Fly Up! 294

モドル | ススム | モクジ
 吉田の目の前にシャトルが飛んでくる。先読みできていた軌道だったが、想定以上の伸びがシャトルにかかり、ラケットを咄嗟に上げて当てるだけで打ち返すしかない。シャトルはふらふらとネット前に落ちて行き、通常ならばチャンス球になっていただろう。だが、吉田は前に出て追い付き、自分の体を防御に使うかのように想定される軌道の前に立ち塞がる。シャトルが相手コートに入ったところで、健吾がラケットを上げてシャトルの後ろに張りつくようにして接近してきた吉田へと、躊躇なくラケットを振り下ろした。だが、シャトルは吉田の顔の前に掲げてあったラケットに弾かれて綺麗にヘアピンで返される。健吾は振り終えたラケットを動かしてシャトルへと伸ばし、同じようにヘアピンで打ち返す。

「はっ!」

 吉田は流れるようにシャトルに追いついてクロスヘアピンで逆サイドにシャトルを切れ込ませた。急激な角度で落ちて行ったシャトルに健吾は手も足も出ず、シャトルはコートに落ちていた。

「ポイント。サーティーンオール(13対13)!」
『しゃあああ!』

 吉田と安西が同時に吼える。すぐに吉田は傍に近づいて左手を掲げると、安西がそこへ自分の掌を叩きつけた。逆に追いつかれてしまった峰兄弟は悔しそうに顔を歪ませて下を向く。まだ勝者は決まっていないが、今の時点では明確に明暗が分かれていた。

「セティングしますか?」
「もちろん」

 審判の言葉に応えたのは大樹。健吾のほうはまだ下を向いていた。クロスヘアピンが取れなかったことにそこまで落ち込んだのかと吉田は思ったが、すぐに考え直す。後を引きずるほど相手は弱くない。もし、気落ち以外の理由があるのなら。

(……体力、か)

 吉田自身もだいぶ疲労がたまってきていた。沖縄戦もそうだが、その前まで行ってきた試合もけして楽な戦いではなかった。自分達と同じくらいか下の相手であるため差はあるだろうが、体力以上に精神力を消費して、それが動きに影響することもある。
 沖縄戦の疲れがあるのは自覚していても体が動くのは、この試合に対しての気合いがそれまでと異なるから。安西とのペアで、一対一と持ち直してここまで一進一退の攻防を繰り広げてきた。イーブンに追い込まれてとうとう本気を出した峰兄弟と正規ペアではないのに互角の戦いを繰り広げるためには今まで以上の精神力と体力を使うことになる。それは、向こうも同じだったのかもしれない。

「吉田。峯の兄貴の方」
「ああ……仕掛けてみよう」

 吉田はシャトルをもらい、十三点目の位置につく。ちょうど健吾へのサーブ。体力が尽きているのか、これで吉田達が感じたものが正しいか分かる。

「一本!」

 吉田はシャトルを左手で摘み、サーブ体勢を取って睨みつける。健吾はラケットを掲げて吉田のほうに視線を向けていたが、今までとは明らかに違った。サーブを打つたびに感じていた、重たい圧力が消えていた。
 吉田はそれでも慎重にショートサーブを打つ。健吾は前に出てプッシュを打ったが、スピードはあってもパワーはない。後ろに身構えていた安西がロブを上げてサイドバイサイドの陣形になると、シャトルは大樹が追っていた。健吾は前衛の位置に留まったままでラケットを軽く上げてネット前の動きに集中しているように、見える。

(普通なら、な。相手が普通のダブルスなら、違和感はない)

 普通じゃないからこそ、吉田は違いを感じ取っていた。吉田が第一ゲームで翻弄されたトリッキーなローテーションは、ファイナルゲームの終盤からほとんど見なくなっていた。主に健吾の動きが予想の範疇に収まり、更に予想よりも伸びなくなった。さっき吉田が打ったクロスヘアピンも第一ゲームや第二ゲームの健吾ならばとれずとも反応はできたはず。

「らああ!」

 大樹が気を吐いてスマッシュを放つ。安西はストレートに弾道を低く返した。吉田は危険を感じて、咄嗟に前に出る。感じた通りに安西が打ったシャトルの直線上にラケットが置かれていた。健吾のインターセプトしたシャトルはクロスヘアピンになって吉田の目の前に落ちようとする。危うくコートにつくかというところでラケットを滑り込ませてストレートヘアピンを打つと、また健吾が前に出てロブを放った。さっきとは別の違和感。今までならばまたクロスヘアピンで対抗してくるであろう健吾が、体勢を立て直そうとロブを上げた。

「安西!」

 吉田は安西に一言叫んでから、前衛の中心に腰を落とした。安西がどんなショットを打って、相手がどう返してきてもラケットの届く範囲で触れる位置。今、吉田は自分の制空権を完全に理解している。フレームはまだしも、ラケットでシャトルに触れられる範囲は広がっていた。反応速度がここにきて更に高まっている。

「はっ!」

 安西が放ったのはスマッシュだった。左側から右側に切れ込んでいくクロススマッシュ。シャトルはしかし、大樹が一歩前に出て打ち返す。クロスで打たれた分だけ飛距離が長く取りやすい。よほど速ければ別だが、安西のスマッシュでは大樹は逆にチャンス球を打てる。

「おぉおああああ!」
「はあっ!」

 大樹の咆哮に合わせて吉田はラケットを振った。カウンター気味に打ち返してきた大樹に向けて、それを上回るカウンターを放つ。そんなわけはないのだが、シャトルを見ないままラケットを振ってタイミングがちょうどよくあったというような錯覚に陥る。吉田が打ち返したシャトルは大樹の顔の横を通ってコートに着弾していた。

「ポイント。フォーティーンサーティーン(14対13)」

 セティングで五点増えたためマッチポイントではない。吉田は心を揺らさずに場所を移動し、大樹が拾って打ってきたシャトルを中空でラケットを使い絡め取った。

(あと、四点)

 かすかに横から女子ダブルスが苦戦している気配が聞こえる。試合に集中していたため、いつ始まったのかも、今、どうなっているかも分からないが、早坂と瀬名のことを信じて、自分達は勝つことだけを考える。吉田と安西が負けた時点で終わる。勝てば、早坂と瀬名に託せる。そして二人もまた、最後のダブルスに思いを繋ぐはずだから。

(こういう時、相棒はやっぱり頼りになるな)

 一緒に試合をしていなくても、相棒は相棒だった。吉田が繋ぐ希望を武が受け止める。そこまで考えて、吉田は不思議な感覚に包まれた。今までライバルだった安西とここまでのコンビネーションを見せて、助けあっている。確かに同じチームではあり、練習でもこの組み合わせは何度か組んだ。しかし、ここまで合ったことはない。

「安西。お前、何か変わった?」

 サーブ位置から振り向いて安西に問いかける吉田。それに安西は静かに頷いたが何も答えない。更に尋ねようと思ったが、大樹のほうが構えを取ったことで試合が再開する下地が整う。これ以上始めなければ吉田が警告を受けるだろう。

(試合が終わったら、たっぷりと聞かせてもらうか)

 その前にたっぷりと応援の時間があるということには、サーブを打ってから気づく。コートの中央を走るラインに平行に飛ぶように打つシャトル。下から上に打つ以上それはあり得ないのだが、打たれた大樹のほうはそう錯覚しただろう。体をのけぞらせて、シャトルを打ち抜く。
 終盤になって大樹もまたキレが悪くなったのかスマッシュで打てていたものがドライブ気味になる。吉田にはそれで十分で、ラケットを軌道上に差し出すだけでよかった。最小限の動きで最大の効果を狙う。当てるだけで沈めるのは武が前衛の時によくやるが、自分で使ってみるとその威力がよく分かった。インターセプトされて、下に落とされると分かっていながらも防ぐ手段がないのだ。打たれてしまってはどんなに読んでいても取るのは半分以上運に頼るしかない。

(無理矢理にコースを狙おうとすると失敗するからな)

 落ちて行くシャトルと、取ろうと前に出る大樹を同時に視界にとらえながら吉田は思う。大樹のラケットはシャトルに届くことなく、コートに落ちて転がった。十五点目。勝利まであと三点。高揚する気持ちは応援してくれる外に任せて、吉田は逆に深呼吸をしながら落ち着く。現状を正確に分析して、相手の隙を探す。
 探すと言っても、今の吉田には峰兄弟の隙が驚くほどよく見えていた。
 今や健吾だけではなく大樹も前後左右へシャトルに追いつく速度が落ちている。この終盤にきて明らかな体力切れ。あまり動いていなかったはずなのにと考えて、吉田は一つ思い至った。

(そうだよな。動くことだけが疲れる要因じゃないよな)

 純粋に動くことで減っていく体力。その他にも、思い通りに動けないことによるフラストレーションからくる体力消費もある。第二ゲームの、安西の打ち回しで自分達の持ち味を封殺されたことが、今になって二人の足に来ているのかもしれない。

「ラストスリー!」
「一本!」

 吉田の声に続くように吼える安西。峯兄弟は声を上げずに、コートの外からの声援が大きく背中を押そうとしている。シャトルを手に取り、吉田は健吾に向けてシャトルを打つ。今度はタイミングを外す意味も込めて構えてから一瞬で放つ。シャトルが白帯を越えてフロントライン上に落ちても、健吾は動けなかった。足元に落ちたシャトルを拾い上げて吉田へと打ち返す。その動作のあまりのあっけなさに、試合を諦めたのかと吉田には映った。
 十六点目。残り二点。着々と勝利の瞬間が近づいてくるが、吉田は不安を深くした。考えすぎることで委縮して、ミスをしてしまうことはあるため、できるだけ目の前の一点を取るために集中したいと考えるが、峰兄弟から伝わってくる不気味さに気を取られてしまう。

「吉田」

 後ろからかかる声に振り向き、安西と視線が合う。安西は一つ頷き、吉田に何かを伝えようとしてきた。

(……目の前の一本、か)

 安西の視線の意味を捉えて、吉田は一つ頷く。アイコンタクトで伝わる意思。今、自分達はダブルスとして完全に機能していた。次のレシーバーである大樹に向けてシャトルを構え、今度はコート中央に向けてシャトルを打つ。バックハンドで打ち上げたところにラケットを伸ばしてフレームだが当てていた。シャトルはふらふらとふらつきながらもネット前に落ちて行くも、大樹は打った直後の体勢の立て直しが上手くいかずにシャトルに追いつけなかった。
 あっという間に得点を重ねて、十七点目。吉田は自分でシャトルを拾い、最後のサーブ位置についてサーブ体勢を取った。それまでの激闘が嘘のようにあっけなく来たラストポイント。峰兄弟の失速もあるが、吉田と安西のダブルスとしての集中力の高まりが、最後の最後に引き離した。

「ラストいっぽ――」

 吉田の声を途中で終わらせたのは、体の下から巻きつくように締め付けてくるプレッシャーだった。サーブの構えを解くわけにもいかず、ゆっくりと息を何度か吸ってから、健吾を見た。
 再び現れた巨岩のイメージ。連続して得点出来た相手とは思えないくらいのプレッシャーを再び健吾は放ってくる。健吾だけではなく、大樹までがシンクロして闘気を高めて行く。

(そうか。これが、嫌な予感の正体か)

 ただ得点を重ねられていたのではなく、体力と気力の回復を狙っていたのだと気づく。無謀にも見えるが、峰兄弟のプレイスタイルを知っているわけではない。本当に追い詰められれば負けという時に真の力を発揮するようなダブルスなのかもしれない。それでも、吉田はプレッシャーを受け止めて残り一点を取るために集中する。

「ラスト一本!」

 言えなかった言葉を再度叫び、シャトルを飛ばす。弾道が低いロングサーブ。健吾は瞬時に体を寝かせてスマッシュを放つ。
 やはりセティングに入った当初の動きではなく、ファーストゲームに匹敵する反応速度と威力でスマッシュが放たれる。本来なら安西が取るべきシャトルだったが、吉田は自然と体が動き、ラケットを突き出していた。振ることはできなかったが、ラケット面で打ち返すことは可能となり、シャトルがネットを越えて行く。
 打ち返して前に出た吉田の視界に映ったのは、健吾の姿。
 自分が打ち返されたシャトルは自分で打ち落とすという気合を込めてシャトルにラケットを伸ばす。しかしネットから浮かばなかったシャトルに弾道が緩やかになった。それを触るのはまた吉田。威力は少なかったものの、咄嗟に差し出したことで運よくネット前に返っていく。跳ね返るコースを予測してなのか、健吾がまた前に回り込んでプッシュを狙う。
 プッシュとヘアピンの攻防戦が四度、五度と繰り返されて、粘り勝ったのは吉田だった。六度目のプッシュに吉田がタイミングを合わせてロブを放つ。それまで何とかヘアピンを返したタイミングとほぼ同じ。ほんの少しだけ持つことができた余裕によって打った健吾の頭上を越えていく。カバーリングで走ったのは大樹。絶妙な場所に打ったはずだったが、その場所が逆に吉田から次のシャトルの飛び出してくる位置を遮らせた。健吾の背中からどちらかに放たれるのは、前衛に向かうものだろう。ロブを上げれば多少反応が遅れても追い付ける。ネット前に落とす軌道ならば反応できたとしても下から上に打つしかできなくなり、次の健吾達のチャンスへと繋がる。

(右か、左か!?)

 吉田が躊躇する間に、シャトルが放たれる気配がする。咄嗟に右に飛んだ吉田は、シャトルが逆方向に行ったことに気づいた。完全に読み間違い。けして追いつけない距離ではなくすぐに切り返せばいい。相手のチャンス球にはなるが、ロブを上げるくらいは可能だ。
 だが、切り返そうと踏ん張った右足が痺れてコートを突き離せなかった。

(――こんな時に!?)

 脳裏に蘇る、全道大会の橘兄弟との戦い。武よりも先に体力が尽きて、足が痙攣して最後には攣ったこと。攣った足のダメージが酷く、西村達と決勝戦を戦わないまま全道大会は幕を閉じたのだ。

(ここでまた、俺が足を引っ張るのか……)

 痛みに試合ができなくなれば、途中棄権で試合が終わる。
 自分のせいで負ける。そんなことを許せるはずがない。
 吉田は何とか足を動かそうとした。痛みがひどくなろうとも、ここで負けるわけにはいかない。
 だが、視界に飛び込んできた安西の姿に、足が止まった。

「はっ!」

 安西はシンプルにラケットを前に突き出し、プッシュを放っていた。シャトルがコートに着弾して跳ねる。シャトルをインターセプトしようとした大樹の左足の前に飛んだシャトルは、そのままつま先へと当たってこぼれた。

「ポイント!」

 審判の声が届く。吉田は少し痛む足に負担をかけないようにゆっくりと立ち上がる。その間に、審判が得点と、勝者を告げていた。

「エイティーンサーティーン(18対13)! マッチウォンバイ、吉田、安西。南北海道」

 吉田は、自然とラケットを掲げていた。
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