Fly Up! 129

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(そうだ。これから、俺達は代表として全道で戦うんだ)

 湧き上がってくる達成感。これまでは地区という小さい世界の中で戦っていた。全地区大会でも、それは北海道という広大な大地のごく一部でのこと。
 全道ということは、正に大地のいたるところからプレイヤーがやってくる。それはそれぞれの地区で勝ち抜いた実力揃いのプレイヤー。最低でも、自分達レベルはあるのだ。

「今度こそ勝てると思ったんだけどな」

 安西の嘆息に吉田が笑い、語りかける。

「中学の間は負ける気はないよ。でも……全道でまたやれたらいいな」
「やれそう?」
「多分同じ地区で一位二位なら、トーナメントだと逆だろうし、決勝かな」

 吉田の言葉に一度がくっと肩を落とした安西だったが、すぐに立ち直り笑った。そこには悲壮感はなく、気合を押し出している。

「そうだな。そこで対戦できるよう、強くなってやるよ」

 吉田は左手を掲げて、安西はそこへ向けて手を弾かせる。武とだけしていた動作を、初めて他校のプレイヤーと共に。
 それは恐らく、相手を認めた証だと武は思う。客席からの声援を受けて試合をする中で、武は感じていたことを素直に呟く。

「安西達がいなければ、こんな試合できなかったよな」

 すでにコートから去っていっている安西と岩代には聞こえなかったが、吉田にはちゃんと届いたらしく、頷いた後に言葉を続けた。

「ああ。相手がいないと、試合は出来ない。そして、その相手と同じくらいの実力じゃないと、名勝負ってのは無理だ」
「そうだな。安西達がいてよかった」
「俺はお前がいてよかったよ」

 吉田の言葉に武は息を止める。これまでパートナーとして誉められはしたが、そこまで言われたのは初めてだった。嬉しさよりも緊張が先立ち、笑ってごまかそうとするも吉田の顔は真剣そのものだ。

「小学生の時、弾き返された全道にまた挑むパートナーが、お前でよかった。全道までの間、更に強くなろう」

 吉田がら差し出される右手を武は反射的に握る。試合の熱気が残った掌から武へと吉田の想いが流れ込んでくるようだった。

「ああ。俺も、お前と組めてよかったよ」

 自分の想いを伝えようと武はより力強く手を握る。自分が持つ熱気も伝わるだろうかと念じながら。

「さあ、行くか」
「おう」

 二人は揃って歩き出す。去った後にはコートを片付ける運営委員。武達の試合でこの日の試合は全て終了した。
 地区予選の終わり。たった一日だけだが武達には何倍も長く感じる。
 一区切りついた後には次なる試合への道が続いている。
 通れるのは、男女三人、三組ずつ。計18人。
 一度荷物を自分達の集合場所へと置くとすぐに閉会式が始まるとアナウンスがかかり、武と吉田は部のメンバーと共にまたフロアへと戻る。武はふと時計を見ると時刻は十八時を示している。

「いつの間にかこんなに時間経っちゃったね」
「ああ……なんか過ぎれば一瞬だったよな」

 後ろから聞こえた声の主を確認することなく、武は言葉を返す。顔を見なくとも由奈だということは分かっていた。
 自分のことで精一杯の部分があった武だが、由奈が時間の早いうちから負けて大半を応援に費やしていたことは分かっている。自分達の決勝も率先して応援してくれたことも。

「武も遠くなっちゃったねぇ」
「何しみじみ言ってるんだよ。俺は俺だしな」
「でも、もう万年一回戦負けの武はいないでしょ」

 その声に寂しさを感じ取り、武は振り向く。由奈は満面の笑みで武の背中を見ていたらしく、振り返った際に驚いて一歩後ろに下がった。不自然に止まった二人を避けるように通り過ぎていく部員達。全員が通り過ぎたところで武は一度息を吐き、歩きを再開する。

「確かに。俺は強くなったと思うよ。でもそれは俺だけの力じゃない。吉田とか早坂とか沢山強い奴等がいたか……」
「ほんと、早さんとかになりたい」

 諦め交じりの吐息と共に武の隣を通り過ぎる由奈。その心の持ちようがいまいち分からず、武はしばらく由奈が通り過ぎた場所で固まった。今度は背中を見ることになる。
 その背中が何を考えているのか。武は考えようとしてやめる。

(変に想像してギクシャクしても仕方が無いよな)

 由奈の言葉は気になるが、まずは目の前の行事を終わらせよう。
 そう呟いて、武はフロアに足を踏み込む。
 閉会式が始まっていたところに足早に近づいて、真面目に閉会式で語られる言葉を聞く。
 始まる時と変わらない、大会委員長の言葉。
 同じように始まり、同じように終わる。
 そのパターンが逆に武に今日の終わりを意識させた。

 * * *

「皆、今日はよく頑張った。ゆっくり休んでほしい」

 閉会式後、すぐに体育館は閉められたため入り口付近で浅葉中の面々は集ってミーティングを開始した。目に見える位置に他の中学の集まりが見えている。

「男子シングルスでは杉田が三位。ダブルスでは相沢、吉田組が優勝。女子シングルスでは早坂が優勝。取るべき者が取ったといえるが、その中でも杉田の三位は大躍進だ」

 庄司の言葉に歓声が生まれ、杉田は拍手に包まれる。照れくさそうに頬をかきながら杉田は顔を背けた。

「橋本、林組も惜しかったが四位。各人力をつけてきているのは非常に喜ばしいことだ。今後、入賞した者達はジュニア大会北海道予選に向けて練習を重ねていくことになる。今回入賞できなかった者達も南地区の代表者を送り出すという形で協力していってほしい」
『はい!』

 示し合わせたわけではなく、ちょうどよく発せられる言葉。武は何か照れくさく、頭をかく。先ほどの杉田ではないが、自分が思っている以上に誉められると体がむずがゆくなる。

「よし、それでは解散だ。もう七時近くになるから気をつけて帰れよ」

 庄司がミーティングを終わらせて、部員達はそれぞれの方向へと帰っていく。武の方向には由奈と早坂。いつもならば緊張する組み合わせだが、体の疲れが一気に噴出したのか、自転車をまたいだ時にくらりと頭が揺れる。

「大丈夫? 武」
「あ、ああ……さすがにしんどかった」

 由奈には言わずとも分かっただろう。
 スコアとしては2対0で勝ったが、今までのどの試合よりも武達は追い詰められていた。それでも勝てたのは自分達の伸び代のほうが大きかったこと。半分は運も味方しているだろう。

「運かもしれないけど、それでも武達が頑張ったからだよ」

 武の言うことを先んじて由奈は言う。自分の性格や考えを分かって答えてくる由奈の存在を武は今、とても心強く安心できている。特に、疲れて声を出すのも億劫な時に意図を汲んでくれるようなパートナーは。

「さ、いこうか。明日からまた学校だし」
「日曜に休めないって疲れるねぇ」

 武の後ろについて由奈はペダルを漕ぎ出す。武もそれに押されるように自転車を進めていった。部のメンバー達もそれぞれの家路につき、武と由奈の方向に行くのは早坂と橋本だ。

「それにしても相沢、凄かったなー」
「おめでと」

 後ろから誉めてくれる橋本に心温まる武だったが、続いて早坂からも祝いの言葉が届いたことで呆気に取られる。多少態度が軟化したとはいえ、まだまだ武には冷たいと思っていたからこそ、疲れも吹き飛んで後ろを振り向いた。

「早坂……何か、悪いもの食べたのか」
「それを本気で言ってるなら私も考えがあるけど」
「素直に認められなくてごめんなさい」

 本当に素直に頭を下げて、武は前を向いた。
 後ろでは橋本と早坂が今日の試合を振り返っている。いつもより饒舌な橋本と、同じく口数が多い早坂。自分の後ろで展開される別世界に、武は何かの終わりと、始まりを感じる。

(全道、か)

 全地区よりも更に上。
 金田達が苦杯を舐めた橘兄弟と戦うこともなく、同じステージに挑む。
 堂々と代表者として出ればいいのだが、南と北に別れている時点で何か置き忘れているような感覚もある。

「武。何か深刻そうに見えるけど、もっと楽に考えたらいいと思うよ」

 考え込む武を見守るように隣を進んでいた由奈が口を開く。

「武は勝って、私達が出ない試合にまた出るってだけだよ。大きさなんて関係ない。ただ自分の出来る事を頑張ればいいと思う」
「由奈……どうしたんだ。悪いものでも食べたのか?」
「きっと試合会場の空気が悪かったんだよ〜」

 自転車のペダルを少し強く踏み込んで武達よりも先に出る。武には心なしか顔が赤く見えた。自分の言ったことに照れているのかと思い、特に何も言わず背中を追う。

(そうか。そうだよな。場所が変わるだけで、試合するのは変わらないんだ)

 全地区だろうと、全道だろうと、全国だろうと。
 結局やることはシャトルを打つこと。試合をすること。そのレベルは高く、おそらく今日の安西や岩代との試合より辛いものが増えていくだろうが。

(それでも、やることは変わらないか)

 由奈の言葉にまた気づかされる。それは吉田との試合中でもあったが、由奈には特に世話になっていたように思える。由奈の背中を見ながら、武は不安の裏にある本当の気持ちに気づく。

(今度の場所、釧路だっけ)

 全道大会は釧路で開かれると、庄司が呟いていたのを思い出す。全地区大会時は電車で一時間くらいの距離だが、今度は四時間はかかるだろう。由奈からかなり距離を取ることになる。
 自分の中に生まれる思い。しかし武はそれを否定する。
 今、生まれたのではなく昔からあったのだと塗り替える。
 本当に意識したのは一年次の学年別大会の後だろう。その頃から由奈との関係は友達以上恋人未満といった微妙な距離になり、それでも壊すことに怯えて、バドミントンが上手くなるためにがむしゃらに走ってきた。
 その傍らで辛い時や挫けそうになった時に少しだけ手を貸してくれたのは、確かに由奈だった。

(駄目だ。もう、逃げられない)

 自分の思いに正直に。武は少しだけ自転車をこぐスピードを速める。由奈の後を追うように。

「じゃあなー、相沢」
「おう」

 後ろから聞こえてくる橋本の声に顔を向けて手を振る。傍には早坂。こちらを見る表情に何か違う感覚を得たが、今の武の内には残らなかった。

「由奈」

 二人と別れたことで武の目には由奈しか映らなくなっていた。自転車を隣につけて併走する。由奈の表情は見えなかったが、心なしか寂しげに翳っているように思えた。
 何を伝えていいか分からない。何が正解かは分からない。
 だから、自分の伝えたい言葉を伝えようと、口を開く。

「由奈。ありがとう」

 武の言葉に由奈は前に向けていた顔を武へと変え、自転車をこぐのを止める。
 ちょうど、先に見える角を曲がれば由奈の家という位置。武も全てを伝えるにはここしかないと思い、前に回りこんだ。

「俺さ。ここまで頑張れたのは香介とか……あ、苗字から名前に言うようにして……ってそうじゃなくて」
「うん」

 しどろもどろになる武を前に、由奈はただ微笑んで頷く。自分からは何も言わず、武からの言葉を待つように。
 その気配が伝わったのか、武は一度息を大きく吸い、吐いた。心臓はまだ鼓動を続けていたが、それでも気持ちは落ち着いていく。

「由奈がいてくれたから、頑張れたんだと思う。小学生の時から、なんかずっと世話になりっぱなしな気がする」
「うん」

 心臓が再び高鳴る。由奈の顔に浮かぶ微笑。詰まる息を強引に押し出して、武は最後の一歩を踏み出した。

「なんていうか、これからも、頼みたいんだ、けど」
「友達のまま?」

 最後までつっかえていた武を、由奈が最後に押す。

「いや……彼氏彼女で」
「……うん」

 由奈の顔が満面の笑みに変わるのを見ていて、武は今までで最高の幸福を味わった。


 ◇ ◆ ◇


「いいのか?」
「何がよ」

 武と由奈から離れた橋本と早坂は、自転車からおりて歩いていた。早坂が先におりたのにあわせて橋本もついて歩く。最初は睨んで牽制した早坂も、前を向いてただ歩くだけになる。
 だから橋本が一人でしゃべっていたのだ。今日の自分達の試合。早坂の試合。そして武と吉田の試合。バドミントンについて語っている間、早坂は別のことを考えていたのか上の空だった。
 あえて話題を避けてきたことを思い浮かべながら「いいのか」と訪ねたところで急に反応があるあたり、良くないのだと橋本は思う。けして口には出さないが。

「相沢と川崎だよ。あれ、多分今日」
「良いことじゃない」
「何も言ってないぞ」
「分かるわよ。二人のことでしょ」

 橋本のほうを向かないまま、早坂は答えていく。

「元々遅すぎるくらいなのよ。私はてっきり二年になったらもう付き合ってるかと思ってた。春休みとか部活漬けだったけど」
「変に幼馴染期間が長いからなんだろうけどなー。まあ、俺も嬉しいよ。好きな友達同士が幸せになるってのはな」
「そうね」

 早坂の言動は変わらない。淡々と受け答えし、前に歩いていくだけ。
 一瞬、橋本も失念したほどに自然に。
 彼女は自分の家へと続く道を外していた。

(突っ込むわけには、いかないよな)

 中体連の全地区大会後から感じていた、微かな違和感。それは明確な形を持って目の前にある。

(相沢と早坂かぁ。俺も気づくの遅れるわな。まあ、あるはあるのか)

 早坂の武への思い。そこに嫉妬が含まれていることは橋本にもすぐ分かった。
 小学生の時とは違い、抜かれたことへの悔しさ。
 しかし、その強さに憧れる。
 相反する思いをいらだちでぶつけてしまう。そこまでは思春期とでも言うんだろうと思っていた。しかし、先に恋愛感情まであるとは橋本も今の今まで分からなかった。

(まだまだ甘いね、俺も)

 自分の家に続く道が見えたところで、橋本は自転車に跨ってペダルをこいだ。一瞬で早坂を抜かし、また明日、と挨拶を贈る。
 光る何かを見たのは気のせいだと思いたかった。

 ジュニア予選地区大会。
 この日、始まりがあり、終わりがあった。

 そしてまた、新たな日々が始まる。
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