Fly Up! 25

モドル | ススム | モクジ
「おーおー、凄い落ち込みようだ」

 橋本はチョコレートパフェの生クリームを口に運び、こぼしそうになって制服につくのを何とか空いている手で食い止めた。しかし、身動きが取れないその一瞬で由奈は笑いながらクリームを指ですくい取り、自分の口に運ぶ。

「あ、川崎!」
「油断大敵。それにしても、仕方がないよ、武」

 橋本の隣に座っている由奈はストロベリーパフェ。中央のクリームをとり巻くように置かれている四つのイチゴを次々と食べていく。二人の顔に浮かぶのは幸福。部活の後で摂取される糖分が、疲れた身体を癒していくのが武の目に見えた。
 その中で、武は一人浮かない顔のままハワイアンブルーソフトをつついていた。大き目のコーンの中に入っているクリームとブルーのアイス。いつもなら好物だけにすぐ無くなるのだが、いつものペースの三分の一ほどだった。
 武達の街にある、甘味所『桃華堂』は学校帰りの学生が良く立ち寄る場所だ。制服での飲食店出入りは規制されているところもあるが、彼らの学校はそこまで厳しくは無い。
 武と由奈と橋本。
 この三人のデザートを食べながらの会話は、夏休みに入る一月ほど前からの光景だった。

「吉田達はさー。先輩達とずっとやってたんだから。そのままのテンションとかもあるだろうし」
「そうそう。今、あんまり落ち込んでても仕方がないって」
「確かにな」

 二人に返答してからコーンを手に取ると一気に口へとかき込む。ハワイアンブルーのしびれた感覚が舌の上を滑り、脳にまで到達する。痛くなる頭の横を叩いて拡散させると、俯いて呟いた。

「正直、強くなってたと思って油断してたのもあるけど。仕方がないけどショックだよ。凄い差だぁと」
「そうか?」

 橋本の言葉に反応して顔を上げると、すでにチョコレートパフェを食べ終えてスプーンを舐めていた。入れ物の中にスプーンを入れ、一度息を吐くと橋本は言葉を続ける。

「外から見てたけど。さほど差があるとは思わなかったぞ? むしろそれまで試合していた吉田達と練習してたお前らなら、お前らのほうがエンジン掛かる前に終わらせるのは可能だろが」
「そうなの? 私はてっきり、まだまだ吉田に敵わないと思ったけど」
「おいおい……」

 由奈の物言いに落ち込みつつも、武は視界が晴れていく。
 失いかけた自信が戻ってくる。橋本と由奈。二人の言葉のトリックだとは武も分かっていた。何か現状が変わるわけでもないが、適度に武を回復させていく。

(小学校からの縁ってやつかな)

 早坂を含めて四人。おそらく吉田と西村も同じような関係だったのだろう。 しかし、その一人が消える。

(もし、三人の誰かが転校するなら)

 由奈、橋本、早坂。三人の顔を思い浮かべて、突然いなくなる光景を想像する。部活にも、教室にも、学校にもどこにもいない。街で偶然会うなんてこともないだろう。

「それは、嫌だな」
「? どうしたの?」

 由奈の問いかけで、武は自分が思いを口に出してしまったと始めて気づいた。橋本も興味があるのか少し身を乗り出して武を見つめてくる。二人の視線に耐え切れずに、口を開く。

「吉田もさ、寂しいのかなって」
「そりゃ寂しいだろ。寂しそうな顔してたし」

 先ほどと同じように、武は驚きのまま橋本を見た。当の本人はのほほんとして視線を受け流し、あくびまでしていた。気づくことは至極当然だと言わんばかりに。

(良く見てるなぁ)

 小学生の時の町内会でも、ムードメーカーの役割を果たすことが多かった橋本。これまで武は、単に場の空気を読むのが上手いとだけ思っていた。険悪な空気を絶妙なタイミング、そして言葉で霧散させてきた橋本を見てきた。
 だが、この時初めて橋本の能力に触れたような気がしていた。
 観察眼。
 橋本は人をかなり良く見ている。恐らく本人は凝視しているということはないだろう。武や由奈が普通に相手の顔を見るくらいの時間で、彼はより深く見ることが出来るのだ。

「いや、凄いや橋本」

 武の言葉に首を傾げる橋本。由奈も隣で口元に手を当てて笑っていた。
 その時、ガラス越しの外を見た武の視界に見知った人影が飛び込んでくる。

「西村……」

 名前を呟いても、意識は向いていない。呟くこと以外は全て、西村の姿に注目していた。
 肩を落とし、顔を俯かせた様子は今までで見たことが無かった。

(なんだろう……あの、顔)

 武には想像も出来ない。いつもの西村からすればかけ離れた今の彼に、なにがあったのかを。そこで考えたのは橋本のことだった。今、自分の目の前に座る男ならばあの姿を見ただけで理解できるのかもしれない。

「いや、わからんからさすがに」

 武の思いに気づいたのか、橋本は機先を制してきた。その早業に武は唖然とする。

「なんで考えてることが?」
「お前分かりやすいし」

 あっさり言うと橋本は立ち上がる。すでにパフェなどは食べ終えており、あとは話すことでしかここにいる理由はない。由奈も続けて立ち上がったので武も習った。

「まー、人のこと詮索って意味ないしな。踏み込んじゃいけない部分だと思うぞ」

 そう言って橋本は先に店から出ていた。きちんと自分の分は払っていたが。そのまま武達に手を振って自転車にまたがると颯爽と帰っていった。残された二人も代金を支払って店の外に出る。
 外はむわっとした熱気がアスファルトから立ち上り、夏休みも中盤なのだと武は思う。今までずっと部活漬けの日々。

「プールとか行きたいかも」

 隣で由奈がそう言って背伸びをする。武も素直にそれに答える。

「行くか。確か来週一日だけ休みあっただろ」
「え……」

 戸惑いの声に振り向くと、由奈の顔がかすかに赤かった。照れていることにはすぐ気づいたが、何故なのか分からない。

「どうしたの?」
「え、あの……えーと」

 歯切れの悪い由奈に武は徐々にいらだってきた。暑さも手伝って口調が少し荒くなる。

「どうしたってさ」
「いや、別に何もないけどさぁ」
「なんだよ――っと」

 更に詰め寄ろうとして武は額を抑えた。熱くなっていた頭を何度か叩く。自分がいらだっていたことにようやく気づき、ブレーキをかけていた。

「や、ごめん。暑くていらついてた」

 素直に謝る武に由奈もようやく頬を緩める。怒りに緊張していた身体をほぐしつつ、由奈は語る。

「……少し恥ずかしかったの。じゃね」

 そう言って由奈は自転車に乗り、武を置いて走り去っていった。一人残された武は由奈の言葉を何度か反芻する。そこでようやく武は思い出していた。

(水泳って、行ったの小学校五年以来か……)

 小学校五年生の時、夏の体育ということで歩けば二十分ほどかかる道のりを何度か武は担任に連れられて市民プールへと歩いた。いくつかある小学校はどこもプールを備えておらず、他の小学校の生徒達も同じプール内で会ったものだった。
 その時、武は泳ぐことに夢中で女子の水着姿に見惚れることもなかった。数名、少しだけ性に感心がある男子達が騒いでいたのを尻目に体育の成績を最高評価に結び付けていたのだ。
 女子も女子で気にする様子も無く、武も担任の計らいで作られた自由時間に異性入り混じって競争するなど、その間に気恥ずかしさは無かった。

(でもそれくらいからだっけ、二次成長とか)

『女の子』から『女性』へと変わり始める時期が小五だと、保健の授業で習ったのを思い出して武は人知れず赤面した。授業でやるような内容は、年上の人達が見る世界の入り口にもなっていないはずだと頭では分かっている。だが、武はどうしても照れてしまう。

(まだ、女の子とか分からないなぁ)

 一つだけ分かるのは、由奈が徐々に変わってきたこと。
 四月の時と、今日見せた恥ずかしがる姿は武の中であまりに大きな変化に感じられた。見惚れる頻度が最近、上がっていることにも気づいている。

「……でも」

 武は頭を振ってサドルに跨った。自分の中に芽生えた淡い思いを遠くに飛ばすように力いっぱいペダルを踏む。勢いに乗じて自転車は前へと一気に加速していった。

「まだ、バドミントンが一番だ!」

 流れゆく景色に重なるのは吉田や西村。刈田の姿も見える。試合の興奮、実力が上がっていくことへの快感が、近しい女子へと抱いたほのかな思いを覆い隠す。
 頬が赤く染まっていたのは、今まで店の前で考え込んでいたことの恥ずかしさからか。それとも別のものか。
 武自身も良く分からないままで、ペダルを漕ぎ続けた。


 * * * * *


 雲一つない空。一週間前と繋がっているかのような青空に、武はずっとペダルをこいでいたような錯覚に陥った。それでも時間は一週間の時を刻む。部活のメンバーの中でプールに遊びに行く面子を誘い、自分が着る水着を探しに行くなど確実に流れていく。

「お待たせー」

 目的地に人影が見えたことで、武は手を振って合図した。男女一人ずつ。由奈と吉田だった。

(そういや、由奈と行動するのって多かったな、最近)

 部活には大抵は由奈と共に行っていた。若葉が意味深な顔をして「お邪魔虫は一人でー」と言いながら先に出たり、武に遅れて出たりなどしていたこともあるが。
 だからこそ、今日の単独行動は新鮮だった。

(由奈のやつ、どんな水着買ったんだろう)

 単独行動の理由は、由奈が自分の水着を買いに行く時間を取れなかったことにある。武が仲間集めをしたときもしぶしぶ了承したという彼女は、部活での体力消耗などで当日まで買いに行くことが出来なかったのだ。
 由奈がどんな水着を着ているのかを、武は想像してしまう。CMでタレントが着ているようなそれを由奈に当てはめて一人照れていた。

「――おーっす!」

 由奈を辱めたような罪悪感に武は頭を振って、妄想を追い払うように二人へと声をかけた。ほぼ同時に傍に滑り込む。

「おはよ」
「ちょうど時間通りだな」

 吉田が腕時計を見せてくる。時間は午後一時。見渡せばプールの駐車場にも駐輪場にもスペースは三分の一ほど埋まっていた。夏休みに考えることは誰もが一緒なのかもしれない、と武は心の中で呟く。

「えーっと……西村は?」
「若ちゃんは?」

 武が吉田へと、由奈が武へと同時に問い掛ける。そのタイミングのよさに一人笑う吉田。

「西村は水着買いに行ったよ」
「由奈と同じだな……てか、若葉もか」

 武の言葉に由奈が首をかしげる。若葉が遅れている理由を言っていないと気づいて武は話し始めた。呆れ半分に。

「あいつ、去年の水着をそのまま着ようとしてたみたいなんだ。でも小さくなってたってんで、慌てて買いに行ったんだ。当たり前だろうに」
「若ちゃんはスタイルいいからな、羨ましい」
「そうなの?」

 自分の双子の妹だけに、スタイルや綺麗さなどはいまいち分からない武にとって、由奈の言葉は簡単には信じられない。一緒に暮らしていて洗顔や風呂の時間が増えたことや、簡単に部屋に入れなくなったのが変化と言えば変化だが。

「水着着るとそういうの分かるから、少し嫌だったんだよねー」

 そう言いながらも由奈は嬉しそうで、武はより混乱する。視線を転じるとスピードを出して向かってくる二つの自転車。西村と若葉の姿を捉えて武はプールへの欲求を募らせていった。
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