Fly Up! 308

モドル | ススム | モクジ
 岩代のハイクリアで打ち上げたシャトルを水島がスマッシュで打ち込んでくる。岩代がラケットを右に出したのをあざ笑うかのように、弾道はクロスで逆を突いてくる。反応してラケットを逆側に向けてバックハンドで取ろうとしたが、追いつけずにシャトルを弾いてしまう。転がったシャトルを追うようにして岩代はたたらを踏み、何とか体を止めた。それでも、ポイントは止まらない。

「ポイント。サーティーンファイブ(13対5)」

 すでに一ゲーム目を取られ、第二ゲームも終わろうとしている。第一ゲームこそお互いに長くラリーを繰り返して15対12と時間がかかったが、第二ゲームはあっという間に差をつけられてここまで来てしまった。岩代の動きは第二ゲームになって明らかに悪くなり、得点されてしまう時も全く動くことができていない。シャトルの方向にラケットを出せるだけでも違っただろうが、試合時間が経つほど、岩代が裏をかかれる頻度が上がっていく。
 唯一対抗できた相手の動きを読むことも追いつけなくなっていった。

(くそ……なんか、ワンテンポ向こうのほうが早いぞ)

 ラケットを杖代わりにして岩代は切れている息を整えていた。無論、全体重をかけるとラケットが曲がるため、あくまで床に立てているだけ。一度思いきり吐いてから、ゆっくりと新鮮な空気を吸い込む。激しく鼓動を続ける心臓が痛かったが、息を止めて思いきり吐きだした後だと、逆に少しだけ体調が落ち着いた。
 ラケットを床から離して上半身を立てて水島を見ると、すでにサーブ位置に立って岩代の準備が整うのを待っていた。
 手を挙げて謝罪しつつレシーブ位置に向かって歩き、足を何度か踏みしめたところで構えると、岩代を押し潰すかのように水島のプレッシャーが覆いかぶさってきた。

(……あと二点なんだから少しは加減しろよな)

 圧倒的な点差をつけているとは思えないほどに、水島は全力で岩代に勝とうとしている。向けられるプレッシャーは、まるであと一点で追いつかれてセティングに持ち込まれるかもしれない、という場面を想定しているように思える。

「ストップ!」

 岩代は息を吐いて体に巣食う緊張を流すと、吼えてプレッシャーに対抗した。
 しかし、かすかな抵抗は大きなうねりに吹き飛ばされる。水島のサーブが高く遠くへと飛び、岩代が追いついた時にはもうシングルスラインの傍。どんなシャトルを打っても難なく取られるだろうと悟った岩代は、ひとまずストレートのハイクリアで時間を稼いだ。シャトルは文字通りまっすぐ飛んでいき、シングルスライン上に落ちていく。水島がゆったりと追っていき、追いつくと共にラケットを振り切る。
 先ほどとは逆でフォアハンド側へのクロススマッシュ。岩代はコート中央から右に足を踏み出してシャトルを捉えた。ネット前に落とすのは戦略として有効だったが、水島が一瞬で前に現われてシャトルを叩き落とすのではと思い、ロブを放つ。
 岩代の予想は正しかったらしく、前に出る動きを一瞬見せた水島はすぐに後ろへと向かった。滑らかな動きに一瞬ぶれが出たが、シャトルに追いついてスマッシュを放ってくる。ストレートで飛んできたシャトルを今度はより前のほうで取り、ネット前に落とす。水島はラケットを構えて前にやってくると、ロブを飛ばしてきた。岩代が今度は後ろに向かう。フットワークを駆使して飛ぶように後に移動すると、シャトルの真下にきたところで高さが足りなくなってきた。

「はあっ!」

 仕方がなく、思い浮かべたタイミングよりも早くラケットを振る。するとシャトルはドライブ気味に飛んで行った。ストレートに水島の目の前へと飛んだシャトルは、立てられたラケットによってプッシュされる。コートに落ちようとするシャトルに滑り込んだ岩代はヘアピンでネット前に落とした。それしかできなかったが有効だったようで、水島はヘアピンではなくロブを打つ。二回連続体勢を立て直すかのように遠くへと飛ばされたシャトルに、岩代は必死で追いすがる。何かが自分の中で違和感を広げていたが、シャトルに追いつくことが先決であり、ラケットを構えれば霧散してしまう。結局は追いついた時にラケットを強引に振ったせいでフレームに当たり、アウトとなってしまった。

「ポイント。フォーティーンマッチポイントファイブ(14対5)」

 遂に迎えた最終ポイント。水島は自分の側に飛んでいったシャトルを取りに向かう。岩代はその間にレシーブ位置について、天井に顔を向けて立った。体中の力が抜けていくように思えるが、その感覚がどこか心地よかった。汗が背中を流れていく感触。ハーフパンツに染みついた汗は不快だというのに。眼を閉じてみると、心臓の鼓動がすぐ横で聞こえたような気がした。

(これで、最後……最後なのか?)

 岩代は眼を開けて天井の光を見てから前に視線を移す。シャトルを手にとってサーブ位置で足をならしている水島が視界に入った。最後の一点を取り、東東京に一勝を持っていくために気合は十分のようだ。追い詰められている側の岩代は水島を見て羨ましく思う。彼にはチームに勝利を持ってくる力があり、自分にはなかったのだと。ダブルスでもシングルスでも、岩代は最後まで役に立てなかったと振り返ってしまう。
 心の中に少し残っていた自信が消えていく。

(でも……だからって、ここで終わりたくない)

 自信がなくなってしまったのなら、あとは何が残るのか。岩代は横に視線を向けて、武や小島が自分へと声をかけているのが見えた。その言葉が今までどうして聞こえなかったのかというほどに、うるさい声が聞こえてきた。

「ストップだ! 岩代!」
「まだだぞ! まだ終わらない!」

 女子は早坂の応援に行っているようだ。吉田は席を外しているのかいない。
 そして、安西は声も出さずに岩代をじっと見ていた。

(安西……)

 共に中学からバドミントンを始めて、ここまでやってきた男。武にとって吉田がかけがえのないパートナーならば。岩代にとって安西は唯一無二のパートナーだ。その安西が、ただ、岩代を見つめている。
 岩代はラケットをゆっくりと掲げてレシーブ体勢を取った。水島はまたプレッシャーを放って岩代を威嚇する。しかし、プレッシャーを浴びても岩代はびくともしなかった。水島の顔が一瞬陰ったが、すぐにサーブが放たれる。
 シャトルは高く天井までつきそうなほど飛んでいき、落ちていく。ラストにして最も高いシャトルの軌道。それでもコントロールはきちんとしていて、シャトルはシングルスラインへと向かっていった。岩代はアウトになる可能性を最初から切り捨てて真下に移動すると、ハイクリアをクロスに放った。シャトルが右から左へとコートを切り裂き、同時に岩代はコート左側に移動して右をがら空きにした。あからさまな誘いではあるが、隙があまりにも大きくため、誘いと同時に穴となる。水島が罠と取るか好機と取るかで岩代の命運が決まる。

(きっと、水島は――)

 岩代は覚悟を決めて、その場で腰を落とす。すると同時に水島がシャトルをまっすぐ打ち込んできた。スマッシュが岩代の前まで飛んできたが、目の前というのは初めて。
 これまで試合をしてきて、水島の放った初めてのミスシャトル。

「はっ!」

 岩代はプッシュでシャトルを打ち出し、ネットを越えたら落ちるようにした。スマッシュを打った水島は前に出てシャトルへとラケットを伸ばすが、岩代がネット前に出てきたことに気づいて手首でシャトルをはね上げた。タイミング的に岩代がラケットを上げるのは不可能。シャトルは頭を越えて後ろに放物線を描いて落ちていく。だが、岩代は反転してラケットをバックハンドに構えると、ストレートに打ち抜いた。
 最初から回転して打とうと思っていなければ打てないようなアクロバティックな技。岩代が使えるとは思っていなかった水島は、飛んで行くシャトルを慌てて追った。不自然な体勢で打ったためにそこまで速度はないが、水島の動きが更にブレているのを見て、岩代は一瞬だが好機を見つける。
 シャトルが打ち返されたが、今まで以上に打ちやすい軌道を描く。

「はあっ!」

 ネット前に落ちていくシャトルを、岩代はバックハンドでシャトルを打ち上げて自身も体勢を立て直す。せっかくのチャンス球だったが、追いつけなかった。
 水島の動きがようやく崩れてきたが、それ以上に岩代は体力を消費していた。シャトルに追いついて右足を踏み込んだところで、痛みが走り、体勢が崩れる。激痛というほどでもなかったが、力が抜ける程度にはまずい状態。シャトルは岩代の事情など関係なく、ハイクリアで打ち返されてくる。

「うぉおお!」

 岩代は自分を鼓舞するように吼えると、シャトルへと追いついてラケットを振り抜いた。ジャストミートの感触はなかったが、シャトルは遠くへと飛んで行く。水島は先ほどの体のブレが嘘のようにシャトルへと向かい、ラケットを構える。次はスマッシュかドロップか。おそらくハイクリアはないと、岩代は前のめりになる。
 二択に絞り、どちらを選ぶかシャトルを打つ直前に決めた。

(スマッシュ!)

 移動する先はクロススマッシュでの左サイド。岩代はラケットを持って前に飛ぶように移動する。右足の痛みはあったが歩みを止めるほどではない。水島がシャトルを打った時、その軌道が自分の思い通りだと分かって心の中で歓喜に沸き立つ。その喜びをパワーに変換して、シャトルを打つべくバックハンドでラケットを突き出した。シャトルの前にラケット面を置き、思いきり振りきる。ストレートに打ち返されたシャトルは、水島のコートに真っ直ぐに突き刺さっていた。

「サービスオーバー。ファイブフォーティーン(5対14)」
「ナイスリターン!!」

 岩代は膝をつきながらシャトルの行方を見ても、決まったことが信じられなかった。水島もまた自分のコートにシャトルが落ちたことが信じられないという顔で見ていたが、硬直が解けると素早くシャトルを拾い、岩代へと打ち返す。中空でそれを受け取ってからサーブ位置について深呼吸を繰り返す。
 第二ゲームは最後にサーブ権を奪われてから、連続して七得点されていた。久しぶりにサーブに、腕が少し震えるのが収まるのを待つ。

(さあ、どうしよう)

 岩代は頭の中にイメージが全く浮かばなくなっているのに気付いていた。サーブ権を奪い返してからのビジョンが全く浮かばない。漫然と打って勝てる相手ではなく、ラリーが再開するたびに頭の中でイメージを組み立ててきた。しかし、それはあくまで『サーブ権を持った水島を攻略する方法』であって、自分が得点をする方法ではないことに今更ながら気づいた。

(……駄目だ。これじゃ、時間だけが過ぎる)

 岩代は観念してシャトルを打ち上げる。出来るだけ高く上げて時間を稼ぎ、頭の中に攻めのイメージが浮かぶのを待つ。だが、高く上げるのを意識しすぎて飛距離が出ずに、コート中央に落ちていく。水島のラケットがしなり、鋭く振りきられるとシャトルが真正面――股の下に落ちていく。シャトルに何とかラケットをあわせて打ち返していたが、ネット前にふわりと浮いてしまって、水島の次のプッシュを誘発する。

「はあっ!」

 綺麗な音と共にシャトルがコートに落ち、サーブ権はあっという間に水島へと渡された。岩代は転がってきたシャトルを拾って打ち返し、レシーブ位置についた。そこまでの動作が全く停滞せず、しかも何も考えていないことにようやく気づいた。

(まただ。また、何も考えられない)

 頭が全く回らない。思考錯誤してタイミングを外したりシャトルのコースを考えたりしていた自分の脳が、今は全く機能停止している。既に構えてしまっていたために水島はサーブでシャトルを高く打ち上げた。もう打ち返すしかなく、ハイクリアでシャトルを奥に飛ばす。追いついた水島はクロスドロップでシャトルをネット前に落としてくるが、岩代はラケットを伸ばしてヘアピンを打った。水島がロブを上げると同時に追っていく。ラケットを振ってスマッシュを打ち、ネット前に打ち返されるとそれをロブで素早く低い弾道で飛ばしていった。
 今度は考えなくても体が動く。どういうことなのかと自分でも戸惑うが、体の動きが徐々に辛くなっていく。
 十回。十五回とシャトルが二人の間を行き来すると共に応援の声が小さくなっていく。東東京も南北海道も男性陣が二人を応援していたが、やがて声を完全になくした。二人の集中力を切らせたくなかったのだ。だが、その気遣いはすぐに終わる。
 シャトルが水島に渡って二十回目。

「はあっ!」

 ラケットの速度と軌道。そして、ラケット面を斜めにしたカットドロップ。それまで以上の角度で、最高のタイミングで流れたシャトルはほとんど威力をロスすることなくネット前へと落ちていく。岩代はスマッシュと完全に読み間違え、前に出たが右足を踏み込んでラケットを伸ばそうとした時に再び足に痛みが走る。痛みに前のめりになってもラケットを前に出し、シャトルへと届かせた。

「うら!」

 シャトルを打ってから体の動きを止めるために咄嗟に両手を床につく。痛む右足をこらえて立ち上がり、次のショットを警戒しようとした岩代は自分の届かない場所を飛んでいくシャトルを見るしかなかった。

「――あ」

 声が後悔を含んで流れていく。シャトルはコートに落ちて乾いた音を立てた。岩代が後ろを向いてシャトルを見ている間に審判が試合終了の言葉を告げる。

「ポイント。フィフティーンファイブ(15対5)。マッチウォンバイ、水島。東東京」

 審判の言葉に引かれるように前へと視線を向けると、水島は深くため息を吐いてネット前に歩いていた。岩代も遅れて足を踏み出すとかすかに右足が痛む。自分が怪我をしかけていると認めて、ため息をついて前に出た。長い試合時間のどこかで痛めてしまったのだろう。今となっては仕方がないが、もしも二ゲーム目を取れたとしても第三ゲームで完全に力尽きていたとしか思えない。準々決勝で少しはついたと思っていたシングルスとしての自信は、今の試合で崩れ去った。成長はしたかもしれないが、それが形になるにはまだいろいろと足りないものがあったのだ。

「強かった」

 いつしか視線を下ろしていた岩代はその言葉に顔を上げる。ネットを挟んだ向かい側に水島が立っていて手を差し出していた。

「シングルスやったことなさそうだったけど、ここまで強いとは思ってなかった。いつか、またやりたい」
「……そうだな。いつか、やれたら」

 その言葉は本心だったのか相手に合わせたのか、岩代自身も分からない。水島と握手をしてコートからゆっくりと出て、仲間達が待っている場所に近づいていくと共に岩代は悔しさを抑えるのに必死になっていった。


 岩代充の最後の試合は、こうして終わったのだった。
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