Fly Up! 359

モドル | ススム | モクジ
 自分の打ちこんだスマッシュを楽に打ち返しているように見える坂本の動きを見逃さないように確認する。その間にもシャトルが飛んできているため、ほとんど時間はなかった。
 それでも打ち終わった後にどういう隙が出来るのかを分析した上でなければ、武には次のショットが打てなかった。
 それほどまでに相手二人には隙がない。こちらが体勢を崩そうと自分の中の知識に従って打っても隙を見せることはなく、逆にこちらの隙を広げてくる。
 相手のスピードとコートカバーリングは想定をはるかに超えて、力で押し切ろうとしても西村の突破はほぼできず、坂本にかろうじて通じているレベル。狭い扉を力技で強引に押し広げている状態だった。

(皆の前で堂々と言ったけど……このままいけるのか?)

 自分に出来る限り思考を続けて配球を決めているものの、西村をどうしても越えることが出来ない。

(あいつの反射神経とか、フットワークとかなんなんだよ……シャトルより早く動けるわけないんだから、俺の打つコースをやっぱり読んでるんだ)

 これまで全てシャットアウトされたわけではなく、前衛の守りを抜けたことももちろんある。それは結局、読みを外させたのだ。だが読みの精度がずば抜けているためあてにはならない。経験によるものなのか、武が読みやすいのか分からない。その原因を今の時点で追及していても、あまり意味はない。

「はっ!」

 西村の顔面に打つようにスマッシュを叩きこむ。ラケットを顔の前で構えた西村は無理して打ち返すこともなくただ当てただけ。
 それだけでも勢いを利用してこちらのコートへと返しただけではなく、打つ瞬間に角度や距離を調整してネットすれすれにシャトルが落ちていくように演出した。
 前衛にいた早坂は出来るだけ早くシャトルに触れてロブを打ち上げる。西村のラケットが差し出され、シャフトとネットの間に生まれた空間へ打ち上げるように調整することでようやく西村の制空権内から脱出できる。

(何とか坂本を前に出させる……でも、西村が上手くカバーしてるなら)

 再び自分のところへと落ちてきたシャトルを、坂本はクロススマッシュで早坂へと叩きつける。ネット前にいた早坂はバックステップで後方へと戻って再びロブを打ち上げた。
 サイドバイサイドの陣形に戻ったところで武は一瞬だけ早坂の目を見た。
 ちょうど早坂も武のほうを見る。いつしか、試合の間に何度も交わしてきた視線は、互いの意思を伝える手段だった。
 吉田となら十分に実績があったが、早坂と通じていることに自分でも驚いている。ずっと背中を追ってきた。
 更に、勝つために考えることを覚えた。
 武自身が早坂の動きをある程度以上知って、一つの目標に向けて思考する意思があるならば自然と道は重なるのだ。

(早坂。また頼む!)

 武は前に飛び出すように移動して、ネット前に詰めて西村と睨み合っていた。
 早坂に攻めを任せて前に出ると、西村が口を吊り上げて笑っていた。
 ネット前で武と競えることが心底楽しいと言わんばかりの笑みに釣られ、武も笑みがこぼれる。負ければこれまでの積み重ねが崩れるかもしれない恐怖を持つ一方で、全力の鍔迫り合いを楽しむ自分がいる。
 早坂の後方からのスマッシュを西村が横っ跳びでラケットを追いつかせ、ヘアピンで打ち返す。武はその軌道を読んでラケットを差し出すと手首をひねるだけでクロスヘアピンを打った。
 普段の自分ならば失敗するという確信がある。
 だが、今は失敗するイメージがまるで浮かばなかった。

「はあっ!」

 クロスヘアピンに追いつく西村はバックハンドでシャトルを打ち出す。しかし、武も再度その軌道を読み、ロブを打ち上げた。後方に下がろうとした武だったが、その場に踏みとどまって坂本のスマッシュの軌道を読もうと意識を集中させる。
 しかし、視界を覆ったのは西村の表情。

(やっぱり、西村も邪魔してくるか……)

 前衛でスマッシュをインターセプトしようとする意識は同じ。
 しかし、武と西村ではインターセプトの成功率にかなりの差があった。前衛で互いをマークして思い通りのプレイをさせないようにしていても、自分と西村には何か決定的なものがあり、自分のほうが妨害されている。

(細かいこと考えるな。今の俺じゃ、西村に勝てないんだ)

 半歩後ろに下がって少しでも坂本の姿をとらえようとする。
 その思惑を読んで西村は落としていた体を伸ばして視線を遮った。
 次の瞬間に放たれたスマッシュはストレートに突き進んでいき、武がラケットを出す前にネット前を通り抜けていく。
 早坂が追い付いて再びロブをあげたのを確認してから再度ネット前で腰を落とすが、やはり西村のマークによって視界が狭まる。

(セカンドゲームまでやってきたんだ……冷静に考えろ!)

 武は自分の中に蓄積されてきた情報を短い時間で整理する。おそらくは、いつもなら吉田がやっていたであろう作業を行うのは自分しかいない。早坂を上手く導いて、勝利に手をかけなければならない。

(俺と西村なら西村のほうが上。早坂と坂本、なら!)

 思考の途中で放たれたスマッシュに今度は追いつき、武はドライブ気味に打ち返す。一瞬の後に通り過ぎるラケットにひやりとしたが、坂本が上げるロブを視界に移すとまた前衛の中央へと移動する。今度は早坂が攻撃する番だ。

(早坂と坂本なら……早坂のほうが上だ。あとはこの均衡を崩す力が相手にあるか!)

 早坂から力強いスマッシュが放たれる瞬間に西村の視界から軌道を消す。
 それでも西村は高速移動でシャトルに追いつくと、スマッシュの勢いをそのままにインターセプトしてきた。武のラケットをすり抜けて落ちようとするシャトルを早坂は拾い、武の頭上を抜くように短くロブを打っていた。
 先ほど武が行った、パートナーの体の傍をギリギリ通す軌道。相手に打つ直前まで軌道を読ませない効果もあるが微妙なコントロールが必要で、まず失敗する可能性が高い。
 それでも武も、早坂も成功させてきた。
 西村の笑みがひきつった物に変わり、ラケットを慌てて振るもフレームに当ててしまう。

「はっ!」

 西村が見せた僅かな隙を逃さずに武はラケットを振り抜く。シャトルは西村を越えてコートへと叩きつけられていた。

「ポイント! ワンラブ(1対0)!」

 審判の声に観客席からどよめきが走る。南北海道の選手全員が歓喜に声をあげ、相手は西村にドンマイと声をかけた。
 たった一点。
 最初の得点からここまでの変化があるのを見て初めて、武はこのラリーが普段の数倍は時間が経っていたと悟る。
 同時に頭が痺れ肩、に不可視の重さがのしかかった。
 一点を取るだけでどこまでも体力を削られる。その傾向が顕著に表れたファイナルゲーム。だが、武は相手から返ってきたシャトルを中空で打って早坂に渡すと早坂の後ろへと付いた。

(あと十四点。いや、セティングもあればもっとあるか。でも何点でもいい。審判が……俺達が勝ったって告げるまで、止まらない)

 試合に勝つための槍と化す。
 勝利に向けて一直線に突き進む槍。
 余計なことは考えず、目の前の得点を取るためだけにラケットを振り続ける。早坂の攻めで得点はできる。早坂もダブルスに慣れてきて、本来のコントロール力ならば不可能ではないプレイも出てきた。
 試合中に西村に気圧されていたのを強打させることで吹っ切らせ、今や攻撃の起点だ。自分が西村を抑え込んで早坂が坂本に向けて攻撃し続ける。このパターンが今の自分達では勝率が最も高い。

「早坂! 一本!」

 声をかけて後ろを向かせると、武は眼をしっかりと見つめてから頷く。
 伝わったかという疑いはない。伝わっていないならプレイで更に畳みかけるところだが、確証はないのに確信はある。
 バドミントンの試合に限れば、既に早坂とは言わなくても伝わるだろうという確信があった。根拠も何もないが、武は早坂がショートサーブを打った瞬間に後方へと下がるのに合わせて前に出た。
 ショートサーブの担い手が前衛をカバーするセオリーを崩して前に出る。早坂のショートサーブは西村には通用せずにプッシュをしかけてきたが、武はシャトルの軌道にラケットを置いて全く勢いを殺さずに打ち返した。

(やっぱり。精度が上がってる)

 ファーストゲーム、セカンドゲームよりも西村の打つシャトルの軌道が『見えて』きていた。
 視覚から頭に。頭から筋肉へと信号が伝わってラケットが振り切られる。
 西村のプッシュを打ち返し、奥に控える坂本はインターセプトだけされないようにとロブをしっかりと上げた。
 武は西村をしっかりと見ることが出来るように間合いを開けていた。
 坂本の動きを捉えようとする武を妨害し続けている西村。
 ならば、あえて坂本よりも西村を視界に収めて動きを見極めてみる。
 西村は武の意識が自分に向くのを感じて眉をひそめつつも右側に移動した。武は咄嗟に左側へと足を踏み出し、ラケットを伸ばす。
 ちょうどそこに、坂本がスマッシュで打ち込んできたシャトルが飛んできていた。

「はあっ!」

 手首のみを遣って鋭くシャトルを叩き落とす。最初の一点目よりはるかに簡単に得点できたことで、武は体の奥から思い切り気合いをほとばしらせていた。

「しゃあああ!」
「ナイスショット!」

 後ろから早坂が走ってきて左手を伸ばす。武はその手に向けて思い切り左手を叩きつけた。
 乾いた音がコート内に破裂し、続いて仲間達の声援が届く。
 この試合の勝者が大会の優勝者。
 より大きな高みへと繋がっている試合の一点はこれまで以上に重い。
 自分達が点を取る度に、相手が危機に陥っていく。

(西村の動きを読んで逆に移動したら、坂本の動きを読めた……)

 戻ってきたシャトルの羽を早坂が整えている間にも武の頭はフル回転して、今のラリーを振り返る。自分がしたことは坂本の動きを読もうとすることではなく西村の動きを予測すること。目
 線や体さばきから逆に動くようにした時、そこにシャトルがあった。

(もしかしたら西村と坂本は)

 一つの確信を持って次のラリーに挑む。
 早坂はシャトルを手に取り、武の準備が整うのを待つかのように後ろを向いていた。武は早坂から距離を取って腰を落とすと力強く頷いてサーブを促す。早坂は「一本!」と吼えてバックハンドで構えると、坂本に向けてショートサーブを打った。
 白帯を越えた所で打ち返されたシャトル。右サイドに落ちようとするシャトルを、右足を踏み込んで思い切り打ち返す。力強く速いシャトルを坂本は取ることが出来ずにラケットを空振りするだけ。すぐに前衛に入った坂本だったが、西村がスマッシュと共に前に出たと同時に後ろに回った。
 早坂もまた、武が前方にシャトルを落とすと同時に前に出たため、飛ぶように後ろに回った。
 再び前衛で相対した西村に対して、武は意識を集中する。
 シャトルをインターセプトするのではなく、西村の動きに合わせる。どう動くのかを感じ取り、その上で逆を突く。
 西村はフェイントを交えた後で左に飛び、武は即座に右側にラケットを伸ばした。すると、ちょうどラケット面に飛び込むようにしてシャトルがネットを強襲してくる。武は視界の端に西村がラケットを伸ばしてくるのを捉えていた。

「おああ!」

 ラケットが届く前に手首だけの力でシャトルを強く叩く。ピリッとした痛みと共にシャトルは力強くコートへ叩きつけられた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)!」

 左拳を腰の傍まで引いて吼える武。
 ネットを挟んだ向こう側では西村がラケットを軽く振りながらシャトルを拾っていた。羽を手で整えてから武へと渡し、笑顔を向けてくる。

「ほんと上手くなったなー、相沢。俺の動き読んだか」
「……ああ。お前と坂本さん……動きを完全に合わせてたんだな」

 武の言葉に西村は頷いて去っていく。
 自分の予想が正しかったことにほっとして、武は後ろにいた早坂へとシャトルを手渡すと移動する。
 考えるのは西村のこと。西村は武の視線の妨害をした上で、坂本に逆方向へと打たせていた。ただ、それはパートナーも西村の動きを完全に読んでいかなければならない。
 動いた後に打っては遅く、反応されてしまう可能性が高い。

(間違いない。西村と坂本は、年季の入ったダブルスペアだ)

 西村が転校したのは一年の途中だけに、年季が入っているといっても一年と少しだろう。ただ、公式戦がないミックスダブルスで武と吉田や、西村と山本レベルの意思疎通ができるのだろうか。
 そう考えて武は首を振る。出来るかできないかが問題ではない。この試合で相手は互いの動きを完全に理解しあって動いている。
 武達もようやくセカンドゲームの途中からできるようになっていたことを、最初から。
 逆に言えば、ようやく武達は西村達に追いついたと言える。

「早坂。攻め、任せた」

 試合が中断する間は短く、武は簡単な言葉で指示を出す。
 自分が考えたことを全て理解してもらうのは難しく、してもらう必要もない。試合に勝つために必要なことだけ取捨選択できればいい。状況を取り入れて脳がフル回転し、勝利に無駄なものを削ぎ落としていく。
 これまで流れが塞き止められていたダムの出口を開き、大量に水が流れ出していくかのようだ。
 吉田と共に試合に臨む時も自分で考えて配球を決めていたが、今度は早坂の動きまで予測し、思い通りに動いてもらおうとしている。
 ゲーム全体をコントロールしていこうと、自然と考えている自分に驚かされる。

(以外だよな、本当に)

 早坂とダブルスを組むことさえも信じられないのに、自分がゲームメイクを西村と張り合っている。
 お互いの意思を通して相手コートまでも自分色に染め上げる。
 一挙一足や目線の動きまでも含めて西村と坂本の動きまでも操ろうとする。
 シャトルを打った後の軌跡が脳内に描かれ、現実がそれを追いかける。

「一本だ」
「うん。一本」

 やまびこのように、静かに宣言すれば静かに一本と反応する早坂。
 早坂のショートサーブを容赦なく打ちこんでくる西村を越えるように、バックハンドでロブを打ち上げた武はまた前に出て行った。

「うおああああ!」

 前衛には西村。坂本からのスマッシュが放たれた瞬間に西村は思い切りしゃがみこみ、武の視界から消える。西村の頭部の残像が目に焼き付いている中で、その残像を突き抜けてシャトルが放たれた。咄嗟にラケットを振って打ち返したが、今度は西村の本当のラケットがシャトルを完璧にとらえ、武の腹部に打ちこまれてしまった。

「げふっ!?」
「おあ、大丈夫か?」

 サービスオーバーを告げた後に審判も不安げな表情で近づいたが、武は手を振って双方に問題ないと告げるとシャトルを拾い上げた。あっという間にサーブ権を奪い返されたことで、武は熱に浮かされかけていた頭が冷えていくのを感じる。

(西村も……まだまだ引き出しはありそうだ)

 真っ向からぶつかるか、躱すか。
 どちらの選択肢も頭に浮かべつつ、武は深呼吸して心を落ち着かせるとシャトルを放る。受け取った西村に向けて勝利するという意思を込めて笑みを向けると、破顔して満面の笑みを返してきた。
 どんなことがあっても最後には自分達が勝つという意思は、十分に伝わった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2018 sekiya akatsuki All rights reserved.