Fly Up! 30

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「最後の最後にスピンかけるなんて。さすがだな」
「……偶然だよ」

 立ち上がり、真正面から見つめてくる西村から視線をそらす。最後のヘアピンはインパクトの瞬間にラケット面をずらすことによって、シャトルに微妙な回転をかけるスピンヘアピンとなった。不規則な変化でシャトルを捕らえづらくするテクニック。狙ってやったのなら堂々としているが、西村が視界に入ってきたことで手元が狂った結果という事実が、吉田に負い目を感じさせた。
 顔をそらす吉田に西村は屈託なく笑いかける。その顔はもう思い残すことなどないと言わんばかりに晴れやかで、周りでゲームを観戦していた人々も緊張感で曇っていたコートが晴れた事で、次々と拍手を広げていく。
 その拍手に二人はようやく取り囲んでいた人々に気づいた。

「いつの間に?」
「はっは。超絶試合だったしな」

 試合の間の張り詰めた顔は消え、いつものように笑う西村を見ていると吉田の固まっていた心もようやく溶けていく。
 心の一部までも溶け、空虚な穴が生まれた。

「和也」
「? そんなしけた顔すんなって!」

 コートの下をくぐって西村は吉田の背中を思い切り叩いた。衝撃に咳き込む吉田に向けて、何度も何度も手を振り下ろす。

「ここでやられたからにゃ、リベンジしないとな」
「……リベンジ?」
「そ。全道大会でな」

 全道。その言葉に吉田の目が開かれた。心にぽっかりと空いた穴へと流れ込んでくる西村の想い。自分では埋められなかった空虚が、消えていく。

「俺ももっと強くなるからさ。絶対、中学卒業までにもう一度やろうぜ」

 拳を握り、笑いかけてくる西村に向けて、ようやく吉田も笑いかけた。
 右手を差し出して言葉を紡ぐ。

「ああ。俺ももっと強くなるさ。今度はまぐれでヘアピン決めないように」
「やっぱまぐれかあれ!」

 さっきよりも大きく笑い、吉田の手を強く握る。それに呼応してもう一度周囲の人々が拍手をした。照れくさそうに頭をかく吉田と「どうもー」と愛想を振り撒く西村。

 こうして二人の対決は終わり――

「じゃあ、さよならだな」

 手が離れた。


 * * * * *


 吉田と西村の試合から一夜明け、武達は西村の家の前に集まっていた。引越しのトラックへと荷物を運んでいて、もうすぐ家財道具が全て運び出される。空は雲一つなく太陽光が地上に照り付けて、武達の肌を焼いていた。

(まあ、しんみりする余裕はないから……いいのかな)

 内心でほっとしつつ、武は西村を見ている。当人は、今は林と吉田に話し掛けていて、その後ろで杉田と小林、橋本が武と同じように眺めていた。ついに別れる時が来て言葉が出ない。その思いは同じらしく、西村からずらした視線に三人は一様に微妙な顔をして応えていた。

「お、もう時間だわ」

 西村の妙に明るい声が聞こえて武は意識を戻す。陽光を浴びていることも関係しているのか、晴れやかな笑顔で西村は武達に笑いかけた。少ししんみりしている雰囲気を吹き飛ばすように。

「おーおー。お通夜みたいな空気ジャンよ。俺の旅立ちを明るく見送ってくれや」
「……おまえってさ。どうしてそんな明るいわけ?」

 苦虫を噛み潰すように杉田は尋ねる。同じ部活に入って数ヶ月しか経ってないとはいえ、それまでは共に過ごしてきた仲間であり、いなくなれば寂しい。にも関わらずここまで西村に寂しさが見えないのは釈然としない。
 そんな杉田の心の内を武は理解できた。

(結局、なんでなんだろうな)

 疑問は二つあった。
 西村にとって自分達はさほど気にならない存在だったのか。
 自分達は西村に寂しいと言って欲しいのか。

(どっちもだろうな)

 同じ時に部活に入ったからこそ、絆を持っていると感じたかったのかもしれない。
 暑さに脳が茹でられている中、ぼんやりと考えていると西村が歩き出す。業者のトラックはすでに出発し、残りは自家用車で家族が移動するだけ。

「けっこう、楽しかったぜ!」

 西村は歩みを止めぬまま左手を上げて、見送る一年に言葉を送る。そのまま振り返ることなく車に乗り込み、去っていった。

「じゃーなー!」

 橋本と林が同時に両手を上げて思い切り振る。それに釣られるように全員が、手を振って見送った。車が視界から消え、主のいない家だけが残る。
 見送るべき相手が去って静まり返った場で最初に動いたのは吉田だった。一歩下がり後ろを向き、自転車を置いてあるところまで歩き出す。そこから各自が帰途につこうと後に続いた。

「寂しくなるね」
「まー慣れるだろ、しばらくしたら」

 対照的な顔を見せつつ去っていく大地と杉田。その後姿を見ながら橋本も自転車にまたがり、武を促した。

「いこうぜ」
「ん、ああ」
「ちょっと待って」

 ペダルを漕ぎ出すところまでいた武を引きとめたのは吉田だった。その顔には特に表情は浮かんでいない。しかし、気配が強制的に武を引き止める。

「橋本。先、帰ってて」
「おうー」

 二人の間に流れる微妙な空気を気にすることなく、橋本はペダルを踏んでその場から消える。残っていた林も吉田の無言の圧力に押し出されるように離れていった。

「……で?」

 自転車のスタンドを立て、寄りかかって話を聞く体勢を作る。吉田は主のいない家の壁に背中を預け、腕組みをして武を見ている。その目にあるのは怒りではない。呆れでも無い。

(期待?)

 今までむけられたことが無いはずの感情。おそらくは、西村に今まで向けられていたものが、彼が消えたことで武へと降り注いでくるのだろうか。

「結論から先に言えば、俺とダブルス組まないか?」
「西村がいなくなったから?」

 素直な気持ちを伝える。西村というプレイヤーが消えた浅葉中の一年男子の中では、武は吉田に次ぐ実力を持っている。これから先、ダブルスを組むならば武に白羽の矢が立つことだろう。

「それも確かにある。でも違う理由もある」

 武の問に答える吉田は茶化すわけではなく、ただ視線を武から離さない。

「俺も西村もさ。お前に可能性を見た」
「可能性?」

 壁から背を離し、一歩、また一歩と武へと近づく吉田。徐々に迫る瞳には、強い光が灯っている。

「お前にある力を、俺は引き出せると思う」

 その言葉には確信が確かに潜んでいた。
 吉田から香ってくる自信。それは武の鼻腔をくすぐり、身体中に広がる。むずがゆく感じるのは何のためか。吉田の視線をかわせずに、真正面から対する。

「相沢は絶対上手くなるよ。それこそ、油断したらすぐ俺も抜かれるくらいの」
「まさか」

 吉田の言葉を一瞬で否定する。謙遜ではなく、武の中にも一つの確信がある。

「今まで全然勝ってなかったんだし。そんな上手くなるんなら、もっと早くじゃないの?」

 武の中に甦る、小学校時代の試合。今はその敗戦の数々も体力の無さが原因であるとは分かる。それでも、才能があるのならばもう少し違った道を歩んでいたのではないかという思いはあった。
 努力と才能。
 その才能の片鱗を自分が感じることが出来ないのに、他人が感じることが出来るのか。
 その不審が、吉田の言葉を妨げる。

「相沢は少し勘違いしてるな」

 吉田は少し笑い、指を顔の前で何度か振る。

「多分、俺が感じてるようなものがあるならもっと小学生の時に勝ってたはずだとか思ってそうだけど……体力がないと誰も勝てないぜ」
(なんで分かるかな)

 思考が読みやすいのだろうかと武は顔をしかめた。

「あいつさ、少し前にお前に怒ったろ? 転校するって皆の前で言った時」
「そういえば」

 その時のことは武の中にしっかりと残っていた。周りの皆も、自分も納得の行く答えで西村の提案を遠慮したのに、きつい言葉を投げかけられた。

「相沢に足りないのはさ、向上心なんだよ」

 吉田の指摘に武は思わずむっとなる。小学生の頃に負け続けたことでそういった思いは強いと自分では思っていたのに、それが足りないと言われることは腹の底から黒い思いが生まれる。

「そんなこと……」
「なら、なんで断った?」

 吉田の鋭い返答に言葉が詰まる。信じていた自分の思いが視線に揺らぐ。

「そりゃ。俺も否定はしないよ。でも、本当に向上心があるならあそこで和也の提案を断らないはずだ……って考えがあったんだよな。俺もあいつも」

 武はその時のことを思い出す。西村がさりげなく痛烈な言葉をかけてきたとき、吉田は一言も話さなかった。それは西村の言葉が正しいと思っていたからなのだろうか。

「もっと相沢は貪欲になれよ。そしたら、絶対上手くなる。お前とのダブルス、凄くやってみたい」

 手を伸ばし、しっかりと目を覗き込む吉田。
 その言葉。西村の言葉。過去の自分。そして、今までも自分。
 混ざり合うこれまでの経験。その先に一つの思いを見つけた武は、差し出された手をその思いを掴むようにしっかりと握った。

「強く、なりたい」

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