Fly Up! 212

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 姫川詠美は打ち込まれたスマッシュをネット前にわざと打ちかえす。
 そこに飛び込んできたのは、堤 瑠美(つつみ るみ)。二年女子ダブルスでは他を寄せ付けずに一位を取った一人でも、シングルスでは姫川に遠く及ばない。ネット前のシャトルを取っても、そこに更に詰めた姫川がプッシュでコート中央にシャトルを叩きつける。
 十一点目を重ねたところで、堤は無得点。一度もサーブ権を渡すことなく試合を終えた、完璧なラブゲームだった。

「ありがとうございました」

 ネットの上から握手を交わして戻る間、姫川の中に生まれるのは物足りなさ。正直にため息をついた彼女に対して、ネットを挟んだ堤は鋭く視線を突き刺すも姫川は受け流す。

(ダブルスもシングルスもして分かったけど……私達の代の女子って、ダブルスとかシングルスにこだわりすぎる気がするなぁ)

 普段なら口に出すが、今は余計な争いはしたくない。試合自体には疲れなかったが、物足りない試合をしたというストレスで精神的には疲弊していた。
 最初はダブルスメイン。そして今はシングルスメイン。
 団体戦を乗り切るために、吉田コーチは様々な組み合わせや新たなシングルスプレイヤーの可能性を探している。その中で姫川も早坂や瀬名とダブルスを組んで、正規ペアに挑んだ。
 結果は勝利。堤が姫川に対して何も言わないのは、自分の専門外であるシングルスで負けたことよりも、自分の専門であるダブルスでも姫川に勝てなかったからだ。
 早坂と瀬名と姫川。
 この三人でローテーションして組んだ結果、二年女子、一年女子ともに正規ダブルスは勝つことができなかった。
 今やこの地区の中では三人が上にいて、他はワンランク下となる現実。
 自分も学年別が始まるまではその下にいた身として、現状の「馴れ合い」を感じていた。

(どこか、自分達の世界で落ち着いてる感じなのよね……。パートナーはいつも組んでた人だけだし、いつもダブルスなんだからシングルスはあまり気乗りしない、みたいな。そんなんじゃ、強くならないと思うんだけどなぁ)

 姫川は堤から離れるように小走りで吉田コーチの所へと戻る。時刻はあと一回試合をやれば練習時間が終わるという時間にきている。それを思うと少しだけ嬉しくなり、姫川の顔に笑みが浮かんだ。
 ここ数回の練習では最後に行われていることがある。最後の試合になるだろう、その時に一度だけ、好きな相手と好きな試合ができる。

「よし、全員集合!」

 試合中だった者、終わって集まろうとしていた者が一度視線を吉田コーチに集中させ、それぞれ集まっていく。
 その中に紛れて姫川は、早坂の姿を探した。

(最後はどうせなら、ダブルスやりたいな……)

 ダブルスでも、もう姫川を満足させるのは女子にはいないのだが。
 姫川にとってダブルスは初めてといっても良かった。
 小学校時代から実力的には目立たず続けてきた。そこで嫌われていたということはなかったが、なぜか練習でも本番でもダブルスをしたことがなかったのだ。だからこそ、本気でやるダブルスは姫川にとって新たな世界に飛び込むこと。刺激が体も心も活性化させるのだ。

(やっぱり早坂さんとかなー。それとも瀬名さんとかな。相手は……この際男子でも)

 姫川が期待に胸ふくらませつつ考えていると、後ろから肩を叩かれた。

「姫川さん。私達と試合してくれない?」

 そこにいたのは先ほど負かした堤と、ダブルスパートナーである上代志歩(かみしろしほ)だった。
 瀬名と似たセミロングの堤に対して、姫川と似ているショートカットの上代。二人とも姫川に対して明確に敵意を出している。どうしてそこまで強いものを向けられるのか姫川には分からない。
 しかし、シングルスでは簡単に勝てても、二人のダブルスの実力は本物で、当たった際には接戦の末での勝利だった。ダブルスをするには絶好の相手。
 ジュニア全道大会での、女子ダブルス一位での出場者。地区の中の女子ダブルスでは最も強いペア。

(そうだなぁ……絶好の相手よね。あと、売られた喧嘩は買わないと、ね)

 敵意を向けられて平然としていられるほど大人ではない。受けたことによるストレスは、試合で勝つことで発散する。あとはパートナーを選ぶだけということで、姫川はあたりを見回す。
 そこには早坂はいなかったが、瀬名とちょうど目が合った。

「あ、瀬名さん」
「何? 堤と上代もいるし」

 普段ならば珍しい取り合わせに瀬名が近付く。堤は顔をしかめてダブルスをしようと提案していたことを説明した。瀬名は聴き終えてから一度頷いて「自分が姫川と組む」と告げる。

「あ、よかったー。早坂さんか瀬名さんのどちらかと組みたかったの」
「ご指名ありがと」

 瀬名は少し前に話した時よりも態度に棘がなくなっていた。早坂のアドバイスから何かを掴んだのかもしれないと、姫川はホッとする。そして、待っていた堤に向けて試合を始める言葉を紡ごうとしたその時、吉田コーチの声が響いた。

「今日は少し早めに終わる。みんな、後片付けに入れ!」

 そこから吉田コーチが次回以降の予定を言い始める。姫川は脱力感を覚えてため息をついた。


 * * * * *


「信じらんない!」
「仕方がないじゃない。体育館の清掃が早まったんだから」

 姫川は隣を歩く瀬名に愚痴を呟いていた。
 結局、最後に試合をすることはなく次回にはミックスダブルスの組み合わせで練習をするということを告げられた後はネットを片づけてすぐさま解散した。不平不満を言う暇もなく、堤と上代ともそれっきり話をすることなく帰宅する。ちょうど家の方向が一緒だったのが瀬名だったため、自然と並んで歩いていた。気温がいつもよりも暖かかったのか、雪がいつもよりもベタつき、重くなっている。歩くのによろめきつつ、姫川は瀬名の後ろをついていた。

「でもー。瀬名さんも堤さん達と同じ学校で大変じゃない? なんかきつそうだし」
「普段は別に普通よ。姫川が悪いんじゃないの?」
「私が? なんで?」

 瀬名が歩いたまま視線を後ろの姫川に向ける。少しの間顔を見て、次にはため息をついていた。姫川には「何を言っても無駄」と言われたように思えて、何を考えたのか瀬名へと言葉を向ける。

「瀬名さん。何考えたの!?」
「姫川は考えたことがストレートに顔に出るのよね……バドミントンの時と違って」
「考えたこと……」
「堤達は確かにシングルスじゃ弱いし、上代とのペアじゃないと強くない。なんか、自分が好きな子とじゃないと組みたくないって感じなのよね。そこは私も苦手。だからシングルスやってるっていうのあるし」

 瀬名が口に出した言葉に姫川は思い至る点があった。それは正に、堤とのシングルスを終えた後に思ったことだったからだ。他校の自分が感じたことと、同じ学校である瀬名が感じたこと。そのリンクに急に親近感が湧いてくる。

「なら、言ってあげればいいのに。同じ学校だし」
「馴れ合いというのもまた違うし、自分の得意分野に自信を持つのはいいことだから、あまり言えないのよね。それに、私自身もみんなを黙らせるほど強くないしね。早坂くらい強かったら……いや、やっぱり大変かな」

 瀬名は姫川から完全に視線を外して前を向き、呟く。その言葉は姫川には届かなかったが、何かマイナスのことを言っているのだろうと推察できた。姫川は、瀬名の態度にようやく自分の何が堤達の敵意をあおっていたのか理解する。

「そうかぁ。事実は事実なのに」
「誰もがみんな、強いわけじゃないわよ。特にうちの女子って知ってる人達と一緒にいないと落ち着けないのよ。だから、他校の人と組んだりしても本来の実力を出せずに負けてる。普段なら考えられないくらい負けてたわ」
「そういうのも選別対象なんだろうね。何とか小島君や早坂さん達と一緒のチームになりたい」
「なんでそんなに拘るの?」

 姫川の言葉に含まれる【強さ】に何か感じることがあったのか、瀬名は尋ねていた。強い選手を選別する合同練習なのだから、より強さの高みを目指す姿勢に間違いはない。しかし、姫川の態度を見ていると、拘りが強すぎるように瀬名には思えた。まるで、今いる場所から抜け出そうとするかのように。
 姫川は瀬名を一瞥してから口元を右手で隠す。どう言おうかと悩んでいるように見えて、瀬名には踏み込んではいけない場所に踏み込んだかと不安になった。

「あ、言いたくなければ――」
「別に家が貧しいからとか誰か一緒に頑張ってた人が死んだとか、漫画みたいなことじゃないよ」

 唐突に出された言葉に瀬名は反応できない。何も言葉が返ってこないことに姫川が瀬名の顔を再び見るまで会話が途切れる。瀬名が呆気にとられて足を止めたことで二人の間に差が開く。しばし歩いた後で歩みを止めて、瀬名へと振り返った姫川も話が通じなかったことに動揺したのか、慌てて言葉を続ける。

「え、そんなこと思ってなかった?」
「そんな少年漫画みたいなこと思ってないわよ」

 瀬名の言葉に姫川は笑いをこらえきれずに息を漏らす。肩を震わせて笑いの衝動が徐々に大きくなっていくさまを見て、瀬名は逆に不快さを顔に押し出していく。

「なに。私、馬鹿にされたの?」
「あ、ごめんごめん。少年漫画みたいって、瀬名さんも読んでるんだねーって」

 気分を落ち着かせて目にたまった涙をふき取ってから姫川は答えた。瀬名もまた不快さが抜けていき、姫川の言葉に隠れたものに気づく。

「じゃあ、あなたもね」
「そう」

 姫川は口元に再度右手を持っていき、歩き出す。考え事をする時の癖なのだと瀬名にも理解できた。
 例えはよく分かったが、そういうことではないのなら、さほど重くはないだろう。
 そう思ったところで姫川が口を開いた。

「どう言おうか迷ったけど、結局分からなかった」
「……そう」
「だって、何かやっててもっと上手くなりたい。知りたいとか、思うのって当たり前じゃない。当たり前のことをどうしてって言われても説明できないよ」

 姫川の言葉はそこで終わる。それ以上どうにも説明できないという気持ちは瀬名にも伝わる。確かに自分でもそれ以上の説明はできない。だが、何かを見つけたのか姫川は再度口を開く。

「誰かと一緒に強くなりたいって気持ちって分かるんだよね。相沢君と吉田君はそんな感じ。逆に小島君はひとりでどんどん進んでく感じ。私もそれについていきたいなと思うし。この前、ジュニアの全道大会に出た人達で、瀬名さん以外の女子はやっぱり一緒じゃないと強くなりたくない、みたいに考えてそうに見える。だから、早坂さん達と一緒のチームになりたいんだ。もちろん、瀬名さんとも」

 自分の名前ともに笑顔を向けられて、瀬名は顔が火照る。そこにあるものが純粋に友人としての好意だと見て取れたからだった。生まれた照れを誤魔化すために咳払いをしてから切り返す。

「そ、そうなんだ。でも……そこまで言うって小島君のこと好きっていうのもあるんじゃない?」

 言ってから意地が悪い質問だと思い、すぐ訂正しようと口を開きかける瀬名。しかし、姫川のほうが早く答えていた。

「うん。小島君のこと、好きだよ」

 その言葉にハッとして姫川の顔を見ると、心なしか赤かった。自分と同じように照れのために染まった頬。そこにある「好き」とは自分に向けた友人の好きとは明らかに違う。

「小島君はバドミントン上手いしかっこいいし。そんな人が傍にいて好きにならない方が変」
「そう、なんだ……」
「でも小島君は早坂さんが好きだっていうのは見て分かるから、私は言わない」

 姫川の言葉に瀬名も同感だった。
 小島が早坂に好意を持って接しているのは周囲から見ても分かる。一年の学年別の時から今日まで、試合会場で会うたびに話しかけているのはどこでも見かけられた。更に、この合同練習では明らかに早坂のほうも近づいているように思えた。全道大会を経験した中で二人の距離が近づいたということになるだろう。

「嫉妬とかそういうのは感じないんだ。早坂さんや小島君は憧れだったし。自分が好きな人同士が一緒にいる姿ってなんか良いんだよね」
「姫川……」
「そんな憧れた二人に、今は追いつきたい。それだけなのかもしれない」

 再び止まった姫川は瀬名をじっと見つめる。瀬名も止まって見返していた。何の意図かは分からないが、視線を受け止めることが大事なのだろうと瀬名は考える。自分に話しながら、自分の中の思いに整理を付けようとしているのだと考えたから。
 姫川はやがてため息をついて緊張を解いた。

「瀬名さんも相沢君、好きなんでしょ?」
「……多分。でも、姫川と同じで。今は憧れて、追いつきたいだけなのかもしれない」

 スマッシュで押すプレイスタイル。女子にはあまりいない型でどう成長しようか悩んでいた時に見つけた選手。小学生の時には全然目立っていなかったのに、いきなり学年別大会で輝いた。その唐突さから、更にプレイスタイルに視線を奪われ、いつしか目で追いかけていたのだ。

「なんとなく、自分のプレースタイルの理想に近いんだ。スマッシュで相手を追い込むっていうか。そのためにいろいろショットを織り交ぜる。最近、早坂のアドバイスのおかげでようやく慣れてきた。もう少し、だと思う」
「そっか。お互い、頑張らないとね。理想は高いよ」

 瀬名は「そうね」と呟いて空を見上げる。そこには綺麗な月。先ほどまでちらほら降っていた雪が止んで、空には雲一つない。夜空に浮かぶのは大きな丸い月。その輝きで外灯があること以上に明るかった。

「がんばろ!」
「ええ」

 二人はまた歩き出す。それは互いの家路。そして、明日以降続く理想への道だった。
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