Fly Up! 207

モドル | ススム | モクジ
「ポイント。フィフティーンスリー(15対3)。終わり」

 ネット前に立つ竹内の向かいで、石田は呟いた。竹内からシャトルを受け取るとパートナーの藤本と一緒に去っていく。竹内は少し遅れて田野と次の試合をどうするか吉田コーチの下へと向かう。
 前を歩く背中を見ながら、胸の奥にたまっている暗い気持ちを全てを吐き出すかのようにため息をついた。

「強すぎだってーの」
「確かに。こっちはボロボロなのに全然疲れていないよな」

 後ろを歩く田野の言葉にも元気がない。何しろ先ほどまで、必死でシャトルに喰らいついていたのだから。スコア以上に善戦はしたと思っているが、結果的に手も足も出なかった。ダブルスでなかったらと思うと竹内はぞっとする。それほどまでに、二人との差はある。

「一年シングルス一位の石田と、ダブルス一位の藤本、かぁ。実質、俺らの年代での一位二位だよな」

 後ろから聞こえてくる田野の言葉通りだと、竹内は思う。
 シングルスでぶつかっても、どちらが勝つのか分からない。それほどまで二人の力は拮抗しているのではないかと思えるほどに、ダブルスではスマッシュの速さもドロップのきわどさも、ヘアピンの精度も高かった。初めて試合をした印象かもしれないが、吉田と武のダブルスよりも勝機を見出すことができなかったように感じていた。最も、二人は自分達と試合をする前に武達と試合をして15対8で負けていた。

(シングルスなら、もしかしたら二人とも吉田先輩達に勝てるかもしれない。でもダブルスだとああやって負けた。単純に実力なのか、ダブルスだから何か特別なことがあるのか)

 それに気づくことができれば、自分達もこの合同練習で成果をだし、選抜メンバーに選ばれるかもしれない。しかし、最後までこのままならば、とてもじゃないが残れないだろう。

「二チーム作るって言っても。正規ダブルスは入れるだろうし、プラスしてダブルスもシングルスもできそうな人だ。そうなると、吉田先輩達や安西さん、岩代さんは入るだろうし。あとは川瀬さんに須永さん。小島さん、刈田さん……」
「石田や藤本も多分入るな。そうなると残りは」
「ない。五人ずつだからもう十人埋まった」
「その中の誰かを崩さないと俺ら二人は入れない」

 高い壁がある。学年別のシングルスダブルスのベスト4が全員集まると、シングルスが八人にダブルスが十六人。全員で二十四人から十人。上は見えていた。分かりやすいほどに。

「成長するしかないだろうけどなぁ」
「ああ」

 竹内は珍しく田野が落ち込んでいることに気づいて振り返る。普段ならば、竹内が落ち込んで田野が緩く励ますというやりとりである。いつもと違うことはさすがに気になった。

「なした? 珍しいよな、田野が落ち込んでるなんて」
「んー、実は寺坂と菊地は残れそうな感じみたいなんだよな」

 唐突に同学年の女子ペアの話題が出てきて竹内は面をくらう。今の流れとどう関係があるのか、とりあえず先を促すために言葉を挟まないでいると田野は続けて呟く。

「菊地と付き合い始めてさ。一緒に残れると良いなって会話をさ」
「……いろいろ言いたいことあるけど後で言っていい?」

 その言葉を最後に、竹内達は吉田コーチの傍へとやってきた。石田と藤本は既に指示を受けて次のコートへと向かっていく。続けてやってきた竹内達に、吉田コーチもすぐに口を開いた。

「お前達は、そうだな。今、ちょうど二組空いてるがどっちとやりたい?」

 そう言われて吉田父が指し示す先を見ると、そこにいるのは吉田と武。そして一年ダブルスで三位を取ったペアが残っていた。一瞬、勝ったことがあるペアを選ぼうとした竹内だったがすぐに武達を指名する。

「吉田先輩達と、試合させてください」
「分かった。香介。相沢。試合だ!」
『はい!』

 吉田と武が同時に答える。竹内にとってはやはり自分達が目指したい先輩ペアと戦うほうが挑みがいがある。それは田野も同様のようで、特に異論を挟んでは来なかった。武達の後ろをついてコートに向かう間、竹内の視線はその背中に向けられている。

(なんだろ。一気に差が広がったような気がしてきた)

 初めて会ってから、まだ一年も経っていない。最初は、勝って一気に部の中でも実力者の名前に名を連ねようと思っていた。だが、入部したての頃のシングルスの試合で完膚なきまでに叩きのめされて、たった一年で一つ上の世代のトップレベルまで昇った武の姿に憧れた。
 吉田は確かに凄い。実力も、部長としての統率力もある。
 しかし、竹内にはやはり武のほうが魅力なのだ。スタイルは違えど、自分の成長した先にある理想形の一つだと思えるから。
 コートにつき、ネットの向こう側についた吉田と武は、それぞれのポジションにつく。吉田のほうがシャトルを持っており、竹内に向けて示した。

「じゃあ、始めるか。じゃんけんするか?」
「はい、お願いします」

 シャトルを見せての宣言。明らかにハンデを与えようとしている吉田に、竹内は内から来る怒りを抑えた。この練習で当たるのは二回目だが、一回目は全く歯が立たずに敗れ去った。この合同練習に入ってからの吉田と武のペアの強さは、竹内達にとっても、他の面々も同じように思うだろうと確信が持てるほどに上がっていた。

(でも、負けたくない。一点でも多く取って……いや、勝ちたい)

 竹内が決意を込めて出した手は、シャトルを掴み取る。田野にシャトルを見せつけて、サーブの体勢に入った。そこに、吉田が気合いをぶつけてくる。

「一本!」

 ネット越しにぶつけられる気迫に気圧される。いつも、部活で感じていたものとは桁が違うそれに、竹内は弱気になる心を何とか繋ぎ止めるしかない。

(試合での、吉田先輩ってことなのかな)

 練習とは違う、試合での吉田。合同練習とついていても、二人にとっては一つ一つが勝つべき試合。まだ練習として参加している自分の意識が低いのかもしれない。

「一本!」

 何とか踏みとどまった竹内は、ショートサーブでシャトルを相手コートに運ぶ。しかしすぐ目の前に吉田が現れて、プッシュでシャトルをバックサイド側へと打ち込んできた。その速さに後ろで構えていた田野も一歩も動けず、シャトルがコート上で跳ねるのを見るしかない。吉田がサービスオーバーを告げたことでようやく金縛りが解け、田野がラケットでシャトルを掬い取った。

「悪い」
「いや。仕方がないよ」

 謝る竹内に対して田野は優しく返す。仕方がない。確かに、今のサーブに今のタイミングでプッシュ打たれれば取れない。自分でも失敗したとは考えていなかった。だからこそ、これは今時点の二人との差を表しているのではないかと竹内には思える。
 田野が返したシャトルを吉田が受け取り、サーブ位置に立つ。今度は竹内に対して、吉田のサーブ。

(なんであれが取れるんだよ……ちくしょう)

 なぜ取られるかが分からない。仮に、今、自分が吉田と同じタイミングで飛び出せたとしたら、あのネットギリギリにきたシャトルをあれだけの速さで打ち込めるだろうか。実際に挑戦したいと、いつもより前に重心を倒して構える。すると、吉田は平然とロングサーブを放った。

「うわ!」

 シャトルを慌てて追いかけ、ジャンプして何とか打ち返すも、飛距離が足りずに後ろで陣取っている武の絶好球となった。

「はっ!」

 咆哮とともに放たれるスマッシュは、竹内の眼前に着弾する。その速さに、またしても竹内は動けなかった。
 いくら甘い返球からのスマッシュとはいえ、まったく反応できない自分への落胆よりも、武への恐れが強くなる。

(これが、試合の相沢先輩)

 四月の時、平然と挑んだ自分が恥ずかしいと思えるくらいの実力。竹内の中で勝とうとする気持ちが薄れていく。
 自然と、声が出ていた。

「いい加減、弱気になるの止めろよ」

 今までは、後ろに構えているパートナーからかけられていた言葉。それを、自分の中にもう一人作り出して、呟かせるようなイメージ。自分の中の弱さを、何度も田野に助けられてきた。そのたびに、どこか甘えていたのかもしれない。
 学年別大会の決勝。藤本と小笠原ペアに実力差を見せつけられて、あっという間に倒された。あの時、もう少し何かやりようがあったはずと考えて、結局は自分から諦めていたのだと悟る。今ここで、耐えなければずっと逃げ続けることになるかもしれない。

(そんなのは、嫌だ。嫌なんだよ、もう……弱いのは)

 自然とうつむいていた顔を、上げる。
 一度背筋を伸ばし、天井を見上げる。そこにはライトがいくつか点在していた。ぼんやりと眺めると、耳に各コートで行われている試合の様子を示すような音が聞こえてきた。シャトルを打ち込む音やそれを返す音。バドミントンシューズがフロアを掴む音。狭まっていた世界が一気に広がるような錯覚。竹内は、息を大きく吸ってから吐き出す。最後まで息を吐ききったところで、自然と肺に空気が戻った。

「おし、ストップだ!」
「散々待たせておいてストップとかないし」
「あ、ごめん」

 うしろから田野の呆れた声。竹内はばつが悪そうに頭を下げてから、前に顔を向ける。

「先輩達も、すみません」
「いや。落ち着いたか?」

 竹内の中の葛藤を全て理解しているように、武が優しく声をかける。その言葉に頷いて、竹内は田野の後ろに回った。どんな展開でも、必ず次のシャトルは返す。田野ならば、良い返球を考えて打ってくれる。
 入学してから初めて組んだパートナー。これからも、卒業まではきっと一緒に続けていくだろうダブルス。
 逃げずに立ち向かうしか道がないならば、進むだけ。

「ストップ!」
「一本だ!」

 竹内の言葉をかき消すように吉田が叫び、ショートサーブを打つ。田野は無理せずロブを上げてサイドバイサイドの陣形を取った。田野が左。竹内が右に動き、相手のショットを待ち受ける。

(吉田さんの……スマッシュ!)

 振りかぶるのは吉田。前に武が陣取っている。どこにシャトルを飛ばしてくるのか考えを巡らせる。
 シャトルが吉田のラケットに弾かれる最後の一瞬まで、思考を止めない。竹内は、吉田がシャトルを打った瞬間に前に飛び出していた。
 打ち込まれたシャトルへと突進する竹内。スピードを上げて迫るシャトルへと飛び込む形になったことで、武が自分の前に移動しようとするのが竹内には分かった。ラケットを立ててまっすぐにプッシュしようと思っていたが、その動きから少しだけラケット面を斜めにする。
 するとシャトルにぶつけただけで跳ねかえった方向が斜めへ変化した。武の動きに気づけたのは竹内にとっては運が良かったということに他ならない。それだけに、武も竹内の思考を読めなかったに違いなかった。
 しかし、次の瞬間には武はシャトルを追って竹内から離れていく。ラケットを前に出し、シャトルがネットを超えたところを見計らって上にこするようにラケット面を跳ね上げる。シャトルは勢いよくコートへと叩きつけられていた。

(あれをプッシュで強く打てるのはこういうことだったんだ……)

 これまでネットギリギリのシャトルをどうやって打っていたのかという疑問は分かった。しかし、竹内のほうへと向かっていた体をすぐさまシャトルを追うように反転させたのはどういうことか。結局は、反射神経が優れているということなのか。

「ほら、一本取ったぞ。早く位置につきな」

 武に言われて竹内はレシーブ位置に戻る。
 それでも、強気で向かって行ったら応戦できた。これまでのように弱気か、自分から動かなければスマッシュを取り損ねてただポイントを取られていただろう。気合いだけではどうにもならないことはある。しかし、気持ちで負けていれば出来ないことは多い。

(そうだ。多分、相沢さん達はずっと強い相手に負けなかったんだ。技術とか体力とか……絶対負けてたはずなんだ。でも、諦めなかった。だから、勝てたんだ)

 最初から強かったわけはない。諦めずに挑んだからこそ、こうしてここにいる。
 全道大会ダブルス準優勝。
 単純に考えれば、現時点で北海道で二番目に強いペア。無論、そんなことはないのだろうが、それでも頂上に近いペアであることに違いない。

(挑む。そしていつか、勝ちたい)

 これから中学卒業まで、どれだけ長く部活をしても夏休みには終わる。もう一年を切っている。同じ部活で、一緒にいる間にどうしても越えたい。この機会に少しでも差を縮めたい。

「ストップです!」
「一本!」

 竹内の咆哮に武も応える。
 結局、竹内と田野はラブゲームで負けたが、試合時間は今までで一番長かった。
 合同練習ではそれぞれ、一試合ごとに成長していく。
 その先は、まだ長い。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2012 sekiya akatsuki All rights reserved.