Fly Up! 120
ダブルスとシングルスのベスト4が出揃い、試合に入るまで三十分の休憩に入った。男子シングルスは小島、刈田、石田、杉田の四人。ダブルスは武と吉田。安西と岩代。川瀬と須永。そして、橋本と林。
二つとも四番目に今までいなかった選手たちがいる。順当と言われた上位三位への挑戦権を得たのは、浅葉中のプレイヤー。自分達の世代になって力を伸ばしてきた者達。
「疲れない程度に体をほぐしておけ! 休息時間だからといってただ休んだんじゃ試合のとき動けないからな」
庄司の声に従って、客席上部でドライブでシャトルを軽く打ち合う武達。今までならば武達しかいなかった場所に、杉田や橋本、林がいる。それだけでも武には世界が違って見えた。
(これから、始まるんだな)
吉田に向かってドライブを放ちつつも、考えるのは林と橋本のこと。二人を相手にどうやって戦うか。手の内を知っているだけにやりづらいことこの上ない。
そして、橋本のプレイは武が特に苦手としていた。小学生の時からの付き合いだからか、トリッキーなプレイは特に武の思考の間隙を突いて来る。練習や試合で負けたことは無いが、それでも他の相手に比べて苦戦の割合は大きい。
「あっ」
どう戦おうかと迷った時には、シャトルが意図せぬ方向へと飛んでいた。弾かれたシャトルは女子が固まってる場所に落ちようとして、ラケットに掬い取られる。
「あ、サンキュ」
「集中しないと足元すくわれるわよ」
シャトルを取った主へと近づいて言った礼に対して返される、一見冷たい言葉。しかし武は気にせずシャトルを受けとって親指を立てる。
「まあ、いつも通りやるさ、っと。あれ、由奈は?」
「由奈なら飲み物買いに行ってるはずだけど……試合前は由奈の顔見たい?」
「い、いやいやいや」
相手――早坂の言葉に武は慌てて否定する。しかし、動揺が激しく説得力は全く無い。
「あ、武」
「うわ!」
動揺の原因が後ろから声をかけてきたせいで更に心臓を高鳴らせる武。その様子に気づかず、由奈は手にしたペットボトルを早坂に渡していた。
「早さんも武も、頑張ってね」
「もちろん」
「あ、ああ。やってやるさ」
動揺を押さえ込んで頷いて、武は手を振りながら吉田の所へと戻っていった。
向かう先にはやり取りを見ていたのか、顔をにやつかせている吉田がいる。少し離れて打ち合っていた橋本と林も同じような笑みで武を見ている。気恥ずかしくなり、顔を伏せながら武は言う。
「ほら、もうすぐ試合だろ。準備準備」
「いい感じで緊張がほぐれたぜー」
橋本がそう言って持っていたシャトルをラケットで弾く。武が咄嗟に林に向けてシャトルを打ち返すと、林は吉田に。吉田は橋本に、と軌道が四角形になってシャトルが回っていく。
「試合で嫌でも敵対しなきゃいけねぇんだから」
「今くらい仲良くでいいんじゃない?」
(随分息が合ってきてるよな)
橋本と林が続けて言うのを聞き、武は心の中で感嘆する。自分達に隠れているように見えて、ベスト4まできたのは確かな実力があったからだろう。それは試合を見ていた時も感じていたが、こうして間近で見ると更に感じる。
(ほんと、そう簡単に勝たせてもらえないな)
それでも自分達が負けるビジョンは見えない。練習と試合は別物とはいえ、関連が無いわけではない。練習で一度も黒星が無いという事実は自信となって武の中に腰を下ろす。
『試合のコールをします』
数回四人の間を回ったシャトルが自分のところへ来たとき、アナウンスがかかった。武は左手でシャトルを受け取るとゆっくりとコートを振り返る。
十個だったコートが八つに減る。男女合わせて八箇所でしか試合が行われないからと、余分な二つのコートテープが剥がされている。
『男子シングルス、準決勝。小島君、清華中。石田君、清華中。第一コートにお入りください』
まずは最初の『部活』である小島と石田。武達から間逆の席から歓声が上がり、二人だけ共にコートへと向かっていく。この勝者が刈田と。敗者が杉田と試合をすることになる。
『男子ダブルス、準決勝。相沢君、吉田君、浅葉中。橋本君、林君、浅葉中。第二コートにお入りください』
『おっしゃあ!』
四人が同時に吼える。それぞれ闘志を高ぶらせて客席からコートへと足を踏み出す。武の視界には手を振っている由奈と腕を組んで視線だけを向けてくる早坂が見えていた。
(勝ってくるよ)
二人に視線で応え、武は他三人よりも先に早足でコートへ向かう。おそらくは、誰よりも気合が入っているのだろう。
「早くやろうぜ!」
三人に声をかけてから武は戦いの舞台へと足を踏み入れた。
コートには既に審判がいる。先ほど、橋本達に負けた藤本と小笠原だった。杉田が橋本達の結末を見届けたように、今度は自分達を負かした相手の行き着く先を見ることになる。
「時間がないんで、基礎打ちは無しでお願いします」
事前に審判長から言われていたのだろう文言を告げて、藤本はスコアボード片手にネットを持ち上げた。審判が立つ反対側に置かれているめくり型の点数板には小笠原がつく。
武と吉田。橋本と林がネットを挟んで向かい合う。
「お願いします」
「お願いしマース」
橋本が語尾を間延びさせてやる気の無さを押し出す。その裏にあからさまな闘志が見えていて、武はそのギャップに顔が綻んだ。
「相沢。何笑ってンだよ」
自分が原因ということが分かってるかのように、笑みを浮かべながら言う橋本。武は自分の中に生まれた感情を素直に出す。
「いや。いつも通りだからさ」
手が離れ、林とも握手をしてから一歩後ろに下がる。
ここから先は、勝負の世界。いや、既に入っているはずなのに、武の中にあった甘さが踏み出すのを抑えていたのか。一歩だけ前に踏み出す自分が頭の中に生まれる。
幻影の自分が踏み出すと同時に、口が開いていた。
「これで、遠慮なくお前達に勝てる」
言葉を受けた橋本達だけではなく、隣にいた吉田も驚きで武を見た。
闘志を押し出すことはあっても、相手に向けて勝利宣言をするまではいかなかったはずだと。
武の顔には笑みはもう無い。自分と吉田が勝つことを疑わない、澄み切った自信を見せている。
「おもしれー。その鼻っ柱を本番で折ってやんよ」
「やってみな」
吉田と橋本がじゃんけんをする間に武はコートの後ろに向かう。何故だか、吉田が勝ってサーブ権を取ると思えた。実際に、吉田が勝ったようで振り向いたと同時に吉田がサーブラインぎりぎりにシャトル片手に立っている。
「相沢」
「何?」
「一気に行くぞ」
吉田の声に含まれる緊張感。コートの向かいから伝わってくる、橋本と林のむき出しの闘志。飄々とした表を透過して、内にある勝利への想いが迫り来る。
鳥肌が右腕を伝って上がってくる。振るえをグリップを握りしめて相殺し、武は叫んだ。
「一本!」
「応ッ!」
声の勢いそのままに、吉田はロングサーブを打っていた。
「おっと!」
一発目からロングサーブ。
前に行きかけた体を後ろへと引かせて、橋本がハイクリアを打ってくる。武は飛んできたシャトルに違和感を覚えた。残像がシャトルの後ろを追っていき、先に落ちる。
「うわ!」
危うく存在しない軌道を飛んだシャトルを打とうとして、ラケットがシャトルを早めに叩く。結果はドライブ気味になって林へと返されたが思わず声を上げてしまう。
「はっ!」
そこが隙になったのか、林からのドライブが武の胸部目掛けて飛んでくる。どちらに偏っているということもなく、両胸の中心へと迷わず突き進むシャトルは取り辛い。武も苦手とするバックハンドでしか取ることが出来なくなるだけに、最良の手だ。
この試合までは。
「はぁ!」
左足を引いて体をシャトルに対して平行にし、バックハンドに構えて打ち返す。それらの動作を一瞬で実践した武は、鋭いドライブを橋本の顔面目掛けて飛ばしていた。練習では見せないような動きに橋本も戸惑ったのか、ラケットを出すのが一瞬遅れ、ネット前に弱いシャトルを打ち返す。
「らっ!」
そこでシャトルを強打したのは吉田だった。前方中央で膝を曲げ、シャトルの動きを見ながら掲げたラケットを下ろすことはなかった。その力を一瞬で爆発させて移動し、振りぬいてシャトルを叩きつける。
シャトルは林と橋本の間に打ち込まれていた。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃ!」
「ナイッショウ!」
ハイタッチで力強く吉田の左掌を弾き飛ばす。武のパワーで攻め、吉田のスピードで決める。これまで以上にスムーズに決まったことで武もテンションが上がりかける。
そこでブレーキをかけたのは橋本の視線が見えたからだった。武は左手を握り、掌の中へと気合を封じ込めるようなイメージで気分を落ち着かせた。
「吉田」
「分かってる。橋本のやつ、一ゲームを捨てるくらいはやるかもしれないな」
橋本の瞳の力は全く翳っていない。それどころか、武達の動きを把握しようとしているのか、更に光り輝いている。林もまた今のワンプレイに見える実力に臆すことなくポーカーフェイスで構えていた。
「相沢。今回は、一番気合入れるかもしれない」
「ああ。俺もそう思っていたところだ」
言葉を交わし終えて、吉田はサーブ位置に付く。武もその後ろに膝を曲げて陣取る。吉田の呼吸と合わせるように息を吸い、吐いた。
吉田のショートサーブに合わせて林が前に足を踏み出す。シャトルはけして浮きはしなかったが、ネット前ぎりぎりで叩いていた。吉田の横を抜けてコートに落ちようとしていたシャトルを武は掬い上げ、そのままサイドバイサイドの陣形を取る。攻撃態勢を取った橋本が打ってきたのはドロップ。吉田はそこを逃さずに前に出て、ヘアピンで陣形を変えようとした。武もその動きを読んで後ろに下がろうとして、動きを止めざるをえなかった。
(なに!?)
シャトルは吉田から離れるようにクロスで武の前へと落ちていく。後ろに行きかけた体を押し留めたおかげで、ラケットはシャトルを捕らえて再び高く上げる。両サイドに広がりながら、武は今の動きを頭の中で確認していた。
(今のは、確かに)
橋本の次のショットはクロスドロップ。武の前に落ちるシャトルを吉田と同じようにヘアピンで落とし、相手に上げさせようとしていたが、林が前でシャトルを捕らえる。ストレートに来るかと腰を下げた時、吉田が叫んだ。
「クロスだ! 相沢!」
瞬間、武の体は反射的に横に動いていた。シャトルは林のラケットの軌道そのままに、武の前を過ぎていく。その軌道をなぞるように、武はバックハンドに持ち替えたラケットを振りぬいた。
ドライブがコート中央を突っ切っていき、橋本が強打で打ち返す。だが、力を乗せた一撃はコースを犠牲にし、武の目の前にシャトルを打ち込まれる。
「おらぁ!」
武は腰を落とし、そのままの勢いでラケットを上部から振り下ろす。しゃがみこむ勢いと力が合わさり、シャトルは前にいた林が取れないほど急角度でコートに叩きつけられていた。
「しゃ!」
「ナイス、相沢!」
体を起こしてガッツポーズをする武と激励する吉田。二人と対照的に橋本と林は静かに傍に歩み寄る。
「続けて一本行くぞ」
「おう!」
吉田と入れ替わりで後ろに戻る武。だが、鋭い視線を橋本から突きつけられていることに気づき、浮かんでいた笑みを消した。
(マジで、一ゲーム丸ごと捨てるとか言わないよな)
武は自分の感覚が想像以上にキレていることに気づいていた。吉田もまた似たようなものだろう。このままの勢いが続くならば、楽に勝てるとも思える。
それでも、胸の奥から来る警鐘は止まなかった。
(何が、そうさせるんだ?)
武はまたグリップを握った。
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