Fly Up! 32
「へー、若ちゃんに彼氏かぁ」
「何も聞いてない?」
若葉からの告白を受けた次の日、昼休みの教室には顔を突き合わせている武と由奈がいた。給食で満たされた胃袋から来る眠気を外に逃がしつつ、情報を得ようと頭は回る。
だが、腕を組んで斜め上に視線を向けた由奈の顔を見て、武は落胆に肩を落とした。知っているような気配ではない。
「うん。分からない。同じクラスかな?」
「まさかバド部の男子? 先輩?」
次々と浮かぶ顔。杉田か、まさか林か。はたまた大地か。それとも金田なのか?
二年生の実力者の顔が頭を過ぎった。
そこで、由奈から返答が帰ってこないことに気づき、いつしか俯いていた顔を上げて由奈の顔を見る。その視線は最初、自分を正面から見た状態から斜め上を見ていたが、今は廊下を見ている。
(廊下?)
廊下、といっても武達から見えるのは教室と廊下を隔てる扉から覗ける光景だけだ。
自然と対角線にある、前方の扉のほうへと視線を向ける。
そこを通り過ぎる、若葉と男の姿。
「!!?」
思い切り立ち上がるも、椅子がひっかかり膝を痛打する。鈍い物音に教室に残っていた何人もの級友が一斉に武達を見て、二人は苦笑いしながらその場から去っていく。
武は痛みをこらえつつ廊下に出たが、一瞬若葉の背中が見えるも相手を特定することは出来なかった。
「多分、バド部じゃなくて同じクラスよね」
「そっか」
ため息混じりの声。それがおかしいのか、由奈は笑いをこらえきれずに口元を手で抑えて浮かんだ考えを口にする。
「武。妹が取られるってショックなんじゃないの?」
「それは違うな。自分でもどれか分からないけど」
収まってきた膝の痛みを更に抑えるため、さすり続けながらも答えは淀まない。
「今までもあいつ、何人かと付き合ったし」
小学生の時から男子に人気があった若葉。何人も単なる好き嫌いではなく、恋人としての付き合ってきた。もし妹を取られるというなら、過去などいくら怒っても足りない。
(もしかして。前よりも、羨ましい?)
若葉が彼氏と付き合った時のことをいくつか脳裏に描き出す。学校で見たことがあっただけもあれば、家にまで相手がやってきたこともある。しかし、武は記憶の中に羨ましいなどの感情を見つけることは出来なかった。
代わりに見つけたのは「無関心」という名前がついたもの。
彼氏彼女の付き合いなど興味が無い。小学生の頃の武が興味を持っていたのは、バドミントンに友達との遊び。アニメや漫画といったものだ。
友情を求めていたが、恋愛感情は必要なかった。
(そうなんだよな。小学生の時なんて、全然気にしてない)
自分の記憶の正しさを確認する。若葉だけではなく、同じクラスの男子も女子生徒と付き合っている男はいた。それを見ても特に何も思わなかった。
まだ恋愛感情なんて分からなかったから。
(ならなんで今は気になってるんだろ)
椅子に座り、机に膝をつけて両手で顎を支える形になる。目の前には由奈。その視線はまだ廊下に向かっているため、無防備な横顔が見えた。
鼓動が、血流が早まる。掌が支える頬が徐々に熱を帯びてくるのを感じて、武は姿勢を正した。机が揺れた音に気づいて由奈が視線を武へと戻す。
「どしたの?」
「あ、いや」
恥ずかしくて由奈の顔を見れず、武は外に植えられていた木を視界に入れた。秋に入り青々としていた葉は秋の色に変わり、時の流れを視覚で捉える。
「時間は過ぎるんだねぇ」
「何ひたってるの!? 似合わないー!」
突如大声を出して笑い出した由奈に、また周囲の視線が集まる。武は思わず呟いた言葉や由奈の笑い。周りの視線に耐え切れず顔を腕で隠した。
自分の中に見つけた思いさえも、隠した。
(俺は、由奈が好きなんだろうな)
小学生の時に無かったこと。一番の違いを見つけて、武はほっとすることと同時に酷く疲れていた。
* * * * *
もう恒例となった休日の市民体育館へ練習に行くこと。
それに参加するためにペダルを漕ぐ足が重いと武は感じていた。理由は分かっている。
(意識しちゃうな……)
今日は男子は武と橋本と吉田。女子は若葉と早坂、初めて参加する藤田。
そして、由奈。
名前と共に顔を思い浮かべ、武は心臓の高鳴りを自覚した。風を切る中で頬の火照りも冷めるが、胸に思いは残る。
由奈への特別な感情を意識してから、眠る度に武の中でその存在は大きくなっていた。勉強が手に付かない、ということもバドミントンに集中できない、ということも無かったが、二人で帰る際に普段と同じように話している自信がない。
今までは相手も違和感を見せていないが、いつか自分の思いを知られて拒絶されることが怖くなる。学校生活なら勉強や他の友人達との絡みから接触する機会は少ないが、今日のように半日一緒にいると嫌でも話すことは多くなるだろう。
(今日は吉田と試合しまくるかな)
シングルスで鍛えられるというのも疲れるが、由奈を意識しないですむならばと武は少し気が楽になる。ペダルも気のせいか、徐々に軽くなっていった。
一度立ってペダルを蹴りこむと一気に加速する。
それからはすぐに体育館へと着いた。すでに参加者五人は自転車乗り場の傍で談笑していた。
由奈の姿を見てまた少し心臓が跳ね上がるも吉田との試合を想像してかき消した。
「遅いー」
「一分しか過ぎてないだろ!」
若葉の追求に反論した武の声は、本人が思っているよりも高くなって他の面子も動きを止めた。その一瞬を取り戻すために武は次の言葉を探す。
思いついた嘘は咄嗟にしては中々に出来ていた。
「家を出たらいきなりチェーンが外れたんだよ。それで付けなおして、手を洗いに戻ってってことしたんだ。俺じゃなかったらもっと時間かかってるよ」
「昔はよく外してたもんね」
若葉の変わりに答えたのは由奈だった。接近してくる顔をかわすために身体をほぐす真似をした。近づくことだけで嬉しくなって緩む顔をごまかすために笑う。
「チェーン直せるなんて凄いね」
顔に浮かべていた笑いも第三の女声が耳に入ってきたことで少しかげる。相手は分かっていた。初めてこの練習に参加する女子。
部活に入ってから、普通に話すことは実は初めてである女の子が、そこに立っていた。
「何で小学生の時外れてたの?」
そう聞いてきた藤田雅美は髪の毛を肩より少し長めに伸ばした女の子だった。瞳は吸い込まれそうなほど綺麗であり、少し丸顔なところが歳相当の幼さと可愛らしさを同居させていた。
「あー。昔はよく荒い道を走ってたんだよ。それでよく外れたんだ」
「男の子ってそういうの好きそうだよね」
武へと向ける笑顔で口元に小さなえくぼができていた。そのこともアクセントとなり藤田の魅力を引き出している。その顔を見つつ武は思う。
(こうして見ると、一年女子って可愛い子多いかも)
ここにいない部員も顔は思い浮かべられる。由奈という女の子への恋心を自覚すると他の女の子も意識をするようになるのかと、武は照れが強くなる。
どうにかこの場を乗り切らなければ不自然さが伝わると思ったその時、助け舟が横切った。
「揃ったならいこうぜ。時間が惜しいし」
吉田の一声に皆が従う。武もほっとしながら後をついていった。
武達が着替えを終えてフロアに降り立った時、彼等が使うコート以外は全て埋まっていた。他校のバドミントン部が使っているらしく、シャトルが飛び交う音が激しく届く。気楽という言葉がどこにもにじんでこない。
「あれ、どこの中学だろう?」
「あれは……明光中だな」
武の呟きを聞いて答える吉田。ラケットを持ち、身体をひねりながら言葉を続けていく。
「あそこって公式戦でも今年は弱かったよな。全員うちらの先輩に倒されてたし」
「でも、見たことない人ばかりだから一年じゃない?」
吉田の言葉を引き継いだのは早坂。どちらも言い方が少しきつく、武は声が相手に届かないか不安になった。だが、一つの事実に気づき考え直す。
(そういえば、この二人って同じ一年なら敵いないんだよな。そりゃ言葉きつくなるよ)
男子と女子の一位。二人が一緒に立つ姿は圧倒的な存在感を広げていく。
事実、二人の存在に気づいた他校の人々がちらちらと武達――実際には吉田と早坂だろうが――を見始めている。
その視線を鬱陶しいと思い始めた瞬間、シャトルがコートに叩きつけられる音が響き、プレッシャーが消える。他校の面々の意識が試合のほうに移ったらしかった。
(誰が? って、見覚えある)
あるコートに群がっている同年代達の先に見えたのは、何度か目にした巨体。
左手をだらりと下げて動き回る独特のフォーム。
そして、大砲のようなスマッシュ。
「刈田じゃん」
「そうだね」
名前を呟いた声が湿っているのに気づき、武は自分がぼんやりとしている間に吉田が準備運動を終えたことを知った。慌ててアキレス腱を伸ばしたり腰を曲げたりするなど部位の硬さを溶かしていく。
「おらぁ!」
スマッシュの爆音の後に届く絶叫。スコアは分からないが、それに含まれていたのは明らかな焦りだった。
Copyright (c) 2006 sekiya akatuki All rights reserved.