Fly Up! 256

モドル | ススム | モクジ
 白いテープで囲まれたコートの中で、早坂は後ろから前。その逆へと足を動かしていた。それぞれの端に到達したところでラケットを振る。後ろならばハイクリアを。前ならばヘアピンを打つように。頭の中でイメージしたシャトルが自分のラケットの振った軌道に従って飛んでいく。足の踏み込み方によってもラケットの軌道に微妙な差異が出る。強さや軌道の粗さによってシャトルの加減が変わり、些細な変化が生まれる。
 一通りフットワーク練習を終えて交代の指示がされると、早坂は顔に滲んだ汗を手首に付けたリストバンドで拭きつつコート外に出た。そのまま壁に近づいていき、置いている自分のペットボトルを手に取る。口を開けてからしばらく飲みつつコートに視線を向けた。
 入れ替わりでフットワークをしているのは男子。吉田と武だ。反対側では安西と岩代が互いに負けないようにと競っているように速度を上げていく。上げ過ぎると雑になるために吉田コーチからたびたび指導が入り、その都度修正されていく。早坂は半分は呆れて、もう半分は頭にある光景を浮かべながら吉田を眺めていた。

「ゆっきー。どうしたの? 吉田君ばかり見て」

 声に導かれるように横を向くと、いたずらっぽい笑みを浮かべた姫川が立っていた。口元にわざとらしく左手を当てて笑いをこらえているように演じている。早坂は手刀を作って軽く頭を叩いた。

「あいた!?」
「わざとらしい。なんでもないわよ」
「うっそだー。なんでも無いような視線じゃないよ。冷やかすような感じじゃなかったのは謝るけど」

 姫川の言葉に早坂はため息を付く。姫川の人間観察眼はどうなっているのか早坂は頭の中をのぞいてみてみたいと思うほどだった。

(何も言わないと余計な詮索されたり誤解されそうよね……)

 しばらく言うか言わないか考えていた早坂だったが、最終的に言う方向に天秤が落ちた。姫川の性格上、黙っているよりも告げて秘密と言った方がいいと判断し、姫川へと声をかけて指で自分の傍に呼ぶ。二人で壁に寄りかかり、小さな声で早坂は語りだす。

「えっとね。全道大会の終わった日に、君長と……有宮小夜子に会ってたんだ」
「ありみや、さよこ?」
「ジュニア大会で全国二位だった選手。つまり、君長の次に強い女子よ」

 首を傾げる姫川に早坂は簡単に説明する。それだけで納得言ったのか、姫川は「へぇえ。凄い」と小さく驚いて見せた。本当に驚いているのかは早坂には分からないがそこが本題ではないため先に続ける。

「私の試合が終わって、相沢達の試合が始まった時に少しフロアの外に出たのよ。で、そこで会って……話をしたのよね」

 早坂はその時のことを振り返る。脳裏に浮かぶ光景と、言葉。まだ四日しか経っていないが、それでもほぼ完璧に思い出せた。

 * * *

「せっかく、三人が集まったんだし、少し話しましょうよ」

 有宮は心底楽しそうに笑顔を見せて言った。初めて会うにしてはやけに馴れ馴れしく言ってくる相手に、早坂は不快感を隠さない。元々少し人とコミュニケーションをするのは上手くないと思っている。身近な友達でも気軽に気にせず話せるような人間は少ない。

(姫川ならこういう時上手くいくんだろうけど)

 そう考えて、相手がどこか姫川のような雰囲気を持っていることに気づく。有宮と呼ばれた女子は早坂の態度に合点がいったようで何度か頷いてから口を開く。

「あーあーごめん。自己紹介がまだだったね。私は有宮小夜子。東東京代表として、今度早坂さんのチームか、凛のチームと対戦するかもね」
「ありみや……さよこ?」

 聞き覚えのある名前に記憶をたどる。だが、体の力が一瞬だけ抜けてふらりと早坂はバランスを崩した。すぐに立て直したが、君長と有宮の視線を受けて恥ずかしくなり、俯く。そのままゆっくりと君長が座っている椅子から少し離れて配置されたところに腰かけた。ゆっくりと息を吐いて心も落ち着かせる。その間に有宮が助け舟のつもりなのか言葉を続けた。

「そ。有宮小夜子。東東京代表。そして、この前のジュニア大会で凛とシングルス決勝で試合したんだよ」

 有宮の言葉にようやく早坂は合点がいく。
 ついこの前に読んだバドミントンマガジン。自分が行けなかった全国大会へと出場した君長がどうなったのかを確認したくて、いつもは立ち読みで済ませている雑誌を買った。書かれた結果だと、君長の優勝となっており、改めて打倒君長を誓ったのだ。その時は君長しか見ていなかったために相手が誰というところまでは読んでいなかったのだ。名前の字面だけは記憶に残っていたため、引っかかったのだろう。

「その、有宮さんがこんなところにいていいの? 自分の所の試合は?」
「あー。私だけちょっと用で函館に来てたのよ。私のチームは私がいなくても代表になったよ」

 全国で二位ならば、間違いなくチームのエースだろう。そのエース抜き。つまり九人で予選を勝ち抜いたということになる。今回の大会にはチームのメンバー変更は基本的に認められておらず、認められたとしたら前のメンバーに戻すことはできない。人数的には確かに問題はないが、そこには怪我というイレギュラーも生まれる。もしも、女子に一人でも怪我人が出たらその時点でチームは敗退していたはず。

(有宮さんは、自分のチームが負けるなんて思ってない。それだけ……強いのか)

 有宮の口調の軽さがそのまま自分やチームへの自信に繋がっていると思えて、早坂は少し震える。胸の奥から込み上げてくる衝動。それは君長に対しても抱いたもの。

「私としてはさ、やっぱり凛にリベンジしたかったんだけど。このままこーちゃん達が勝ったら早坂さん達のチームが代表だから、是非早坂さんと戦いたいな」
「戦いたいのはこっちもだけど……自分が勝つって、言う?」
「もちろん!」

 全く躊躇なく有宮は告げる。
 自分に対する絶対の自信が見えて、早坂は徐々に好感を持ち始めていた。姫川のように思ったことをはっきりと言ってしまうのは困る部分でもあるが、好きな方だ。自分の思ったことをストレートに伝えられないところがもどかしいと思っている早坂には眩しいところ。逆にそう言った自分の感情や思考をストレートに伝えられる人間が好きになってきていた。姫川の影響なのだろうと自分で納得する。

「気分悪くした?」
「ううん。そういうはっきりしたところ、好きだわ」
「ありがとうね! じゃあ、サービスしてあげる」

 有宮は早坂の隣に座って肩を軽く叩く。それからすぐに立ち上がり、君長と早坂の両方を視界に収められる位置に移動した。腰に手を当てて座っている二人に顔を近づけるように背筋を伸ばしたまま上半身を倒して言う。

「私が強いってのは自信あるけど、今回言い切ってるのは別の理由だよ。早坂さんはまだ凛に届いてない。今回、凛に勝てたのはいくつも『制約』があったから」
「制約……?」

 フロアの熱気から離れて座っていることで疲れが抜けてきたからなのか、先ほどとは違ってその言葉にピンとくるこが思い出された。
 それは君長との試合が終わった直後。ネットを挟んで互いに挨拶をした時に言われた言葉があった。
「最初から全力を出せなくて、ごめんなさい」と君長は言った。それに連想される行動がいくつも浮かび上がる。
 靴紐を結び切っていないこと。更には、その靴さえも全道大会時のものではなく、わざと完全に合っていない靴を使用していたこと。自分の武器のフットワークを封じた上で試合に挑んだ君長は、最後に全力を出せなかったことに謝った。それが棘のように胸に刺さっている。

「制約って、靴変えたりしてたこと?」

 その言葉は有宮ではなく、君長へと顔を向けて言う。その言葉を受け取って、申し訳なさそうに俯いていた君長だったが、意を決したのか顔を上げて、早坂の顔を真正面から見た。

「はい。実は、全力を出さないようにコーチとお母さんに……言われていました」
「なんのために?」
「私が強くなるためです」

 君長は一度言葉を切って息を吐く。多少の緊張は見えても、君長は続ける。

「私は、ジュニア大会でも特に苦戦しないで……勝てましたから。全国でも結局、接戦になったのは有宮さんだけだったんです。でも、あの時は本当にギリギリで勝てたから、このままじゃ次は負けるって。できるだけ次に当たるまでに強くならないといけなかったんです」

 次に有宮に当たるまでに強くならなければいけない。
 その言葉に早坂は改めてジュニア大会決勝のスコアを思い出そうとした。有宮と君長はそこまで接戦していたのか。
 早坂が記憶をたどる前にやはり有宮が口をはさんだ。

「ファイナルゲームまでやって、全部セティングだったよ。ほんと、あと一歩だったんだから。ねぇ、凛」
「え、ええ」

 君長はバツが悪そうに早坂の方をちらちらと見ながらも有宮に同意する。早坂からすれば必死になって勝利を掴んだ相手が本気を出していないばかりか、君長がギリギリ勝てたような相手が目の前に立っている状態だ。両方とも戦った当人としては気が気ではないはず。
 早坂は一度息を思いきり吸ってから、勢いよく吐いた。

「別に気まずそうにする必要はないわよ、君長。事実なんでしょ」

 頭を思いきり下げてうつむいたままで呟く。声が普通に話す時と変わらないことで君長も有宮も首をかしげた。理由は早坂が顔をあげたことではっきりとする。自然な微笑みが浮かんだ早坂の顔。先ほどまでとは違う、穏やかな笑みに二人とも呆気にとられていた。

「有宮さん……あ、同い年だし、呼び捨てでいいよね?」
「う、うん。いいよ」
「ありがと。今の時点で有宮が強いことは十分伝わった。今の私じゃ勝てない」
「その分だと、後なら勝てるって言いそうね」
「勝てるわ」

 早坂はゆっくりと立ち上がって二人を交互に見る。体力は座っていたことでだいぶ回復していた。もう少ししたらフロアに戻っていけるだろう。そう思ってフロアに続く扉を見る。視線をそちらに向けたままで二人へと告げる。

「君長。あんたはあんたのコーチや母親? に言われたとおりにして私を侮って本気を出すのが遅れたから負けた。そして、あんたのチームは私達に負ける。有宮。あんたは全国で成長した私に倒されるわ」

 早坂の言葉に息を飲む気配が伝わってくる。発信元は君長だろうと早坂は瞬間的に悟る。他人に言われたからと言って本気を出し渋っていた判断ミスで自分に倒されたのだから、同情の余地はない。逆に有宮は楽しそうに笑う。

「あはは!? 言ってくれるじゃない。早坂さんってそんな性格なの?」
「違うわよ。あんたに合わせてるだけ」

 視線を有宮へと戻して早坂は左手を突き出して指し示す。視線を鋭く、倒すべき相手である有宮へと宣言した。

「待ってなさい。全国で必ずあんたを倒すから。泣いて吉田に慰めてもらうといいわ」
「なんでこーちゃんがそこで出てくるかわからないけど……楽しみにしてる」

 有宮はそう言うと携帯電話を取り出して操作し始める。何回かボタンを押して、早坂の傍へと歩いていった。目の前で携帯を突き出し、言う。

「連絡先交換しようよ。メル友メル友」
「今、携帯持ってないから無理」
「そっか。残念。じゃあ、あとで凛から教えてもらってね。じゃねー」

 有宮は携帯をしまうと二人に向けて手を振りながら去っていった。後に残る静寂に早坂はため息をつく。同時に君長も長い嘆息をしたことで吐息が重なった。

「あんたも大変ね」
「悪い人じゃないんですけど、ストレート過ぎて少し疲れます」

 君長の笑みには疲れの他にも感情が含まれているように思えた。だが、けして悪いものではなかった。

 * * *

「そんなことあったんだ。で、メアド交換したの?」
「閉会式後に君長から教えてもらった。教えないと後で君長が困りそうだったからね。帰りの電車とか一日に一回はどうでもいいメールが来るようになったわ」
「ほんとにメル友レベルだね」

 姫川は有宮の言動がツボに入ったのか腹を押えて笑っている。練習中であるため思い切り笑えないため、何とかこらえていた。早坂からすれば、有宮の自分に素直な言動は姫川に被っているところがあると考えているが、当人はそうとは思っていないのか他人事のように笑っていた。
 しばらくして笑いの衝動が収まってからあっさりと言ってくる。

「で、吉田君を見てたのはなんで?」
「今の話の流れで……分からない、か。有宮が吉田のこと『こーちゃん』とか親しげに言ってたからさ。吉田をちょっと見たらあの時のことを思い出したのよ」
「ふーん。どうやら本当みたいだね」

 ようやく納得したのか、姫川は両掌を後頭部に持っていき、壁と頭の間に挟んだ。視線は二人とも吉田へ向けている。しばらくフットワークを続けていた男子達は吉田コーチの号令によって動きを止めた。各自が息を切らせながらコートを出ていき、壁際に戻っていく。
 吉田は早坂がいる方向へと歩いてきた。そこで早坂は口を開く。

「吉田。有宮小夜子のことなんだけど」

 早坂の口からその名前が出ることを予想していなかったのか、吉田は動きを止める。姫川は何を言い出すのかと首をかしげて早坂を見るだけで何も言わない。吉田は姫川と早坂を交互に見たがどういう意図で言われているのか考えても分からなかったために、自分から尋ねた。

「有宮が、どうした?」
「私が必ず試合で倒すから。泣いたら吉田が慰めてあげてね」

 早坂はそう言って表情を崩した。不敵な笑み。自信たっぷりな有宮を真似てのパフォーマンス。特に吉田に見せる意味はないのだが、彼女に関係する吉田に言っておきたかったのだった。だが、吉田は首を横に振って答える。

「あいつは泣いたりはしないよ。強いからな」

 吉田はそう言って二人の前から去っていく。その後ろ姿がどこか寂しそうで早坂は自分が地雷に触れてしまったかと髪の毛を軽くかく。

「なんか地雷だったね」
「言わなくても分かるわよ」

 姫川に言ったところで次の練習に入る号令がなされ、早坂はコートへと向かった。吉田が見せた寂しげな顔のことは、そのまま忘れてしまったが。

 全国大会まで、残り二週間。
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