Fly Up! 241

モドル | ススム | モクジ
「はっ!」

 早坂のドロップが左前のネットを越えて君長のスペースに入る。シングルスライン上に落ちようとするシャトルを君長が走って来たまま捉えてロブを上げた。ネット前に落とすかと読んでいた早坂は前に進んでいた体を踏み込んだ右足で止めて後ろへ飛ぶように移動する。ラケットを掲げて落下地点に入り、クロスハイクリアで君長を右奥へと追いやっていく。即座に移動した君長はストレートにスマッシュを放ち、真っ直ぐ前に進む。その姿はまるで鳥のように飛ぶという表現がぴったりだった。ストレートに打てばネットを越えた瞬間にプッシュされる。そんな未来を思い浮かべて早坂は少し強引にロブを打ち上げた。クロスではなくストレートへと。
 君長がそれまでヘアピンを打っていた状況でロブを上げたように。今までクロスに上げていた状況で早坂はストレートに打ち返す。君長がシャトルを追って次にドロップを打った時、ネットに引っかかってシャトルは早坂のコートへと届かなかった。

「ポイント。ファイブスリー(5対3)」
(ラッキー)

 早坂は深く息を吐き、緊張を少しだけ解く。君長が自分でシャトルを取りに行き、ラケットで拾い上げてすぐ早坂へと放った。それを中空で受け取ってから左手でシャトルの羽を整える。額から流れてくる汗を右手の甲で拭い、また一つ息を吐く。
 スコアと自分の体力消費具合を見ると、いつもより明らかに疲れている。君長のシャトルを拾う力が他のプレイヤーよりもずば抜けていることもあり、更に早坂も喰らいついてシャトルを拾っていることから、まず試合時間そのものが長くなっている。そして、コースを狙う集中力を持続させ続けていることでいわゆる頭の体力が減ってきている。だが、常に数手先の展開を想定してシャトルを厳しいコースに打ち分けることで、フットワーク速度が尋常ではない君長でも徐々に遅れていく。そうして生まれた隙は小さい針の穴のようだが、そこを正確に通すことでようやく点を取れるのだ。
 既に早坂の体は一試合終えたかのような疲労が出てきている。それを頭を振って霧散させる。

(まだ一ゲーム目の途中。変な風に思っちゃうのは、私が弱気になるから。このペースが最後まで続くのか不安になるから……そんなこと、今は気にすることじゃない)

 余計なことを考えて自分の体力の限界を早めることはない。今はとにかく攻め続けることが姫川に勝つための唯一な方法だ。
 しかし、早坂はどこかで君長に違和感を覚えていた。

(なんだろう……全道で試合をした時と何かが違うような……)

 以前の対戦で自分の中に刻まれた君長凛の凄さ。
 それと比べて今の彼女は何かが欠けている気がしていた。それが何かを考えようとする自分を押さえつけて、早坂はシャトルを構えた。

(気になるけど……もし何かが原因で君長が調子を崩していたとしたら、それは私にとってはラッキーだ)

 挑む気持ちを忘れてはいないが、相手が全力を出せない間に勝ちを拾うというのは試合の中ではありだ。むろん、全力の君長に勝ってこそ価値があるのだが、団体戦とあってはそういうわけにもいかない。相手の事情を気にせず、試合展開に気を向ける。

「一本!」

 宣言してシャトルを高く飛ばす。君長は追いついてストレートスマッシュをライン上に打ち込んだ。早坂はクロスのロブで遠くへとシャトルを上げて君長はそれを追って行く。追いついてまたストレートスマッシュ。それをクロスロブ。似た展開の焼き増し。また、いつ、どちらから仕掛けるかという心理戦が展開される。
 だが、早坂は先ほどまでとの違いにいち早く気づいていた。観客や傍で見守る仲間達から見れば変わったところはないかもしれない。しかし、早坂は徐々に押されていく自分を自覚する。

(スマッシュが……鋭くなってく!?)

 しっかりとロブで返せていたシャトルが、その飛距離を次第になくしていく。上手く打ち返せない分、甘いロブとなり、それをスマッシュで打たれることで更にきついスマッシュを打たれる。悪循環にはまったこの状況を抜け出すには、ネット前に落とすしかない。だが、この状況でヘアピンを打つのは移動速度に絶対の自信がある君長には分の悪い勝負だ。

「はっ!」

 だからこそ、早坂はスマッシュをヘアピンで返した。手首をしっかりと固定してシャトルをネット前へと打ち返す。当然スマッシュを打った勢いのままで前に飛び込む君長に、自分から飛び込むように前に進む早坂。ネットを挟んでぶつかるのではないかと言わんばかりの速度で飛び込んだ二人は、直前で右足を思い切り踏み込んで止まる。シャトルをクロスヘアピンで一足早く打ち返す君長。そのシャトルの軌道を読んで、直後にラケットを差し出して白帯から下がりきる前のシャトルを捉え、プッシュしていた。
 打った直後に返されて君長も反応できずに、目だけがシャトルを追ってコートまで向かう。シャトルは勢いよく床から跳ねて、転がった。

「ポイント。シックススリー(6対3)」
「ラッキー」

 ラケットを下げてホッとしながら呟く早坂。今のショットは出来たのが奇跡に近い。自分のほぼトップスピードといえる速度のまま飛び込んでからの急ブレーキ。方向転換に、ネットにぶつからないようにプッシュ。それぞれの場面で意識を最大限に集中していたため疲労度も違う。それくらいこの点に賭ける値はあったはずだった。

(……あれ?)

 その時、早坂の脳裏に一つの答えが浮かんだ。

(まさか……いや、どうだとしても私は私の攻めをするしかない)

 考えまいとしたことが頭をよぎったことに始まった動揺を抑える。シャトルが放られてきたのを受け取り、サーブ体勢を整える前までに気持ちを落ち着かせると、早坂は君長を睨み付ける。君長はレシーブするためにラケットを掲げて前と後ろどちらにでもスムーズに動けるように自然体に構えていた。
 自分の中にある、君長凛のイメージが前よりも重なっていく。

(体が温まってきたから……調子があがってきたってこと?)

 今までの君長も十分速かったが、それはまだ試合開始初期の状態。体が温まってきてからが本気モードなのかもしれない。スマッシュが速くなったのも、君長の反射神経に体がついていき始めたからかもしれない。

(望むところよ。君長を倒すために練習してきたんだから。それくらい想定内)

 早坂はあえて一本、と叫ばずにロングサーブを打った。高く上がったシャトル。緩やかな軌道を描いてゆっくりと落下していく。無論、君長は落下地点に移動して打ち込もうとしている。ロブを高く遠くに上げるのは相手の攻撃までの間にこちらが防御態勢を整えるため。君長の攻撃パターンを予測して、コートの中で最短距離を目指せるようにシミュレートする。

(止める!)

 君長がラケットを振りかぶり、シャトルを打ち込んできた。シャトルはクロスのドロップ。早坂の右前方へと鋭い軌跡を描いて落ちていく。通常のドロップよりもより鋭いカットドロップ。早坂の十八番だ。

「はっ!」

 早坂は足を広げ、腕を目いっぱい伸ばしてシャトルを捉える。ネットをほんの少しだけ越えるように力を調節してヘアピンを返すと、すぐそばに君長が迫っている。
 ひとつ前のラリーの時とは明らかに違う速度。

(速い!)

 すでにシャトルを返した後。早坂は気を取り直して君長に向かい合う。
 君長はシャトルに追いついてクロスへとヘアピンを放つ。先ほどのラリーの再現。早坂もまたバックハンドに持ち替えてシャトルを追う。
 ネット際を平行に進む二人。早坂は君長の姿を視界に収めながら、打ち込まれないようにロブを上げた。シャトルはコート奥へと飛んでいく。ネット前からフットワークを使って後ろに飛んでいく君長の姿。まるで無重力の中を進むかのように滑らかに、更に速い。そのまま飛び上がってジャンピングスマッシュでシャトルを打ち返してきた。

「はあ!」

 早坂もロブを打ち上げた時点で後ろに下がり、コート中央に陣取っている。スマッシュはストレートに左側シングルスライン上へと正確に届こうとしていた。早坂は着地してから前に出る君長の姿をまた視界に収め、クロスにロブを放つ。シャトルを追っていく君長を目で追いながら早坂は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

(やっぱり君長の速度が……上がってる……少しでも目を離すと見失う!)

 視界に収め続けなければ次のショットを放つ場所を決められない。移動速度が速い君長にはとにかく遠くへと打たなければ隙は作れない。そのために早坂は速いラリーの中でも相手を視界からできるだけ逃さないようにと気を付けてきた。この全道大会の間もその点についてはクリアできていた。
 だが、本番のこの時になって、君長を見失いかけている。

「はっ!」

 君長のスマッシュにラケットを伸ばして何とか弾く。君長の体さばきに目が追い付かなくなっていき、視界の端から消えることが多くなる。それでも今までの経験や君長と直接対決した時のことを思い出しながら、シャトルを打ち分けていった。そうすることでスマッシュで攻め込まれ続けていてもポイントは奪われず、シャトルは空を舞い続ける。
 都合二十回。二人の間でシャトルが打ち返された時に君長がミスをした。

「やっ!」

 前に詰めたところから後ろへと急速度でシャトルを取りに行った君長はバックジャンプのままスマッシュを放った。シャトルは深い角度でネットへと突入し、白帯にぶつかって君長側へと落ちた。

「ポイント。セブンスリー(7対3)」
「しゃ!」

 早坂は自分でも驚くほどに声を出して左拳を作っていた。本来ならば相手のミスのため、あまり喜びたくはない。しかし、粘り強くラリーを続けた結果の君長のミス。どんどん速くなっていく相手の攻撃をしのげば、攻められなくても試合になる。当初描いていた攻めの形を実現できずに苦しんでいるが、今はこのままいくしかない。乱れた呼吸を整えながらコート中央から少し左に立つ。君長がシャトルを返してきてレシーブ位置に付くのを見てから、サーブ体勢を取った。

(あと、四点。一点ずつ確実に……)

 自分に言い聞かせるために、一度目を閉じて心の中で呟く。すると、暗闇の先からトントン、と床を叩く音が聞こえてきた。目を開くと、君長が後ろに下げた右足のつま先で床を軽く突いている音。
 早く打てと催促しているのかと思ったが、特に怒っている気配は感じない。
 早坂は「一本」と呟いてからショートサーブを放った。今までロング主体だったことでショートは意識していないだろう。そう判断してのサーブだった。君長が後ろに一歩だけ下がった後に前に出る。タイミングを外したが早坂も少し軌道は浅く、ネットを越えた後で白帯の下にシャトルが行くには時間がかかる。その隙を突いて、君長がプッシュを放つ。
 しかしシャトルは白帯に当たり、また君長の方へと跳ね返った。これまでに何度か見た光景。早坂は表に出さずに心の中で「ラッキー」と呟く。八点目を取り、遂に第一ゲームを制する先が見えてきた。今日の君長はどこかぎりぎりのシャトルコントロールが甘い気がする。フットワークの速度などは体が温まってきたことで上がって行き、追いついてからのスマッシュの速度も上がった。そのためにシャトルを散らす回数は増えたが、それでも自分が耐えていけば君長は最後にミスをする。苦しくても今のままを保つことが出来れば、勝てる。

(言うのは簡単だけど……でも――)

 そこで早坂は急に背筋に悪寒が走った。
 発信元はネットの向かい。君長はシャトルを拾って早坂へと放り、またレシーブ位置に着いた。点差は五点。一度サーブ権を取り返すことも考えると六点分沈めなければいけない。そこから振り出しに戻して残りの点を取る。今の君長の気迫ならば可能だろう。
 ついに来た、という考えに早坂はラケットを脇に挟んで両手で頬を挟み込むように張った。自分に気合いを入れ直し、シャトルを構える。そうすると今度は君長がタイムを取った。

「靴紐結びなおしていいですか?」

 早坂の目から見て靴ひもは解けてはいなかった。だから審判も一瞬眉を細めるが、タイムを有効にする。君長はしゃがみこんで結んでいたところを解き、クロスしている部分をちょっとずつきつく締めていく。すると緩んでいたことによる紐の余りが徐々に出てくる。それを完全になくすようにしてから、足首の傍で固く蝶々結びをして終える。左足も同様に終わらせて立ち上がり、軽くフットワークを試した後で「ありがとうございました」と審判に謝った。
 そこでもう早坂は気づいてしまった。この行動の意味するところが。

「一本!」

 浮かび上がる気持を押さえつけてシャトルを打ち上げる。君長のレシーブ体勢を見てからだが、整ったと思った瞬間に打ち上げていた。
 自然と試合を早く終わらせようとする。あと三点を叩き付けて、一ゲーム目を取れば精神的にも優位になる。逆にここでサーブ権を奪われて逆転されると二ゲーム目までに気持ちが続いているか分からない。
 試合が始まる前から持っていた君長を倒すという強い気持ちが急速に消えていくのを感じていても止められない。

(こんなんじゃ……でも!)

 君長の攻めは変わらない。しかし、先ほどまでとは明らかに違う。
 早坂が抱いていた違和感がほぼなくなる。
 君長が動く中でどこかノイズが入っていた。レールの上を走る電車が継ぎ目で多少車体を浮かせるように、何か引っかかっていた。そのノイズが消えて停滞ない動きとなった時、君長の一撃を早坂は取ることが出来なかった。
 バックハンド側に打ち込まれたスマッシュ。前回までのタイミングでラケットを伸ばした結果、シャトルは弾かれてコート外へと飛んで行ってしまった。
 サービスオーバーが告げられて、早坂はシャトルを取りに行く。
 一つの事実にくじげそうになる心を奮い立たせて、早坂は君長へと視線を向けた。

(これで本気ってわけね)

 あえて靴の紐を完璧には締めずに、自分の足の力を100%コートに伝えようとしなかった。それだけでフットワークの速度は踏み込んだ時の安定感は減る。せいぜい今までの君長は80%というところ。
 そこで靴をしっかりと自分の足にフィットさせた。つまり、全道大会で見せたものがこれから出てくるということ。
 まだ違和感が残っているために、奥の手があるかもしれないと警戒しつつ、早坂は呟く。

「ストップ」

 自分の中の決意を外に出し、力にするために早坂は声を出していた。

 早坂由紀子 対 君長凛
 現在、第一ゲーム。八対三で早坂のリード
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