Fly Up! 13

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「シングルス、全道四回戦敗退。これが結果だ」

 部活が終わった時に現れた桜庭が自らの戦跡を言い、部員達の中でため息が洩れた。
 季節は六月を超えて七月の初め、夏に向けて気温も上がり、体育館の中は多少蒸し暑さが今までよりも高くなっていた。部活が終わった直後。汗が流れない部員はいなかったが、黙って部長だった男の言葉を聞いている。
 全地区大会を乗り越えた桜庭が全道大会へと旅立ってから帰ってくるまでの一週間。急速に部内の世代交代が進み、ほぼ一、二年生が体育館の中を占めていた。たまに三年が受験勉強の合間に打ちに来るくらいだが、もう男子も女子も新体制で動き始めていた。
 その中での、桜庭の言葉は、一つの時代の終わりを武へと感じさせる。

(すごいなぁ……)

 自分にとって、そして歴代の浅葉中バドミントン部の中でも偉大な先輩である桜庭は、絶大な存在感を残して今日、この部を去る。

「今までは今まで。これからはこれからだ。新体制では今度こそ浅葉中を全国区にしてくれ。金田、頼んだぞ」
「はい!」

 新部長である金田が力強く返事をする。桜庭はそれから順に副部長である笠井や他の二年達。武達一年にも声をかけていく。一人一人に固く握手を交わし、爽やかな笑顔を向けて。 それは男の武から見ても魅力的だったし、ふと視線を外すと女子達がうっとりと桜庭を眺めている。その中に、若葉や由奈もいたことに少しちくりと胸が痛んだ。

(なんだろ)

 もやもやとした気分ではあったが、すぐに桜庭が傍にやってきて緊張がもやをかき消した。隣に立つ吉田の肩に手をかける。

「吉田。一年の中心として頑張ってくれ」
「はい」

 肩に手を置かれて吉田も緊張しているらしかった。心の中で武も「そりゃあそうだよな」と頷く。
 刈田との一戦以来、体力をつけてきた武は徐々にだが実力を上げていた。それでも吉田と西村にはまだ勝てるとは思えない。各ストロークの精度もあるかもしれないが、何か確実に一つの壁が二人と自分の間に立ちふさがっているように思える。
 二人は並んで話し掛けられて桜庭から期待を貰っていた。それが武は少し悔しかった。

(一年後には、金田さんにあんなふうに言ってもらえれば――)

「相沢」

 一年後にかけられたい言葉。
 それが時を越えて、目の前に現れた。

「は、はい」

 予想だにしていなかった桜庭からの言葉に、武はどもってしまう。上手く声を出せないことにいらだちながらも次の行動が取れなかった。そこに、続けて桜庭は言う。

「期待してるぞ。他の一年もそうだが、お前はここ二ヶ月でかなり伸びたと思ってる。もっと練習すれば、きっと吉田達にも負けないだろう」

 あえて隣に並ぶ二人のことを言ったのか、吉田と西村が自分に視線を向けるのを、武は感じ取っていた。緊張はしたが、けして不快ではない。自分の成長が認められているというのは嬉しいことだった。
 桜庭はそれから一通り一年にも声をかけ、体育館から去って行った。

「よし、片付け始め!」

 金田の号令に従い、コートの掃除が始まる。その時、吉田が武の肩を叩いた。

「これ終わったら、一年生集まらない?」

 その目は真剣だった。



 掃除が滞りなく終わり、武達は他の部員達が帰るまで体育館に残っていた。一年は帰る者もなく、結局七人が壁に寄りかかりながら他の男女が帰るのを見ていた。

「なんだろうね?」
「さあ。これからの方針とか?」

 隣で座ってる大地の問い掛けに何気なく武は答える。
 あながち間違いではないだろう。これから二学年だけが使うため、体育館を使える頻度は上がるだろう。それならば、今、自分達が練習しているカリキュラムを変更することもあるかもしれない。吉田は四月に一年のまとめ役を頼まれてから今まで、特に問題はなかった。小学生の時から部長のように振舞っていたのか、他の一年を上手くひっぱっていったように武は思う。
 体育館に八人だけが残った時、吉田が口を開いた。

「残ってもらったのは、確認したかったんだ」

 皆が壁に寄りかかっていたために、吉田は数歩分前に出ると武達に向き合う。

「これからどういうようにいくか」
「どういうようにって?」

 杉田の声に若干の不満が含まれていることに武は眉をひそめた。その理由が分からないことが第一だが、二人の間から何か冷えた空気が漂ってくる。

「俺は今までさ、本気でやる人も一から始める人もどちらも頑張れるようなトレーニングをしてたんだ。基礎トレだから調整はしやすかったけど。でも、これからは桜庭さんも言ったように、浅葉中を全国区に近づけたい」

 吉田の言葉には力があった。心からそう思っていると、疑う余地はない。その熱意に武は当てられ、感嘆のため息を漏らす。
 だが、杉田は違ったらしい。
 武には分からないが、苛立ちは更に高まっているように見えた。

「これから先、もっと体育館も使えるだろうし、皆、大分基礎体力は付いてきたと思うから、よりきついトレーニングにしようと思う」
「それで辞めるってやつが出てきたら?」

 びくり、と隣で空気が震えた。見なくても分かる。隣にいるのは大地だった。視線を吉田から動かせず気配だけで大地を見る。

「そりゃあ、お前とか……相沢とか橋本とかならついていけるだろうさ。でも個人差あるのに皆一律で潰れる奴がいない可能性はないだろ?」
「そうならないように気を使ってるさ」
「……なら、いい」

 杉田は少しの沈黙のあとに引き下がった。あっさりしすぎの感が武には残ったが、そのまま吉田の話が続いたために意識をそちらに向ける。
 最後まで、杉田が口を開くことはなかった。


 * * * * *


「――それにしても、杉田怖かったな」
「ああ」

 隣を自転車で進む橋本の言葉に、武は相槌を打った。吉田と杉田の静かな闘争は、杉田が引き下がる形で幕を閉じた。そのあとは吉田が新しく考えた練習内容の発表。今までやっていたことの量が増えることと、体育館を利用する練習が少し加わったことを確認して解散となった。
 杉田は終始無言だったが、納得はしているらしく武には正体が良く分からない怒りの気配を収めていった。

「なんだろうな」
「……思い当たるところはあるけど」
「なに?」

 自転車の距離が縮まる。ペダルがぶつかりそうな距離。でも橋本は絶妙な間を取って声を届かせてくる。

「大地のことじゃない?」
「あいつかぁ」

 名前を出しただけで武の言いたかったことを理解したのか、橋本は少し距離を置いた。走行に支障をきたさないくらいに視線を武へと向けていたが、それも前に戻す。声は聞こえているだろうと、武は先を続けた。

「最近、少しずつ練習メニューのきつさ上げただろう、吉田。そこで大地がついていけなくなってるところがある」
「部活も一日は休むようになったしな」

 風に乗って二人のため息が流れていく。四月、五月をランニングや敏捷性を鍛える方向できた吉田の練習メニューは、六月に入ると少しずつ精度ときつさを上げていった。地道な体力トレーニングによって武には何とか耐えられるものだったが、大地は終わったあとにはだるさが抜けず、週に一回は休みを入れるようになった。
 小学校からの友人である杉田には、その大地を放って更にきつくしようとする吉田に不信感が芽生えたのだろうと、武は予想した。

「でも上を目指す部活ってそういうもんだろ? ついていけないやつは何とか自分なりのペース掴むしかないさ。大地も分かってるから、休みいれようときてるんじゃね?」
「そうなんだろうけどな」

 武の声に意識が乗っていないことに気づいて、橋本はハンドルを握ったまま肩をすくめた。そのまま別れ道に差し掛かり「じゃあな」と言って武から離れていく。
 生返事で「また明日」と答えてから武は再び一つのことに意識をやった。
 武が思い浮かべたのは、今日見た一年女子部員の数。
 ちょうど十名。四月から見れば五分の一に減っている。以前、若葉が不安がっていたことが現実となり、バドミントンの予想以上の辛さに耐え切れず部員が次々と辞めて行った。
 その結果の、十名。
 若葉や早坂、由奈の他にも小学生の時に違う町内会でやっていたメンバーがいる。
 どの顔も見た面子。
 つまり、初心者は残らなかったということだ。

(やっぱり、それはそれで寂しいな)

 寂しさを覚えて武はため息をつく。橋本が言ったように部活となれば上を目指すものだとは自分も思っている。町内会での活動はサークルではあったが、武は少しも手を抜く気はなかった。体力を付けることは逃げていたが。
 自分が何故バドミントンを選んだのかを思い出してみると、小学校一年の時に迫られたサッカーとの二択に遡る。町内会の子供会活動としてどちらかを選べということだった。そこで外を走り回るサッカーは嫌という理由で武はバドミントンを選び、その予想以上の面白さにはまっていったのだった。

(俺も些細なきっかけでバドにはまった。だから、初心者が潰れるような環境は、やっぱり嫌なんだよな)

 小学生からやっていなければ入れない部活、というものが本当にいいのかと言われれば、自分は違うと答えると確信している。いつでも新しい物事に挑戦する門戸は開かれているべきだと。

(杉田は吉田が初心者に気を配っていないと思って、今日噛み付いたんだろうな……吉田が考えてるって言ったら引き下がってたし)

 杉田と大地。今まで二ヶ月ほど友達付き合いしてきて、彼らのギャップというものを見てきた。どうして仲がいいのか、武には分からない。

(ま、それはいいか。大地が辞めるとか言い出したら困るってことだし。それまでは……何も出来ない)

 これから先はあくまで、これからしか分からないと武は思考に終わりを告げてペダルを踏み込んだ。
 風は辺りの暗さに比例せずに暖かい。
 夏はもうすぐそこにきていた。
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