Fly Up! 303

モドル | ススム | モクジ
 試合も終わり、ホテルに戻ってから武達は思い思いの時間を過ごしていた。一時間もすれば夕食の時間だったということもあるため、自分の部屋でベッドに横になる者がほとんどだったが、武は汗を流したかったため浴場にきていた。食事前に汗を流してさっぱりすることが目的であるため、シャワーを浴びてから体を洗う。ひとしきり洗い終えて出ようとしたところで、隣に吉田が座ってきた。

「おわ!? お疲れ」
「ああ」

 唐突な登場に驚いた武だったが、すぐに気を取り直して体を洗っている吉田を見ていた。ふと頭の中によぎった有宮のことを言おうと思ったが、先に口を開いたのは吉田だった。

「帰る前に有宮に会ったんだって?」
「……誰から聞いたんだ?」
「藤田から。お前と早坂が誰か知らない女子と話してたってさ。このタイミングで知らない女子と話すなら有宮かなって」

 なかなかの推理だと思った武は素直に頷く。有宮のいる東東京が次の対戦相手だということ。そして、おそらくはシングルスで出てくることを武は言った。吉田にはまだ会わないと言っていたことは告げなかった。話の流れからも別に言う必要はないことだと判断したのだ。

「なんとか、ここまで来たな」

 体についた泡を落としながら吉田は言う。声には昨日までなかった疲労が乗っている。武も、熱い湯のせいかもしれないが体に気怠さが溜まっているように思えた。まだ動くのに支障はないし、今日一日休めば明日は大丈夫だろうと思えるが、日々積み重ねられていく試合の疲労は蓄積されているのだと改めて思う。

「いろいろあったけど、明日で最後だ。お前も明後日には川崎に会えるぞ」
「そこでなんで由奈が……って、出てきてもおかしくないか」
「いいじゃん。明後日から少しは川崎とデートしてろよ。すぐに、暇はなくなるから」

 明日の先、を想像してみようとするが、武には思い描けなかった。
 明日、もしも東東京に勝てれば決勝戦。決勝の相手に勝てれば優勝だ。
 今まで市内で優勝していたような時とは確実に違う。全国での優勝という重み。そして、その栄光を分かち合った仲間達とは大会が幕を閉じれば、またライバルの関係に戻って各中学へと帰っていく。
 そして四月からは中学三年生だ。ついこの前に入学したと思ったのに、もう最終学年という気持ちになる。
 最後のインターミドルがやってくる。

「先のことなんて分からないよ。だから、まずは明日だな」
「そうだな。悪かったよ」

 吉田が立ちあがったと同時に武も立つ。シャワーを再度浴びてから手で体中の水滴を払い落して、二人は湯船には入らずに更衣室へと戻っていく。互いに会話を交わさなくても風呂にゆっくり入るのは、ミーティングの後だと決めていた。
 更衣室から出るともうすぐ食事の時間という時刻になっていた。自分達が思ったよりも浴場にいたことに今更気づいて、吉田と武は互いに苦笑する。食事前にタオルを部屋に置いてこようとエレベーターホールへと向かうと、逆に食事をするためにレストランへと向かう早坂と瀬名、そして姫川と出会った。

「あれ、相沢君達、お風呂行ってたの?」

 姫川に問われて頷く武は、隣に立っている瀬名のほうが気になっていた。口は自然と動いて足の怪我について尋ねていた。

「足の具合どう? 瀬名」
「あ、うん。だ、大丈夫だよ」

 顔を赤くして両手を振りつつ、問題ないことをアピールする瀬名に武はほっとした。足を痛めたパートナーというと、ジュニア大会全道予選の時の吉田を思い出してしまい、自分でも少し過剰なくらい反応してしまう。そこまで心配しなくても大丈夫だとは頭では分かっていても、感情はなかなか止まらない。

「無理するなよな、ほんと。ゆっくり歩いたり――」
「わ、分かったから。大丈夫だって」
「相沢。瀬名が困ってるから止めてあげて」

 早坂が唐突に口を挟んできて、その場の会話を強制的に終了させた。武はどうして瀬名を困らせているのかは分からなかった。
 答えを聞く前に三人は食事をする場所へと向かって歩いて行ってしまう。武達も部屋に戻ってから向かわなければいけないため、結局、続きは聞けないまま逆方向へ歩きだした。

「やっぱり瀬名も疲れてるからかな。悪いことしちゃったよ」
「……相沢は……まあ、いいか」

 吉田が何かを言いかけて嘆息するのは聞こえていたが、止めるということはたいしたことではないと思って追求しないでおく。二人はちょうどきたエレベーターに乗って自分の部屋の階へとたどり着き、タオルを置いて踵を返した。
 またエレベーターに乗る前に時間が空いたため、武は今日の試合について尋ねた。

「なあ。安西はやっぱり強くなってたか?」
「ああ。ほんと、チームメイトとしてはいいけど。ライバルに戻ったら怖いよ」
「……さっきの話の続きだけど。このチームも明日で終わりなんだよな」

 結成は今年の二月で、まだ一か月程度しか経っていないというのに、武はもう何年も一緒にプレイをしているような錯覚に陥っていた。個人戦は何度も経験していたが、団体戦でこうして一つの勝利を目指して皆が繋がっていくという経験はほとんどない。
 中学二年のインターミドルで団体戦のメンバーとして全地区大会に出た時は先輩と共に挑み、まだ個人的な勝利を意識するだけで精いっぱいだった。当時と今を比べて、改めて考え方や感じ方が変わってきていると思える。
 吉田は感嘆のため息を吐いてから言う。

「ほんと、惜しいチームだけど。このチームで得たものをそれぞれの中学に還元して、各中学の実力の底上げにするってところだろうな」
「この大会が開かれた意義も果たせるってわけだ」

 全国大会の開会式でも実行委員長が言っていたことを思い出す。この大会の目標は、学校の垣根を越えて実力の底上げのきっかけにすることなのだ。

「沖縄の田場みたいに、凄く強いのに全国に出たことがない奴ってのもいるだろうし。今までどうしても組み合わせの妙とかで出れなかった選手がいて。そんなやつらが全国の舞台で一気にレベルアップするっていうのは、やっぱり役立つと思うぞ」
「俺らもそんな感じかな」
「俺から見たら、姫川と相沢の伸びは一番だな」

 エレベーターが来て、乗り込んでから武は自分を振り返る。全国大会ではただがむしゃらに勝つために頑張ってきたかと問われたら、少し違う。
 一試合一試合に全力だったのは確かだが、その中で自分の成長を確実に感じ取っていた。それは今までと全く違う。自分が成長していくことを実感しながら試合をしていくということ。
 体の細胞が一つ一つ生まれ変わっていくかのような感覚を思い出して、武は自分の両手を見た。

「とにかくだ。明日はお互いに全力を尽くそう」
「何、人ごとみたいに言ってるんだよ。一緒に勝つんだろ?」

 吉田の言葉に返した武だったが、顔を見た時に少し残る陰りに、不安になって再度尋ねる。明日はダブルスで出て、東東京も北北海道も倒そうと。
 今日の詳しい結果は食事のあとに庄司と吉田コーチから聞くことになっていたが、武は自然と、明日の決勝には北北海道が進んでいると思っていた。全国の決勝という場面で西村と山本龍が待っていると。全道大会の時に試合ができなかった時のことを思い出し、初めての対戦ができると信じていた。
 しかし、吉田は少しだけ言い淀んだものの告げてきた。

「あくまで俺の考えだから本当じゃないけど。もし明日、東東京に勝って、決勝に北北海道が出てきたら――」

 その先の言葉に武は目を見開いた。

 * * *

 食事が全て終わって空腹が満たされても、武はどこか満たされていなかった。エレベーターの中での吉田の意見はあくまで予想ではあったが、武も「なるほど」と思わずにはいられない。真実になる可能性は十分にあった。
 そしてそれを本当にするかどうかは、これから吉田コーチが言うことにかかっている。

「全員、そろったな」

 食事を終えた後のミーティングルーム。時刻は夜八時を指そうとしていた。全員が空腹を満たしたてどこか眠そうにしながらも、明日の試合のことであるため話を聞こうとしている。瀬名は一人だけ居心地が悪そうに武には見えた。怪我で出られないことが決定しているために後ろめたさがあるのかもしれない。

「まずは。今日はよく頑張った。ベスト4まで来ることができたのは、お前達が試合ごとに成長した成果だと思っている。明日一日でも、成長できる余地はある。そう覚悟を決めた上で試合に臨んでほしい。そして、瀬名は残念だったが、外から見ることで学べることを、学んでほしい」

 一気に言いつのる吉田コーチに、先に瀬名が「はい」と呟やきつつ頷く。吉田や小島。他のメンバーも個々に頷いて明日に気持ちを引き締める。聞く準備が完全に整ったと判断して、吉田コーチは改めて口を開いた。

「今日の結果だが、ベスト4は東東京。熊本。南北海道。そして、北北海道に決まった」

 改めて自分達が全国のベスト4に進出したという事実を確認すると、武は体の奥から熱さが込み上げてくる。今まで全道でも大変な思いをしてきたというのに、今、全国で強い都道府県の4つに入っているのだ。

「この点に関しては、素直に喜んでいい。後はただ、残り二戦を勝つことを考えよう」
「東東京はどういうチームなんですか?」

 切り替えが一番早かったのは小島だった。だが、武には最も切り替えが遅いからこそ速く言えたのかもしれないと思える。
 小島の目標である全国一のプレイヤー。そこに今、君臨しているのは北北海道の淺川亮だ。明日の準決勝の相手は東東京と決まっている。相手も勝ち上がってくる必要があるが、少なくとも東東京の壁を越えなければ淺川にはたどり着けない。だからこそ、どういう相手かを知って戦略を早めに立てる必要が小島の中に生じたのかもしれない。
 吉田コーチは、小島の言葉に導かれて自分に他の面々の視線が集中するのを確認して続きを話し始めた。

「まず、東東京だが非常にハイレベルなプレイヤーが揃っている。これといって、特徴は、ない」
「特徴がない……?」

 安西の疑問の声に反応するように、庄司が説明を引き継ぐ。自分の傍に置いたビデオカメラを持ち上げて、今日撮影してきた内容を、まずは口頭で説明し始める。

「後で見てもらうが、まず東東京のメンバーは何かが秀でているということはない。もう少し正確に言うと、全てが高い次元でまとまっている。だから、秀でたものがないんだ」
「秀でたものがないってことは攻めやすいってことですか?」
「逆だよ、岩代。特徴がある選手のほうが攻めやすいんだ」

 安西の隣で手を上げながら言った岩代の言葉を否定する庄司。自分が言った言葉の説明をどうするか少し考えた後で良い例を思いついたのか少し顔を緩ませる。

「例えば。沖縄だと全員がジャンピングスマッシュ主体で攻めてくるような選手ばかりだったろう。彼らの攻めは確かに強力だが、逆に言うとジャンプの後の隙を狙うことができる。何らかの特徴があるということは、何か弱点が潜んでいて、攻めるポイントが決めやすいんだ。たとえ弱点じゃなくてもな」

 庄司の言葉がしっくりくるかと自分の頭の中でイメージする岩代。同時に、武や吉田。小島もまた共有していたと武は思える。大きな特徴は攻めの起点になりえる。例えば武ならばスマッシュが得意で、後ろに上げるとスマッシュが来るから前を攻めるという思考の流れになる。逆も然り。確かにその選手を表すにふさわしい特徴は利点でもあるが弱点でもあるかもしれない。

「特徴がない選手は安定している。それでいて、東東京の選手達は全国でも上位に入るくらいの強さだ。実際に試合で対峙した時、よく分からない内にいつの間にか負けていた、ということがあるかもしれない」
「……なるほど」
「東東京との戦いは、高レベルにまとまったプレイヤーに勝てるかどうか。また一つ、強さが試される苦しい展開になるだろう。でも、諸君なら乗り越えられると信じている。このオーダーでも」

 安西が庄司の言葉で納得したことに続けるようにして吉田コーチも自分の意見を述べる。更に、オーダーもここで発表しようと紙を手に取った。
 身構える武達。明日の、準決勝のオーダーとはつまり、勝った時の決勝のオーダーにも直結するもの。心臓が高鳴ってくるのを武は胸を押えて深呼吸をしながら抑え込む。

「明日のオーダーを発表する。まずは、男子シングルス。岩代」

 一番初めから動揺が走る。誰もが小島が男子シングルスとして出ると疑っていなかった。大阪戦では沖縄の田場との試合によって体力を使い果たしたという理由があったが、初戦から外されるとは誰も思ってもみなかったのだろう。

「続いて、女子シングルスは早坂。男子ダブルスは相沢と吉田」

 続いて聞こえた名前は普段通りのオーダーであり、驚くことは何もない。それだけに、最初の時とギャップが激しかった。動揺が収まる頃を見計らい、吉田コーチは残りの選手を続けて発表する。

「女子ダブルスは藤田と姫川。男女ダブルスは安西と清水だ」

 その時点で、小島の温存という吉田コーチの作戦が全員に伝わった。今日の試合の体調を考えると、ダブルスはまだしもシングルスは連続して試合には出られない。決勝も見越したオーダーを考えるならば、準決勝で試合を考えている岩代と早坂は、決勝ではシングルスに出さないと言っているのと同じだった。吉田コーチは全員が疑問に思っているだろうことを、次から説明していった。

「いくつか。気になっているだろう点を説明していこう。まず、男女シングルスだが、小島と早坂の希望を受け入れた形になる。小島は、決勝に来て、シングルスに出るはずの北北海道の淺川と戦いたい。早坂は、東東京の有宮と戦いたいという願いがあった。私としては勝利のために二人を外したかったのだがな」

 吉田コーチの言い分ももっともだと武は思う。有宮は少なくとも君長凛と同レベルなのだ。しかも、全道大会の時の君長は全力を出していなかったとも聞いている。有宮は、全力の君長がフルセット、フルのセティングでようやく勝てたような相手であり、厳しい戦いになるのは目に見えていた。だからこそ、オーダーを外して有宮には捨て駒として誰かが当たり、他で勝つという道もあったはず。小島もしかりで、淺川亮にあてずにミックスダブルスに回れば団体としての勝率はかなり上がるはずだ。
 それでも、二人は譲らなかったのだろう。いつの間にそんな話をしたのか武は分からなかったが裏でいろいろとあったようだ。

「私は出来れば勝ちにこだわりたい。しかし、勝利を超えた何かも君達には必要だと考えている。だから、彼らにはあえて茨の道を進んでもらう。そして、勝ってもらう。だから、もし負けたならば試合に出る者は自分の勝利でサポートしてほしい」
『はい!』

 武と吉田だけではなく、全員が返事をする。怪我で出られない瀬名が一番力強く言っていた。

(東東京に勝てば……たぶん、北北海道。淺川と小島が試合をするなら、俺と吉田が西村と山本、か)

 そこまで考えて、武は吉田がエレベーターの中で言ったことを思い出さずにはいられなかった。

『小島が淺川とぶつかるとしたら、客観的に見て、勝率は低い。だから、ガチの勝負は、避けるかもしれない』
『つまり……?』
『同じくらい勝率が低いかもしれないダブルスは、外されるかもしれないってことさ』

 吉田は小島と早坂に成長してほしいと言ったが、団体戦にも勝利したいと言っていた。ならば、小島と早坂が負けた時のフォローのために、もう一つの全力のぶつかり合いを回避してもおかしくない。

(それでも……仕方が、ないのか?)

 心の中にわだかまる僅かな黒い感情を意識せずにはいられなかった。
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