Fly Up! 328

モドル | ススム | モクジ
(くっ!?)

 ラケットを精一杯伸ばしてようやく取れたシャトルは、弱々しくネット前に飛んで行く。シャトルの先に瞬時に現れた淺川は小島のいる場所をゆっくりと確認すると、逆方向へとシャトルを打った。そこまで速さがないまま――スマッシュから比べたらという程度――で小島から離れるように打たれているため、必死になって追いつく。並のプレイヤーならば既に点を取られて次のラリーに進んでいるが、小島は集中力を高めたことで見定めたコースへと動き、かろうじて追いついている。
 ある種の未来予知に近い先読みの力でも、ギリギリの攻防にも小島は焦燥を抱くことはなかった。
 そんな余計なことを考えていては、ラリーは終わっている。

(スマッシュだけなら……なんとかなるんだけどな!)

 思いきりバックハンドでラケットを振り切ってシャトルを上げる。コート奥へとしっかり上げたことで時間が生まれ、小島はネット前も後ろにも移動できるように備える。それでも、淺川のドロップには動きを止めてしまう。

「はっ!」

 スマッシュと同じようなラケットの振りから放たれるドロップ。カットドロップも打ってきているがそれは取れる。しかし、シャトルに対してスマッシュを打つようにラケットを当て、インパクトの瞬間に力を完全に抜いて放つ通常のドロップ。それは滞空時間が長くなるため小島ならば虚を突かれても取れるはずだった。

「ぐっ……!」

 小島は動くことができないままシャトルがネットを越えてコートに落ちていくのを見守るしかできない。だが、この時だけは腕が一瞬動いて咄嗟に前に差し出すくらいはできた。コート中央から右側ネット前に落ちたシャトルまでの距離はかなりあるため、届くわけがない。それでもこれまでは全く動くことが出来なかったのだから動けたのは進歩かもしれないと小島は切り替える。

(あのドロップを取れないのは……本当かどうかは分からないけど、分かる)

 得点を見ると、11対5となっている。
 サーブ権を奪われてから連続十一得点。強烈なスマッシュと時が止まった中を進むようなドロップを織り交ぜた淺川の攻撃に小島はことごとくシャトルをコートに落としてしまっていた。おそらくはこの大会の参加者全てを上回る高速スマッシュを、小島は淺川の動きから推理して一度も決めさせていない。しかし、次に放たれるドロップには体が完全に停止して、喰らいつくことさえできない。さっきようやく腕だけが呪縛から解放されているありさまだ。

(癪だけど、認めるしかないな。淺川は別に特別なことをしてるわけじゃない)

 自分の側に落ちたシャトルをラケットで拾い上げて羽根を整えながら、小島は自分を落ち着かせる。淺川は小島を惑わすための特別なことなどしてない。ただ、強いスマッシュを打った後で真逆の弱く遅いショットを放つと、タイミングを外せるというシンプルな考えから戦法を決めている。
 淺川は小島が驚くほどの基本的な戦術で挑んできている。トリッキーなプレイをしないだけ、動きも読みやすい。
 それでも、淺川は負けないのだろうと小島は考えてしまう。
 それはジュニア大会の時には感じる余裕もなかったこと。だが、今は淺川のプレイスタイルや、おそらくは表面的な思考も感じられる。

「一本」

 謡うように告げた淺川はシャトルを高く遠くへ打ち上げる。
 しっかりとコート奥へと飛ばされるシャトル。小島も同様のシャトルは打っているが、淺川のほうがわずかに高いように思える。コートの一番後ろ。後のサーブラインを跨いでから小島はラケットを構える。アウトの可能性もあるがそこは打った人間が淺川亮。迷わずに小島はハイクリアを打ち返した。渾身の力を込めたことで淺川と同程度の飛距離を出してコート奥へと追いやった。そこからート中央に腰を下ろして淺川の次の手を待つ。

「はあっ!」

 ラケットが振り切られて高速スマッシュで打ち込まれたシャトルが、小島の胴体に一瞬で出現する。それが自分の作り出した錯覚だとは分かっていたため、最短距離でバックハンドに持ち替えたラケットヘッドを出すと、右側ネット前に打ち返した。
 小島から見て左奥は、スマッシュを打った小島から見れば対角線になっている。最も遠い位置に対してスマッシュ直後に体を硬直させた淺川が届くのは常識で考えれば難しい。
 しかし、距離は淺川の前では消滅する。淺川はシャトルが返されたことを知ると大きく足を踏み出して斜めにコートを突っ切っていった。ラケットヘッドを伸ばしてヘアピンをかけて、小島もまたラケットを前に突き出しながらネット前へと詰めた。

「おらっ!」

 落ちようとするシャトルのコック部分の下に小島はラケットを滑り込ませてスライスする。スピンがかかったシャトルはネットを越えて向こう側へと落ちる前に、淺川がハイクリアを上げた。前衛での勝負を逃げているようにも思えるが、単に大味な展開が好きなのかもしれないと小島は頭の片隅で思う。

「うぉおおおら!」
 
 自分の出した咆哮が後押しをするように、シャトルをスマッシュで淺川の胸部へと打ち込む。最も取りづらい場所を狙えたはずだったが淺川は意に介さずロブを上げる。
 三度、四度、五度とスマッシュを打ち込んでいっても淺川の防御は破れない。六度目のスマッシュで打ち込んだシャトルは淺川のバックハンドでネット前に運ばれる。だが、淺川はそのシャトルに追いつこうともせずに足を止めてしまった。

(あ……)

 シャトルがネットを越えて落ちる。その光景は十一点目の時と変わらない。だが、起きた現象は少し異なっている。相手の攻撃の最中でのフェイント。今度は逆に自分が思いきりシャトルを打ち込んでいる状況で隙間を捉えられたかのようにレシーブされた。

「ポイント。トゥエルブファイブ(12対5)」

 着々と相手に積み上げられていく点。遠ざかる勝利の可能性。良い様に操られているような自分を許せずに小島は軽く頭を拳で叩いた。こめかみの所に拳をぶつけると痛みが自分を落ち着かせてくれる。特に今回は、小島は自分プレイをさせてもらえていない。自分の空間を侵食されているようだと感じていた。

(でもこの感じは……ジュニア大会の時には、なかった)

 まだ数か月前という近い過去。小島は淺川に敗れた時のことを思い出す。
 その時も接戦ではあったが、見えない壁に完全に阻まれていた。その壁の内側に行かなければ本当に淺川と勝負することはできないだろう。
 見えない壁を突き抜けるために過ごした数か月。その効果が表れているのか、小島は考える。

「ストップだ」

 シャトルを相手に返して鋭く呟く。小島の言葉に対して笑みを浮かべて「一本」と呟く淺川。
 短いやりとりの中で小島は過去と違う点を見つけた。

(あいつ、前ってこんな感じに試合してたか?)

 自分を最初に負かした時の淺川はどんな様子だったか。どんなショットを打たれて負けたということは覚えているが、表情や試合の間に感じたことというのは忘れがちだ。深く考えると時間がなくなるため、小島はひとまず横に置く。
 過去にどういう雰囲気で試合をしていたかというのはさほど問題ではない。今はまだ、現在の情報を集めて対処法を見つけ出すしかない。
 強打とドロップを組み合わせた淺川の戦法にどう対処するか。小島は自分の状態を確認しながら考える。

(流石に体が慣れてきて、反応はできるようになってきた。でも、もう一つ、足りない)

 淺川のリズムに慣れてきたこともあり、硬直から回復する速度は上がっている。だが、それだけではラケットを伸ばすだけで届かせることまではできない。
 もう一つ、淺川がシャトルを打つ時の癖など、スマッシュかドロップかを予測できる要素が必要だった。完全に当たらなくても、高確率で見つけられる癖があれば、覚悟が体を動かす。

「はっ!」

 淺川が笑顔でシャトルを打ち上げる。表情が明るいことに小島は内心で舌打ちをしながらシャトルを追う。渾身の力を込めてスマッシュを打っても淺川は難なく返してくるため、全力の使いどころは慎重に選ばなければいけなかった。しかし、カウンターを恐れて待っている内に攻められてここまでの差が付いている。

(お前の顔を……歪ませる!)

 小島はラケットを振り、シャトルにラケットヘッドが当たる瞬間に力を集中させた。シャトルはこれまでよりも高い破裂音と共に淺川のコートへと突き進んでいく。笑顔だった淺川が眉をひそめながらクロスレシーブを放った先に、すでに小島は回り込んでいる。

「――っ」

 完全に回り込んでの一撃。だが、シャトルを打つ前に小島はこのショットが失敗すると悟っていた。何がそう思わせたのか自分さえも分からない。勝手に浮かび上がってきた失敗のイメージ。その感覚の通りに、シャトルはネットの白帯にぶつかって落ちていた。

「ポイント。サーティーンファイブ(13対5)」

 審判はそう言って自分の傍だったこともありシャトルを拾う。そして、羽根が折れているのを見て、新しいシャトルを淺川へと渡していた。

(そっか……羽根が壊れてたから……だとすると)

 自分がどうして失敗するのか。そのイメージが、羽根が壊れたシャトルから発生したものだとするならば、それはシャトルを打ち合う中で自分に入ってきた情報を無意識に処理していた証。ならば、淺川の動きの中にもヒントが隠されているかもしれない。
 シャトルの軌道や立ち位置だけではなく、淺川の全身をくまなく視界に収めて違いを見極める。

(そんなの無理だろ……でもやるしかないくらい相手が強いなら、やるしかないな)

 あと二点で一ゲーム目は終わってしまう。小島は取られるつもりなど全くなかったが、万が一奪われてしまうならば、少しでも次に繋げる試合をしなければいけない。そこまで考えて小島は一度頬を張る。

(何が次に繋げる、だ。一ゲーム目を、俺は取る!)

 少しの隙もなく、ただ一ゲーム目を取るためにだけ意識を集中させる。
 雑念を払い、全ての力を淺川の一挙一足へ向けると、雑音さえも聞こえなくなった。

「一本!」

 まるで淺川と自分しかいない世界に来たかのように、ほぼ無音の世界でシャトルを打ち合う音だけが響く。淺川のスマッシュを取ってストレートにヘアピンで返し、そこに飛び込んできてクロスヘアピンを打った淺川を横目に入れつつもシャトルを追い、ロブを上げる。
 コート後方へとシャトルを追っていった淺川は飛びあがって、スマッシュをストレートに打ち込んできた。
 今回、淺川が初めて見せるジャンピングスマッシュ。 通常のスマッシュでも最速だったが、ジャンプしてタイミングを合わせることでより速い一撃が放たれた。

「はあ!」

 だが、小島はベストのタイミングでクロスに打ち返していた。シャトルは低い弾道で淺川がいる場所の逆サイドへと飛んで行く。そのシャトルに追いついて拾うのは無論想定内。次のシャトルの弾道がロブというのも、想定内だ。

(ここで、ハイクリア……)

 小島の方はスマッシュを打ってたタイミングでハイクリアを打つ。遠くにしっかりと打ち込んでいるとはいえ、スマッシュを打つには絶好のシャトル。どんな些細な違いも見つけるようにと睨みつけた。

「はっ!」

 淺川が打ったのはスマッシュ。小島の体に向けてのものだったが、角度が付きづらく距離もある後方からのスマッシュだったことで、しっかりと返せた。問題はこの次だ。

(フェイントでいれてくるなら、こい!)

 腰を落としてつま先立ち。これまでと同じように、ドロップが来ても止めるというように下半身を準備する。そんな小島のコートへと、淺川はドロップを放っていた。また時が止まったかのような錯覚。ラケットを伸ばし、足を踏み出してシャトルへと向かうものの、シャトル三つ分を残してコートへと落ちていた。

「ポイント。フォーティーンゲームポイントファイブ(14対5)」

 シャトルを拾うために歩く中、審判の声が耳に入る。遂にゲームポイント。一ゲーム目を取られるかどうかの瀬戸際。それでも、小島は込み上げる衝動を抑えずに笑った。

(捕えた)

 笑みをあえて淺川に見せるように顔を上げる。視界に入った小島の笑みに何を感じたのか、淺川は首を傾げてからサーブ位置に戻る。スコアを見れば絶対的に不利な状況。あと一点取られれば一ゲーム目を落としてしまう状況で笑っていられるのは、諦めか楽観か。
 それでも淺川の表情は引き締まり、最後の一点を取りに行こうとしている。小島も笑みをしまうとラケットを掲げて吼える。

「ストップ!」
「一本!」

 小島の声に被せるように淺川が咆哮してシャトルを打ち上げる。一ゲーム通してぶれない天井サーブ。高く遠く、放物線を描いて飛んでいくシャトルに対して小島は真下に入り込む。アウトになるということは全く考えない。そこからハイクリアでシャトルを放ち、コート中央へと移動してから腰を落とす。自分から攻めるのではなくカウンターを選んだ小島にコート外からざわつきが届くが、今の小島には右から左へ過ぎていく。

(――スマッシュ)

 淺川がラケットを振り切る前に脳内であたりをつける。ラケットをバックハンド側に構えるとそちらの方向へシャトルがストレートに突き進んできた。小島はラケットを振り切ってロブを淺川がいる場所へと打ち上げる。
 タイミングの誤りでもコースのミスでもなく、確信を持って淺川に向けて打ち返す。次に構えてシャトルを打とうとする淺川のフォロースルーと、全身を視界にいっぱいに映した小島の脳裏に一瞬だけノイズが走る。ノイズに従って前に出たところで、淺川がふわりとしたドロップをネット前へと打ってきた。ちょうど小島が走っている方向へと。

「らあっ!」

 小島はラケットを立ててシャトルを軽く押し出す。鋭く落とされたシャトルはコートへと着弾する。淺川は打ち終わってから移動が遅れたのか、着地した場所から一歩も動けていなかった。

「サービスオーバー。ファイブフォーティーン(5対14)」
「っし!」

 小島がサーブ権を取りかえしたことでメンバーからも拍手が沸き起こる。声に誘われるように振り向くと最初に飛び込んだのは早坂の顔。不安そうな表情でも瞳は強い光が灯っている。勝つことを信じているが、それでもこの状況はかなり苦しいと見ていたのだろうと思い、小島は胸を張ってレシーブ位置に歩きだす。

(あんな表情はさせたくないな。見せてやるぜ、早坂)

 サーブ位置について淺川の方を振り向くと同時にシャトルが飛んでくる。宙空で掴み、サーブの体勢に移行する。

「一本だ!」

 さっきまでも闘志は出してきたが、更に爆発させるように溢れさせて、小島はサーブを放った。反撃の狼煙のようにシャトルは淺川のコートの奥深くへと飛んで行った。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2017 sekiya akatsuki All rights reserved.