフェイスの内側に込められていた小島の感情。その一部がこの土壇場に来て溢れ出した。辛い自分を鼓舞しようと、相手に少しでも精神的にダメージを与えようとしての言葉。
 それは今まで実力で相手を制してきた小島からすれば、考えられない消極的な行動だ。

(同じ、中学一年だからな!)

 落ちてきたドロップをクロスヘアピン。それを小島がロブで上げる。シャトルに追いつき、スマッシュを放った音とほぼ同時にシャトルがクロスに返される。
 プレイ自体の正確さは変わらない。試合が始まってからラケットに触れたシャトルは必ず吉田のコートへと返ってきていた。どこまで力を入れればどう飛ぶか。それを身体が、感覚が覚えているからこそ可能なこと。
 吉田も小島の空間認識能力がずば抜けて高いことは見抜いた。だからこそ、相手の予測を超えるショットでラケットワークを乱れさせることが必要だった。
 しかし。

「アウト。サービスオーバー。ナインエイト(9対8)」

 追い上げられ、突き放す。その繰り返しの先で遂に小島のショットが乱れた。正確無比にぎりぎりを狙われていたヘアピンが、サイドのシングルスラインを超えた。
 今までなかったことはそのまま、吉田の勝機への手ごたえに変わる。

「一本!」

 高く飛んだサーブ。その角度はいままでの自分とさして変わらない。確認することで更に一歩、勝利への歩みを進める。疲れと共に集中力が切れだしたのか、小島の動きは精彩を欠き始めていた。いままでよりもシャトルは甘いところへと返ってくる。ぎりぎりまで伸ばさなければ届かなかったラケットが、楽に届いた。

「はっ!」

 余裕が出来るということはすなわち、十分な体勢からショットを放てるということ。先ほどとは逆に、厳しいコースにシャトルを置いていく。ネットぎりぎりに飛んだシャトルはふわりと落ちていった。

「――!」

 その瞬間、吉田に放たれる無言の圧力。小島は前に滑るように突進し、ロブを上げる。それも後ろにはさほど飛ばずに中途半端な位置で降下し始めた。

(ここだ!)

 後ろに飛びながらラケットを振りかぶる。ジャンプの最高地点から、ラケットの届く範囲。そしてシャトルの降下する速度。全てが一点で交差する。その場所へと吉田は渾身の力を込めてラケットを振り切った。

「はっ!」

 勝負どころ。訪れたチャンス球。ここでポイントを文句がつけられないほど完璧に取ることが出来た時、勝利への道が開ける。
 勝負事には流れがある。その流れに乗ることが出来れば、一気に戦況は傾くのだ。それが、今。
 放たれたスマッシュは吉田にとってタイミングもコースも完璧だった。最も威力あるスマッシュが、今、前にいる小島から最も離れたコート奥へと向かっていく。取れるはずもない。

(なっ!!?)

 だが、小島のコートを突き進まんと飛んだシャトルはコートを越えた瞬間に吉田のコートへと跳ね返り、床に音を刻んでいた。
 先にあったのは小島のラケット。しかも、傾けることでクロスヘアピンとなり、ネットぎりぎりに進んだシャトルはシングルスのライン上へと落ちていた。

「サービスオーバー。エイトナイン(8対9)!」
(そん、な)

 もう小島にはぎりぎりを狙える技術を保つ体力はなかったはず。だが、今のが偶然ではないことは吉田自身が分かっていた。小島は今の状況ならば必ず右奥に向かってスマッシュを打つと予測していた。だが、必ずネット前は通る。そこを、狙われた。

(二セット目を、真似されたのか……)

 吉田は今更ながら、小島の手の上にいたことを理解していた。
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