Fly Up! 295

モドル | ススム | モクジ
 握手を交わした手が火傷しそうなほどに熱く、吉田は顔をしかめながら向かいにいる大樹を見た。自分を見下ろしてくる大樹の表情は悔しげに歪んでおり、心なしか目が潤んでいる。何かを吉田に対して言おうとしているらしかったが、口は震えていて言葉にならないまま手を離した。
 代わりに口を開いたのは、安西と握手を終えた健吾。吉田に向ける視線は穏やかで、ついさっきまで荒々しい試合をしていた相手と同一人物とは吉田には思えない。

「強かったよ。橘兄弟が負けるのも分かる。と言いたいところだが、正規な組み合わせのお前らと対戦してみたかったよ」
「じゃあ、まずは俺と吉田の組み合わせに勝たないとな。順番がある」

 吉田と健吾の会話に安西が割り込んだ。こういう展開で無視されるのは橘兄弟の時でこりたのか、堂々と入っていこうとする。これまでは結果が伴わなかったために言えなかったことも、今回は自信を持って発言できたこともある。吉田と健吾は顔を見合わせて笑い、安西の言葉に同意の頷きを返した。
 ファイナルゲームの末の勝利。吉田と安西のダブルスは、南北海道の命運を首の皮一枚繋げたことになる。

「でも、大阪はまだ負けてない。女子ダブルスで勝って、終わらせる」

 健吾はそう言ってから大樹を伴ってコートから出た。終始、無言のままだった大樹の背中を軽く叩きながら進む健吾を見ながら吉田と安西もすぐコートの外に出る。隣で女子ダブルスが行われているために、出迎えは武と藤田が小さな声でささやかに言ってきた。

「お疲れ」
「お疲れ様」

 すぐ傍では小島や姫川がコートへと声援を送っている。吉田は試合よりも先に審判の向かい側に置いてある得点板に目を走らせた。得点は10対8で大阪のチームがリード。スコアだけ見ればほぼ互角の戦いを繰り広げているように見える。

「早坂のやつ、調子はどうなんだ?」
「正直、まだ戻ってないよ。ほとんどミスを瀬名さんがカバーしてるんだ」

 吉田の質問に武が答える。そのまま、今までの試合の流れと相手の説明を口にした。
 大阪の女子ダブルスペアの栄口華音(さかぐち・かのん)と永澤青依(ながさわ・あい)はインターミドルの個人戦でも全国大会に出場しベスト8を取っている。
 ただし、栄口はシングルスで。永澤は別の選手とダブルスで出場した結果だった。
 県の予選で初めてペアを組んでから、団体戦ではシングルスは木戸に任せて、ダブルスオンリーで試合に出ている。そして、出番が回ってきた試合には全て完勝していた。この大会で初めてダブルスを組んだことで相性の良さを発揮したのだろう。
 スコアだけで見れば、ここまで競っているのは初めてだ。だが、それは早坂の調子が戻り、二人のダブルスがかみ合っているからというわけでもない。
 早坂はファーストサーブを任されたが、ほとんど上手く打てていなかった。ショートサーブは白帯から浮き、相手にプッシュを簡単に打たれ、ロングサーブを打てばアウトになるか高く上がってしまう。それでも、大崩れしなかったのは、瀬名の力だった。

「今の瀬名は……何か違うよ」

 武が言ったと同時に、その違いが見える。
 栄口が吼えてスマッシュを打ち込もうと見せかけて、ドロップを放つ。狙われたのは早坂。スマッシュを警戒して構えていたからか、反応が遅れて足を動かすことができていない。吉田から見れば、それだけでも早坂の調子の悪さが分かったが、それ以上に、シャトルに向けて飛び込んでいく瀬名の調子の良さに目が向いた。

「やぁああああ!」

 瀬名は突進を止めず、力に変えてシャトルをプッシュする。
 勢いとラケットを振る手首の力によって、シャトルはただ打つだけよりも早くコートへと突き刺さる。タイミングが取りづらいのか、永澤は取ることができずにラケットをからぶらせると、そのままふくらはぎにラケットを叩きつけた。苛立っている様子に驚きながらも、武へと言う。

「確かに。早坂は調子が悪くて、瀬名は調子がいいな」
「相手も調子崩されて怒ってるのが影響してるかもしれない」

 永澤は目に見えて分かるほどに怒っていた。少しでも頭をクールダウンするためにラケットでふくらはぎを叩いているのだろうが、ラケットも痛むし体も痛むから、止めた方がいいと吉田は思う。しかし、それで試合展開がこちらに有利になるのなら、損はないだろう。いつまでも座席の後ろで武達と話しているわけにもいかないため、吉田と安西は椅子の前に出て座った。席が離れていたため、安西は岩代の隣に。吉田は武の隣――席の端へと着く。

「それにしても。早坂のやつまだ……」
「でも、少しずつ調子は回復してる。それは、間違いない」

 サービスオーバーとなり、早坂のサーブ。先ほど聞いた通りならばダブルスのサーブは出来ていないが、今回は白帯ギリギリを通ってシャトルは相手側へと飛んでいく。サーブラインに入っていると判断して、レシーバーの栄口がラケットを突き出し、ヘアピンを打った。ストレートに落ちて行こうとするシャトルへと、早坂は瞬時に移動して近づき、ラケットをフェンシングの突きのようにして突き出した。
 シャトルはくるくると回転して相手コートに落ちて行く。更にヘアピンで返そうとしてもネットに完全に触れながら落ちて行き、不規則な回転をしている以上、栄口には拾えなかった。

「ポイント。ナインテン(9対10)!」
『ナイスショット!』

 武の声に合わせて吉田も声援を送る。早坂は一度武のほうを見て、隣に吉田がいることに気づいた。それから今度は、これまで吉田達が試合をしていたコートに視線を移してから、サーブ位置へと戻っていく。状況を判断したのだろう。瀬名に向かって耳打ちすると、瀬名もまた試合が終わったコートを見た。

(分かりやすいな)

 吉田と安西の試合が終わったことに気づいた。そして、自分達の試合が終わっていないことで男子ダブルスの勝利を理解し、自分達が後に続けばいいと分かったのだろう。

「いっぽーん!」

 早坂は伸びのある一声を上げてから、ロングサーブを打った。バックハンドで綺麗な弧を描く。後ろまでの飛距離がシングルスよりも狭いため、スマッシュの餌食になる。ただ、早坂も瀬名もスマッシュを予測して腰を落としていた。それを見たからか、永澤はドリブンクリアをストレートに放ち、腰を落としていた瀬名を後ろへと追いやった。
 しかし、そこは瀬名の制空権。追いついてからラケットを構えて、スマッシュを放つ。
 シャトルはストレートに永澤の胴体へと突き進む。鋭いショットにも永澤は冷静に対応してバックハンドで打ち返した。クロスにネット前に落としたところに追いつくのは早坂。ラケットを差し出して先ほどと同じようにクロスヘアピンを打つ。ところが、今度はラケットがネットに当たってしまい、フォルトを取られてしまった。

「っあー。おっしいな」
「これで、四回目だよ」

 四回という数字が平均的に多いか分からないが、吉田の記憶が正しければ一度も早坂はネットプレイではネットに触れたことはなかった。シングルスプレイヤーでそこまでネットプレイをする機会がなかったこともあるだろうが、練習やその他を通して一度もない。

「調子は戻って来てるけど、ネットとの距離感とか、細かいところがまだなんだ」

 その細かい部分こそ、早坂の真骨頂だと言外に伝えてくる武。
 吉田も最も戻らなければいけない部分が戻っていないことに胸の奥が冷えてくる。
 このチームの女子ダブルスには正規ペアがいない。唯一、藤田と清水は組んでいたこともあるが、すぐに藤田はシングルスプレイヤーとなったため正規ペアとも言えなかった。
 早坂と瀬名。瀬名と姫川。そして早坂と姫川。
 市内の女子シングルスプレイヤーによるダブルスの組み合わせは、同じ市内の女子ダブルスのどのペアをも実力で上回ったため、こうして第一のチームに選抜されている。
 それは三人それぞれがダブルスで生かせる力があったからだ。
 瀬名と早坂のダブルスのスタイルはかなりはっきりした分業制。後衛は瀬名に任せて、前衛は早坂が動く。瀬名の強烈なスマッシュを打ち返してきた相手のシャトルを早坂がインターセプトする。それはさきほどまで試合をしていた吉田と安西のパターンに似ていた。早坂自身の反射神経はそこまで高くないが、小島と同じくたくさんの試合としてきた経験からある程度ダブルスでも打つ方向を予測しており、ラケットを差し出している。そこから、シャトルを微妙なタッチで触ることで絶妙なスピンやコースへ打ち分けるのが早坂の最大の持ち味だった。他にも確かに武器はあるが、最大の武器がまだ本調子ではないのは痛い。相手も早坂の武器と調子の悪さを理解しているためか、早坂が極力前衛に来るように打っている。瀬名にスマッシュを打たれるリスクよりも、早坂に後ろに回られて別のショットを打ってくることで混乱するのを防いでいる。

(間違いない。このチームは、早坂を警戒してる)

 先の沖縄のチームは早坂を過小評価していた。ジュニア大会チャンピオンである君長凛を北海道内で破った唯一の選手として注目されてやってきたが、不本意な結果しか残せずにいつしか注目は外れていった。君長凛が敗れたという結果はあるのだから破ったことは間違いない。しかしそれは、君長凛の方が調子が悪かったなど他の要因が大きく、今回の大会では調子が悪いままだろう、と誰もが思っていたのかもしれない。
 本当に誰もが思っているならば、早坂にとっては良かっただろう。調子が戻って本来の力を取り戻した時、相手が油断していればその分、つけこめる。卑怯な考え方かもしれないが、そういう狡猾な部分を使うのも勝負の一つだ。
 だが、このダブルスは早坂の後衛を気にしている。前衛が上手くないからと前に縛りつけて得点に結び付けようとしているのかもしれないが、永澤と栄口の打ち回しはダブルスプレイヤーである吉田から見れば一目瞭然だった。早坂を後ろに行かせないように、瀬名に後衛に回ってもらうように気を付けて打っていた。

「はっ!」

 瀬名がバックハンドでシャトルを受け止め、そのまま前に出る。早坂は後ろに回り、吉田が見て初めて早坂が後衛のトップアンドバックの陣形となった。栄口は瀬名から離れるようにクロスヘアピンを打ち、追っていった瀬名は無理をせずにストレートにロブを上げた。セオリー通りに瀬名はまっすぐに後方へと下がり、早坂は前に出る。そして、今度大阪の方からクロスドロップで早坂の前の方へとシャトルが落ちていった。早坂は前に出てストレートロブを打つ。コートの左端からクロスに打った永澤は真横に一直線に移動して追いつくと、スマッシュで早坂を狙った。
 スマッシュにはそこまでの威力がない。打ち損じという訳ではないだろう。吉田の目から見て、永澤は完全に追いついていた。移動しながら打ったことで体勢が崩れていたという可能性を考える者もいるかもしれないが、今回は当てはまらない。
 それに気づかなければ、吉田ならばネット前にヘアピンで落として自分も前に移動しただろう。しかし、わざとスマッシュを遅く打ったということで一つの可能性に思い至る。

(――わざと早坂を前に!?)

 吉田がそのことに気づいた瞬間、早坂はストレートにロブを上げていた。向かう先には永澤がいる。今、自分に向かてスマッシュを打った相手に対して再びシャトルを上げて、打ちこんで来いと言わんばかりに身構える。永澤は再び構えて、スマッシュを放った。

「やっ!」

 今度のスマッシュは明らかに一つ前よりも速かった。シャトルが早坂の脇腹をえぐるように突き進んできたのを、早坂はバックハンドでラケットを縦にするとネット前に打ち返す。威力を殺しただけのシャトルは全く浮かないまま白帯を越えていく。だが、飛び越える前に栄口はプッシュで叩き返していた。

「任せて!」

 咄嗟にかわした早坂はそのまま前に腰を落とす。背中からの声を信じて動かなかったのか、早坂は瀬名の邪魔にならないように横に移動する。横を通り過ぎていくシャトルは、前に出てプッシュしてからラケットを戻そうとしていた栄口の眼前に迫る。しかし、栄口は落ち着いてラケットを動かすとシャトルを早坂達のコートへと叩き落とした。

「セカンドサービス。ナインテン(9対10)」

 栄口のところへと打たなければ良かったのかもしれないが、追い詰められた状況で瀬名が取れる選択肢は少ない。返すことができたのも運が半分だろう。コースを狙おうと少しでも隙を探していたならば、追いつけなかったのかもしれない。

(厳しいな。やっぱり)

 吉田は今の早坂の実力を冷静に分析する。早坂の判断力自体は鈍っていない。先ほどのスマッシュも、自分を前に出させるための罠であって誘いをかけたものだ。思惑に気づいてロブを上げたまでは良かったが、次に放たれた本気のスマッシュを取ることができず、ネット前に打つしかなかった。

(判断力があってるなら、早坂の不調は頭よりも体の試合勘が戻っていないってことになる。それはもう、試合を続けることでしか戻らない……この負けちゃいけない場面でっていうのは、辛いな)

 吉田の内心の思いを余所に、試合は進んでいく。瀬名のサーブとなりショートサーブを打ったが、すぐに栄口にプッシュを打ち込まれてしまう。早坂は返したものの、ネットにぶつけてしまった。
 サービスオーバーとなり、栄口のサーブとなる。シャトルを受ける瀬名は、ロングサーブに体勢を崩されながらハイクリアを打った。シャトルを追って回り込むのは永澤。ラケットを振り切ってスマッシュを早坂へと叩きつける。体に対して放たれたシャトルを、早坂はストレートにロブを上げる。再びシャトルが来たところで、今度はクロスヘアピンで打ち返した。そこには栄口がラケットを持って待ち構えていて、プッシュでコートへと叩きつける。

「やぁああ!」

 瀬名が前に滑り込んでラケットを振ったが、ネットに邪魔されてシャトルは返らなかった。十一点目が入り、瀬名は悔しそうにコートにラケットグリップを叩きつける。前面に悔しさを押し出してからため息をついて立ち上がった瀬名に早坂が謝罪をしたようだったが、瀬名は手を振って「ドンマイ」とだけ言うとレシーブ位置についた。

「瀬名は、ああいうキャラだっけ?」

 気になったところを吉田は尋ねる。誰にと方向付けたわけではなく、気になっただけ。
 答えたのは、藤田だった。

「瀬名は……なんか、凄く我慢してるっていうか、必死になって早坂を支えようとしてるみたい」

 藤田の言葉に吉田はまた二人を見る。早坂の不調によって細かいミスから付け込まれる。このレベルのダブルスの試合では命取りになりえるものが。それが本当にたまに起こるものならば挽回できるかもしれない。しかし、早坂の力は全国のベスト4をかけた試合を乗り切れるほどには回復しておらず、負担は全て瀬名に向かってしまう。
 瀬名はどうしても耐えられない時は吼えて、それ以外はため息をついて早坂には「ドンマイ」と声をかける。当人も迷惑をかけられているとは思っていないだろう。共に練習で、チームの仲間として一緒にやってきた今では、瀬名の性格も何となくは把握している。スマッシュで押しまくり、感情を素直に出す武に似たもの。そう簡単に人間が変わるわけでもないため、早坂に対して文句を言わないのは、その文句がないからだ。
 瀬名はミスに落ち込もうとする早坂を鼓舞している。それまで、瀬名が積極的に声を出すことは攻めている時しかなかった。パートナーを導こうとはしていなかった。

「瀬名も、化けるかもしれないな」

 吉田は可能性を感じて呟く。コートの外から見ていて、早坂をメインで見ていたことで気づかなかったが、瀬名は何度もダブルスの窮地を助けてきた。早坂の取り損ねたシャトルを打ち返し、何とかラリーを続けようとする。それでも追い付けず、得点差は開いていくが、吉田は今なら分かる。
 今の11対9という僅差に収まっているのは瀬名のおかげだと。

「はっ!」

 ハイクリアで上がったシャトルを瀬名がスマッシュで叩き落とす。永澤が打ち返したところに早坂がラケットを置いて落としてネットに触れて軌道が変わる。まっすぐに落ちると思っていた栄口はラケットでとらえきれず、コートの外へとシャトルが飛んだ。まだ押し切られないという意思が、瀬名のシャトルには込められている。

「瀬名! 早坂! ストップだ!」

 武の声援に二人は同時に頷いて応える。続いて吉田や藤田。小島など全員が声を届けた。
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