Fly Up! 03

モドル | ススム | モクジ

 武は授業が終わるとともに武は思い切り背を伸ばした。それまでの時間が退屈だったということではなく、逆に集中していたことで全身が固まってしまったのだ。給食を含めた一日のカリキュラムが一瞬で過ぎるように感じる。

「うあー、部活だー」
「その前に掃除ね」

 背を伸ばして倒れかかったことで、後ろに座る由奈が右側から顔を伸ばしてくる。横を見るとすぐ傍に顔が現れたことで、武は慌てて体勢を戻した。

「そんなに顔近づけるなって……」
「ふふ。照れてるの?」
「ちが――」

 否定しようにも由奈が「先生来たよ」と帰りのホームルームのために教室に入ってきた教師を指差したことでうやむやになる。武は釈然としなかったが、照れているわけではないと自分に言い聞かせることで未練を断ち切った。これから待っていることに比べれば今の言い合いは些細なことだ。

(終われば部活だー)

 武は内心浮かれていた。前日にバドミントン部に入ると決めて届を出したことで今日から正式な部員になる。躊躇していた気持ちは、迷いが吹っ切れると真逆に作用してバドミントン熱を増幅させることになった。武は昨日の夜に寝る前から、学校に来る前からもう自分がバドミントン部に入ってラケットを振る姿を想像していた。

「――じゃあ、ホームルーム終わるぞ」

 担任の工藤先生が締め、クラス長が「起立! 礼」と儀式のように決められた言葉を繰り返す。それに合わせてクラス全員で終わりの挨拶を発してから机がさげられる。武ははやる気持ちを抑えて机がさげられるのを待って掃除を始めた。

「でも、ここの部活って一年は羽根打てないでしょ」

 かなり気合を入れて掃除をする武へと、由奈は冷静な一言を放った。一瞬硬直して、それから思考し、意味が分からないと首を振る武に由奈は言葉を付け加える。

「使えるコートって二面……コートの間にネット張って何とか三つ目を作ってるけど、それだけなんだから一年は多分打てないでしょって」
「な、なんでだよ。昨日は一年生が打ってたぞ」
「部員を勧誘するのに試合してたほうが見栄えがいいし、吉田君は強いからでしょ」

 由奈の言うことは最もだった。だが、一つ納得いかないことがある。もやもやとした気持ちに武は言葉を付けられない。

「なんで由奈が吉田のこと知ってるんだ?」
「だって早さん達と見学に行ったときに打ってたの見たもん」

 部活届を出すまでの間には一週間ほど見学期間があった。その間に由奈が部活へと顔を出していても不思議はない。それでも武には、由奈が吉田の名前を知っていることは意外だった。彼と同じように一回戦で負けたあとは町内サークルで唯一、公式戦で勝てる女子である早坂由紀子の応援へと回っていたはずなのに。

「知ってたって言っても……」
「さすがに一位の人は覚えてるよ。武は名前を覚えなさ過ぎ」

 否定したかったが当てはまる所も確かにある。結局、言い返さないまま掃除を再開した。何ともいえないもやもやは晴れないままだったために顔をしかめて不満を押し出していたが。その不満をほうきへとぶつけて、武は意識を掃除へと集中した。


 ◆ ◇ ◆


 武の頑張り――というわけでは全くなかったが掃除は順調に終わり、武はラケットバックを持って颯爽と教室を飛び出した。といっても廊下を走らずに早足で歩いていく。由奈は後ろをついていき、玩具を前にしてお預けをくらっている子供のような武の背中を見て笑みを浮かべていた。

(すっかり立ち直って……嬉しいな)

 幼い時から一緒にいた友達が、小六の最後の試合から元気がどこかなかったことで由奈も少し寂しい時を過ごしてきた。生まれてすぐから互いを知っているが、覚えているのは幼稚園あたりから。
 もっと距離が縮まったと思ったのはバドミントンを始めた小学校一年生からだ。
 中一の、まだ世界が小さい彼女達にとってバドミントンは生活の一部だ。そして由奈が最も好きな笑顔――武が最も良い笑顔を浮かべるのが、バドミントンをしている時だった。

(一緒の部活楽しみだな)

 こみ上げる笑いを抑えながら、由奈は一定の距離を保ちながら武の後ろをついていった。


 ◆ ◇ ◆


 武達が体育館に着くと、何人かはTシャツとハーフパンツに着替えて柔軟体操をしていた。時計を見ると三時半。部活が始まるのは四十五分である。

「じゃあ、着替えてくるね」
「お互い頑張ろうな」

 ラケットバックと共に更衣室へと早足で行く由奈を見送って、武は体育館の端で着替え始めた。制服の下に運動用のTシャツを着ていたことで、手早く済ます。バドミントンバックの中に入れておいたハーフパンツと制服のズボンを一瞬で穿き替えて、武は一人で柔軟体操を始めた。続々と集まってくる上級生を横目で見ながら黙々と続ける。
 由奈の言う通り、一年は体育館では出来ないだろうということは気配から分かった。女子も男子もある程度の数――十名以上いるにも関わらずコートは二面、多くて三面だ。そして、武の記憶が正しければそろそろ全国中学生選手権の道予選が始まる。出場者はもちろんいるだろうし、その部員達の調整のために使われるだろう。

(仕方がないよな……まずは体力付けとかかな)

 前日の吉田の試合を見ている限り、小学校でかなり強い位置にいても体力的には追いついていなかった。小学校時代はショットなど技術を重視して体力をつけてこなかった武はスポーツをする者の中では体力は少ないほうだ。それを鍛えることは必要になるだろう。

「おい、一年だよな」

 考えながら足を伸ばしていたせいで一瞬反応が遅れる。焦る必要はないのだが、先輩だと思ったこともあって床に倒れてしまう。尻餅を付いた音が意外と大きく、視線が武に集中した。

「――あ、あ……えっと」
「っははは!」

 武を見て目に涙を浮かべながら笑っている男。制服姿だったが、首元に付いた学年証は一年を示している。目の上にかかるかかからないか微妙な長さの前髪。全体的にきりっとした顔は男の武でさえはっとするほど整っている。
 ひとしきり笑い終えると、男は「ごめんごめん」と呟きながら手を差し出してきた。武はいぶかしみながらも取って立ち上がる。

「俺は杉田隆人。一年五組。今日から部活に来たんだ。よろしく!」
「よろしく。俺は相沢武」

 名前のキャッチボールを終えると杉田は武と同じように端で着替えをし始める。手持ち無沙汰となった武は遠心力で腰を回しながら杉田へと話し掛ける。

「杉田君は、小学校からやってたの?」
「んや。今日初めてやるよ。面白そうだし」

 新しい日々が始まるのだと、武は嬉しさがこみ上げてきた。
 開始時間の五分前にもなると、どうやら全員体育館に集合したらしかった。庄司が現れる前に男女の部長らしき部員が号令をかけ、始めの挨拶を一斉に言う。
 武達一年もお互いの名前を正確に知らないまま並ばされ、挨拶に参加した。

『よろしくお願いします!』

 武は一年の女子生徒達へと視線をめぐらす。体育館にあるステージの上にずらりと並んだ威容。適当に数えてみても五十名前後。武が見る限り、部活前の挨拶というものに躊躇している様子からもバドミントンというスポーツを誤解して入ってきたのではないかという女子が多数見受けられた。
 確かに武も動揺はしたものの、この挨拶は厳しそうな部活を端的に表している気がしていた。

「二、三年のレギュラーは基礎打ちのあとで試合形式練習。そうじゃない者は真ん中で自由に打って!」

 男子の部長が指示を出して、解散する部員達。武達はちょうど現れた庄司に呼び寄せられる。集まったのは八名だけ。女子とは雲泥の差だった。

「一年は見ての通り打つ場所がない。全中が終わるまでは体力トレーニングがメインになる。つまらないかもしれないが、バドミントンをしてきた者はなにより、これから楽しむためにも必要だぞ」
『はい!』

 同時に八声。素直に従う一年達を見て庄司は内心でほっとしていた。バドミントンを始める者では女子よりも男子のほうがスポーツに必要な物を分かっている。楽なスポーツなど存在しないのだと。

「じゃあ、一人一人これに名前を書いてくれ」

 庄司が差し出したのは走るタイムを書くレコード表だった。四列二十行の表。一番上には左から日付とタイムを書く場所。中心から二つに分かれていることから、四十回のランニング結果を書けることになる。

「これから二月、お前達は主に走ってもらう。その後での練習カリキュラムは、一年の間で話し合って決めてくれ。吉田、お前が中心になって」
「はい」

 武は「なかなか無茶なことを」と思ったが隣にいた吉田はすんなりと頷いた。庄司から渡されたペンを使い、レコード表に自分の名前を書き込む。各自それをしてから指示に従い、学校の外へと出た。

「四キロを目安は二十分。別に遅れても構わないから、必ず完走するように。準備体操終わったら教えてくれ」

 そう言い残して、庄司は体育館へと戻っていく。武は言われたとおり屈伸を始めると、残り七人のうち一人が寄って来る。

「橋本」

 橋本直樹。武や由奈と同じ町内会サークルに入っていた男だった。
 橋本は武の傍で屈伸を始める。この男は口から生まれたのだと武は信じて疑わない。その確信を更に強固にするかのように橋本の語りは止まることが無い。

「それにしてもうちらの代の地区一位と一緒になるなんてなー。吉田と話してるのは一緒にダブルス組んで一位だった西村だし。残りは中学からなのかな?」
「そうなんじゃない?」

 武は失礼にならない程度に周りを見回す。吉田と、橋本が言った西村ともう一人、武と同じ組にいた男が集まって体操をしている。その親しみぶりから言って同じ小学校だったのだろう。試合の時の吉田しか見ていなかった武には、三人で話している吉田の顔に浮かぶ笑みが新鮮だった。
 また少し離れたところでは先ほど話し掛けてきた杉田隆人が、もう一人と一緒に足を伸ばしたりしていた。杉田はかなりの長身だが、もう一人は小さい。武は中学一年として平均的な身長だが、その男は武の耳あたりまでしかない。
 そこまで見て、武は残る一人がいないことに気づいた。

(どこ行ったんだ?)

 トイレにでも行ったのかと思っているうちに、庄司が玄関から出てくる。そしてランニングの号令をかけた。

「よし、位置につけ」
(いないやつのこと言わないのかな?)

 武はいぶかしむも、残りの一年は特に指摘せずに並ぶ。遅れてスタート地点に並んで合図を待つ。

「ちゃんと走れよ。じゃあ、スタート!」

 ピッというストップウォッチの音と共に走り出す武達。四キロという長さがどの程度なのか分からないからか、武が思ったよりもスローペースになる。伝えられた長さは学校の周りを十周。浅葉中は坂の途中にあるために、高低差がある体力作りにはもってこいのコースだった。

(皆速いな……)

 一周の途中でも、武は七人中五番手だった。一位は吉田。その後ろには西村。橋本も体力は小学校の頃から武よりもある。武の体力はあまりないため、完走するためによりスローペースにしていた。
 後ろ三人は武と杉田、そして杉田と話していた小さい男。

「えっと……相沢君だっけ?」

 リズム良く足を進めてながら話し掛けてくる。武は体力温存のために頷き返しただけ。男はそれに満足したのか更に言葉を続けてきた。

「僕は小林大地。一年一組だよ。よろしく」
「よろしく」

 坂に差し掛かって、武は走りに意識を集中した。すでに心臓の鼓動は早まっていた。
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