Fly Up! 301
武のスマッシュからのフェイントドロップ。豪快なラケットの振りから繰り出されるドロップは、武の代名詞である強烈なスマッシュを取ろうと腰を落としてコートに足をしっかりつけていた相手を、二人ともコートに縫いつける。
スマッシュからのドロップというのは認知されたフェイントで、どのプレイヤーもある程度実施している。だが、武のフェイントは全国のバドミントンプレイヤーの中でも、特に効果を発揮していた。
「ポイント。トゥエルブスリー(12対3)」
審判もドロップの軌道に見惚れていたのか、カウントを告げるのが少し遅れた。相手側のネット前に落ちたシャトルを取ったのは姫川。ネットの下からラケットを差し入れて引き寄せると、中央を走るラインを跨いで左側に立ち、しっかりとコートへと足を下ろす。
「一本!」
武のドロップへの再度の期待を込めて吼える姫川。彼女の心の中が十分に伝わってきて武はより力が漲る。
自分でも本当に信じられなかった。団体戦の最後に試合をするということが、ここまで自分の力を発揮するとは。
姫川がショートサーブを打って、名田がプッシュを放つ。しかし、それまでのキレが薄れていたことで、武はより前でシャトルを捉える事が出来た。攻撃的なロブを鋭く低く上げて名田の制空権を飛び越える。後ろへ追っていく宇都宮もどこか動きが鈍く、シャトルを捉えてもほとんど飛ばすことができない。シャトルはネット前にドライブ気味に返って、姫川の餌食になる。
「やあっ!」
プッシュでシャトルを叩き落とし、13点目を獲得する。これまでの試合と違って相手の淡白な攻めに武は意志の乱れを感じる。相手のペアの中で、確実に大切な物が崩れ落ちようとしていた。ここがチャンスだと、武は姫川がシャトルを受け取ったところで鋭く言う。
「姫川。ラストツー。一気に行こう」
「うん」
言わなくても当たり前というような声音で姫川が言う。その返答に武は満足して後ろで腰を落とした。姫川は貪欲に前を向いて行く。全国大会で自分が成長していることを自覚して、その感覚を忘れないように次々と手を伸ばして掴もうとしていた。それは武にも経験がある。自分が伸びる時というのを感じて、前にある光に向けて走り、進み、手を伸ばす。手が届いた時にはまたワンランク力がアップしている。その時の充実感がたまらないのだ。
「残り2点はもう落とさない」
静かな言葉は確信めいたもの。相手に聞こえたのかは分からなかったが、武の言葉の後、姫川がサーブを放つ体勢になったところで宇都宮の闘志が膨れ上がった。あと一回だけ武達の所へシャトルを叩き落とせばサービスオーバーで首の皮が一枚繋がるのだから気合が入るのは当然かもしれない。
それでも武には、言葉が聞こえたことで気合が乗ってしまったのかと思う。
「一本!」
それさえも意に介さないという気合で、姫川はシャトルを打った。
たとえ力を調節してネットよりも浮かず、静かに軌道を描いて行くショートサーブを打とうとも、シャトルには気合が宿る。
姫川の強い意志がシャトルに乗って相手コートに入り、宇都宮の前に行く。プッシュで姫川の頭上を越えるように打った宇都宮だったが、姫川は即座に反応してシャトルをクリアで後ろへ飛ばした。勢いよく素早くなるように打ったシャトルに、名田は反応しきれずに遅れてついていく。ラケットを掲げて打つ体勢にはなったものの、打ちづらい。
「やあぁああああ!」
しかし、名田は迷わずにシャトルを打ち放った。
高速のドライブは大きな音を立ててコートを切り裂いて、武達へと迫る。しかし、武よりも先に姫川がネット前でインターセプトしていた。シャトルへ自慢の移動速度を生かして追いつき、シャトルを拾う方法。更には、シャトルのタッチを速くすることで相手ペアに反応できなくなるようにする。姫川はそれを目指して、目にもとまらぬフットワークを体現しようとしている。
「はっ!」
再び、姫川のプッシュ。同じシーンの焼き増しのようにシャトルはコートへと突き刺さった。名田は渾身のスマッシュを弾き返されて顔を青ざめさせている。
武から見て間違いなく、姫川は名田の心を折りかけていた。
「姫川、もしかして狙ってた? 名田の自信を粉砕するように」
「何を? 私は、なにも狙ってないよ。目の前で取れるシャトルを取るだけ」
がむしゃらにシャトルを追っているだけと主張する姫川に、武はなるほどとだけ返して自分の位置についた。貪欲に目の前だけを見ていると他のことはほとんど見えない。その、前を見る力によって姫川は成長してきた。
武は十四点目の後ろについて、大きく叫ぶ。
「ラスト一本!」
「一本!」
武と姫川の言葉が合わさって、最後のサーブを相手コートへと届かせる。前に出た名田はプッシュをしようとしたが、シャトルもラケットもネットにぶつかってしまう。
悲鳴を上げる二人。そして、告げられる15点目。
武と姫川は、最初は目の前の現実を受け入れられずに時間を置いた。前方では、どう動いたらいいか分からない姫川。そして後方でその光景を呆気にとられる武。
しかし、審判が武達のファーストゲームの勝利を告げ、チェンジエンドを要求して、事実をようやく受け止めた。
「しゃあ!」
「やった!」
武と姫川の、タイミングを外しての喜びように周囲は呆気にとられたが、二人は構わずにコートの外に出る。
セカンドゲームへと向かう間に武の心に宿ったのは最後に勝つという気迫。第五試合のファーストゲームとして恥ずかしくないシャトル打ち回しを体験した二人に、練習とは比べ物にならないくらい技術を与えていたのだ。
「姫川。セカンドゲームも最初から全力で行こう!」
「それこそ、サービスオーバーさせないってくらい?」
「ああ。俺達は、ここで止まっていられないし。これから先に勝ちたいから、より強い勝ち方で勝たないと駄目だ」
武の持論に姫川は頷く。自分もダブルスではなくシングルスで勝ちたい存在がいる。そのためには、今のような試合をしてはいけない。今できることに満足せず、高みを目指すことが必要だった。
「武。姫川。この調子でいけよ」
エンドを変える時に吉田が声をかけてくる。武も姫川も同時に頷き、すぐに隣で行われている試合を眺めた。
そこには激闘を繰り広げている瀬名と早坂。少し早坂達のほうが優っている。ファイナルゲームの様子を見ようとして、吉田が間に割り込んできた。
「今は、あいつらの試合より自分達の試合に集中しろ。絶対、あいつらは勝ってお前達にバトンを渡すから」
「……そうだな」
「心配してないよ」
武が答えようとした言葉を姫川が引き継ぐ。早坂と瀬名は一人ずつでも頼りになる選手だ。そんな彼女達が二人、組むのだから心配などしていない。虚勢ではなく、武も姫川も心から二人を信頼していた。必ず自分達の勝利を、形にしてくれると。
「吉田コーチは二人の試合についているから、伝言だけ言っとくよ。武も姫川も、存分にやれってさ」
「なんだそれ。作戦ないってこと?」
苦笑しつつもそれが一番の作戦なんだろうと武は思える。姫川の動きもいいし、自分のスマッシュも冴え渡っている。下手に小細工を弄するよりも、互いの良い所を押し出して攻撃に繋げる方が、よほど回転率が上がる。姫川も同意のようで特に口を挟んでは来なかった。吉田も笑って武の背中を叩く。
「よし、行ってこいよ」
「おう」
自分のパートナーに送り出されてコートに入るのは不思議な感覚だった。しかし、どこか心地良い。対等なパートナーだと今は思っているはずだったが、かつては吉田に引っ張られていかなければ強くなれないと思ったこともある。だが、本当に良いダブルスというのは互いに影響し合って、互いに成長するもの。武が自信をつけていくことで、吉田もまた強くなった。そうして今は吉田のことを対等に見ていると武は思っている。
吉田に助けられて、同じくらいに吉田を助けている唯一無二のダブルスパートナー。もう自分以上に彼のベストの相棒はいないだろうとまでも。
「そうなんだよな。証明しないと、いけないんだ」
「何の証明?」
「俺が香介の最高のパートナーだって、西村に証明しないとな」
武の言葉が聞こえて姫川が尋ねると、笑顔で答える。その言葉の意味を姫川は真に理解はしていない。
西村和也がかつての吉田のパートナーだったことは、友人として付き合っている年数が一番短い彼女には知りもしない。ただ、名前が何度か出ているのを聞いて、吉田のかつての相棒だということが推測できる程度だ。
それでも、武の闘志の高まりを感じると、変な説得力を与えてくる。
「そうか。この試合に勝ったら、ぐっと近づくもんね。だから気合入ってるのか」
「そうかもしれない」
姫川から言われた新しい面からの闘志。仲間からの信頼を力に変えているだけではなく、自分が目指す相手に近づいていることでの気合も含まれているのかもしれない。真実はまだ分からないが、まずは勝ってからだと、武は姫川の後ろについて身構える。
「これより、セカンドゲームを始めます」
審判は二組の準備ができたことを確認してから告げる。
同時に最初から闘志を剥き出しにして姫川に向けて構える名田。
ファーストゲームのような様子見はせずに、全力で自分達を倒そうとしている。大阪側からすれば、シングルス二勝で先に王手をかけたにもかかわらず、ダブルスで追いつかれている。特に峰兄弟は間違いなく大阪のエースダブルスだったのだ。そこで決まるはずだった試合が、女子ダブルスがまだ進行中だとしてもこうして最終戦までもつれている。
早坂と瀬名の試合はまだ決まっていなかったが、武の中では勝つという確信がある。
このゲームを取らなければ負けという立場は、先ほどまでの自分達と同じだ。南北海道も一敗したら負けるというところまで追いこまれたからこそ、目の前にある一勝を今まで以上に追い求めた。その結果、ここまで来ている。
「セカンドゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』
同時に挨拶をして、同時にサーブとレシーブの体勢を四人が取る。ファーストサーバーである姫川はバックハンドでしっかりとシャトルを狙い、ショートサーブを繰り出した。名田は一ゲーム目ラストのプッシュの失敗を振り切るかのように強くストレートにシャトルを打ち込む。しかし、武がバックハンドでドライブ気味に打ち返していた。あえて打ち終わりの名田へプッシュの軌道をそのまま打ち返す。名田は咄嗟に上半身をスウェーバックさせてラケットを振るスペースを作ると、弱いながらもプッシュを打った。シャトルは角度がついて姫川と武の間に落ちようとする。武はその軌道が目に入っていたが体が硬直してうまく動かない。だが、しまったと後悔した瞬間にシャトルに巻きつくようにラケットが振られて、ロブが高々とあがった。
ロブを上げた姫川はローテーションのセオリーには従わずにネット前に出て腰を落とす。武は後ろに飛んでくるシャトルを待ち構えるためにコートの後ろ半分を守るかのごとく身構えた。
「はあ!」
大阪の動きはファーストゲームと同じく名田が後ろに向かい、スマッシュを打つこと。なりふり構わず力の限りに打つスマッシュの速さにも、姫川が対応してネット前でインターセプトした。そのままシャトルはコートへと落ちて、武達の得点になる。セカンドゲームが始まって初めての得点にガッツポーズをした姫川へ武も親指を立てる。
「ナイスショット」
「ありがと!」
姫川は心底嬉しそうに答えて、ラケットを振りながらシャトルの傍にいた名田へとシャトルを放るように要求する。名田は苦い顔をしつつもシャトルを拾ってから羽を整えると、姫川へと渡した。
もらったシャトルを更に整えながら姫川は次のサーブ位置につく。その光景はいつも繰り返されるものだ。サーブを打つための位置に向かい、シャトルを構えてショートかロングかを選ぶ。ダブルスの場合、たいていはショートだが、ロングも有効打になる。武達のように防御力が高いダブルスには特に。
「一本!」
武がロングサーブを思い浮かべたところで姫川も打つことを決めていた。
宇都宮はショートサーブに意識が行き過ぎているのか、前傾姿勢が更に深くなっていた。後ろに打てばバランスが崩れるかもしれないと感じたところに、姫川がロングサーブのサインを送ってくる。武は同意するように鋭く「応!」と答えて腰を落とす。こちらの初手が決まったところで宇都宮も身構える。迸る気迫がラケットに宿るかのように見える。
姫川は一度深呼吸をしてから即座にロングサーブを打った。弾道は低く宇都宮の左上をえぐるようにして放たれた。本来ならほとんど動かないままスマッシュを放てるような軌道だったが、前に体を倒し過ぎた宇都宮には上半身を上げた後でシャトルを打つことになり、一瞬動作が遅れる。その遅れの間に、姫川がシャトルの軌道にラケットを乗せられる位置までたどり着く。
「はっ!」
勢いよく放たれたシャトルを、更に速度を落とさずにカウンターをくらわせる。勢いよく上げられたシャトルを追うのは名田だったが、走り出しが遅かった。シャトルに追いついても打つのはハイクリア。スマッシュがどう打っても武と姫川に通用しないことが理解できてしまったのだ。力任せのスマッシュが通じない相手に対して、名田は武器を持っていない。
「はあっ!」
ロブが上がれば武のスマッシュが生きる番だった。サイドのダブルスラインへとシャトルを打ち込むと、名田は取れずにラケットをコートにぶつけてしまう。
悔しそうに立ちあがり、シャトルを打ち返してくる名田を見ながら、武は冷静にこれまでの自分達を思い出していた。
姫川のサーブにロブが上がれば武がスマッシュを打ってコートにシャトルを沈ませる。
ドライブ気味のシャトルを返しても姫川の防御に阻まれ、抜けても武がドライブを打って封殺する。
歯車がかちりと噛み合って互いの役割を十分に果たすようになると、武と姫川のミックスダブルスは完全に機能した。
前衛の防御役である姫川に、後衛の攻撃役の武。
しかしその実態は、武のアシストによる姫川のフィニッシュだ。武がスマッシュで圧力を与え、姫川の打ちやすいコースへと相手のシャトルを誘導する。あるいは、武のスマッシュによってチャンス球があげられて、それを叩きこむ。真の攻撃役である姫川の動きは時間が経つごとに鋭さを増していき、次々と得点をもぎ取っていくのだ。
「おらっ!」
スマッシュをフェイントにしてのドロップを倒れながらも取った宇都宮だったが、厳しいコースを狙ってヘアピンを打ったはずなのに、姫川の真正面へと打ち返していた。それが、姫川が宇都宮の打つシャトルの軌道を読んで先回りしたことによる錯覚だと、気づいた者はどれだけいただろうか。
「やっ!」
武のスマッシュによるアシストでまた得点を重ねる。
いつしか得点は10対0になっていた。まだファーストサーブから一回もサービスオーバーになっていない。姫川はシャトルを持ってサーブ位置に立ち、一本! と叫ぶ。一点目から繰り返されるルーティンワークは崩れない。武は姫川の後ろで腰を落としながら思っていた。
(今は、負ける気が、しない)
武の確信がコート上へと広がっていく。姫川の動きとシンクロするのを感じながら、武は飛んできたシャトルを打ち込んでいった。
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