Fly Up! 228

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「ポイント。フィフティーンサーティーン(15対13)。チェンジエンド」

 審判の言葉に拳を上げたのは小島だった。込み上げてくる衝動に任せて満面の笑みを浮かべて一ゲーム目の勝利に喜ぶ。だが笑みをすぐに消して顔を軽く左手で抑えながらコートから出た。
 ここまでの喜びを表すことを小島自身も意外なことで、自分自身に違和感を覚えるほど。

(それだけ、しんどかったってことだよな)

 簡単な自己分析。全道でも淡々とシャトルを沈め、勝利してもそこまで表情を崩さなかった自分が、ここまで崩している。
 左指の隙間から刈田を見てみると、悔しさに顔を歪めていた。更に肩で息をしてコートから一度出る。その姿を見ているだけで、この一ゲームを全力で取りに行ったのか分かった。

(十二点までリードされ続けて。サービスオーバーから二点連続奪取。そこからのサービスオーバーに無得点で済ませて、何とか振り切った……さすがに、辛いな)

 小島はコートの外に出てラケットバッグに置いてあったタオルを取る。顔を強く拭いてから顔を上げて息を吐く。
 体の中にたまっていた熱が放出されるような心地。それは久しぶりに経験する、一ゲーム内での体力の消費だ。
 刈田は全力のスマッシュだけではなく、後半からは同じフォーム、ラケット軌道からドロップを打ってきた。北海道でも、おそらくは全国でも屈指の速さのスマッシュに加えて、緩やかに遅くネット前に落ちるドロップを警戒するのに小島は多くの集中力を裂いた。その結果、フェイントに引っかかることはなかったが体力はだいぶ削られていた。攻め続けて取れなかった刈田のほうが精神的にも肉体的にも体力を消費していただろうが、小島自身も油断できない。

(今までの刈田ならここで失速するが……なんだろうな。今回は全然そんな気がしない)

 刈田が体力を消費しているのは明らかだ。顔は赤く染まり、息も整えようとして整えきれていない。試合がすぐ始まらず、座りでもしたならば立てないのではないだろうか。
 そんな状態でも今の刈田に負けるビジョンが小島には見えていた。回避するには第一ゲームと同じように、全力で当たればすむだろう。

(今のお前に勝てたなら、俺もワンランク強くなれる)

 あくまで小島の視線の先には刈田のさらに奥。北海道の、全国の頂点にいる淺川亮がいる。今回の大会でも間違いなく出てくるだろう。その時に、当たって間違いなく勝つためには短い期間で成長するしかない。淺川のどんな攻撃も見切るスキルを身に付けなければいけない。

(あいつのスマッシュを取るには、少なくとも今の刈田のスマッシュを完全にコントロールして返す必要がある)

 刈田よりも速いであろうスマッシュ。それに対抗するためには、刈田の全力スマッシュの攻略は避けて通れない。
 エンドを交代して、小島は置かれていたシャトルを手に取った。一ゲームの最後にボロボロになったシャトルを新しくもらい、置かれたもの。シャトルもこれまでより壊れた個数は多かった。すでに四個変えて現在は五つ目。もしもファイナルまで持ち込んだらいったい何個消費することになるのか。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」

 試合開始と共に、全力で気迫を解放する二人。それでも小島は静かに呟く。

「一本」

 何本消費しようと、このゲームで決める。
 小島はそう認識を新たにする。全力で挑んでくる刈田を全力で弾き返すには、このゲームで何としても決めること。
 今時点で見えている『負けるビジョン』もファイナルまで行けば刈田の体力が尽きて見えなくなるだろう。どんなに苦戦したとしても。
 だからこそ、このゲームで決める。全力で刈田を弾き返し、勝利する。三年次も市内で試合をすることがあるだろうが、少なくとも今はこの試合が最後になる。最後まで刈田にとっての越えるべき山であり続けること。その山は高く遠くにあるということを示す。
 そうすることが、今の小島のモチベーションになっていた。

「ストップ!」

 刈田が咆哮に乗せて闘志をぶつけてくる。構えも前に行くことは考えない、ロングサーブのみを想定した上半身を起こした構えで威嚇する。刈田の上背でしっかりと背筋を伸ばされると、小島から見ても圧迫感が大きかった。それだけに、小島は冷静にショートサーブを打つ。刈田はそれに追いつく自信はあったのだろう。ロブで大きくシャトルをコート奥へと飛ばした。小島はそれを追いながら刈田の居場所を探す。コート中央にしっかりと腰を落として、どこに来ても取れるようなポジショニング。強引に防御を突破する選択肢もあるが、小島はまずドリブンクリアで刈田を奥へと追いやった。それに合わせて前に飛び出すが、刈田は飛び上がってラケットを差し出すと、手首だけでスマッシュを打ってきた。その速度は手首のみとは思えないほど速く、小島もロブを上げるのが精いっぱいだった。

(こいつ……試合の中でどんどん使い方が上手くなってる!)

 練習中も手首を使ったラケットワークの練習をしていた。だが、実戦で用いることで一気に自分のものへとしている。刈田の成長速度は侮れない。

(そうだ……まるで相沢を見てるみたいだ)

 中学一年の学年別では、そこまで凄いとは思わなかった。しかし、今はダブルスプレイヤーとして全道でも二位という実績を収めている。その成長速度は今のチーム内でも間違いなくトップレベルだろう。その相沢に近い速度で刈田は成長しているのだ。

「おらああ!」

 刈田の力が結集されたようなスマッシュ。打ち返すたびに腕に強い衝撃が残る。しかし、小島も刈田のスマッシュをいなせるようになってきていた。
 ストレートスマッシュをクロスに。クロススマッシュをストレートドライブで。
 コースによって相手の一番遠い場所へとシャトルを打ち抜く。刈田もそれを読んで追いついては打ち返していたが、エースが第一ゲームよりも決まってないことに気づいただろう。
 小島は自分の集中力の高まりを自覚していた。今や、刈田が打つ瞬間にどの方向に打つかというのも咄嗟に判断できる。それは、勘というよりもそれまでの経験による判断だ。
 人間ならばどうしても、体勢によって打つ場所というのが制限される。例えばバックハンド側に追いつめられた場合、打つパターンはバックハンドか強引に体を入れたフォアハンドの二択。そこから打てるのは、それぞれ三球種くらい。相手を不利な体勢に追いやれば追いやるほど選択肢は減っていき、合わせやすくなる。
 小島が見ているのは、自分のショットにより追いつめられた相手。そこから来るであろう、最も確率の高いショットの軌道だ。
 市内でも、全道でも。勝ち抜いて多く試合をしてきたからこそ身に付けられる経験値。
 これまで小島の中で凝縮してきたそれらが、一気に噴き出していた。

(――そこだ!)

 刈田のバックハンドから繰り出されたのはストレートドライブ。リストが強く、膂力だけで力強いショットを打てるからこその球。これに関しては、中学で最も刈田と戦ってきた小島だからこそ読めた。ラケットを差し出してシャトルの軌道上に置けば、簡単にインターセプトできた。シャトルが刈田のコートに打ち返され、フロアに跳ねる。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しっ」

 小さくだが、声が出た。その後で自分らしからぬ行動に笑ってしまう。
 気合いを前に押し出すというのは武や刈田の専売特許。自分は淡々とプレイするほうがらしさ、だ。しかし、自然と込み上げてくる高ぶりに体が動いた。

(俺も、いろいろ影響受けてるんだよな)

 目の前の好敵手。今は共に全国を目指している仲間達。
 中学からこの地区に来て、初めて対戦したのは吉田だった。その時は自分の勝利で、その後はダブルスとシングルスで道を分かれた。吉田にも負けていた刈田にそこまで期待はしていなかったのが現状だ。
 それでも、試合で勝利を重ねるたびに刈田が強くなっていくのが分かった。

(ありがとう。ここに来て、俺は本当に強くなれた)

 小島は後ろで応援する仲間達と、刈田に向けて心の中で感謝を示し、次のサーブを放った。
 大きく弧を描くシャトル。その下に入る刈田。コート中央で待ち構える小島。
 どこに打つかと刈田のフォームから読もうとする小島。
 だが、次の瞬間、シャトルが視界いっぱいに広がった。

「っ!?」

 咄嗟にラケットを前に出すと、そこにシャトルが当たった。
 前に飛んだシャトルに飛び込んでくる巨体。そのプレッシャーに、小島の体が一瞬硬直した。その隙を狙って刈田は右足を叩き付けるようにコートを踏みしめて急ブレーキをかける。ラケットはソフトタッチでネット前に落としていた。硬直から解けた小島はラケットを伸ばしてシャトルを取るも、ネットに引っかかって自分側へと返ってしまった。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「しゃおらあ!」

 ラケットを掲げて咆哮する刈田。それに続いて拍手が沸き起こる。小島が視線を向けると、一般客が刈田へ向けていたものだった。刈田の力強いプレイが、見ている者の心を掴んでいた。
 それに気を取られてシャトルを取るのを忘れていた小島は、シャトルを拾い上げてネット越しにいる刈田に上から手渡した。

「小島」

 シャトルを手に取る瞬間に話しかけてくる刈田。なんだ、と返そうとして刈田の顔に浮かぶ怒りを見てとった。

「さっきの、あの顔はなんだ?」
「なんだ……よ」
「なんか、もうやり切ったみたいな表情しやがって。試合中だぞ。もう俺は眼中にないみたいな顔しやがって」

 そこまで言われて小島は言い返せなかった。刈田も強く追及はせずに鼻を鳴らして戻っていく。その後ろ姿を見て、小島は背筋を悪寒が上ってくるのを感じた。

(確かに、そうか……俺が悪かったよ、刈田)

 試合の中で過去回想をしていれば、遅れも取る。
 何故かこれまでのことが思い出されてしまい、シャトルへの反応が遅れた。だからヘアピンを決められてしまったのだ。
 全力で、自分の頭をフル回転させて、体はただシャトルを追うために研ぎ澄まされる。
 そんな相手に余計なことを考えている余裕などない。
 小島は息を大きく吸い、初めて、腹の底から咆哮した。

「ストップ!」

 サーブ姿勢を取る刈田も、応援していた仲間達も小島から発せられた気迫に動きを止めた。
 刈田を真っ直ぐに見据えてラケットを高く構える。集中していたと思っていた。しかし、その中でいつの間にか別の思考が紛れ込んでいた。自分もまた気づかない疲労があるのかもしれない。

(集中……集中!)

 自分に改めて気合いを入れて、小島は刈田のサーブを待つ。刈田は小島が見せた気迫に気圧されていたが「一本!」と叫んでシャトルを高く飛ばしていた。シャトルは後ろのシングルスライン上に落ちていく。小島はあえて刈田の右サイドにハイクリアを放った。シャトルを高く上げてくるとは刈田も思っていなかったのか反応が遅れる。それでもすぐに追いついてスマッシュの態勢に入る。
 小島はそれを待っていたかのごとく、前に飛び出した。位置確認のために自分を見た刈田の顔が驚愕で歪んだのを、小島は見逃さなかった。

(お前のスマッシュを、前方で止める!)

 けして刈田を侮っているわけではない。コースはハイクリアで右奥を選択。刈田の位置からスマッシュを打たれるとすればストレートかクロスの二択。クロスならば反応が少しだけ遅れてもカバーできる。だからこそ、小島はストレートを警戒して少し右側に寄った。
 あとは、刈田が小島の位置に気づいてスマッシュを打つことをためらった時にどうなるか。

(ハイクリアを打つなら、逆に俺の態勢が崩れる。そこまであいつが狙ってやってくるか)

 自分ならそうするだろう。バドミントンは思考の死角を突くスポーツ。力押しで押し通れるのはよほど実力差が広がっている時だろう。刈田自身は小島より自分が劣っていると自覚はしているはず。自分の自慢のスマッシュが、この場面で決まると信じられるか。

(お前なら、来るだろう? 刈田)

 刈田の次の手を、刈田の思考が読めるからこそ悟る小島。
 ここで自分の防御を潜り抜けて得点を狙ってこそ、小島を越えられる。そう考える男が刈田だと、小島は確信していたのだ。
 そしてそれは裏切られることはなかった。

「うおおお!!」

 刈田が決意を込めて咆哮し、ラケットを振った。激しい音を立てて小島へとスマッシュが向かう。
 シャトルが通るのは小島の右脇。さらに言えば、脇部分。フォアハンドで構えていた小島が最も反応しづらい部分。
 相手の防御をこじ開けようと考えるプレイヤーが誰もが狙うであろうウィークポイント。

(きたな、刈田!)

 人間の肉体の構造上。そしてラケットという道具の性質上。
 どんなバドミントンプレイヤーも取りづらい場所がいくつか存在する。ラケットを持つ手側の脇というのはその内の一つ。分かっていてもどうにもできないところだ。
 高い実力のプレイヤー同士の対決ではそこをカバーしていく。刈田も当然、小島のその部分というのは認識しているだろう。意識しているからこそ、防御が厚いところ。そこを突き崩すために、渾身のスマッシュを打ち込んだ。

「返す!」

 小島はラケットを一瞬でバックハンドに持ち替えてシャトルを迎えうつ。迫りくるシャトルにラケット面を合わせて、前に押し出した小島の脳裏で、勝利の映像が浮かんだ。このままヘアピンを打てば、相手コートに落ちる。

(いくぞ!)

 そして、シャトルがラケットとぶつかった。
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