Fly Up! 05
その女声はいくつかの声が交わされている中ではっきりと武の耳に届いた。男子先輩部員の何人かは声のした方向に顔を向けていたが、武は小山の姿だけを捉えていた。向ける必要はない。誰の声なのかは分かっていた。
もう男子部員の視線も、失敗したらという余計な考えも全て吹き飛んでいた。
(試合……試合だ)
自分の立つ位置が見える。相手のサーブを待つ、コート右側の中心。相手を見ているにも関わらず上空からコートを眺めているような錯覚を得る。
(これなら、いける!)
小山がサーブ体勢に入る。完全に余裕を取り戻した武は反則スレスレでの速い振りに動揺することもなく、放たれた弾丸サーブを簡単に高く跳ね返す。
「!?」
慌てて後ろに下がる小山だが、真上のシャトルを打つオーバーヘッドストロークを覚えていない彼にとって、高く上がったシャトルを打ち返すのは困難だった。何とか当てたが、シャトルが武のコートへと入らずに手前に落ちた。
「サービスオーバー。ラブテン(0対10)」
武はネットへと歩いていって下からシャトルを取ろうとするが、それを小山が取り上げて上から放る。自分のコートに落ちたシャトルを相手に拾わせることが失礼になると、素人ながら知っているらしい。武は少しだけ小山への印象を良くした。
「一本!」
鋭く声を吐き出すことで気合を身体中に循環させる。左手にシャトルを掲げ、左足を前に出す半身の体勢。歪んではいない、綺麗なフォームに観戦している部員達が感嘆の声を上げた。しかし外部の雑音は武には届かない。小山の周囲を確認して、サーブを放つ。
前へと落とすショートサービス。慌てて前に出る小山だったが、体勢が崩れて手打ちになって弱くネット前に上がる。そこに武は飛び込み、プッシュで小山のいない場所へとシャトルを叩きつけた。
「ポイント、ワンテン(1対10)」
声には出さず左拳を腰の位置で握り、武はガッツポーズをする。すでにそこには先ほどまでの弱々しい男はおらず、試合に臨むバドミントン選手がいた。
(――もう大丈夫だろう)
武の様子を見て、庄司はこみ上げてくる笑みを顔に出さないように苦心しながら、彼のプレイを見続けた。プレッシャーという枷にはまらなければ、いくら点差があっても小山に負けるはずはない。
そしてこの後、武は一度もサーブ権を渡すことなく試合を終えた。
次々と決まるエース。武の飛ばすシャトルに小山は翻弄され、貯金を次々と失っていく。そして――
ふらふらと上がったシャトルの下に移動し、武は軽めのスマッシュを放つ。ゆっくりだが真っ直ぐに、シャトルは小山のコートへと叩きつけられた。小山は後ろからすでに動いてはいない。
「ポイント。イレブンテン(11対10)。マッチウォンバイ相沢」
庄司が勝利者の名前を告げ、ゲームが終わる。武は切れた息を落ち着かせるように深呼吸しながらネット際へと歩み寄った。庄司がネットの下を持ち上げて握手を即す。小山は仕方がないという顔をしながらも同じように歩み寄り、握手を交わす。
「いや、やっぱり難しいわ」
「でも小山君も慣れたら強くなるよ」
負けたにも関わらず爽やかな小山に、武はゲーム開始前の不快な感情は完全に消えていた。自分も成長途中の身だが、初心者が成長する姿を想像すると嬉しくなる。しかし、小山は首を振って庄司を見た。
「やっぱり二足のわらじは駄目ですね。テニス一本にします」
武はその発言に心が痛くなった。自分が二つを平行してやることに不真面目さを感じたから、小山がそう言っているのではないかと思ったから。しかし、庄司は最初からそう言いだすことを分かっていたかのように動じない。
「体験入部なんてそんなもんだ。お前はテニスで。相沢はバドミントンで頑張りな」
『はい』
すんなりと出た言葉は、小山と同時だった。
小山との試合後、武は玄関へと戻ろうとした時に足の力が抜けてしまい、時間のほとんどを見学で過ごした。
試合に臨む部員達の合間に行われる一年生同士の試合。結局、一年八人がコートに立ってその実力を見せ、終わるとともに玄関へと戻るを繰返して、練習が終わった。
終わり頃になってようやく回復した足を、武はネットを片付けながらぶらぶらと揺さぶる。
「筋肉痛か?」
尋ねてきた橋本に聞き返す前に、その震えている足を見たことで武は頷くだけにした。橋本も武よりは体力があるが、やはり同じく一回戦負けをしてきた仲間。四キロを走った後に試合をするのは限界に近かった。
「これがこれから五日位続くんだよな」
「そうだな。今は不定期だけど、来週から定期だろ? 確か……」
「月水金土日」
声が落ち込むのは週七日のうちに五日も締めるからか。部活が始まった当初の武なら顔をほころばせて喜んでいただろうが、厳しさを知るとその喜びも薄れる。消えないところが、彼の情熱の強さを物語っていた。
「早く片付けろー」
誰に言ったわけでもなかっただろうが庄司の声が自分達を示していると感じて、武と橋本は早足でネットを片付けていった。
* * * * *
「だるい。だるいー」
武は呟きながら自転車置き場へとたどり着いた。他の一年は既にいなくなっており、空には月が昇っている。雲がないことで広がる夜空を気持ちよく見ることが出来たため、武は自分の教室でしばらく眺めていたのだった。
「あれ、武」
歩みを止めて振り向くと、そこに由奈ともう一人の女子が立っていた。二人で武を珍しそうに眺めている。
「まだ残ってたんだ」
「そっちこそ、遅いんじゃね?」
「私達は先輩達とミーティングしてたの」
由奈は一緒にいた女子に向かって笑顔を向ける。その女子生徒は声こそ出さなかったが顔に微笑を浮かべて首肯する。部活をするときはポニーテールにしている髪が、今は真っ直ぐに下ろされていた。
「あ、そうだ。試合の時、応援ありがと、由奈。それと早坂」
「私はおまけなの?」
そう言って早坂由紀子は首を少しかしげる。口調はきつめだったが、顔は笑っていて緊迫感はない。だが、武は一歩だけ下がった。
(どうも苦手なんだよなぁ……早坂)
小学校のサークルでは中心だった早坂は武にとってあこがれであり、少し苦手な存在だった。少しきつめの性格に相性が悪いのかもしれないが、六年間を過ごしてきてどうにも慣れない。
「いや、まあ……ほら、由奈は結構応援してくれたけど、早坂は意外だったからさ」
武はあたふたしつつ言った。彼の記憶の中では、早坂が応援してくれたのは数度しかない。自分の言っていることは信憑性があると言い聞かせて、武は気を取り直すと自転車へと近寄って鍵を取り出す。会話に一度間を取ったことで余裕が出来た武は疑問に思っていたことを口にする。
「でも、どうして応援してくれたんだ? 練習試合でさえないのに」
声援が聞こえて、確かに武は気分が落ち着いた。異質な試合に雰囲気。それらがいつも聞いていた声によって霧散した。それはありがたいことだったが、試合が終わり冷静になると早坂までもが応援してくれたことに納得がいかない。
しかしそれは、すんなりと彼女の口から洩れた。
「実は相沢達が試合やる前に教室のほうに行ってて。玄関のところ来た時に小山君の声が聞こえたのよね」
「声って……もしかして」
武の問い掛けに早坂が頷く。月明かりの下で、早坂の瞳に光が灯ったように見えた。少しだが怒りが混じっている意思の光。続く言葉は分かったが止めなかった。言わなければ悶々とするだろうことは気配で知れた。
「バドミントンを馬鹿にしてるっぽかったから。試合で勝てなかったけど六年間も続けてきた相沢が負けるのは私や由奈まで馬鹿にされるみたいだったのよね。だから負けてるの見たら腹たったの」
「すみません」
話しているうちに怒りは武へと向かったらしい。険悪になった口調をかわすために素直に謝った武は、自転車にまたがった。
「でもほんと、ありがとう」
一瞬視界を外してから早坂へと視線を向ける自分を、武は情けなく思った。それでも嬉しいけど苦手だから仕方がない、と強引な理屈で自分を納得させる。早坂もそのあたりは理解しているのか特に追求はせずに、武の感謝の言葉に対して返答する。
「勝ててなかったら由奈を通して何かおごってもらうところだった」
「そーそー。桃華堂のジャンボイチゴパフェでも」
「……三千円のか」
武は通学路の途中にあり、休日には浅葉中の生徒も少なくない数が立ち寄る桃華堂の店頭に並んでる食べ物の中で、一際大きいパフェを脳裏に思い浮かべた。自分でも食べきれなさそうな大きさなのに食が細そうな女子二人が食べられるのかといぶかしむ。その内心の疑問を解決するように、由奈が言った。
「甘いものは入るところが違うの」
「よく聞く台詞だな」
よく聞く台詞だけに、武は思わず笑ってしまう。そこに差し込まれるのは早坂の言葉。
「じゃあ、私は先に帰るから由奈をよろしく」
視線を向けると、いつの間にか早坂は自転車に乗り、背を向けていた。一度ちりん、とベルを鳴らして手を振ってからこいでいく。スカートが少し邪魔をしていたようだが、止まることなく校門へと消えていった。
二人だけになったところで由奈達が言っていたことを思い出し、尋ねる。
「そういえば、ミーティングって?」
「ああ。一年生の女子が多いから、これからどうやって時間割いてくかって話。でも、今日だけで五人くらい辞めるって」
「思ったよりハードだったから驚いたんだろ」
「それと、全然打てなかったし」
女子が固まっていたのはステージの上。武が小山と試合を終えて玄関に戻ろうとした時には全員が端に寄って半円を描き、中央のスペースで二人が打ち合っていた。確かに窮屈で回転も悪い。
「由奈は? 辞めるの?」
「まっさか」
そう言ってから自分の自転車を取りに少し離れた場所へと向かう由奈。さすがに暗くなり見えづらい中で何とか探し当てたらしい。腰をかがめて鍵を外しながら武へと言う。
「面白いもん。辞めないよ!」
(そうだよな)
幸福な気持ちの中、武は思い切り息を吐き出した。初日の緊張と疲れを含んだそれが空に昇る。
こうして、武のバドミントン部での一日は終了した。
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