Fly Up! 150

モドル | ススム | モクジ
「みんな。まずはお疲れ様と言おう」

 庄司の言葉に一回戦を終えた選手たちは同じようにほっと息をついた。しかし表情は様々。共通するのは、勝ち負けという線引きだった。
 一回戦を無事に突破できたのは、武と吉田。そして安西と岩代の二組だけ。
 川瀬と須永。そして女子のダブルスは皆、敗者審判も終えて悔しさを滲ませた顔で戻ってきていた。

「吉田達と安西達の二組だけになったが、今まで以上に応援するように。特に、安西達は次が正念場だろう」

 庄司の言葉に安西と岩代が同時に頷いた。武もその理由は分かっている。
 安西達の次の相手は橘空人と橘海人。後輩にも拘らず第二シードにエントリーされている強者。そして、岩代の闘志を掻き立てる相手でもある。

(完全に無視されてたからな……きっと)

 武はかすかに岩代の顔を見る。平常心を装うこともなく、岩代は気合の乗った表情でラケットを軽く振っていた。一振り一振りに闘志が煌く。

「先に相沢達の試合だ。準備運動もいいが、それまでに体力を使い果たすなよ」

 解散を明示、庄司はその場を辞す。残った生徒達も思い思いの行動をとっていく。武と吉田は次の試合に備えて先にフロアへと降りようと歩き出す。
 その瞬間、前にいた女子とぶつかった。

「っと、ごめん」

 謝ろうと顔を上げた瞬間、眼前に早坂の顔が見えた。あまりの近さに慌てて離れるも、早坂は少し俯いて憮然としている。

「いや、すまん。いきなりだったんで」
「いいわよ。次も頑張って」

 そのまま早坂は離れていく。武はばつが悪くなり頭を描きながら歩を進めた。

「うーん。なんかこう、怒らせることばっかりやってるな俺って」
「今のは怒ったわけじゃないと思うぞ」
「じゃあ何?」
「べっつにー」

 吉田は武には理解できない陽気さで走っていった。追いつこうと武も小走りになって一階に下りる階段を目指す。吉田の真意はまったく分からなかったが、走っていく内に武の中は次の試合に差し替えられていく。
 気合が体中を巡っていくのを感じていた。

(次も勝つ。そして、明日は第一シードを破る。最後までやってやる!)

 一回勝ったことが自信に繋がったのか、不安には揺らがない。前を走る吉田を速度を上げて追い抜き、一気にフロアの扉を開いた。

『おおおおおお!』

 瞬間、鳴り響く歓声。その音量に気おされて勢いが一瞬で止まった。
 眼前では打ち込まれたシャトルを拾い、相手へと返すプレイヤーが見える。ただの試合ならば、そこまで周りが興奮することはないだろう。しかし、今の試合は『ただ』ではない。
 第一シードの、第一試合。西村達の中学の一位。中体連の全国大会でも活躍していたという話だった。

「全国ベスト4か。淺川もいるし、なんか反則だよな。広槻中……」
「才能もあるんだろうけど、練習も違うんだろうな」

 吉田の言葉に少しだけ羨みが入っているのを武は聞き逃さなかった。今の環境に言い訳する男ではないとは分かっているが、やはり思うところもあるのだろう。
 それがちょっとだけ表に出た。それだけだ、が。

(でも、これだけ強いと流石に口に出したくもなるよな)

 考えている間も試合は進んでいく。
 そこには一方的な試合展開へと飲み込んでいく第一シードのペアの姿。流れに思い切り飲まれてしまい、反撃のチャンスもなくしていく相手ペア。結果はもう変わらない。

「心が折れたら、もう負けだ。俺たちも、次に勝てばあいつらとやるんだ」

 吉田の声は確かに武へと届いているが、頭が理解するのに時間がかかった。それほどまでに、目の前の一挙一足に目を奪われていた。

(返って来るシャトルを最小限の動きで捉える。上がってきたシャトルを厳しいコースに最速で打ち込む。一番凄いのは、それがスピードあるプレイの中でずっと出来ることだ)

 瞬間的に良いプレイならば武や吉田も可能だろう。もう少し言えば、そのプレイ時間が長いからこそ地区で一位を取れた。
 だが、目の前の二人は全国でも最も長く精度の高いプレイが出来るのだろう。
 あっという間にマッチポイントを向かえ、最後のラリーが行われる。そこでひとつの変化が起こった。攻められていて戦意喪失したと思われた相手ペアが、急に攻め始めたのだ。急に厳しいコースを攻められても第一シードは崩れはしなかったが、必死に喰らいつこうとシャトルを打ち続ける。

「急に、どうしたんだ?」
「おそらく、最後に一点でも奪おうと思ったんだろう」

 吉田の言葉は正しいように思えた。しかし、それは甘い考えとでも言わんばかりに、スマッシュが二人の間にねじ込まれていた。

「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。マッチウォンバイ、坂下・川島」

 フィニッシュショットを打った坂下が軽く手を上げると川島が掌を打ちつけた。

「さて、次は俺たちかな」

 吉田はそう言って身体をほぐし始める。思い切り背伸びをした後で一気に脱力。身体にある無駄な力をなくし、自然体で試合に挑めるように。武も傍らで首から下に順々に筋肉をほぐしていく。今まで同時に行われている二回戦。順番からして今、第一シードの二人が試合をしたコートで武達の出番があるはずだった。だからこそ傍でスタンバイをしていたわけだが。
 試合を終えた二人が武達の下へと近づいてくる。それもそのはずだ。武達は入り口の傍にいるのだから。

「あ」

 川島と呼ばれた男のほうが武に向けて口を開ける。何かを言おうとして、しかし何も言葉が浮かばないという体。動きを止めた川島の代わりというように坂下が前に出て言葉を発した。

「吉田と相沢、だっけ。西村と同じ中学だった」
「そうだけど」

 吉田は臆することなく言葉を返す。同じ歳とはいえ相手は全国屈指のプレイヤーだ。武には、まだちゃんと話せる自信はなく吉田の後ろに隠れるようにして立つ。

「次試合? 勝ったら俺たちとだな」
「まずは目の前の一勝目指すよ」

 坂下の手を差し出しながらの言葉に、同じように差し出して掴む吉田。一瞬の邂逅のあとで、坂下と川島は武達の前から去っていった。

「……なんか、空気違うよな」
「馬鹿。同じ中学二年生だ。飲まれるなよ」
「バドの実力は同じじゃないけれど」
「ああ。今日、越えるんだ」

 吉田の言葉にはっとして振り向く。ラケットを持っていつでもコートに入れる体勢を取りつつ、吉田は前を見据えている。それは方向だけではなく、このあとの展開まで。

(この試合を勝って、次の試合も勝つ。負けることは考えてない。当たり前だ。そんなこと考えてたら、足元をすくわれる)

 そこまで思って武は考え直す。
 足元をすくわれるも何も、自分達にはすくわれるほどちゃんと立ってはいない。
 一歩一歩、階段を踏み外さないように昇っているだけ。

『試合のコールをします。浅葉中、相沢君。吉田君。東橋山中、伊藤君、正樹君。第一コートにお入りください』
「しゃ!」
「行くぞ!」

 吉田と武は同時にコート内へと足を踏み入れていた。両サイドに分かれての基礎打ち。一試合終えたあとで休ませた身体を再び試合モードにする大事な手順。
 今度はあとを気にする必要はない。これで、今日の試合は終わる。
 武達に遅れること数分で、相手ペアも到着する。武と吉田よりも頭ひとつ大きい身長、そして体格。刈田が二人いるようなものだ。

(大きいな)

 しかし刈田はまだ脂肪が多いように見えるが、相手二人はどちらも引き締まっている。ユニフォームを着ていても盛り上がった筋肉が見て取れるようだ。

「相沢!」
「――おう!」

 吉田の声と同時に目に入るシャトルの位置。ドロップからハイクリア。徐々に肩を温めた上でのスマッシュ。それを打ってこいとの意思表示。
 適度に力を込めて、最速で振り切る。インパクトの瞬間に力を集中して、解き放つ。

「らっ!」

 シャトルは吉田の右腕を掠めるようにコートへと突き刺さっていた。

「な、ナイスショット!」
「っし!」

 吉田の声が一瞬だけどもったところを見て、武は予想以上に速かったのだと思う。それはそうだ。武もまた、自分では思ってもいない速度を出せていたのだから。

(試合になるとほんと、練習以上のスピード出るよな)

 武はひとつの手ごたえを元に相手ペアを見る。おそらく二人ともパワーヒッターだろう。しかし、けして劣りはしないと。

「練習を止めてください」

 やってきた審判員が言い、武も吉田の傍に寄る。線審の席には早坂が座っていた。男子も女子もどちらも出来る人は残っているため問題はないが、何故わざわざ来たのか気にかかるところだった。

「相沢。早坂がラインズマンならきっと厳しいぞー。きっちり打っていこうぜ」
「……またそうやってプレッシャーを」

 それでもそれは心地よいものだった。昔からの仲間に見られていること。それが市内大会ではなく全道大会なのだから。改めてここまで来た道を、正しいと思える。

「絶対ライン際に決めてやる」
「その意気だ」

 吉田がじゃんけんをしてサーブ権を得る。ここからは余計な会話などない。今日二試合目。ベスト8をかけた、今日最後の試合。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 吉田がサーブの体勢を取り、武が後ろで身体を沈ませる。そうしてみると相手の体躯が更に大きく見えた。それでも臆することはない。

(いくぞ!)

 武が心の中で叫ぶのと、吉田のショートサーブは同時。ネットぎりぎりのシャトルが武へと打ち込まれてきた。
 真正面から迫るシャトルをバックハンドで的確に捉え、武はネット前に返していた。吉田がネット前中央に移動し、武は後方で備える。前につめていた伊藤は更にプッシュで吉田の横を抜いた。だが、そこは既に武の守備範囲内。

「あげるぞ!」

 奥へとクリアを上げたと同時に吉田に警告する。次にくるスマッシュに備えるために両サイドへと広がった。正樹がスマッシュ体勢を取るときにはもう、武達の防御は完成している。

(さあ、どれくらいのスマッシュが来る?)

 その筋肉が見せ掛けだけではないことを見せてもらう。武は自分をそう奮い立たせて相手のスマッシュを待ち構える。
 バックハンドに構えて、防御姿勢。

「はっ!」

 正樹の腕が唸りをあげる。シャトルの大きなインパクト音を中空に残して武の前へとシャトルが襲いくる。しかし、武はその流れがまるでスローモーションのように見えていた。

(なんだ……?)

 シャトルと相手コートを同時に視界に入れる。今、正樹はスマッシュを打ったばかりで体勢が整っていない。武から見て右奥がちょうどスペースになっていた。
 そこに向けて、シャトルを思い切り弾き飛ばす。体勢を整えなおすよりも早く。
 ラケットを持つ手、正確には肘を前に押し出す。そこから、肘から先だけを跳ね上げてシャトルを捉え、弾き返した。
 より前で受け止められたシャトルはスマッシュの威力も手伝って一気に相手コートの上空を裂いていく。それでも、前にいる伊藤にインターセプトされるのを恐れて高く上げた分、正樹は下にもぐりこんで更にストレートのスマッシュを放った。しかし、ぎりぎりだったのかシャトルはネットにぶつかって武達の元へと届くことはなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイスコース、武」
「おう!」

 吉田のハイタッチに応える武。前に落ちたシャトルを拾った伊藤は正樹に対して何かを耳打ちしている。この一回のラリーで何かを思いついたのか、武の目には「次はサーブ権を取り返す」という気合が見て取れる。

「ひとまず、じっくり一本行くか」
「ああ。武も落ち着いてるじゃんか」

 吉田は軽く武の右肩を叩き、サーブ位置に戻る。武もまた、吉田の後ろについて腰を深く落とした。

(さあ、どう出る?)

 吉田のショートサーブに対して、再びプッシュが武に向かった。
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