Fly Up! 329

モドル | ススム | モクジ
 小島のスマッシュを受けた淺川はネット前に最短距離で落とそうとする。
 その場所を完全に読み切っていた小島は前に出てロブを上げるとコート中央に腰を落とす。
 全方位へ即座に移動できる状態を保った上で淺川の次のショットを読む。
 体やラケットの動きからクロスのスマッシュと読んで右に移動する直前、小島は頭の中にノイズが走った。咄嗟に逆サイドに切り返すと同時に小島が進む方向へのドロップが放たれる。
 時間を止めるドロップ、と心の中で名付けた軌道。それもほとんど確実にラケットを伸ばして取れるようになってきていた。無論、確実ということはありえないが、今のところは全て成功している。
 小島はラケットを水平に立ててシャトルがネットを越えた瞬間にスライスさせる。スピンがかかったシャトルが相手コートに落ちていくのを堂々と立って見ていた。

「ポイント。イレブンフォーティーン(11対14)」

 14対5と追い詰められた状態からサーブ権を取り返した時から連続して六得点。いずれも淺川のドロップを読んで動き、淺川が来る前に相手コートに落とすことを繰り返した結果だ。追い詰められるまで止めることが出来なかったドロップを、ギリギリになって攻略できている。

(このまま行くとは流石に考えていないが……いい調子だ)

 すぐ傍に落ちているシャトルを自分で引きよせて手に持つと、サーブ位置へと向かう。
 このまま行くと考えていないのは本当だが、まずは追いついてセティングに持ち込むところから始めなければこのゲームを取れるかどうかの土俵にも上がれない。あくまで勢いで押せているのであって、実力で上回っていると考えない方がいいと考えていた。

(いや、実際に。あいつのほうがまだ力は上のはずだ……俺はあいつに届いていない)

 試合をしてきた中で冷静に分析する。自分はまだ淺川の実力には届いていない。だが、必ず強い方が勝つとは限らない。

(そうだろう、吉田。相沢)

 ダブルスで格上の相手を次々と倒してきた武と吉田を脳裏に思い描く。
 自分にとってようやく現れた格上の相手。力と技と知恵を全てぶつけても勝てないかもしれない相手を前にして、心は苦痛よりも歓喜に震える。
 必ず最後には倒してやるという気迫と共にシャトルを打ち上げる。最初のサーブから既にラリーの組み立てに用いる。無駄な一打など一つもなく、全てが最終的に相手コートへとシャトルを落とすための流れ。そこまで普段は意識しているわけではないが、今回の相手はそれだけのことをしなければ勝利には届かない。

「はっ!」

 淺川からのスマッシュに素早く追いつけたことでドライブ気味に打ち返す。圧倒的に速いはずのスマッシュにも反応できていることが、戦えていることの理由の一つだろう。
 そして、もう一つの理由。
 淺川が返ってきたシャトルをクリアで打ち返し、小島は追いつくとハイクリアでコート奥へと追いやる。中途半端な位置でスマッシュを打たせないことも戦略として機能しており、その距離が淺川の動きをより鋭く感じ取らせる。

(次は……どっちだ!)

 高く上がったシャトルに対してロックオンする淺川。そこから鋭い腕の振りによってスマッシュとドロップを打ち分ける。
 スマッシュとのあまりの落差によって体と脳は剥離を起こし、全く動けないままドロップで落ちていくシャトルの軌道を見ていくしかなかった。だが、14点目の時に小島はほんのわずかな違いを見極めた。
 ラケットを後ろに引き、左掌をシャトルへとかざす。その映像がこれまでの構えにはまらず、小島の中にノイズを生じさせる。

(ドロップ!)

 思った瞬間には足が前に出ている。淺川から放たれたのはドロップだと完全に予想を成功させてラケットを前に出し、シャトルをヘアピンで落とす。一点前と同じく淺川はドロップを打った場所からは動かずにその様子を見ているしかできないのか、転がったシャトルを見て笑っていた。

(手も足も出なくて、自嘲的な笑み。ならいいんだけどな)

 小島はシャトルを拾い上げてサーブ位置に戻る。遂に12点目であと2点あれば追いつく。セティングに追い込めばジュニア大会と同様になる。その時とは違うことを見せつけるために一ゲーム目を掴み取る。
 そのことを考えてサーブ姿勢を整える。

(あいつはドロップを打つ時に、スマッシュよりも左腕の位置が違ってる。相手の動きを見るために全身を視界に入れるようにしてたから分かったことなのかもな。実際に試して正しいことも分かった。それでも)

 小島は体内に溜まった熱した空気を全て吐き出すように、思いきり呼気を放出してから短く息を吸った。体育館に充満している空気を肺に入れるとそれまでの熱く淀んだ空気は消え去り、体の中身が入れ替わったようなイメージが生まれた。
 勝とうと逸る気持ちを制御して、一点ずつ積み重ねる良いイメージが生まれた瞬間に「一本!」と叫び、シャトルを打ちあげる。
 シャトルを打ち上げてコート中央に陣取る。何度も繰り返した行動に続けて淺川の姿をとらえると、シャトルの落下地点で両足をそろえて前に飛んでいた。そして落ちてきたシャトルへとラケットを叩きつける。
 これまでのスマッシュに加えて角度までついていたが、今の小島には取ることはそこまで難しくはない。コートの外から見ても相当の速さを持っていたが、小島の防御は貫けていない。

「はあっ!」

 ロブで高く返したところで、また淺川がジャンプして打ってくる。ジャンプして打つための足腰の強さと体力があってこその攻撃だが、淺川が四回、五回と連続して打ってくることからも常人ではありえないような力を発揮する。
 だが、今の小島も十分に常人以上の力を発揮していた。
 視覚や経験則による先読みによる結果だが、小島の感覚では全身の毛穴が開き、試合を構成する全ての情報が自分の中へと流れ込んでくるような錯覚を得ていた。コートの中の三次元情報をすべて取り込み、その上で相手の動きから次のシャトルを予測する。スマッシュの角度も一回一回異なっており、同じように取りに行けばフレームショットをしてしまうだろうが、小島はその些細な違いも感じ取り、ラケットの軌道を微妙に変える。
 高次元の打ち合いに応援の声は静まり、観客席からも緊張をはらんだ視線がコートへと降り注ぐ。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュから続けてのドロップ。小島だけではなく誰もが時が止まったと錯覚するであろう動きをするシャトルに対して、小島は即座に飛び込んでいた。ラケットヘッドを立ててプッシュの体勢を取ったもののぎりぎりでプッシュならず、少しだけ押してヘアピンで落とすだけ。淺川はそこで生じたタイムラグを利用してネット前まで移動し、ロブを高く上げる。小島は跳ねるように移動してシャトルの下まで来ると、そのまま後ろ方向へとジャンプした。

「はあ!!」

 力を抜いてラケットを振りかぶり、前に振り切る瞬間に力を込める。
 筋肉が緩みから緊張へ切り替わる時に生まれる力を利用してシャトルを弾くと右サイドへと急角度で落ちていく。
 宙空から着地して、すぐに前に進むと淺川がとったシャトルがクロスヘアピンで打ち返されていた。小島はバックハンドでラケットを伸ばし、打つ直前まで淺川の姿を視界に収める。自分を見ていることに気づいたのか、淺川もまた小島へ視線を向けたままネット前から動かない。前方へと体を伸ばしているため、ロブを強く打つことはできないと考えているのかもしれなかった。

(そう思ってるだろうが……打つ!)

 小島は右足の踏み込みを強くして、ラケットを打つ瞬間に右腕全体の力を手首へと集中させた。そのままシャトルがラケットヘッドに当たった瞬間に跳ね上げた。
 シャトルが力強くコート奥へと飛んでいくのを見て淺川も後を追っていく。その顔には動揺は見られない。おそらくは追いつけるから問題ないのだろうが、隙を作る伏線にはなりえる。

(あと、一つ……)

 奥へと飛んだシャトルに追いついてハイクリアを放ってきた淺川はコート中央へと戻る。ラリーを続ける中での小休止。体勢を立て直そうとしているのは、淺川。
 そこに小島は攻撃を一点集中させた。

「おっら!」

 自然と声は出ていた。自分の咆哮する様子が刈田に似ていると思ってもそれを苦笑いする時間もない。シャトルが淺川の胴体へと飛び、それをストレートのドライブで打ち返した瞬間に小島のラケットはシャトルをとらえていた。

「!?」

 ネット越しから見える淺川の顔に、初めて浮かぶ驚愕。
 完全に次に打ち返す軌道を読み切った上でのプッシュは、淺川の股下へとシャトルを通していた。自分の体の傍に来ても全く反応できなかったことが、淺川の感覚を小島が超えていたことを証明する。少なくとも、今のラリーだけは。

「ポイント……サーティーンフォーティーン(13対14)」

 遂に一点差。武達が小島へと声援を送る中で、逆に小島は心を静めていく。それはコートに立っている自分にしか分からないかもしれない感覚。足元からじとりと、何かが巻きついてくるような感覚に抗うためだった。

「よし!」

 その声は武達がかける応援の声に差し挟まれるように聞こえてきた。不思議と既視感を覚えた小島だったが、すぐに思い至る。
 この試合の中で前に一度、その言葉を聞いていた。同じようなテンションで、同じように。
 そこから、自分はあっという間に差を広げられたのだ。

(何かを狙ってくるのか? それとも何か俺に攻めに弱点でも見つけたか?)

 得点は13対14と一点差。あと一点、小島がとってしまえばセティングまで持ち込める。このタイミングで声を出してきた淺川の行動は作戦なのか、それとも何かを悟ったのか。

(奴に限ってハッタリってことはないだろうしな……ハッタリだったら楽だろうけど、警戒するしかない)

 真意はどうであれ、最悪の展開を想起する。すなわち、自分の攻めに何か弱点を見つけたために声を出し、次から実践してくるということ。あと1点で首の皮一枚繋がるというタイミングでサービスオーバーとなれば精神的なダメージが大きくなるのは避けられない。もっと早いタイミングで淺川からの合図がなかったのは、狙っていたのか本当にここまで時間がかかったのか。
 それさえも、もう考えることではなかった。
 今、小島に必要なのは次の攻めで一点取ること。
 そのことだけに力を注ぐと決めてシャトルを取る。

「一本!」

 シャトルを打ち上げてコート中央に腰を落とす。行うことはそれまでと変わらない。相手の打ってくるシャトルを全ての感覚器官を総動員するようなイメージで感じ取り、反応して打ち返すこと。
 小島はラケットを振りかぶりシャトルへ左手を伸ばす。ノイズが走らないことから小島はスマッシュを判断してかすかにラケットを右側へと広げた。

「はぁああ!!」

 淺川の体から信じられないほどの音量が響く。張りのある声が轟き、小島へと吹きつけた瞬間に、シャトルの存在を見失った。

(なんだって……?)

 とっさに右方向へとラケットを伸ばす。しかし、ラケットにシャトルは掠ることなく、バックハンド側のネット前に鋭く落ちていた。

「サービスオーバー。フォーティーンゲームポイント、サーティーン(14対13)」

 あまりのことに場が静まりかえる。北北海道側も何が起こったのか判断できなかったのか、数秒遅れてから「ナイスショット!」と淺川へと声援を送った。
 小島は体勢を戻して逆サイドに落ちたシャトルを見ていたが、取りに行かなければと思いなおして歩き出す。しかし、淺川が手をあげて小島を制してから自分でシャトルを拾い上げた。

「ラスト一本」

 先ほど咆哮した男と同一人物とは思えないほど穏やかに、一ゲームの終わりを紡ぐ淺川。小島はレシーブ位置について出来る限り心を落ち着かせて思考を巡らせる。

(多分だが……見えたぞ、淺川ぁ。やってくれたな)

 小島は淺川がしかけたトリックに気づいて舌打ちする。気持ちを切り替えて迎え撃たなければ一ゲームをやすやすと奪われてしまうことは分かっていたため、頭を振って脛にラケットを打ちつけると鋭く息を吐く。そのまま「ストップ!」と鋭く吼えて、ラケットを掲げた。

(ここまで読ま……せたことを前提にして。打つ時の癖を変えてくるとはな)

 サーブが打ち上げられ、小島は思考整理の時間を稼ぐために遠くへとシャトルを打ち上げる。コート奥までシャトルを追う中で時間を確保し、次の行動を取るための現状を整理する。

(スマッシュを打つモーションだった。いや、ドロップを打つ時のノイズが、聞こえなかった。でも、ノイズがないままドロップを打ってきた)

 自分がドロップになれたということではない。あくまで小島はスマッシュを打とうとする淺川のモーションを基準として、それと異なる場合に頭にノイズが走っていた。その違いによって、小島はショットの打ち分けを感じ取り、反応で来ていたのだ。
 けして速さに対して目で見てから反応していたわけではない。視覚だけで速いスマッシュと遅いドロップどちらかに合わせていればもう一方には反応できない。たいていの相手ならば問題ないが、淺川クラスには通じないのだ。

「ふん!」

 淺川がハイクリアでシャトルをストレートに飛ばしてくる。小島は再度、今度はクロスにハイクリアを打って時間を稼ぐ。突破口をどうするか。その光を見つけなければ、押し切られるかもしれない。

「おぉおおおお!!」

 再び咆哮がコートを突き抜ける。渾身の力を込めたスマッシュ、のように感じ取れたドロップショットがネット前までシャトルを運んでいく。小島はバランスを崩してコートに膝をついたが、そこから強引に体を起こしてラケットを伸ばした。

「うぉおおらああ!」

 負けじと声を張り上げてラケットを出した小島だったが、その伸ばした先からシャトルが消える。このまま進めば交差するはずだった二つの軌道のうち、シャトルがネットの白帯にぶつかって軌道を変えていた。
 ただ軌道が変わったならラケットをスライドさせることもできたが、ぶつかったことで勢いまで完全に消されてタイミングを外されてしまう。
 シャトルはラケットのフレームを掠って、コートへと落ちていた。

「ぽ、ポイント……フィフティーンサーティーン(15対13)。チェンジエンド」

 最後まで気を引き締めて臨んだにもかかわらず、十五点目は淺川へと入っていた。
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