Fly Up! 47

モドル | ススム | モクジ
 握手を終えた小島に勝者のサインを求めたところで、相手は武の存在に気づいたようだった。試合の間とはうって変わった笑顔でにこやかに口を開く。

「おお。お前だったのか。審判。なあなあ。さっきの女の子試合見てたかな?」
「さっきのって、早坂だよな。多分見てたんじゃないか?」
「おおー。早坂っていうんだ。下の名前は? あ、いきなり名前聞くのは失礼だよな」

 口が止まらない。手も止まらずに名前を書き終えているため、特に文句も言うことができない。名前が記入されたスコアボードを岩代へと託し、自分の席に戻る間も小島の話は止まらなかった。

「それにしても早坂、かぁ。なんかしなやかな身体に特有のバネがあって凄く軽やかな動きしそうな名前だよな。うんうん。そうに違いない。タイプ的にはあの人だな。麻生冴子選手みたいな」
「えーと、その人も実業団の選手?」
「そそ。動きはそこまで速い! って感じじゃないんだけれど、羽がついてるみたいにふわっとシャトルを追っていって、強烈なスマッシュ打つんだよ。きっと筋肉がしなやかなんだよな」

 確かに早坂は身体の柔らかさを生かして打つタイプだ。名前から類推したのは偶然だろう。そう冷静に考えながら、小島の話を聞いていて不快に感じない自分がいることに武は驚いていた。マシンガンのごとく放たれ続ける言葉は人にとっては痛みに変わる。武も苦手な方だったが、小島には何か人の嫌悪感をすり抜ける力があるらしかった。

「試合とは全然違うね、小島……君は」
「ああ。俺の目指してるのは前田選手だし」

 その意味を知るのに少しだけ時間を要す。前田と言う選手名は早坂に出会いがしらの告白をした際に出た。バドミントンに関する雑誌に必ず出て名前。二十二歳にして実業団バドミントンの世界でトップにいる男。
 それでも武は雑誌で試合結果しか見たことがなく、小島がどういう意図で言ったのか結局分からない。インタビューに何か乗っていたのかもしれないが、そこまで読んでいなかった。
 それを察したのか小島は言葉を続けた。

「前田選手は、試合の間は対戦相手しか見えていないんだ。正確にはコートだけな。審判さえも姿に入らない。声は聞こえてるだろうけど。何故なら、相手の動きだけを見て次の動きを予測するからだ。他の人間の姿は邪魔になるわけだ」
「そんなこと、出来るの?」
「実際に出来てるかは本人しか分からないけどな。ただ、相手に意識を集中して他をほとんど意識しないことは出来る。俺が実際やってるし」
 小島の発言は武の中に驚きを与える。今、こうして話している小島正志という男は確かに存在する。しかし、試合が始まれば違う『小島正志』になっているのだ。
 これだけ強い男。その理由は、更に強い男を追って姿を重ねようとする努力にあったのが分かった。

(俺は、吉田が目標とか刈田が目標とか言ってるくらいなのに)

 確かに今の自分よりも強い者を目標にするのは間違いではない。
 だが、小島の試合を見ている限り、ある程度以上の実力が付いてから真似を始めたというよりも、最初から目指す形を見出し、そこに至るために前田という選手を見つけたと言ったほうが正確なように武は思った。それほど今と試合との落差が激しく、いわゆる『試合モード』の年期を感じさせた。

(形だけ真似るのは無理、だろうな。なら、真似られるように身体も技も鍛えていたわけだ)

 武の中に炎が灯る。新たな、そしておそらくは三年間で多く関わるだろう相手の中で最も強い男。
 この体育館に入った直後。吉田に向けて小島はダブルスには出ないかと聞いた自分を武は思い出す。それは完全な弱気から出た発言。出来れば当たりたくないと思ったから出た、逃げの言葉。

「小島、君ってどっから来たの?」

 初対面に近い相手に呼び捨ては微妙という気持ちと同時に、自分が吉田の”裏技”で小島の出身を聞いたことを思い出して咄嗟に出自を聞く。小島は特に疑うこともなく北海道の北側にある学校名を言い、地区で一位だったことを語った。

「まあ、親の転勤でこっちに来たんだ。俺としてはバドミントン出来ればよかったし。友達と離れるのは寂しいけど、実家があっちだから帰ったら遊べるし。それを考えると転勤も悪くないよな。友達たくさん出来るし。こっちは女の子可愛いし」
「そういうもの?」
「おうよ。あとは吉田香介が強ければ文句ないな」

 その言葉が紡がれるとほぼ同時に、吉田が目の前に現れる。武と小島は話しながら階上に行く階段の前まで来ていた。そこで降りてくる吉田と鉢合わせしたのだ。

「お、吉田香介じゃん」
「一応初対面だったはずだけど?」
「前にバドマガにインタビューがちょっとだけ出ていたので顔覚えたしな」

 バドミントン専門の雑誌名を引き合いに出し、吉田の隣を過ぎる。その瞬間に、鋭く小島は呟いていた。

「お前を倒すの楽しみにしてるぜ」

 小島はそのまま足早に上に昇っていく。武はこの時、初めて気づいていた。

(俺は最初から、眼中にないんだな)

 吉田に向けた言葉の鋭さが、自分にはなかった。それだけで小島の中の位置づけが見えてくる。武は取るに足らない存在だからこそ、彼の話を聞くことが出来た。だが、ライバルと認められている吉田には柔らかな言葉の代わりに静かなる敵意が向けられる。

「会うたび宣戦布告って血が多そうだな。試合の時と比べて」
「好きな選手の真似だってさ」
「へー」

 吉田はラケットを軽く振りながら階段を降りきると「よし!」と気合を入れてフロアへと向かっていく。これから試合なのだと今更気づき、武は自分が動揺していたことを知る。

「えーと、誰と試合?」

 この時もまだ動揺が抜けきっていなかったのか、武は普段なら分かっている対戦相手を聞いてしまう。吉田は特に呆れることもなく、名を口にした。

「刈田だよ。そうそう、軽く基礎打ちしてくれよ」

 武へと視線を向けて言う吉田にようやく思考の回転が追いつく。刈田に勝てば今、フロアに待っているのは刈田ではなく自分だったと思い出し、悔しさがこみ上げた。

(でも。だからこそ)

 武は頷いて吉田の後ろに続いた。自分を倒した相手に勝って欲しい。そして、小島にも。自分の傍に、もっとも強い男がいることを教えて欲しいという気持ちが生まれていた。
 ドアを潜り抜けると刈田がすでにコートに立っている。武と試合をした後から客席に戻らずにフロアの壁沿いにいたらしい。ここまでくると試合の感覚が近くなるため、いつでも試合が出来るように集中力を高めていたらしかった。
 入ってくる吉田に向かって刈田がラケットを突きつける。

「ほぼ一年ぶりだな。今度は勝つ」
「ほんと、喧嘩売られる日だよな」

 そう笑いながらも吉田の瞳に青い炎が灯るのを、武は見逃さなかった。表に出さないだけで吉田も十分燃えている。

「あまり時間ないからドライブで」

 返答を聞く時間も惜しいのか、吉田はすぐさまコートの反対側に行き、構える。武がラケットを上げた瞬間に軽くサーブでシャトルを上げた。
 鋭いシャトルの応酬に武は何とかついていく。目的はあくまで吉田の身体を暖めること。ミスをすればそれだけ体温が逃げる。だからこそ素早い中でも武はミスをしないことに全力を尽くす。激しいインパクト音が続いていく。それはやがて周りの目を引きつける。
 審判が来るまでの約三分間。一度もシャトルを落とさないまま、二人はサービスラインよりも前でドライブを打ち続けていた。

「し、試合を始めます」

 武と吉田のやりとりに目を奪われていた審判が我に返ってコールをする。耳に入ったときはちょうどシャトルは吉田の元に。ネットと平行になるように立てて持っていたラケットをいきなり倒して真上にシャトルを跳ね上げると、ゆっくりと武にクリアで返した。

「ありがと」
「がんばれ」

 シャトルを手に取り、武はコートから去る。もう敗者が踏み入れていい場所ではない。ベスト四。同じ学年の頂点を掴むことができる資格を持つ、四人。
 ここで決まるのは、頂点への挑戦権だ。

「これより、浅葉中、吉田君。翠山中、刈田君の試合を始めます」

 審判の言葉を背に、武は客席へと戻る。上から見たほうが二人の試合をよりちゃんと見ることが出来ると思ったからだ。二人がサーブ権を取りあう間に階段を駆け上がり、客席を突っ切って吉田達のいるコートが見える場所にいく。そこには林達一年男子も女子もそろっていた。

「いっぽーん!」

 林のエールに続いて他のメンバーも言葉を送る。吉田のプレイの邪魔にならないように、一度だけ。その一瞬の静寂が、サーブによって切り開かれた。
 そこでようやく武はたどり着き、集まる部員の末尾に立つ。同時に、聞き覚えのある爆音が耳に飛び込んできた。だが、それに勝るとも劣らない鋭い音を立てて、シャトルは再び跳ね上がる。

(吉田!)

 身を乗り出すと、ちょうど刈田のスマッシュが再び振り下ろされた場面だった。右奥から前へとクロススマッシュ。だが、吉田は最初からスマッシュの方向が分かっていたかのように移動し、バックハンドで高く遠くに飛ばしていた。

(あのスマッシュに完璧にタイミングが合ってる)

 武も慣れるのに一ゲームは使った速さを、吉田は難なく掴んでいた。
 スマッシュを打たせながらもシャトルは全てコート奥に返す吉田。それが何度も続き、とうとう刈田はハイクリアで一度態勢を立てなおすしかなかった。素早く下に回り込み、吉田もスマッシュを解き放つ。
 刈田や武ほど力強い音はしない。しかし、勝るとも劣らない速度でシャトルは刈田の脇腹を抉っていった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 吉田のスマッシュの速さに誰もが驚くが、武は少しだけ観点が違った。

(完全に刈田のタイミングを外してた)

 元々速度のあるスマッシュを打てる吉田だけに、タイミングがあえば刈田も返せないわけではない。何しろ、スマッシュの速度だけならこの学年の中でトップクラスなのだから。だが、今の吉田のスマッシュは武もタイミングを読み間違えた。ほんの少しだけタッチが早く、その差が刈田にラケットを振り切らせなかった。更に狙った場所が身体のバックハンド側。一つ一つは微々たる物だが、重ね合わせると十分武器になる。
 それを狙ったであろう吉田の実力を改めて武は思い知った。

「武。お疲れ様」

 いつしか隣には由奈が来ていた。自分が元いた場所からわざわざ移動してきたらしく、武は「悪い」と言いかけた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 振り向いた一瞬の間に入る二点目。はっとして振り向くと刈田がラケットを伸ばしてネット前で固まっている。吉田のヘアピンが綺麗に決まっていた。

「ほら。見逃しちゃうよ。勉強になるから見よ?」
「あ、ああ」

 傍に寄ってくる由奈にどぎまぎしつつ、武は吉田の試合を見る。三点目に向けてのサーブ。スムーズにラケットを振って、ショートサーブを放った。

「くお!」

 客席にも聞こえるほどの声で刈田はうめきながらも、高くシャトルを跳ね上げる。体勢を立て直すと同時に、吉田のハイクリアがコート奥を侵食する。慌てて刈田は追い、のけぞりながらもまたハイクリアを飛ばす。その後で体勢を低くし、スマッシュに備えた。
 だが吉田はまたハイクリアを左奥に飛ばし、刈田を揺さぶっていく。

「上手い。上手いよ、吉田」
「? 何が?」

 武の呟きに由奈が尋ねる。武は指を刺して刈田の動きを追った。

「スマッシュを意識させてハイクリア。スマッシュを取るために前のめりに構えてるところから後ろにのけぞるんだ。体力消費は半端じゃないよ」

 拳に自然と力がこもっていた。
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