Fly Up! 26

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 水着を着た時に武が思ったのは、自分の身体は筋肉がついてきたということだった。鏡の前でテレビで見たボディビルダーがしているようなポーズを幾つか取ってみる。

「確かに無駄な筋肉は減っているな」

 後ろから吉田が言葉をかけてくる。そう言う本人も武以上に絞られた身体だった。小学生の時から鍛えてきた証拠を見せられて、武は膨らんできた自信がしぼんでいく。その様子が分かりやすかったのか吉田は笑って肩を叩いた。

「相沢も中学入ってからにしてはいい線してるって。これからこれから」

 ぽんぽん、と肩を叩いて歩き出す吉田。その後ろについていくと、着替え終えた西村も隣に並ぶ。その顔は緩みに緩んでいる。

「ジャージとかハーフパンツに浮かぶパンツのラインもいいけど、水着もいいよな? な!」
「んなこと言われても……」

 西村の顔からは前に見た暗さは完全に消えている。それが空元気だとしても、武はこうしてプールに誘って良かったと思った。どんな気持ちだったのか推測しか出来ないが転校するというのはやはり寂しいはずだと考えた武は、最後に西村を喜ばせて送り出したかったのだ。
 そこで考えついたのが今日のイベント。

(間違いなく喜んでるな)

 空元気と言う言葉を頭から排除して考える武。自分と吉田に由奈と若葉の水着はどんなのだろうかとめぐらせた想像を語っている。武も西村の上げている点に反応しないわけじゃなかったが、彼のようにおおっぴらに語るのは恥ずかしい。
 通路を抜けて眼前にプールが見えた。その前にあるシャワーを浴びて準備完了。西村が先に飛びだし、その様子に笑いながら吉田と武が中へと入る。

「おおー、塩素くさい」

 これが市民プールと言わんばかりに漂う匂い。だが、すぐに臭さは頭から消えた。その場にいないはずの人物の姿が見えたから。

「早坂……」

 プールサイドに備え付けられたベンチに座っている早坂は、武達のほうを見て固まっていた。
 早坂は競泳用の水着に身を包み、キャップにどうやってしまいこんだのか長い髪の毛を収めていた。武達の姿を見て咄嗟に肩にかけてあったバスタオルを胸まで覆う。武の様子のおかしさに、吉田と西村も少し遅れて早坂の存在に気づいた。

「あれ? 早坂じゃないの!」

 西村は水に滑らないように小走りで早坂の傍へと向かう。座っている目の前にやってきた西村から逃げるように早坂は身体を少しひねった。胸を隠すように。

「部活でも思ってたけどやっぱりスタイルいいよなー、早坂」
「いい加減にしてよ、もう……相沢!」

 大声と言うわけでもないが鋭く武へと声が飛ぶ。隠そうともしない怒りに当てられて、武は肩を落とすととぼとぼと歩いていく。西村を押しのけて立ち上がった早坂は両手を腰に当てながら言った。

「あなた達、三時からじゃなかったの? その前に帰ろうと思ってたのに」
「え? 一時って言ったぞ?」

 早坂の顔に困惑が浮かぶ。武も最初から一時と決めていた。あるとすれば彼女の聞き間違えだと武は考える。時間を決めて、参加を打診する過程を思い出して、一つの可能性に気づいた。

「由奈のやつだろ? 早坂に言ったの」
「そう。三時から何人かでプールに行こうって」
「……多分、十三時って言ったのかも」

 武の言葉の意味を反芻するためか少し時間が空く。その後に早坂の顔に浮かんだ色は聞き間違いを肯定していた。

「あ、早さんだ」

 場の空気を読まない声が届く。振り返ると黄色の上下の水着を着た由奈が歩いてきた。更に後ろからは青地に白いラインが走る水着を着る若葉が続く。どちらもモデルが着るような水着よりも胸を広く覆っていて、武は少しだけほっとした。目のやり場に困るのは気恥ずかしかった。

「でもなんで?」
「由奈が十三時って言ったのを聞き間違えたのよ。一緒にいるの嫌だったから早くきて帰ろうと思ったのに」

 由奈に対しては少し怒りが消えているが、それでも不機嫌さは伝わったらしい。由奈は慌てて「ごめん」と繰り返したが、早坂も納得しきれずに険悪な空気が流れる。

「早坂っていつもきてるの? トレーニングに」

 その場のもやもやとした空気を塗り替えたのは吉田だった。
 武はいつも通りの絶妙なタイミングを取った吉田に素直に感心した。部活内といい外といい、改めて吉田の人との関わり方の上手さを見る。それは橋本にも備わっているものだったが、吉田のそれはより上に立つ者が持つに相応しく思える。
 早坂も少し警戒していたが、問を発せられたからには無視するわけにもいかない。

「あ、うん……毎週、でもないけどね」

 早坂はそれだけ言うとタオルをベンチにかけてプールへと戻っていく。由奈と若葉には笑いかけていくつか言葉を交わし、プールサイドに腰をかけて水を身体に馴染ませた。

「俺等は俺等でやろうぜー!」

 西村は標的を由奈と若葉へと移したらしく、早坂のほうはもう見ずにテンションを上げていた。二人は顔に不快感を少しは出していたが、嫌悪まではいかないらしい。武からすればセクハラとしか思えない言を立て板に水のごとく発していく西村に対して、協力して悪態をついていた。

「どうした? 相沢」
「なんでもない」

 三人は会話を交わしながらも早坂から離れた場所に腰掛けて水に浸かる。その姿を見ながら武は口に出していた。

「吉田、寂しい?」

 何が、と聞き返されることはない。視線が全てを物語っていて、吉田も顔に笑みを消して西村の後姿を見ていた。

「当たり前だろ。ありがと」
「え?」
「プールに誘ったの、あいつを元気付けるためだろ?」

 吉田の言葉を否定はしなかった。徐々に歩みを進めながら、武は一週間前に由奈たちと見た西村の寂しそうな姿を教える。聞き終えて、吉田は少しだけ俯きながら囁くように言った。

「あいつな、あんなんだけど意外と寂しがりなんだよ」

 そう語る吉田の顔は「しょうがないやつ」という呆れの中に暖かさを抱えている。武はそこに、彼等が歩いてきた道の長さを見た気がした。誰もが分かるわけではなく、武だからこそ分かる、道。
 由奈と自分が歩いてきた道に近しいもの。

「よし、俺等も楽しもうぜ!」
「当たり前だろ」

 少ししんみりした武は拳を握りながら叫ぶ。返す吉田の言葉は冷静だったが、やはり熱は保ったままだった。


 ◆ ◇ ◆


「はあぁ」

 由奈はプールサイドから上がり、キャップを脱いだ。中に入っていた髪の毛をかき上げて形を整える。振り返ると男三人が並んで競争をしていた。吉田と西村、そして武。

「これで何度目だろ」

 若葉は少し離れたところでビート板と呼ばれる浮く板に捕まって背泳ぎをしていた。泳げないわけではないが、抱えて泳ぐと楽なことは由奈も分かっている。まだ休憩まで時間があるものの、由奈は一泳ぎして身体を拭いている早坂の傍へと歩いていった。

「お疲れー」
「一緒にやらなくていいの?」
「あの熱さはついてけない」

 男三人は遊びに来たというのにいつしか競泳を始めていた。しかも、言い出したのは武だ。最初の内は並んで若葉や由奈を含めて泳いでいて、西村がたまに女子二人にちょっかいをだしたりするなどしていただけだったが、そのうちに武が競争を言い出した。

「最初は軽いノリだったのにねー」
「相沢って負けず嫌いだし」

 早坂の笑み。それを見て由奈は何故か胸の奥がむずむずとした。同時に広がっていく不安に、思わず胸を抑える。

「どうしたの?」

 心配そうに立ったままの由奈を見つめる早坂。視線に動揺しつつも「なんでもない」と答えて、隣に座る。一瞬過ぎった不安は深呼吸すると消えていった。安堵して早坂に視線を向ける。

「でも、あの負けず嫌いが実力に繋がるのかな」

 膝の上に両肘をつけ、顎を両掌の上に乗せる。視線の先では吉田が一位でプールの端についていた。

「吉田のおかげだよね。武があそこまで上手くなったの」
「そうだね……本当悔しい」

 由奈にしか聞こえないと分かっているからか、早坂は気持ちを素直に表していた。今までなら出なかった思いを聞くことが出来ている。そのことに由奈は困惑よりも嬉しさを覚えた。
 それとは逆に広がっていく不安。

「今度は私が追う番になってくだろうけど、まだまだ横並びのままいくよ」
「うん」

 早坂の強い思い。由奈はようやく不安の正体に気づいた。

(なんか、早さん……武のことが好きみたいじゃない)

 恋愛感情とは違うかもしれないが、執着の度合いがどこか感情と似ている気がした。
 由奈の内心を知らずに早坂は視線を武達に向けている。気づかず泳ぎ続ける三人を見る彼女の顔に浮かぶ柔らかい笑み。笑みの頻度が増えたのはいつだったかと由奈は過去を振り返った。

(やっぱり、武と試合して負けた後から……?)

 由奈は首を振って思考を散らせた。仮に早坂が武を好きだとしても、由奈には何も関係がないと。

(別に武が誰と付き合うとか、誰が好きだとかなんて……)

 そこまで内心で呟いて、止まる。いつの間にか下を向いてしまっていた由奈に、早坂が気づいて声をかけた。

「どうしたの?」
「え!? う、ううん」
「ふいー」

 どう取り繕うか焦った由奈だったが、若葉がプールから戻ってきたことで早坂の視線がずれた。

「やっぱり夏はプールよね」
「確かにね」

 そのまま雑談が始まったことで、気まずさは消えた。若葉は二人とは違って積極的に話すタイプであり、自然と流されていく。そのことに安堵して、由奈は流れに身を任せた。

「本当。男の子って熱いねー。遊びにきてるのにあんなに気合入れられない」
「市民プールだしね」
「あーあーあー。海とかいきたいー。中学生は保護者同伴?」
「そうだね、普通」

 早坂、由奈という順番で若葉の言葉に答えていく。示し合わせたわけでもなく、自然と行われるコミュニケーション。小学生の頃からの付き合いがなせる物。
 由奈にとっては武との会話とは全然違うやりとりに、楽しみを覚える。

(きっと吉田君や西村もこんな感じなのかな?)

 別れる二人の寂しさ。
 自分の持つその感覚を理解できるのは、武以外いないのではと彼女には思えた。 
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