Fly Up! 264

モドル | ススム | モクジ
「おぁあああ!」

 武のスマッシュがコートに叩きこまれた瞬間、太田川と田邉は闘志を失って項垂れた。逆に武はラケットを掲げて高らかに吼える。次には安西と岩代を中心に二人への声援が送られた。
 15対4と15対6。
 二ゲーム通してのスコアが示すとおり、武と吉田のペアは危なげなく完勝していた。武がネット前に出て握手を交わした時、最初に得た威圧感は既に相手のどこにもなかった。力強く感じた大きな手も、弱々しく握り返す程度。武と吉田に完全にやられた形になって意気消沈しているためでもあったが。
 吉田と共にコートを出てから仲間達に口々に労われる。武は早坂の姿を自然と探していた。
 早坂は体を起して武の方を見て微笑んでいた。いつもの力強さはなく、まだ敗戦や体調不良のショックは抜けないまでも、回復してきているのは間違いない。武はほっとしつつ、ひとまず次の試合に意識を向けた。

「さあ、次で決めよう。瀬名、姫川」
「まっかせておいて!」
「うん」

 吉田がキャプテンらしく瀬名と姫川に声をかける。本来シングルスプレイヤーである二人がダブルスで全国デビューする。おそらくは自分達が最も驚いているであろう、相性がいいコンビ。中学の間はこのチームでしか見ることができないダブルスとなる。

「次の試合を始めます! コートに集まってください!」

 審判の声に従って瀬名と姫川がコート内へと入った。相手はまるで合わせ鏡のように瀬名と姫川に似た髪形をしていた。気の強そうな瀬名と天真爛漫そうに見える姫川。相手のそれぞれの役割が同じかのように武には見える。

(似たような子はいるもんだよな)

 瀬名と似ているのが山口。姫川に似ているのは豊田と呼ばれている。握手を交わす時はわざわざ一度並びを変えて互いに似ている相手の前に立って握手をしていた。何の意味があるのかと思ったが、山口や豊田から伝わってくるのは瀬名と姫川への対抗心だと気づく。

「あの二人……多分、全国区だぞ」

 吉田の言葉に武が反応する前に、小島が後を続けた。

「山口奈月と豊田怜奈。確か、小学校の時から全国に出てたダブルスだな。静岡は女子が強いってことかね」

 自分の相手や武と吉田の相手はスコア的には簡単に勝てたが楽だったわけではない。あくまで試合の流れに乗れただけで十分強かったのだ。それでも武は小島の言うことにも一理あると思っていた。早坂の相手の藤原青依といい、今回の山口と豊田といい、全国大会に出ている分、自分達よりも格上だった。

「気をつけろよー、二人とも」

 小島が軽く声をかけると、瀬名と姫川は同時に振り向いて頷いた。その顔に、緊張はない。

「さて、どうなるかな」

 吉田の呟きに含まれる期待感に、心躍る自分を自覚せずにはいられなかった。自分の試合以上に、瀬名と姫川が全国区のダブルスにどこまで通じるのかを見たいという思いが強くなった。

「オンマイライト。静岡。山口、豊田。オンマイレフト。南北海道。瀬名、姫川。フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」

 姫川と瀬名の、全国デビュー戦が幕を開けた。

 ◆ ◇ ◆

(まずは牽制、かな)

 ファーストレシーバーの姫川は斜め向かいの山口の視線を追いながらどちらのサーブかを予測する。直感的に、自分のプレイスタイルに似ているように見えた山口は、シャトルを鋭いロブで打ち上げてきた。咄嗟に後ろに体を飛ばすようにして、そのまま勢いに任せて背筋をそらせながらシャトルにラケットで狙いをつける。

「はっ!」

 体を寝かせたままで打ったシャトルはドライブ気味に豊田へと返された。体勢を戻す途中で視線を向けると、瀬名と似たような雰囲気を持つ豊田がラケットを振りかぶった時点で悪寒が走る。

「左!」

 姫川が咄嗟に叫んだ一言に瀬名が反応する。
 ドライブをドライブで返されたが、その方向に瀬名はラケットを出していた。カウンターのカウンター。更にそこへラケットを合わせて打ち抜く。

「やっ!」

 女子にしては大きな破裂音と共にシャトルが打ち返される。シャトルはまっすぐに山口の顔に向かって突き進み、額にぶつかって宙を舞っていた。当てられた山口はその場に尻もちをついて額に手を添えて蹲る。

「あ、ご、ごめんなさい!」

 ネット前に近づいてコートに蹲る山口に向けて謝罪する瀬名。その顔から心の底から心配しているのは明らかで、山口が起き上がって「大丈夫」と言ったところでほっと一息を吐いた。
 試合が再開されてサーブ権が姫川へと移る。シャトルをもらって羽を整えながら瀬名に向けて静かに呟く。

「瀬名っち。もっと打ち込んでよ。体とか頭とか」
「あんたも性格悪いわね」
「当たり前でしょ。瀬名っちのスマッシュの強さを今、使わないでどうするのさ」

 酷いことを言っている、と気持ちが若干引いている瀬名も否定はしない。姫川はそれが分かって笑った。シャトルを持ち、バックハンドで構えて山口に向けてシャトルを打つ。無論、ショートサーブと思ったが、先ほどのことを思い出して即座に低い弾道で打ち上げた。
 山口は姫川と同じように反応してドライブを打つ。しかし、先ほどと違うのは、姫川がシャトルが進むコースにラケットを置いてヘアピンで打ち返したこと。カウンターのタイミングが早すぎて、豊田がカバーに入る余裕がなかったのだ。

(上手くいった上手くいったー)

 半分以上まぐれのカウンター。だいたい返されるであろう弾道を見極めてラケットを即座にお気に行く。最短距離にラケットを置いたつもりのため、違う軌道ならば瀬名が間に合うだろうと判断してのもの。結果として、十分なプレッシャーとなって相手の動きさえも封じていたようだが。

「ナイスヘアピン」

 後ろからかかる声に応えて、振り返ると同時に軽く手を合わせる。耳に届く乾いた音が心地よくて、姫川は頬が緩むのを止められない。

(なんだろ。全道の時より、ダブルスが楽しい)

 まだ始まったばかりでも、相手からくるプレッシャーは強まっている。今のワンプレイだけで姫川は要注意だと気づいたのだろう。
 実際に、姫川はここから徐々に全国に名前を知られていくこととなる。

「さ、もう一本行こう」
「うん」

 背中を押されるように姫川は次のサーブ位置に立つ。次に待っているのは豊田。瀬名と同じ雰囲気を持つ同い年であろう女子。吹きつけるプレッシャーに、早坂と同レベルのものを感じた姫川は改めて山口と豊田というダブルスを意識的に一歩引いて見た。

(やっぱりこの人達、全国区かな。ゆっきーと同じような圧力感じるし)

 体に迫ってくるプレッシャーは急に強まる。自分のワンプレイが相手に最初から最大級の警戒を抱かせたのだと気づき、一度ゆっくりと息を吐く。侮ってくれていれば、あっさり勝てたかもしれないが、それはそれで楽しくない。自分の中の衝動にしたがって姫川は高らかに吼える。

「一本!」

 ショートサーブを打ち、すぐに前に出る。だが、同時に相手から放たれたプッシュでシャトルが眼前に迫っていた。咄嗟に体をひねってかわすと、ラケットをサイドストロークで振りきる瀬名。次に打たれたのはストレートのドライブ。山口と豊田の間を打ち抜くように進むシャトルだったが、バックハンドの山口が迷うことなく瀬名の左側へと打ち返していた。短い間隔で速いシャトル。シャトルを打った直後のためにラケットを戻せず、瀬名はシャトルの様子を見守るしかなかった。
 取れなかったシャトルはダブルスのサイドライン上へと落ちていた。

「セカンドサービス。ワンラブ(1対0)」

 姫川は一度息を吐いて「ごめん」と謝る。瀬名はシャトルを拾って羽を整えながらサーブをするために近づいてきた。そこで姫川に呟く。

「別に。相手は強いってことでしょ」
「うん。たぶん、全国区」
「そっか」

 瀬名は斜め上を向いて溜息を吐いてから笑顔になって姫川へと言った。

「でも、なんか負ける気はしないわよね」

 すぐにサーブ姿勢を取ったことで姫川も少し後ろで腰を落とす。表情は変化しないよう感情を抑え込むが、心の中では瀬名の発言に嬉しさが込み上げてくる。正規のダブルスでもない自分達が、おそらく全国区であろう二人に対してさほど恐ろしさを感じていない。吹きつけてくるプレッシャーを感じても、なお。

「一本!」

 瀬名のショートサーブは少し浮き気味になり、山口は絶好球と行動で語るように力強いプッシュを打った。真正面ではなく瀬名の進行方向と少し被るような斜めに。そうすることで姫川からブラインドとなると思ったのかもしれない。
 だが、姫川には動きだしの遅れはさほど関係なかった。

「――はっ!」

 足に力を入れて文字通り、飛ぶ。
 シャトルへとラケットを追いつかせて、ネット前にギリギリ落ちるように力を調節したシャトルは、狙い通りの位置に落ちていく。

(これで――)

 姫川が決まったと思った瞬間、ラケットが差し出される。山口が床を滑るように体をスライドさせて移動し、ラケットをシャトルへと当てた。決まると思っていたシャトルをヘアピンで返され、さすがに姫川も動きが止まる。

「はっ!」

 その硬直を解いたのは、瀬名のバックハンドプッシュだった。
 力強いバックハンドから放たれたプッシュは、豊田のラケットをかいくぐってコートに落ちていた。小気味よい音に合わせて瀬名が「やー!」と吼える。続けて姫川に向き合うと左手を掲げた。姫川も意図を察して左手を上げると、瀬名が思いきり掌を叩きつける。痛みに顔をしかめた姫川は、文句を言おうとして口を開く。
 だが、先に言葉を紡いだのは瀬名だった。

「詠美。油断しすぎ。相手は格上なんだから」

 相手に聞こえないようにするためなのかもしれないが、もう少しで唇が触れそうになる距離まで近付かれて姫川は驚きに体を硬直させる。すぐに離れても心臓は高鳴ったままだった。
 それでも言われた言葉の意味にはすぐに気付いて頬を軽く張る。

(そう……油断してるわけじゃない。多分、嬉しいんだよ)

 他の中学の、強い仲間達と共に全国の舞台に立つ。それだけで、姫川はどこか舞いあがっていた。満足していたのだ。強い相手と当たるのも同じように「いい経験」とだけしていたのだ。早坂が体調が悪く、負けたとうことがあっても、どこか楽観視していたのかもしれない。

「そういうとこ、ちゃんと怒ってくれるから瀬名っち好きだよ」
「ん? 何?」

 サーブ位置に立って姫川の準備が整うのを待っていた瀬名は、後ろにいた姫川の声が聞こえなかったのか聞き返す。なんでもないと首を振り、姫川は改めて腰を落とした。そして横目で早坂の方を見る。
 負けた当初はうつむいて武達の応援をすることさえもできなかった早坂だったが、今は試合を見る余裕が出てきている。その弱り切った姿を見るのは初めてで、姫川の中に少しだけ悲しさが広がった。それは早坂が負けた当初にも感じていたことだが、武と吉田の試合を見ていく内に消えていき、今ほんの少しだけ顔を出す。

(ゆっきーのために勝つとは言わないよ。尊敬してるけど、やっぱり負けるのは自分が弱いからだし。やっぱり自分のために勝ちたいしね。負けるのも自分だし。だから)

 瀬名のサーブが放たれ、豊田がストレートにプッシュを打つ。即座に反応した姫川はラケットを振り切って、ロブを飛ばした。しっかりと奥へと向かうシャトルに追いついた豊田がラケットを振りかぶる。すぐにプレッシャーが増して姫川の背筋を悪寒が走る。

(――こい!)

 豊田が鋭い呼吸と共に打ち放ったシャトルは、まっすぐに姫川へと向かって来る。しかし、姫川にはその軌跡がスローモーションのように見えた、気がした。
 自分へと向かって来る軌道。だが、届く前にラケットを置いてしまえば問題はない。
 結果、シャトルはふわりとした軌道で返り、途中で遮られることなく相手コートに落ちていた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」

 姫川は妙な感覚に襲われていた。前にも同じようなことがあったような気がするが、すぐに否定する。シャトルがゆっくりと見えるようなことは、今までにない。周りがどう反応していいか分からずに静まり返った状態は、一つ前の試合で武が凄まじいスマッシュを打ち込んだ時のものだと気づいた。

(なんだろう、今、よく分からなかったけど)

 スマッシュを返された豊田はポーカーフェイスを装っていたが、瀬名が「ナイスヘアピン」と言いながら近づいてきて囁く。耳元で相手には聞こえないように。

「平然としてるけど、結構ショックだと思うよ。多分、スマッシュで黙らせようとして力いっぱい打ったはずだから」
「……同じスマッシュが得意系女子として?」
「なにそれ。でも、そんなものかな」

 瀬名は多少機嫌がよくなったのか、鼻歌を歌いながらサーブ位置につく。それが、サーブを失敗しても姫川が取ってくれるはずという信頼の上に流れてるようで姫川は苦笑する。

(どうせならちゃんとサーブ打ってよね)

 油断ではなく余裕。心に広がる穏やかな部分が相手からくるプレッシャーを受け止めて溶かしていく。
 瀬名のショートサーブに今度は山口がヘアピンを打つがすぐに瀬名がロブを上げる。
 無理せずに後ろに下がってサイドバイサイドの陣形を取って迎え撃つと、今度は瀬名へ向けてスマッシュが打ち込まれる。だが、姫川はヘアピンだったことに対して瀬名はバックハンドでクロスに打ち返していた。確かに女子としては速いスマッシュが綺麗な軌道を描いて逆のコート奥へと飛んで行く。構えたままフットワークを素早く使って追いついた豊田はダブルスライン際に向けてスマッシュを打ち込む。姫川はラケットを差し出して、咄嗟に軌道上から外した。
 床に着弾したシャトルに対して、審判が告げる。

「アウト。ポイント。フォーラブ(4対0)」

 相手のプレッシャーが弱まる。得意なスマッシュを返されたことで調子を崩したのか、自分からアウトにする。このままいけばおそらくは勝てる。そう思ったところで姫川は頭を振って考えを打ち消した。
 先ほど瀬名に言われた通り、相手は全国区。自分達よりも何倍も修羅場を通ってきたのだろう。

「でも、負けない」

 自分の中で扉が開く音がする。
 心の奥底で扉を固く閉じて、中にいた自分が少しだけ顔を出す。人に対して思ったことをそのまま抵抗なく言う自分の象徴。果てしなくドライな自分が徐々に現れる。
 普段の友達づきあいの間だと支障が出るが、バドミントンのプレイ中なら話は別だ。
 すなわち、相手の嫌なところを突き続けるために必要な要素を持っている自分を解放する。

「瀬名っち、行こう」
「分かってるよ」

 瀬名の後ろで腰を落としつつ、姫川は自分の中から余分なものがそぎ落とされていくのを感じていた。残るのは、どうやって相手の嫌なところを突いて、勝つかのみ。
 嫌な自分を受け入れて、飲み込んでいった。
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