Fly Up! 105

モドル | ススム | モクジ
 二人の試合は一進一退の攻防を繰り広げていた。点を取り、サーブ権が移動し、また点が取られる。
 終わりがないと錯覚するラリーの応酬はしかし、遂に互いのマッチポイントまで続いた。武と笠井戦と同じく、セティング無しの14点オール。

「ふー。正直、お前の力見くびってたよ」

 金田はシャトルの羽部分を直しながら吉田へと言う。流れ出る汗は止められず、二の腕に伝う汗を何度もシャツで拭う。吉田もまた同じように顔を何度も掌で拭ってシャツに押し付けていた。

「もっと普通に勝てるかと思ってた」
「俺が、勝ちます」

 吉田の左掌が顔を上から下に落ちていく。するりと抜けた先には不敵な笑み。体力の消耗を表しているのか息が切れているのは隠しようもないが、それでもまだ余裕が残っている。

「よく言った」

 金田は嬉しさに心が躍る。心臓は酸素を補充すべく早鐘を打ち、息も小刻みに吸収している。だがそれ以上に吉田を倒す時に得られるだろう快感を求め、体は震えていた。

「一本!」

 自身の震えを吹き飛ばすように叫び、ロングサーブでシャトルをコート奥へと飛ばす。追っていく吉田の速度は全く落ちず、シャトルを捕らえるラケットは試合の中で最も早かった。

(な!?)

 完全にタイミングを外されながらも、金田はシャトルにラケット面を何とか当てる。しかし、所詮苦し紛れ。ネット前にふらふらと上がったシャトルを前に飛んだ吉田がプッシュで叩き落していた。

「サービスオーバー。フォーティーンオール(14対14)」

 終盤の、しかもこのタイミングで最速のラケットスピード。スマッシュの速度自体は反応できないわけではなかった。しかし、今までで吉田のラケットの振る速度に慣れた金田には、出る瞬間の速度の違いについていけなかった。

「ストップ!」

 最後まで余裕を持っていたわけではなかった。全力で吉田を迎え撃ち、その結果の十四点。口ではいくつも吉田に言葉を浴びせたが、それは自分が追い詰められていることから意識をそらすための言葉。
 だからこそ、この時。
 金田は初めて「ここで止める」という意味を込めてストップと口にしていた。
 最後の勝負どころ。ここで吉田の得点を抑えれば金田の勝ち、といえるほど彼の第六感は重要度を告げてくる。

「一本!」

 吉田も同じように勝負どころを感じているのか、金田に負けない声を上げてシャトルを放っていた。前方シングルスラインぎりぎりへのショートサーブ。完全に裏をかかれた金田だったが、それでもロブを上げて体勢を整える時間を作る。
 一瞬の遅れ。しかし、吉田相手にはそれだけでも痛い失敗だと金田も分かる。シャトルの下に入り、ラケットが鋭く振られる。放たれたスマッシュは金田が体勢を整える前に飛んでいた。横に移動しラケットを伸ばしながら強引に届かせる。

「いっけぇ!」

 強打は無理と一瞬で判断し、金田はネット前にシャトルを打った。そのまま前につめて吉田を牽制する。打った感触は絶妙だった。いつもぎりぎりのヘアピンを打つ時と同じもの。
 実際に、シャトルはふわりとネットを越えていた。吉田にはヘアピンとロブの二択が与えられる。しかし、ただロブを上げただけでは角度が足りずに金田のコート中央までしかいかないだろう。そうなれば金田のスマッシュで確実にサービスオーバーだ。

(だから、お前はヘアピンを打つ!)

 金田は更に一歩、前に踏み出す。最初は牽制のつもりで移動したが、前に詰める間に考えが変わる。チャンス球を上げるならば吉田は躊躇なくヘアピンを打つ。試合の間、ずっとそうやってプレイしてきた。スマッシュやヘアピンを同じくヘアピンで返し、金田がぎりぎりのシャトルを打ってもクロスヘアピンで返すなど、徹底して上げようとしなかった。今のタイミングならば、間違いなくヘアピンで落としてくる。
 素早く前に詰め、ヘアピンが打たれた瞬間に打ち返す。それが金田の脳裏に描いた勝利への道。

(ここを抑えて、次で取る!)

 吉田がラケットヘッドをネットと水平に持っていく。シャトルが触れる瞬間に飛び込んで、クロスでもストレートでもカバー出来るように金田はもう一歩、足を踏み込んだ。
 その時だった。吉田のラケットヘッドは沈みこみ、シャトルを高く跳ね上げたのは。

「なっ!?」

 想定外のシャトルの動き。自分の頭上。ラケットを出せば取れる位置を通り過ぎようとするシャトル。しかし金田のラケットは上がることはなく、シャトルはコート中央へと落ちていく。
 それでも。

「舐……めるな!」

 金田は、終わらなかった。
 前に飛び出していた足を思い切り蹴ると、体を反転させてシャトルを追った。
 反転した金田の視界に見えたのは、落ちかけているシャトル。足を前に踏み出せばまだ十分取ることが出来る。だが問題はどう打つか。

(勢いつけて通り過ぎて、下から――!)

 移動と思考は同時。そしてシャトルを通り過ぎてから右足をコートに叩きつけてアンダースローからラケットを振り上げようとする。
 だが、そこで金田の目は後ろに下がる吉田の姿を捉えていた。次のショットを決めるのは一瞬。
 勢いをつけて振ったラケットを、シャトルが当たった瞬間に止めていた。
 インパクトの瞬間の勢いだけで飛ぶシャトルは、鋭くネット前に上がると勢いを失って落ちた。後ろへと移動していた吉田は慌てて前に詰めるも、シャトルをネットの先に届かせることが出来なかった。

「サービスオーバー。フォーティーンオール(14対14)」
「っし!」

 絶体絶命の瞬間だった。決まれば負け。そしてネット前に落とすこと、体の反転や追いついた勢いによる体勢の不利。素直に遠くへとロブを上げれば楽に振り出しに戻し、更にラリーが続いていただろう。
 この時には前に打たない。正に吉田がそう思ったことを行動から読み、金田は賭けに出たのだ。それも強気な金田の姿勢があったから。
 前を向く気持ちと実行に移す行動力。二つが合わさり、かすかな可能性を引き寄せた。

「一本!」

 そしてそれは金田の自信にも繋がる。何をしても失敗しないという思い込み。しかし、実際に思いは体に作用する。

「はっ!」

 ショートサーブで吉田の前に落としたシャトルが高く上がり、金田はスマッシュを吉田の左側へと叩き込んだ。全力で、これで決めるという気迫に押されたのか、シャトルはふらふらとネット前に上がる。そこに飛び込む金田。

「らぁ!」

 コートとコルクがぶつかり合う音。強く叩きつけられて宙を舞うシャトル。
 こつん、と二度目の音。
 それは全ての終わりを示していた。

「ポイント。フィフティーンフォーティーン(15対14)。マッチウォンバイ、金田」

 笠井のコールと共に金田は前へと歩み出ると、ネットの上から右手を回して握手を求めた。吉田はその手をまじまじと見つめ。

「ありがとう、ございました」

 呟いてから握る。力強く握られる掌にはまだ熱さが残っていて、金田も試合の終わりをようやく実感した。

「かなりヒヤッとしたよ」
「負け、ですね」

 笑顔で勝利を喜ぶ金田と対照的に、吉田の表情は暗く陰る。最後の最後。追い詰めたと誰もが思っただろう時に金田が起こした逆転劇。そこで緊張の意図が切れたとなれば、さすがに吉田でも挽回は出来なかった。

「よし。じゃあ整列!」

 手を離してそのまま試合に出た部員達に声をかける。二年と一年。そして三年がネットを挟んで向かい合った。

「三対二で三年生チームの勝ち!」
『ありがとうございました!』

 すでに試合を終えていた女子部員達からも拍手が起こる。二年と一年も負けたばかりの吉田を除いてはおおむね晴れやかな表情だった。自分達の試す機会に恵まれ、それぞれの課題を見つけることが出来た。試合に出られなかった者も武達の試合を見て、成長への思いを強くしていた。

「まあ、今回は俺らが勝ったわけだが、正直勝ち負けは二の次なんだ」

 ネットを挟んだまま、金田は武達へと語りかける。

「試合を通して、多分いろんなことを考えたと思う。どうやって優位に進めて、とか勝つために必要なことを。それが大事なんだよ。バドミントンってダブルスはまだしも個人プレイだからな。シングルスは一人。ダブルスは二人だけ。考えてみれば孤独なんだ」

 金田の口が流暢に動く。最初からこの言葉を伝えたかったと周りが分かるまでに、何度も練習してきたと思わせる上手さ。

「だからこそさ、皆で一つの目的を持つってことは大事だと思うんだよな。試合に出てる連中だけじゃなくて、出られない奴等もさ。応援して一緒になって勝ちを掴む。俺はさ、凄く、嬉しかった」

 金田の口調が鈍る。最初は時折支える程度。しかし、徐々に頻度が大きくなり、嗚咽が混じる。

「浅葉中バド部で良かったと、本気で、思ってる」

 そこまでだった。金田の言葉は止まり、場が静まる。金田は一歩後ろに移動すると下を向いてしまった。感極まったのか、後輩側も涙ぐむ者が出てくる。武もその一人だった。

「俺は湿っぽいの嫌いだからすんなりすますけど、金田の言う通り楽しかったぜ」

 阿部が前に歩み出て二年と一年を見渡す。ネットは越えないまま、視界に入る後輩達へと言った。

「皆、今後とも浅葉中バド部よろしく!」

 阿部の雰囲気に場も穏やかになる。
 寂しさに沈みかけた空気が明るくなる。そのタイミングを逃さずに、庄司が部活の終わりを宣言する。

「よし。じゃあ部活はここまで。時間押してるんだ。早く片付けろ」
『はい!』

 部員達は返答と共に散ってそれぞれ片づけを始める。その中で武は金田へと近寄り、手を差し出した。

「先輩。握手してもらえますか」

 阿部のおかげなのか、金田はいつもの状態に戻っていた。目は少し赤いが涙は出ていない。晴れやかな表情で、武の握手に応じる。

「相沢。お前と吉田で、浅葉中バド部を支えてくれ」
「……はい」

 静かに、力強く手を握り返しながら武は言う。金田にも武の決意が伝わったのか、更に一度強く握ってから手を離す。

「さて、じゃあ三年は先に帰る。今後は受験の息抜きにたまに来るかもな」
「はい。その時は指導よろしくお願いします」

 武の言葉に笑いながら、金田は背を向けた。そこについていくように笠井や阿部達も歩き出す。
 長いようで短かった団体戦。
 終わりはあっさりと訪れ、三年生は去っていった。


 ◆ ◇ ◆


(息抜きで来ると言ったけど、多分来ないだろうな)

 掃除を終えて、武は自転車置き場で由奈を待ちながら思っていた。これから先、部は大会に向けて徐々に新体制が始動する。そこに三年生が入ってくるのはマイナス要素になるだろう。そこを考えていない金田達ではない。

(阿部さんならもしかしたら本気で来るかも)

 そう思い苦笑するも、やはりもう三年はいないという事実は武の心に寂しさをもたらした。 

「俺らが中心かあ」
「そうだな」

 突然聞こえてきた声に驚いて振り向くと、吉田が立っていた。

「相沢。ぼーっとしてるなよ」

 そう言って武の横にある自転車の鍵を外そうとする。慌てて少し距離をとった。

「いや、ごめん」
「こっちこそ負けてごめん」

 あっさりと言う吉田の心の内をしかし、武は分かっていた。誰よりも悔しいのは吉田のはず。
 しかし悔しがっても仕方が無い。今後、成長していくしかないと理解しているから表に出さない。ならば励ましの言葉など必要ない。

「今後、負けないようにいこうぜ」
「善処するよ」

 自転車にまたがり、吉田はその場を去ろうとする。だが、一度ペダルをこぐ足を止めた。

「相沢」
「ん?」

 吉田は一度深く息を吸い、吐くと言った。

「凄く、悔しいわ」
「……そっか。そうだよな」

 吉田が胸の内を明かすこと。それは武にとって嬉しいこと。内容は敗北ということで前面に喜びを出すわけにはいかないが。
 武は吉田の背中を軽く叩く。

「なら、強くなろうぜ。一つの負け引きずるような吉田じゃないだろ」
「当たり前、だろ!」

 吉田も武より少しだけ強く手を出すと、そのまま自転車をこいで離れていく。小さくなっていく吉田の姿を見ながら、武も自身の強さへの誓いを新たにしていた。
 夏はすぐそこまで来ている。
 次なる大会、全日本ジュニアバドミントン選手権大会へ向けて武も吉田も進んでいく。
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