Fly Up! 356
高く上がったシャトル。綺麗な放物線を描いて落ちてくるそれを、坂本は渾身の力でラケットを振り抜くことで早坂のバックハンド側へとスマッシュを叩き込む。
早坂は西村を躱すためにしっかりと相手コート奥へと打ち返す。
それでも速度と威力に押されたために甘くなった。
腰をしっかりと落として第二撃に備えると同時に、坂本は飛び上がってシャトルを打ちおろしてくる。
(ジャンピングスマッシュまで出来るの!?)
高い位置からのスマッシュは角度と威力を増す。
シャトルの羽の向きに勢いを加速させて飛んできたシャトルを、早坂は上手く取れずにコートの中央付近に打ち上げてしまった。
シャトルへと照準を合わせるのは西村、ではなく坂本。
着地してから前にまた飛んで、前方への勢いもプラスした一撃はコートへとまっすぐに突き刺さっていた。
「ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)! チェンジエンド」
「しゃあああ!」
「やーっ!」
ファーストゲームを取った勢いそのままに、西村と坂本は互いに吼えて手をぶつけあう。
逆に早坂は打ち返すことが出来なかった自分にいらだって、脛にラケット面をぶつけてからコートの外に出た。
武が後ろについてくるのを感じつつ、自分のファーストゲームを振り返る。
(調子がでてきたのに……あと一歩足りなかった)
試合の序盤から引き離され、ダブルスの速度にようやく追いついたところだったが、序盤のつまずきが最後まで響いた形になる。優勝を決める大きな試合に先手を打たれたプレッシャーは大きくなった。逆に相手は先行した利点を生かしてより強気で攻めてくるはずだった。
「ごめん。相沢」
コートを出てタオルで顔を拭いていると、自然と口から言葉が出た。タオルで顔を覆っているために武の顔は分からないが、驚いた気配が伝わってきた。
(何よ。私が謝るのがそんなに珍しいの?)
自分はどんな人間だと思われているのか気になるが、それは試合が終わった後と切り替える。そうすると、ついさっきまでファーストゲームを取られたことで落ち込んでいた気分が少しだけ上向きになった。
タオルを顔から取ると、隣では武がペットボトルから口を離したところだった。
仲間達は心配そうなそぶりを見せず、武達に絶えず「行ける」「じっくり一本」「まずはストップから」と言葉をかけている。
他の仲間が試合をしている間は武が主にその役を負っていること。自分がされる側になるとやはり嬉しいのだろう。浮かべた笑みに思わずどきりとする。
(ほんと、安心するわ)
自分も自然と顔がほころぶ。ピンチがピンチではないように思え、早坂は一足早くコートへと足を踏み入れた。
次は北北海道の応援のほうが近い場所。
自分達がいた場所を見ながら軽くステップを踏んで体の軽やかさを確認する。
(体はまだまだ動く。有宮と試合したのが嘘みたい)
準決勝で有宮と接戦を繰り広げた後の決勝戦。
いつも通りシングルスに出ていれば更に疲労があっただろう。実際に女子ダブルスに出た姫川はシングルスを終えた後で今まで見たことのないような状態だった。
椅子に座ってうつむいて息を切らせている様はこれまでとは違う戦いだったこと。
そしてチームの勝利のために全力を尽くしたことの表れだった。
(これで最後なんだから。私も出し尽くす)
武がコートに入ってきたところで小刻みのジャンプを止めて、ラケットを掲げて相手のサーブに備える。
四人が自分のポジションについたところで、審判がセカンドゲームの開始を告げた。
四人同時に気合い十分に礼をしてから、坂本は早坂に向けてシャトルを打ち出す。既に身構えている早坂には拒む理由もなく、また不意を突こうとした一撃にも即座に反応して前に出てラケットを振っていた。
「はっ!」
早坂の超反応に坂本も対応しきれず、シャトルがコートへと突き刺さる。
セカンドゲームが始まって数秒の間にサーブ権を早坂は奪い返していた。
あまりにも綺麗に決まったことで誰もが動き出すことを忘れる。
最初に硬直から溶けたのは坂本だった。
自分の足元へと落ちたシャトルを拾い上げて羽を整えると早坂へと返す。
審判がそこで我に返り、サービスオーバーを告げると同時に坂本は西村に向けて言った。
「さあ、ストップしよ!」
「そりゃあな。しないとな」
坂本の切り替えに西村も苦笑いをして応じる。早坂から見てもいいコンビだと思える二人に対抗する気は起きなかったが、触発されたのか武のほうから早坂へと声をかける。
「俺らも。まずは一本だな」
「……そうね」
ドライに言い返すも早坂の心は熱くたぎっていた。
小学生から続けてきたバドミントン。数多くの試合の中でも今のプッシュは間違いなく一番良かったと言える。
ダブルスのサーブリターンという場だからこそ生まれたのか、この空気がそうさせたのか、実力が高まっているのか。
どういう要因かは分からないが、自分のプレイにシングルスとは違ったキレが生まれている。
シャトルを持ってサーブ位置に立ち、バックハンドに構える。
普段ならしない動作だが、これまでの武達の試合や練習の中で堂に入るようになる。
正しいフォームから正しい力加減で打てば、理論的には強打を放たれることはない。早坂は一度息を吸い、吐いてから静かに呟いた。
「一本」
決意を込めたサーブを坂本は早坂と同じようにプッシュする。
だが、ネットにぶつかる危険を感じてか、強打はできなかった。緩やかにコートへと落ちていくのを拾ったのは後ろから出てきた武。そしてロブを打ち上げてから更に前へと出た。
普通のローテーションならばサイドに広がり、サイドバイサイドの陣形でチャンスを待つはず。
だが、武はネット前に陣取ったところで早坂のほうを一瞬だけ見て言った。
「このまま!」
シンプルな言葉の意図するところを理解し、早坂は後方に移動すると腰を落とす。
武が前で自分が後ろのまま止まるということと認識し、攻撃に対して身構える早坂。だが、この陣形のままでは坂本や西村のスマッシュを後方で受け続けることになる。
(いくら私でも厳しい……でも何か理由があるはず)
予想外の行動を武が取ったのなら、おそらくは自分が気付かない範囲に理由があるはず。
実際に後方へと向かった西村からのサイドラインぎりぎりを狙うスマッシュを、早坂は半歩速く踏み出してラケットを振り切った。
シャトルはしっかりとロブが上がり、コート奥を侵略する。
「はっ!」
次にスマッシュを打ってきたのは坂本だった。西村とわざわざスイッチしてまで後衛に回ったのは前衛を西村に任せるからだろう。
今の西村にとっては前衛でヘアピンや相手の後方からのスマッシュのインターセプトというのはそこまで難しくはない。
特に、武くらいの速いスマッシュならまだしも、早坂のならば十分反応して取れるという算段に違いない。
(舐めるな!)
早坂はしっかりとロブをあげて坂本のスマッシュを誘う。
二度、三度と繰り返された後で体勢を立て直すためにハイクリアを坂本は打ってきた。それでもトップアンドバックの陣形は崩さない。
武達と同じように、前衛に男子。後衛に女子というあまり見ない光景が生まれた。
ただ、西村と坂本の場合は前衛の防御力で対抗できると踏んでいるからだろう。
ならばこちらは。
「はぁああっ!」
早坂は落ちてくるシャトルに対して全身でぶつかるように、後ろから前へと体重移動を行った。
スムーズに進む力のベクトル。右腕からラケットヘッドに伝わり、シャトルに叩きつけたところはラケットヘッドの中心だ。
自分の持てる力を全て込めたスマッシュを、全身全霊を込めて相手コートへと突き放す。シャトルはコートの右端を通って相手側へと侵入した。
西村も反応を見せたがこれまでで最速――全試合を含めて最速の一撃がアウトになるかならないかという限界の軌道を通っては取ることは叶わない。
そして、後ろでスマッシュを迎えうった坂本もまた、早坂の全力を取ることはできなかった。
シャトルがコートに勢いよく跳ねてコート外へと飛んでいって転がった。
「ポイント、ワンラブ(1対0)」
「ナイスショット!」
審判の声に被せるように武が早坂へと声をかける。
早坂は手をあげて笑顔を向けてから咳払いをして視線を外した。
いいショットが決まったのは嬉しいが、気を許さずに次に進む。そう決めて次のサーブ位置に向かうと先回りするようにシャトルが飛んできた。
ラケットを遣って絡め取り、羽を整えてから身構えると既に西村はレシーブ位置でラケットを掲げていた。
「無理しなくていいからな」
「何? ショートサーブだとプッシュ打たれるって?」
後ろから声をかけてくる武に向けて一瞥しながら告げると、武は両手をあげて後方へと移動して腰を落とした。
早坂の選択に異論はないということだろうと判断して、サインを送る。
親指を立てたロングサーブのサインに武がどう思ったのかは、顔が見えないため分からない。
(流れは立ちきらない。私の実力じゃ西村にシャトルを叩き落とされるのが落ちね)
早坂はシャトルをラケット面の前に出すとすかさずロングサーブを打っていた。
即座に後ろへと移動し、代わりに武が前に出る。しばらくは武が前衛という約束は忘れてはいない。
西村はシャトルに向けて左手を掲げてからスマッシュを放った。
右腕の動きを早坂が追いきれないほど。だが、サイドライン際ではなく中央寄りで、武が咄嗟に出したラケットがネット前へのヘアピンになった。
「美羽!」
後方から叫んだ西村の声に反応して坂本が前に出る。
ラケットを伸ばしてシャトルに触れ、武がいるのを確認してロブを上げようとした。だが、武がストレートの軌道にラケットを伸ばしてコースを塞ぐのを見たからか、坂本は直前でクロスヘアピンに変更したようだった。
武から離れるように逆サイドへと流れていくシャトル。早坂も武の体がちょうどブラインドになって反応が遅れる。
しかし、武が着地した後の動きは早坂の想定を超えて速かった。
「うおおおおあああ!」
既に白帯を越えて落ちていくだけのシャトルをバックハンドで捉えた武だったが、坂本も油断せずに浮かんだところを叩こうと移動している。その様子を確認したからか、武は右足を踏み込み、ラケットは固定したままでシャトルをストレートヘアピンで打ち返した。
白帯を越えてからは全く浮かばず、分かっていて追いついたはずの坂本も強打することが出来ない。まっすぐ緩やかに進んできたシャトルには早坂も反応できた。
「はっ!」
狙うのはロブ、ではなく逆サイドのネット前。
坂本を前に釘づけにすれば西村が前に出てくる機会もないはず。一か八かではあったが、武の前衛の動きを見て十分勝算がある賭けだと分かって挑む。
(今の相沢の前衛なら、勝てる!)
後方からのスマッシュばかり印象に残るが、今や武も吉田に負けないくらい前衛の動きのキレを見せていた。
浮かないヘアピン。相手の動きを読む精度。かつて弱点だった前衛も今は武器になっている。
武を信頼してのクロスショットでシャトルは右端へと進み、坂本と武はほぼ同時に追った。
坂本は入ってくるだろうシャトルを。武はその坂本が打ち返すシャトルを叩きつけるために。
「はっ!」
「おらっ!」
早坂が聞いた音はほぼ一つだった。
シャトルがガットにぶつかる音。そして、コートに叩きつけられる音。
気付いた時にはシャトルはコートを転がってラリーは終わっていたのだ。
西村達の側へと落ちて。
「ポ、ポイント。ツーラブ(2対0)」
審判も今の光景に目を白黒させている。結果を見れば、武が坂本のロブを完璧なタイミングでインターセプトして叩き落としたということだろう。
坂本は自分の背後に転がるシャトルを一瞥してため息をついてから拾い、羽を整える。武はその間にレシーブ位置に戻っており、次には早坂へとシャトルが飛んできた。
「ナイス、インターセプト」
「サンキュ」
武に向けて労ってからサーブのために前に出ると、背中から小さく声が届く。武が少し近づいて自分達だけに聞こえるようにしてきたらしい。
「西村を後衛に追いやる。前は俺がカバーするから、早坂は後方からスマッシュを」
「了解」
最後まで言わせない。今の攻防で武が言おうとしていることは十分に伝わった。
君長を倒すために得たスマッシュの力は、もう彼女のためだけではなく全ての試合に勝つために必要な武器。十二分に生かしていくだけだ。
「一本!」
「おう!」
気合いを込めて宣言し、身構える坂本へとショートサーブを打つ。
坂本はプッシュを打とうとしたが出来ずに、ストレートのヘアピンに落ち着かせる。早坂はしっかりとロブを上げて武に前衛を任せて後方へと回った。
ロブに対して向かった西村は飛び上がり、ジャンピングスマッシュでシャトルをえぐりこませてくる。軌道はクロス。武はストレートと思ったのか一瞬だけ動きが止まり、次にラケットを伸ばしても空間を切り裂いていくシャトルにラケットを届かせることが出来なかった。
早坂も後方に下がってから身構えた瞬間にやってきたシャトルには反応できず、着弾を許してしまう。審判がセカンドサーブを告げる声を聞き流してシャトルを拾い、羽を整えた。
(今のは……私のレシーブが少し甘かったんだ。しっかりと奥に、高く上げないと)
ネット前で坂本のヘアピンを打ち返した時の軌道が甘かった。飛距離はあっても高さがほんの少し低くなる。そこを見極めて飛び上がった西村はそのままシャトルを渾身の力を込めて叩きつけたのだ。真正面だと武も早坂も取れる可能性があるために、クロスで。
クロスでも武が取れるかもしれなかったが、あの速度は反応しきれないと分かっていたのかもしれない。
(西村へと上げる時はもっともっとシビアにならないと)
君長や有宮との試合の感覚が体の奥から蘇る。
ダブルスのテンポやパートナーがいることに慣れた後は、自分の力を最も引き出した時を思い出してブレンドさせる。
武がサーブを打つために前に出たところで後方に回り、腰を落とす。武のサーブのサインがショートだったことに一つ頷き、西村から来るであろうプッシュへと備えた。
「一本!」
武の咆哮と同時に放たれるショートサーブ。早坂は打ってくる確率が高そうなストレート側へと体を移動させた。武はネット前中央に陣取ってラケットを構えることでクロスのプッシュやヘアピンに備えている。そこで放たれた西村のクロスヘアピンは、コートの右から左端へとネット前を切り裂いていった。武は懸命に追ってかろうじてシャトルに触れてロブをあげる。体勢を崩した後すぐに前衛の中央へと戻り、早坂も縦に並んだ。
(なんてヘアピン打つのよ……西村)
武が触れることが出来たのは偶然だろうと早坂には分かった。武もまた理解しているだろう。
それでも取ることが出来たならば次に繋がる。
「やっ!」
坂本のスマッシュがストレートに打ちこまれる。しかし、シャトルがネットを越えた瞬間に武のラケットがインターセプトしていた。威力だけで跳ね返されたシャトルだったが、更に西村が回り込んでおり、ロブを打ち上げようとラケットを振りかぶる。
「このっ!」
武のラケットが西村のロブの軌道上に置かれるが、今度はシャトルに触れることはなかった。ストレートヘアピンで返ってきたシャトルは武が着地するのとほぼ同時に足元へと転がっていた。
「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」
武は西村を一瞥してから戻ってくる。早坂は冷静に「ドンマイ」と声をかけてからレシーブ位置へと移動した。今度はまた坂本からのサーブ。早坂はひとつ前のラリーのことは忘れて、点をやらないことだけに意識を集中させる。
(前衛は西村が相沢や私より上。なら、やっぱり坂本を前に出させないとね)
どのように配球を組み立てるか脳内でシミュレートしていく。相手の行動、思考を読み、打つ軌道を確定させる。
「ストップ!」
サーブ体勢を取る坂本の前で早坂は吼える。今度こそゲームを奪うと。
決勝戦第五試合 セカンドゲーム
2対0で相沢・早坂組リード。
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