Fly Up! 151

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 武と吉田が二回戦を開始して少し時間を経過した頃、もう一つの正念場がやってきている二人がいた。安西と岩代。その対戦相手は――

「よろしくお願いします」

 二人でネット下に手を回して差し出している先には同じ顔の男が二人。
 正確には多少造詣が異なるものの、双子というのはやはり見分けは付かないと岩代は思った。

「お願いします」

 ほぼ同時に、同じ声色で握手を返してきた橘空人、海人の兄弟。武達の地区全域でトップに立つ男達。後輩にも関わらず今回は第三シードに位置している。
 ネットから離れた段階で岩代は安西へと呟く。

「あいつら、相沢達と試合をやることしか興味ないみたいだ」
「相沢達が第一シードに勝つか分からないのにな」

 安西はあくまでクールに言葉を返す。しかし岩代はその態度に少し不快さを覚えた。

「おい。悔しくないのかよ。俺たち相手にされてないんだぜ」
「それはそうだろうさ。俺たちに実績はない」
「団体戦で――」
「団体戦と個人戦は違うさ。だからここで見せるしかないんだ」

 安西の一言がそれまでとは異なって岩代の心臓に突き刺さる。その言葉にだけは力があった。即ち、これから目の前の敵を倒すという確固たる意思。
 言葉で自分の強さを表すのは簡単だ。目標達成も、何もかも。
 一番重要なのはそれを実行できる力。それを、安西は既に分かっている。

「俺たちに必要なのは力だ。目に見える力。ここで勝つことが、力を手に入れるのに一番近い」

 安西と橘空人とじゃんけんをして、サーブ権を勝ち取った。シャトルを受け取って何度かラケットで軽く上に跳ね上げてからシャトルを手に取り、サーブ位置へと立つ。

「見せてやるとか思うなよ。ひとまずこの試合に勝つ。それだけだ」
「……分かった」

 安西の言葉に岩代は覚悟を決めた。
 覚悟。それは試合前からしているはずだった。しかし改めてここで決めるということはやはり自分は迷っていたのだろうと思う。
 迷い……この第三シードに勝てるかどうかということを。

(これで何も迷いはない。ただ、相手を超える。それだけだ)

 左手で頬を軽く叩き、自分に気合を入れる。試合のコールに「お願いします!」と気合を返し、サーブからのプッシュを待ち構えた。

 ――だが、次の瞬間には胸部にシャトルがぶつかっていた。

 自分の目の前に落ちるシャトルを見て岩代は動きを止めた。実際には動くことすら出来なかった。安西のシャトルがサーブで小さくはじき出されたところまでは分かっている。しかし、その後。
 橘空人からのプッシュで、シャトルが返って来る様子が全く見えなかったのだ。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 声に導かれるように、ラケットでシャトルをすくうとすぐに相手に返す。目の前には今、プッシュを放った橘空人がいる。その顔はシャトルを決めた高揚感も何もない。ただ、決められた作業を行っただけという余裕がある。

(歯牙にもかけないってか。ちくしょう)

 悔しさに身体を震わせるも、安西が背中にラケットを軽く当てる。そこから一気に黒い感情が抜けていく。

「落ち着け。速いのは分かってたことだ。まずは慣れよう」
「お、おう」

 そう言って安西がレシーブ体勢を取る。岩代も少し横にずれてローテーションに瞬時に移れるように姿勢を作った。

(最初に何点か取られるのは仕方がない。まずは慣れることだ。そうじゃないと)

 空人のサーブに対して安西はヘアピンで前に落としていた。プッシュ出来るほど浮いていないために。しかし空人はヘアピンに反応してバックハンドからプッシュを放っていた。全く浮いていないシャトルをプッシュすることほど技量の要ることはない。岩代は初めて打たれるショットに反応できず、ラケットを出すことも出来なかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 シャトルを返す前にワンテンポ遅らせて今のことを振り返る。
 普段通りならば取れる軌道。しかし二回とも取ることができなかった。二回目は今まで打たれたことがないショットだったからだが、それ以上に体勢を整える前に打たれたからだ。
 体勢を整える速度を上げる必要がある。

「よし、ストップ!」

 シャトルを返してサーブを待ち構える。まずはラリーを繋げなければ始まらない。ショートとロングどちらが来ても奥に上げてチャンスを作ることに決めていた。
 相手からのサーブはショート。ネットぎりぎりを通過してサービスラインへと落ちようとするシャトルを下から跳ね上げる。低い弾道だと前につめている空人にインターセプトされる可能性があるため、思い切り高く上げていた。
 高く上がる間に安西と岩代は両サイドに広がり、受け止める体勢を整える。後ろには橘海人がシャトルの下に入り、ラケットを振りかぶる。
 来ると分かっているならば止められる。それが岩代の狙い。
 だからこそ、次に来た凄まじく速いスマッシュをぎりぎり打ち返したことに驚きを隠しきれなかった。

(は、速い――)

 偶然ラケットを構えていたところにシャトルが来ただけと、一瞬で理解する。次にくるシャトルが取れるか。その迷いが次のスマッシュの弾道を遮ることを邪魔する。
 ラケットのシャフトをすり抜けて、シャトルはコートに着弾していた。
 連続ポイント。それも、全て力押しで負けている。安西も岩代も理解出来ていた。

「一回一回落ち込むなよ、岩代」

 しかし安西は無表情で岩代の肩をラケットで軽く叩く。出来るだけダメージがないと相手に見せるため、そして岩代のプレッシャーを紛らわせるために。
 だが岩代はそんな安西の気持ちが分かっていても、闘志が揺らぐのを止められない。
 試合の間に慣れることが出来るのか。慣れなければ負けるだけ。それも、大敗。不吉な映像が頭を過ぎって、頭を振った。

(負けられるか。いや、そう思うから余計に固くなるのか)

 深呼吸をしてからラケットを構える。既に相手はサーブ体勢に入っており、いつでも試合は再開できたようだ。

(おそらく、サーブは浮かない。スマッシュも速い。でも慣れて行くしかない)

 安西へとショートサーブ。ヘアピンで勝負することを止めて、安西はシャトルを奥に飛ばした。すぐに追いつくのは橘空人。ラケットがしなったように見えた瞬間、シャトルが岩代の眼前に迫ってくる。咄嗟にラケットを掲げて打ち返すもすぐに海人がプッシュする。安西が走りこんでバックハンドを振り切ると、タイミングよくシャトルが相手コートに返った。

「はっ」

 更に空人が一瞬でシャトル下に入り込み、打ち込んでくる。またしても岩代。

(やっぱり、狙われてる)

 今までの動きからも、安西のレシーブ力がある程度の力があると分かったのだろう。動きが劣る岩代に狙いを定めて橘兄弟が攻めてくるのは自明の理。
 岩代本人もそれは覚悟していたが、ここまで烈火のように攻め立てられると抗うことも難しかった。
 そして、刻々と時間は過ぎていく。シャトルが次々にコートに打ち込まれ、岩代はついに膝をついた。

「ポイント。テンラブ(10対0)」

 非情にも告げられるポイント。あと五点を取られれば第一ゲームを落としてしまう。ならば、それに見合う収穫が得られたのか。
 そう問われても岩代は即答できない。二人のスマッシュが速いことにもそうだが、全体的に動きについていけていない。安西に関しては、前の動きにようやく慣れてきたようだが、岩代だけが三人の動きに取り残されているかのように動けない。その隙を突かれて得点を重ねられている。
 体力はまだある。むしろ、シャトルを取ることに粘れないため、消費することさえ出来ない。

「くそっ」

 立ち上がってシャトルを拾う前に脛をラケット面で叩く。
 このままでは自分が狙われて一気にペースを持っていかれてしまう。
 何度も安西に落ち着くように言われても、事実窮地に追い込まれていくと気持ちは揺らぐ。

「岩代」
「分かってる。落ち着けって言うんだろ」

 岩代は吐き捨てるように言ってからシャトルを拾い上げ、空人へと打ち返す。ラケットで絡めとり、手中に収めた空人は口には出さずに形だけを変えた。
 何を言ったのかは岩代にははっきりと見て取れるように。

『この程度か』

 意味を理解した瞬間、岩代の心に宿ったのは絶望感。
 ではなく。

「はぁ……なるほどな」

 岩代はラケットを軽く振りながらレシーブ位置につく。相手のサーブをじっくりと見て、ネットを越えてきたシャトルを躊躇なく後ろへと飛ばした。
 海人がそのシャトルを強打しても岩代はストレートに打ち返した。
 更に海人はスマッシュを打ち込むが、岩代は今度は逆サイドの奥へと弾き返す。サイドステップで追いついた海人は、今度はドロップで岩代の前に落とすも、すでに前につめていた岩代がプッシュで叩き落していた。
 サービスオーバーでシャトルが返って来る。安西はシャトルの羽を直しながら岩代へと呟いた。

「吹っ切れたか?」
「ああ。ごめん。ありがとう」

 岩代は安西の後ろに回り、試合再開に備える。思考は先ほどまでのように霧がかかっていた感覚が消えていく。

(格下の俺がいろいろ考えて打とうとするからいけなかったんだ……打つショットに迷いがあるままで打っていたら、そりゃ弱々しくもなる)

 打たれるか不安にまみれたヘアピンよりも、打たれるのは覚悟の上でのロブ。
 ただでさえ強い相手に迷いがあれば、一瞬でつけ込まれてしまう。

「行くぞ!」
「おう!」

 岩代の咆哮に押し出されるように、安西もショートサーブをネットぎりぎりに通した。
 シャトルを打たれても、岩代は今までと違って厳しいコースに返そうとはせずにただ高く遠くへと弾き返した。
 序盤ではなすすべなくスマッシュを決められていたが、今ではベストのタイミングで返している。海人は負けじと同じようにスマッシュを放つも、岩代も安西も、一歩も引かなくなっていた。

(なんでだ……? そうか。ここまでで、慣れてきたんだ)

 序盤に散々打ち込まれて、屈辱に顔をゆがめてきたスマッシュが今は何とか目で追い、打ち返せている。
 最初から相手のスピードに慣れることが第一目的だった。それでも、ここまでの大差は考えておらず、心が折れる直前までいかされた。

(ここまでは、無駄じゃ、なかった)

 海人のスマッシュを打ち返し、更に放たれたシャトルへと今度は自分から近づいてラケット面を立てる。威力のあるシャトルはラケット面にぶつかると、そのまま勢いを無くしてネット前に落ちていく。ネット前の強さを見せ付けていた空人も、あまりに早すぎる落下に対応しきれなかった。
 ポイントが告げられ、二人に初めての得点が入る。
 散々痛めつけられて、得点は十三対一。
 このゲームを取るのは非常に厳しい状況。それでも、一度折れかけた岩代の心は完全に立ち直っている。

「よし、諦めずにまずは一本だ」
「おう!」

 安西の声に呼応した岩代。
 その瞬間、空気が変質した。

(なんだ?)

 急に周りの空気が重くなり、自分を押しつぶそうとしているように感じる岩代。それも気のせいだろうと一度息を吐くも、感覚は消えない。

「ストップだ」

 声が聞こえた瞬間、岩代の背筋に寒気が走る。
 空人が発した言葉は空気を歪ませて、岩代と安西の身体を縛る。
 圧倒的なまでの威圧感を開放した二人に対して、岩代は身体の震えを抑えることが出来なかった。

(なんなんだよ。こいつら、本当に一つ下、なのか?)

「全力で、行く」
「俺たちは、絶対に相沢達とやるんだからな。負けるわけにはいかない」

 自分達もそうだ、と主張するにはあまりにも遠く感じる橘兄弟。
 安西は呪縛を解いてショートサーブをゆっくりと、しかし正確にネットぎりぎりを狙う。
 それでも。

「はっ!」

 空人のプッシュが岩代の前にシャトルを落としていた。
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