Fly Up! 46
武の中には勝てる自信はあった。
それは決しておごりや妄想ではなく、根拠のあるもの。
以前の体育館で良い勝負をしたからというのもあったが、その時よりも上がっているだろう実力と、今の試合で戦ってきた結果、勝機が見えていたからだ。
確実ではなく難しい道筋だったけれども、武は何とかそこを辿れるだろうと思っていたのだ。
でも、今。
武の視界には光の道が見えなかった。
(くそ――!)
一ゲーム目と同じではなかったが、勝利への希望が欠けたスマッシュは楽々返され、逆にピンチを呼び込む。中途半端に上げたシャトルに、刈田が飛び上がって狙いをつける。
それは初めて見せた、より高度なスマッシュの技。
(ジャンピングスマッシュ!?)
通常のスマッシュも少しは身体が宙に浮く。しかしジャンピングスマッシュはそれこそ思い切り飛び上がり、より高い打点からスマッシュを叩き込む技だった。全身の力をフルに活用するため体力消費は大きく、またタイミングも取り辛い。失敗すれば最悪空振りになる。
そんな技を刈田は最後の一本を取るために使ってきたのだ。今までのスマッシュに慣れていた武には致命的な一撃。
「はぁ!!」
今までで最大の音が鳴る。そこに反応できたのはなりふり構わず前に飛び出した武の躊躇の無さがなせることだったろう。絶体絶命の時は前に出てとにかくラケットを振れば当たる。動かなければただ叩きつけられるシャトルの音を聞くだけ。
それを本能的に分かっているからこそ、咄嗟に動くことが出来たのだ。
「あああ!」
飛び出したのは左前。単純に、自分の苦手なほうをカバーするため。
だが、そんな武の裏をかくように――
ズバァン!
時が、止まる。シャトルは武の後方で威力を見せ付けるように転がった。
「ポイント。フィフティーンイレブン(15対11)。マッチウォンバイ。刈田」
聞こえるカウント。試合終了を告げる声。
スコア的には同じ。
しかし、二ゲーム目は武が思った以上にすんなりと過ぎ、終わっていた。
十五点目。もう、これ以上先には行くことができない。
(追いついたと、思ってた)
ラケットをシャトルのほうへと差し出した体勢のまま、武はしばらく動けなかった。身体はまだ動ける。戦える。それでも、試合はもう終わりを告げてしまった。その事実を頭が受け入れる前に、身体が動き出す。
ネット前に刈田がいる。その顔は試合中に浮かべていた不適な笑みなどない。それが武には意外だった。
あるのは、試合に勝てたという安堵。
「ありがとうございました」
「あ、りがとうございました」
刈田ならば勝ち誇ってくるだろうと思っていた武は、調子が狂って握手も流れるままになる。すぐに手が離され、刈田はコートの外へ。武は審判からスコアボードを手渡されて審判席へと行くよう命じられる。
(敗者審判か。久しぶりだな)
負けた者が審判をする敗者審判制。
幼い時から効率がいいシステムだとは武も思っていた。何度も一回戦負けして、一回戦の別の試合の審判を務める。
その時の気持ちが、久しぶりに思い出されて武の心を埋めていく。
(やるだけやったじゃないか。悔しいけど……昔ほど悔しくない)
敗者審判という状況になったことで、過去の記憶が現実を侵す。何とか抑えようとする武の背中に、刈田の声がかかった。
「おい。……強かったぜ」
「え?」
振り返った拍子にスコアボードの上に置いておいたシャトルが落ちそうになるほど、勢いは強かった。それくらい驚き、いきなり振り返ったのだ。
「認めるよ。お前は強い。ほんと、吉田以外に要注意なやつが出てきたよ」
そこまで言うと刈田は笑いながらフロアから出て行った。
彼の、自分を認めたという証を受けて武を侵そうとしていた過去が消えていく。代わりにこみ上げる感情が涙腺を緩ませる。
(認めて、もらえたんだな)
自分だけじゃなく、他者も。それが認められるということ。毎年一回戦負けだった自分が、初勝利も上げ、優勝候補にも力を認めてもらえた。
まさしく、練習の成果だった。
「よし!」
武は少し滲んだ涙を拭うと勢い良く審判席へと走り出した。この敗者審判は今までとは違い、より上を目指すためにくぐる一つの門なのだと考えて。
* * *
審判を命じられたコートへとスコアボードを持っていく。すぐ試合を始めるという意味合いからも急ぐのは当たり前だが、武は別の理由から足を速めていた。
それは名前。試合を行う二人のうち、片方を埋めるその名に興味を引かれたからだった。
(小島……正志)
早坂にいきなり迫ったインパクトもあるが、それよりも。
(吉田に、金田さんも勝てないと言わせた実力が見れるんだ)
今までは試合が重なって見ることが出来なかった。だからこそ、審判として最も傍で見ることが出来る最高のチャンスだった。
(どれくらいの強さか、見てやる!)
強いプレイヤーのプレイを見るだけでも勉強になる。それは部活の中でも立証されている。それが他校の強いプレイヤーならばなおさらだ。
コートに着くとすでに小島も対戦相手も、自分の学校の部員とシャトルを打ちあっていた。小島の対戦相手を改めて見れば、明光中の岩代。刈田が要注意だと警戒していた四人の一人。
どちらも武の今後のバドミントンに関わってくる存在だけに、緊張が走った。
「試合を始めます」
ポールの傍に立って声をかけると、試合をする二人以外はコートの外へと出た。岩代は腕を上に伸ばしたりしながらネット前に進む。逆に小島は何のアクションもすることなく前に進み、ただ手を差し出した。初めて遭遇した時にあった騒がしさは無い。
(試合になると、静かになるのか?)
そんなことを考えつつ、じゃんけんをさせて試合を始める。シャトルを取ったのは岩代だった。
「一本!」
岩代がサーブを放つ。小島はシャトルを追っていき、ハイクリアで返した。そのシャトルを岩代が追いかけ――
(ずいぶん静かな、感じだな)
刈田のように力強いスマッシュというわけでもなく、吉田のように鋭く攻めていくようなプレイでもない。静かな立ち上がり。武がそれを不思議に思ったその時、それは起きた。
「え……」
小さいながらも、声に出してしまう。
岩代が前にドロップを落とし、それを小島が拾いに行った時、武は違和感を覚えた。シャトル自体は小島がプッシュを決めてサービスオーバーとなる。
しかし、そこに何か釈然としないものが残った。
(あいつは、何をしたんだ?)
特に技をしたわけでもない。実際、岩代はラリーが続けられずにチャンス球を上げて、それを叩かれた。
だが、審判という第三者の目からは今の小島のプレイには何か仕掛けがあったように思えた。
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
思考は続けることで試合を停滞させるわけにもいかず、武はコールをしながら小島の動きを見る。サービスラインに沿うように立ち、特に声を上げることもなくサーブをする。打った瞬間には中央に陣取り、相手の返球を待つ。そこまでは武や他のプレイヤーと変わらない。
(ここから、か?)
奥に返されたハイクリアを同じように返す。何度も繰り返されるハイクリア。岩代のコントロール驚くほど正確で、小島が触れなければどれもシングルスコートのライン上に落ちるように武には見えた。岩代のスキルはそのショットの正確さらしい。少なくとも、ハイクリアは吉田と同程度、あるいはそれ以上のように武は感じる。
しかし、それを小島もまた行っていた。ぎりぎりにきたシャトルを、またぎりぎりで返す。動き続けるラリーの間でコントロールを保ち続けるのはかなりの難易度だ。相手が正確なショットをライン際に放ってくるならばなおさら。だが、小島は完全に受けてたち、同じくらいの正確なショットで逆に岩代を追い詰めていく。
「は!」
均衡を崩したのは岩代だ。自分から仕掛けたクリアの応酬に耐え切れず、スマッシュで突破口を開こうとしたのだろう。そこで、武は小島の動きを見た。
(早い!?)
武がシャトルの行方を見ていたからかもしれない。審判ならば当然だが、その視線を外していた瞬間に、小島はすでにステップを踏んでいたのだろう。放たれたシャトルに突っ込むように近づき、ラケットを前に――
「え……」
小さいながらも、武は声を漏らしてしまう。小島の動きを追っていたはずだった。シャトルを打ち返すところまで見ていたはずだった。しかし、気づけばシャトルは岩代のコートへと落ち、微かな音を立てて転がっている。
「ポイント、ワン、ラブ(1対0)」
視線を岩代にも向けると、何が起こったのかわからないという顔でシャトルを見ていた。武のコールに気づき、ワンテンポ遅れてシャトルを拾ってから小島へと返す。
(そうか。なるほど、な)
岩代よりも先に武のほうが小島の謎に気づいていた。
その後も小島の淡々としたサーブが続いていく。点数を取っても喜ぶということはなく、作業を重ねるかのように黙々とプレイを続けていく。岩代がクリアを上げ、スマッシュを放ち、ドロップを落としても小島は難なく全てを返し、岩代のミスを誘っていった。
(やっぱり、打つ瞬間にラケット面を変えてるんだ)
試合も中盤に差し掛かり、最初は小島についていっていた岩代も振り回されている。シャトルの動きを予測しようと小島の一挙一動を見逃さないようにしていたのだが、その余裕はもうない。もう少し注意深く見ていれば小島のショットの謎が解けただろう。
(打つ瞬間にタイミングを早めたり遅くしたりしている。だから、反応が遅れたり狂うんだ)
審判をしながら見ていた武は、小島が相手のドロップを返す際のラケットの動きを間近に見ることが出来た。最初はネットに水平に構えられていたラケット面が、シャトルにもうすぐ触れるという時になって急に縦に変えられてプッシュが放たれる。
ヘアピンだと思って前に飛び込んでいた岩代はプッシュに対応しきれずに、点を与えてしまった。
そんなことが何度も繰り返されるうちに、岩代は余裕を奪われて小島の動きを読むことが出来なくなった。
バドミントンの力の境目はいくつかある。その一つが、相手の動きを試合の間にずっと見ることが出来ること。シャトルを打ち、相手が返してくる間に必ず相手を視界に捕らえて次の一手を予測する。これを続けられることも実力の一つ。
その点で言えばまだ岩代は未熟であり、小島は逆にある程度完成していた。岩代の動きを読んで取り辛い場所へとシャトルを放ち、余裕を奪わせているのは間違いなく小島の意思だからだ。これもまた、審判として立っている武だから分かること。客席から見ているだけでは理解しきれないはずだ。
「ポイント。フォーティーンマッチポイントラブ(14対0)」
ワンサイドゲームはファーストゲームを軽々と飛び越え、セカンドゲームをも終わらせようとしていた。正確には、いま終わる。
最後まで単調なロングサーブを思い切り叩いた岩代。そのスマッシュを小島が優しく包み込み、綺麗な弧を描いてネット前に落とす。前に踏み出す体力はもう岩代にはなかった。
「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)マッチゥオンバイ、小島」
小島の完勝だった。
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