Fly Up! 193

モドル | ススム | モクジ
 武のヘアピンを安西が叩きつけるようにプッシュする。ほんのわずか。武の感覚からいえば数ミリだけしか浮いていないにも関わらず、叩かれる強さが違う。林がリカバーしようとラケットを伸ばすが、シャトルはちょうど一個分先を通り過ぎてコートに着弾した。

「セカンドサービス。ナインテン(9対10)」

 林は落ちたシャトルを取って羽根を直す。しかしこれまでの打ち合いでボロボロになった羽根は限界を迎えており、審判にシャトルを申請した。手持ちがなかったのか、審判の瀬名は運営本部へと走っていく。その間、試合は一時中断となり、武はコートの横に置いてあるラケットバッグからタオルを取り出して顔を拭いた。

「さすがにきつい」
「まあ、さすが安西達って感じだな」

 出来るだけ軽く言う。武は自分の中にある暗い気持ちを見せないように努める。

(ここでセティングに持ち込めないと、辛いな)

 第一ゲーム。序盤は武と林の連携が上手くいき、得点を重ねていったが、後半にはいると安西達に徐々に押されていった。それは相手のショットへのリターンがほんの少し遅れたり、こちらのショットが少し精度が悪かったりと微々たるものであったが、今の安西達にはその隙で十分なものとなる。
 その隙を打ち込まれ、更にそのショットが逆に厳しいもので武達の反撃の芽は詰まれていった。結果、途中で逆転され、その後は点差を離されないことが精一杯で今の状態になっている。

「相沢。ドライブメインで行ってみたい」

 タオルから顔をかげると、林が強い目線で見つめてきていた。自分の一番使える武器を存分に使いたい。そんな意思表示。確かに、林のショットの中ではドライブだけが唯一安西達に対抗できるものだろう。このままサービスオーバーになれば、点を取られない保証はない。

「よし。上手く林がドライブを打てるようにシャトル回してみる」
「うん」

 話が終わったところで、瀬名がシャトルを持ってきた。林へと軽く放ってから審判の位置につく。

「セカンドサービス、ナインテン(9対10)」

 改めて言い直されたコールに呼応して、林は咆哮を上げる。弾道の低いドライブサーブのサインを出して、構える林の後ろで、打ち込まれた時のために神経を集中する。左右どちらに打たれてもいいように。

(ここで、止める)

 しかし林が鋭くラケットを動かして強く弾道の低いサーブを打った瞬間、それは起こった。
 レシーバーである安西が前に飛び込み、シャトルの弾道にラケット面を置く。そこに吸い込まれるようにシャトルがぶつかった。
 シャトルは勢い良く弾かれ、そのまま武の真正面に着弾した。あまりに一瞬の出来事で林も武もまったく動けず、ただ瀬名のサービスオーバーの声が響いた。

(マジか。あんなこと、狙って出来るわけがない)

 前衛に飛びこんでシャトルをインターセプトするというのは、安西も頭にあっただろう。しかし、ここまで上手くいくとは思わなかっただろう。

(後に引きずる必要はない。でも、これが成功するってことは運が安西達に向いてるってこと、だろうな)

 試合の流れは、時として自分の実力以上のことを引き起こす。それもまた、日ごろの練習で身に着けたものの先ということであり、出来ないことは出来ないのであるが。それでも一瞬、一時は神がかったプレイが出来る。
 シャトルを返して林は安西に向けて構える。武も一度息を吐いて気を取り直す。だが、ここに来て一気に安西はプレッシャーを強くしてきた。肌をぴりぴりとした緊張感が走っていく。

(安西のやつ……ここぞって時にプレッシャーかけてきやがって)

 後ろから見ていても、林にまとわり付く緊張感が分かった。先ほどのサーブを止められたこともかなりのショックになっているはずだ。

「ラスト一本!」

 林はぐっと姿勢を前傾にする。一瞬でも早く前に飛び、プッシュをしようと考えているのだろう。そこまで思い至って武は林へと声をかけようとした。だが、集中を切らしてしまうことを恐れて、躊躇する。
 結果、前に飛び込んだ林の上をシャトルが飛んでいくのを武は見送るしかなかった。

「ポイント。イレブンナイン(11対9)。チェンジエンド」

 一ゲーム目を取られた。武にとって、完全に出鼻をくじかれた形になる。もともと厳しい戦いは予想していた。だからこそ、何とかこのゲームは取りたかった。

(くそ……ゲーム内容は悪くない。でも、この差は、現実にある)

 自分の予想以上に安西達との間に差が見える。それは個々人の実力差というよりもダブルスとしての差。ダブルスとして安西達は市内では完全にワンランク上の段階に到達している。それに武と林ではまだ届いていないのだ。

(甘かったことは認めるしかない。でも、まだ試合は終わっていない)

 肩を落としてコートを出た林を追って、武も小走りで駆けた。チェンジエンドの間はそこまで時間を取れない。だからこそ、この短い時間で気持ちを立て直す必要があった。

「林」
「あー、めっちゃ悔しい」

 林は自分の頭を軽くラケットで小突いた。その顔には怒りや焦りと言ったマイナスの表情は見えない。

「悪い。完全にのまれてた」
「……それだけ分かってれば、俺には言うことないよ」

 林はこの試合で急速に成長しているように武には見えていた。試合が始まる前の林ならば、おそらくここまで立ち直ることはなかっただろう。技術的な面でも、いつもよりもシャトルの軌道が良かった。ただ悪かったところを思い切り叩かれていただけで。

(なんか、吉田もこんな感じで俺を見てたのかな?)

 自分が試合で成長できた時を思い出す。その時、横にいたのは吉田だった。今は、自分がその役目で、林が武の位置にいるのかもしれない。

(林の成長を長く見てみたいっていうのも、試合に勝ちたい理由になるかな)

 ファーストサーバーの位置に立ち、向かいでサーブ姿勢をとる安西に視線を向ける。
 そこにいるのは最強の敵。今日、この会場にいる中では最も強いだろうダブルス。彼らに挑むということを、試合開始前のイメージを書き換える。自分の予想をはるかに上回る相手に挑むビジョンを構築していくしかない。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 四者の咆哮。そして、試合の開始。安西がラケットをバックハンドで構えたところで武が叫んだ。

「ストップ!」

 安西に先んじて咆哮する。自身の気合を前面に押し出して、プレッシャーをかける。
 武には二人の間に拮抗する空気のために、ネットが揺れたような気がした。
 シャトルが打たれた瞬間に、前に出る。ショートサーブでシャトルがネットを越えた瞬間に、軌道をただ変えるように柔らかく触る。その結果、クロスヘアピンでシャトルがコート左隅に落ちる。安西も前に移動したが、ラケットが届かずにシャトルを捉えられなかった。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「しっ!」

 シャトルの流れがゆっくり見える。集中力が増している時に感じるもの。
 一ゲームを取られたことで自分の中の蓋が開いたような感覚を得ていた。

(この感覚の間に、点を取る)

 シャトルをもらってサーブ位置に立つ。ラケットとシャトルを構えて安西へとプレッシャーを叩きつける。右足の配置、ラケットの構える位置も調整してラケットからシャトルを弾いた。
 前に飛び込む安西がシャトルを素早く捉える。軌道はクロスで右端。今、武が打ったものと同じ。

「はっ」

 だが、武はそれを追っていき、シャトルをネットから落ちる前に叩いた。
 シャトルは鋭く岩代へと突き進む。武の狙い通り、ボディに一直線に進むが、岩代は上半身をスウェーさせてバックハンドで返した。高く上がったために安西達はサイドバイサイドとなり、武達はトップアンドバックになる。林が後ろで振りかぶり、武は林の邪魔にならないように体を少し斜めに傾けた。

「はあっ!」

 腹腔から吐き出される気合と共に、ドライブが放たれた。
 林はあえて体を移動させて真横でスイングする。一ゲーム目でも安西達から点を取っていたドライブだったが、向かった先にいた岩代は前に突進してラケットを立てただけで弾き返した。無駄な力がないために、勢いは完全に殺されてそのままネット前に落ちていく。
 武はシャトルに向かってフェンシングのようにラケットを突き出し、シャトルにスピンをかけた。それに向かって岩代は更に踏み込み、クロスヘアピンで武を抜こうとする。ネットぎりぎりを進み、叩くことも出来ないため、ただシャトルの進路にラケットを出して羽根に当てた武は、ラケットを掲げて次の岩代の手を封じ込めようとする。大きく前に立ちはだかることで選択肢を狭めようとした。
 だが岩代は躊躇なく武が掲げるラケットの横を抜いていく。再び攻撃態勢になっても、武にはなかなかビジョンが見えない。

(林のドライブも効かなくなってる……なら、次の段階にいくか!)

 武は一歩後ろに下がり、林の次手を待つ。林ならば次もドライブでいくだろうと予想は付いていた。だからこそ、武は半歩右足を下げて斜め前にいる安西を見る。武の動きに気づいたのか、安西は自分が次にどう動こうか悩んだようだった。
 そこに飛び込んでくるシャトル。林の鋭いドライブを安西はバックハンドで斜めに返す。ちょうど、武がいるほうへと。

「はっ!」

 武は目の前に来たシャトルを狙いすましてドライブを放った。狙うのは安西と岩代の間――中央。双方のラケットがかすかに届かない位置。今までの攻防の中で、一瞬だけ見えた道にシャトルを打ち込んだ。シャトルがラケットに触れることなく、コートへとまっすぐに進んでいって着弾する。力強い音が響いた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃー!」

 武が気合を前面に押し出して喜ぶ。前半途中から続けてようやく納得のいく展開での得点。林の力と自分の力を生かした、偶然に助けられない一点はこれからの反撃の力となる。

「これから連続ポイント、いくぞ」
「おっけ!」

 林も乗ってくる。そこにタイミングよく「ストップ!」と吼えたのは岩代だった。
 こちらの気合を一度止める絶妙なタイミング。それはおそらく試合の経験値からくるもの。武も林の背中を軽く叩いて自分の位置に戻るように促した。武はシャトルを持ってサーブ位置に付く。岩代に向けて立った時に、向かいから伝わってくる思いがわかったような気がした。

(あいつは、やっぱり俺と吉田と戦いたかったんだろうな)

 全力を出して、それでも届かないかもしれない相手とぎりぎりの一点を競い合う。それは武も望んでいたことだが、岩代もまたその一人だろう。全道でも岩代と一緒になることがあったが、橘兄弟と会った時などは対抗心を露にしていた。対戦して負けた後も、武達が勝った後も。岩代が悔しがっていることは分かっていた。自然と、自分が壁となって彼らの前に立っていなければいけないのだと思っていたのかもしれない。

(だからこそ、俺は俺でお前の前に立ち続ける)

 バックハンドでシャトルにラケットを当てるように構え、岩代の眼光を受けながら叫んだ。

「一本!」

 シャトルを小さく、鋭く打ち出す。そこに飛び込む岩代に向かって、武もまた前に踏み出した。自分自身をプレッシャーの道具にして、更にシャトルを打つコースも狭める。ネット前ならばすぐに反応してラケットを振れる位置。後ろに飛ばすならば林のドライブが十分な力で打ち出される。位置取りで一番力を発揮できるフォーメーションを作った。
 だが、そこに岩代はヘアピンを打ってきた。武の右サイド。一瞬でもネットから離れれば、今の武ならある程度強打できる。それでも岩代はそこへシャトルを打ち、ネットすれすれのために武にプッシュを諦めさせた。顔をゆがめながらヘアピンでストレートに返す。後手に回ったヘアピンに、今度は岩代が下から垂直にラケットをスライスさせてシャトルを武達のコートにシャトルを落とす。林が前に出てロブを大きく上げることで危機を脱したが、今度は相手のチャンスとなった。

(ちっ。スマッシュか!)

 左サイドに移動してシャトルの行方を追う。後ろにいたのは安西。ラケットを掲げて一瞬だけ動きを止める。そこを見ていた武は体が硬直したことを自覚した。思考がそれに追いつく前にスマッシュが武へと遅い来る。
 武の体感では瞬間移動したようなもの。シャトルは胸部に吸い込まれていき、武は左にかわしてラケットに当てることが限界だった。シャトルはふわりとネット前に向かい、白帯にぶつかる。そのまま、くるりと反転して安西達のコートに落ちていった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「ら、ラッキー」

 ため息混じりに呟く武に、林も「ラッキー」と声をかけた。まだ運は自分達にある。武はそう信じて再度叫んだ。

「一本!」
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