Fly Up! 182

モドル | ススム | モクジ
「ふぅ」

 大地は一つ息を吐いて、バドミントンシューズの紐をしっかりと結んだ。これから自分の、最後になるかもしれない試合が始まる。悔いの残らないようにするために、しっかりと動けるように。今まで以上に丁寧に縛っていく。交差している紐を一度緩め、自分の足に合わせてきつくしていく作業。これまでは、スポーツ用品店で買った状態そのままでいたため、たまに動いている間にずれることがあった。
 今日、これからの試合はそんなことを起こしたくない。全ての動きをスムーズに伝達できるようにしたい。
 二年のシングルス。一回目の呼び出しで試合なのは大地だけのため、周りは線審をする浅葉中の一年以外はみんな他校の生徒。しかも、自分は試合に出たことはなく、話せる人もいない。

「いよいよだな」
「杉田」

 だからこそ、自分の目の前に立ってくれている杉田の心使いに大地はほっとした。
 自分の試合がまだ先にも関わらず、杉田はフロアに下りてきて激励してくれるというのは大地にとってはありがたい。しっかり頑張ろうと思っていても、心のどこかで諦めている自分がいる。
 しかし、傍で友達が見てくれているのならば。
 自分の力に出来る。

「思い切りってこい、大地」
「うん。精一杯やってくる」

 それでも、勝ってくるとは言えなかった。
 庄司から最後になるかもしれない公式戦と言われてから、自分なりに頑張ってきた。その成果が一番形となるのは、公式戦初勝利という結果だろう。しかし、簡単に口にするのは憚れた。だからこそ、これだけ苦しんでいるのだから。
 フロアに足を踏み入れる。既に相手はコート中央で準備をしていた。遅れたことを謝り、すぐに近づいて握手をする。

「握手してください」

 審判がネットを上げて握手をさせる。大地は相手の手を力強く握る。

(なんか綺麗な手だな)

 とても強そうには思えない感触。もっとごつごつした、ラケットをひたすら握っているような掌と想像していただけに肩透かしを食らう。
 しかし、その思いはあくまで錯覚だ。

「試合を始めます。オンマイライト。浅葉中、小林選手。オンマイレフト、清華中、小島選手。イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
「お願いします!」

 大地の挑戦が始まった。
 北海道のベスト4、小島正志への。
 サーブ権を得た大地は、ゆっくりとサーブ位置に立つ。諸動作の間に一つ息を吐きつつ、しっかりと相手の小島を視界に入れる。小島の身長は大地よりも高い。しかし、身長さ以上に大地は圧迫感を感じていた。ネットの向こうから来るプレッシャーに押されるような気がする。

(相手が誰だろうと、僕のプレイをする)

 シャトルをしっかりと持ち、今まで以上に息を吸い、声とともに吐き出した。

「一本!」

 シャトルを真下に離し、ラケットを下から上に振り切る。綺麗なインパクト音と共に高くサーブが上がる。綺麗に上がったことに感動した大地だったが、すぐにコート中央に腰を落として構えた。

(小島君なら、どこに打つ?)

 橋本が言っていた。バドミントンは考えたものが勝つ。
 どこにシャトルを飛ばすかを考え、そこに飛び込んでラケットにシャトルを当てれば、点は取れるはず。

(いくら小島君でも、相手が僕なら油断するはず。スマッシュを軽く打っても大丈夫と思うなら)

 大地は小島が打つ瞬間にはもう動いていた。完全にヤマを張る。早すぎればその動きを見られて軌道を変えられていただろうが、大地の飛び出しは小島でも軌道修正が出来ないほど絶妙なタイミングだった。
 まっすぐ打ち込まれたシャトルの進行方向にラケットを突き出してインターセプトを狙う。半ば飛ぶようにしてシャトルに喰らいついた結果、シャトルは小島側に跳ね返り、コートに落ちていた。
 小島は打った場所から一歩も動けなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ぃいやったぁ!」

 公式戦での得点。しかも、実力が段違いの小島からの。大地は喜びを隠さずに発散させた。
 周囲からも拍手が送られる。特に浅葉中の面々から。

「いいぞ、大地!」
「続けて一本だ!」

 大地は喜びに包まれていたことで、ネットを挟んで傍に落ちているシャトルをとり忘れていたことに気づいた。相手のコートだからといって、近くにあるのだから自分で拾うのが礼儀だろうと、シャトルをラケットで取ろうとする。

「いや、いいよ」

 その言葉を聞いた瞬間、大地の背筋を冷たい汗が滑り落ちた。喉の奥から「ひっ」と小さく叫ぶ声が昇ってくるのを何とか飲み込み、三歩後ずさりする。
 小島は自らシャトルを拾い上げて、大地に軽く打って渡した。

「ナイスショット」

 穏やかな声。穏やかな笑顔。しかし、大地はコートに縫い付けられたかのように動けない。

「もう、次は、ない」

 一言ずつしっかりと呟いて、小島はレシーブ位置に戻った。

(……本気に、なる? 小島君が? 僕に?)

 思い浮かんだことに対して、大地は頭を軽く振った。
 自分に本気を出すなんて考えてもいなかった? あわよくば舐めている間に何点か取れればよかったのか? 運よく一ゲーム取れればよかったか? 試合に勝てればよかったか?
 全て、甘い幻想。妄想と言ってもいい、惰弱なものを大地は自分の中から追い出す。

(そうだ。そんな甘いことなんてない。相手は全道のベスト4なんだから。本来、僕が試合できるレベルじゃない。だから、試合のことだけ考えて全力を尽くすしかないんだ)

 全力を尽くしても、なお届かないかもしれない。それでも、相手のミスや慢心を期待している限り、自分の全力など出せない。大地はそう考えて、自戒を込めて一度息を全て吐き出し、大きく吸った。
 息を止めて小島を見据える。

「一本!」

 声に力を乗せて、シャトルを打ちぬく。
 コートの上を高く舞うシャトルを追いかけて、小島が真下に入った。先ほどと、位置は逆だが状況的には同じ。

(今度も、ストレート!)

 小島はきっと、怒っていると大地は考える。自分に得点を許すことは、小島にとっても予想外で、恥ずかしいことに違いなかった。そんな自分と、相手を許せないに違いない。ならば、先ほどと同じコースで真正面から打ち破るに違いない。

(ラケットを、前に!)

 小島がラケットを振りぬく瞬間に前に踏み出す。今度もまた軌道は変えられないようなタイミング。シャトルがくれば弾き返せるだろう。
 だが、大地のところにシャトルは来なかった。

「えっ!?」

 踏み出した直後に、その反対側のネット前に飛んだシャトルを見て、大地は上ずった声をだす。そして、体を反転させてシャトルを追おうとしたが、足がこんがらがってしまい、コートに倒れてしまった。
 シャトルはゆっくりと、コートに落ちた。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 胸を打ちつけたために、大地はすぐに起き上がれなかった。咳き込みながらも何とか立ち上がった頃には、小島がシャトルを取っている。
 大地は「ごめん」と一言謝って、レシーブ位置に戻った。

「小林」

 小島から呼びかけられて、大地は振り向く。そして再び背筋を冷たい汗が流れる。

「これからの俺に、油断は、ない」

 一つの宣告。そしてこみ上げてくる怖さ。
 大地は初めて小島という選手を目にした気がしていた。
 大地が構えたところで、小島がサーブを放つ。大きなロングサーブは後ろのラインぎりぎりまで飛んでいく。

(アウト……? いや!)

 一瞬、見逃そうとした大地だったが思い直してハイクリアを打った。吉田や小島のような選手はまず、アウトにしない。迷った時に消極的な見極めをすると気分が悪くなる。だからこそ、大地は打つほうを選んだ。
 力を込めて打ったが、シャトルは小島のコートの中央辺りまでしか飛ばない。既に詰めていた小島は大きく振りかぶる。

(次こそ、スマッシュ!)

 コート中央でぐっと腰を入れて構える大地。しかし、小島はクロスドロップでネット前に落としていた。中央で構えていた大地は全く動くことが出来なかった。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
(力任せじゃない。本当に考えながら打ってきてる)

 大地がどう動けばどう打つか。この実力差でも小島は通常のプレイ通り、相手を視界に入れて隙を見つけ出し、そこに打っている。
 単純な力押しでも小島ならば大地など相手ではないはずだ。大地もそう考えて、読みやすいところにラケットを持っていこうとしている。実際、それにより一点を取ることができた。小島の行動はだからこそなのか。
 前に落ちたシャトルを小島自ら拾い、サーブ位置に戻る。大地も慌ててレシーブ位置に入って構えた。

(まともにやったら勝てないのに……どうしたらいいんだ)

 迷いを抱えたまま、小島のサーブで飛んだシャトルを追う。追いついて一つ一つフォームを確認しながら、ハイクリアでシャトルを打ち返した。すると先ほどよりも飛距離が伸び、小島が後ろに下がる。

(次はどこだ?)

 小島の動きをじっくりと見る。打った瞬間に動けないならば、打った後に思い切り動けるように踵を上げて前傾姿勢になる。小島の動きに集中していくと、自然と迷いが小さくなっていく。

「はっ!」

 小島は大地の左前方にドロップを落としてきた。大地は前に足を踏み出してシャトルに追いついてロブを上げた。コート中央に戻る時も小島から目を離さない。

(集中。集中……集中!)

 呪文のように心の中で唱え続け、小島の動きしか意識に入らなくなる。小島の次手は右奥へのハイクリア。大地もそれを追って後ろに下がり、少し前方でシャトルを打てるようにラケットを振り切る。シャトルはドライブのように床と平行に進み、ネットを越えるところで落ちていく。
 小島は前に既に詰めて、そのシャトルをネットの高さを下回る前にプッシュしていた。打った大地のいる逆方向へ打つようにラケット面の角度を変えるほどの余裕。小島をずっと見ていたが、目をシャトルに向けた一瞬の内に前に詰めたのか。

(凄いや……)

 まだ二対一。序盤の序盤だったが、大地は二人の間の実力差が言葉で言い表せないほどということを理解する。今までも頭で分かっていた。実績や、目にしたことで実力の高さは分かっていたのだが、それはあくまで『分かっていた』というもの。
 今の時点で、ようやく骨の髄まで『理解』していた。

(だからこそ、最後まで全力でぶつかりたい)

 大地はラケットを握りなおし、前に進む。レシーブ位置に立ち、構えたところで「ストップ!」と大きく叫ぶ。
 小島に対して、声の大きさは負けない。そう決めた。

(そうだ。まずは気持ちで負けない。折られてたまるか)

 小島はロングサーブで大地を奥に動かす。大地は先ほど打った時と同じように、丁寧に力の伝達を確認していき、シャトルを打った。ストレートに強く飛んでいくシャトル。今度はハイクリアで小島のコート奥まで到達する。小島は背中を向けるとバックハンドでシャトルを打った。普通にフォアハンドで打つときと同じような打点。
 シャトルは大地の打った軌跡をなぞるように返される。
 大地はその場でシャトルを迎え撃ち、スマッシュをクロスに放った。小島がいない方向へという意識で。
 しかし、小島はシャトルへと一瞬で追いつき、ドライブをストレートに打つ。大地はフットワークが間に合わず、ラケットを力いっぱい伸ばした。結果、ラケットにシャトルが当たって小島側のコートに入る。

(やった!)

 落ちる、と思った瞬間だった。
 小島がシャトルをクロスヘアピンで大地のコートへと戻していた。

「ポイント。スリーワン(3対1)」

 偶然当たったシャトル。偶然打たれたヘアピン。しかし、小島はそれさえも読んでいたのか、はたまた見た後で動いたのか、冷静にシャトルを拾って返していたのだ。大地へと言ったとおり、油断はもうない。

「大地! 油断するな! コートにシャトルが落ちるまでゲームは続いてるぞ!」

 急に上から声がかけられる。見上げると武が口でメガホンを作って声を出していた。

「小島相手にお前が油断するな! 最後まで集中だ!」

 武の言葉に、大地はラケットを脇に挟んでから頬を掌で張る。鋭く息を吐いてから、レシーブ位置についた。

「ストップ!」

 大地の言葉に合わせるように、小島がロングサーブを放った。
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