「結局、普通の日常ってわけだ」

 レイは少し不満げな言葉を吐きつつ新聞から顔を上げた。

 完全に日が昇った後、ヴァイ達は自分達がとった宿屋へと帰ってきていた。ルシータは

また朝風呂。マイスは疲れから熟睡している。

 今部屋の中でテーブルを囲んでいるのはレイとヴァイ、そしてフェナだった。

「警察隊は何も把握しちゃいないんだ。仕方ないだろう」

 ヴァイはため息混じりに言った。

 警察隊は今回の連続殺人の犯人をラナイルとして発表した。コーダは今回明らかになっ

た犯罪によって少年院へと送られる事になっている。

 以前の横暴なところは影を潜め、今はいつも何かに怯えているらしい。レイには十分な

報酬が支払われたが、かえってそれがレイには気に入らない。傭兵としては仕事をしたが、

結局自分は役には立っていないのだから。

 真犯人であるカルアはラナイルに殺されたものとして処理。実際、警察隊にカルアの行

方を知るものはいず、ラナイルも精神に異常をきたしていたので何も反論はしなかったた

めである。

「カルアは、最後に救われたんだな。君に」

 ヴァイは自分の手の中にあるものを軽く握りながらフェナへと話しかけた。フェナは少

し俯くと遠慮しがちに言う。

「救ったのは私じゃありません。ステアさんが、あの人の恋人の想いが……彼を救ったんです」

 ヴァイは今回の事件のあらましを皆から聞いた。別々に担当していた事件が一つに繋が

ったこの事件は、誰が失敗しても起こりえなかった幾多の偶然が重なったものだった。

 そしてフェナの存在。

 全てはそこに集束されていった。

 フェナの幻獣としての力はこの世界にあるもの全ての『想い』を具現化できるといった

ものだった。

 あの時、カルアの前に現れたステアという女性は『想い』の結晶だったのだ。

 ヴァイは無言で自分の掌を除く。

 右手に握りこんでいたのは二つの指輪だった。

 カルアが風に流れて消滅した後、すぐ近くに落ちているのをレイが見つけた。

 レイによるとそれはカルアと、ステアの結婚指輪だそうだ。

「その指輪からステアさんの想いが流れてきたとき、私は知りました。彼女は死ぬ間際か

ら彼が今回の事件を起こす事を危惧していたんです。彼の性格を分かっていたから、彼が

自分を失う事で大事な何かをなくしてしまう事も……」

 フェナはその時の感覚を思い出したのか少し体を震わせて俯く。悲しげに、睫毛が揺れている。

「最後に彼は大事なものを取り戻した。なら、それでいいじゃないか。最後に歌った歌は

彼等の想いの結晶だったんだろう」

 ヴァイは俯いているフェナに優しく、穏やかな表情を向けた。カルアが死の直前に紡い

だ歌は二人の思い出の曲だったという。

 フェナはゆっくりと顔を上げてその顔を見ると、ふっ、と顔を緩ませた。

 その顔はやっと吹っ切ったというようなものを含んでいた。

「んで、これからどうする気だ?」

 レイがフェナに尋ねるとフェナははっきりと言った。

「幻獣の里に行こうと思うんです」

「幻獣の里?」

 ヴァイとレイの声がハモる。フェナはそれがおかしかったのか少し笑った後言葉を続けた。

「私の力を皆のために使えるようになるまで、修行しようと思うんです」

 フェナの声は堂々としていた。ルシータ達が最初にあった頃の面影はもうない。全てか

ら逃げていたフェナはもういないのだ。もちろんヴァイ達はそれを知らなかったが何故か

フェナの雰囲気が変わったものなんだと認識していた。

「そうか、じゃあ行く前に嬢ちゃん達に別れの挨拶でもすましなよ」

 レイはそう言って再び紙面に目線を残す。フェナはその姿に苦笑しつつ静かに頭を下げた。

 フェナはヴァイに対しても頭を下げてヴァイが自分のためにとってくれた部屋へと戻っ

ていった。これから幻獣の里に行く準備を整えるのだろう。

「さて、と……」

 ヴァイは傷は魔術で治したものの肉に引きつりが残る体を起こし、部屋の外へと出て行った。

 ヴァイは宿屋から出ると人が流れる道を横切って向かいの通りに着いた。そしてそこに

いた人影に声をかける。

「あんたが……ミスカルデか?」

 薄い茶色のコートに黒のスラックス、黒のシャツ。

 黒髪黒瞳のその顔は絶世の美人とまではいかないが、その溢れる気品のようなものが彼

女を美しく見せていた。

 ヴァイの問に彼女は表情を崩さずに淡々と、文章をただ読み上げるかのごとく言った。

「私はミスカルデ=エバーグリーン。《蒼き狼》特殊戦闘員『ゲイアス・グリード』の一人だ」

「彼女を連れ去りに来たのか?」

 ヴァイはそう言ってミスカルデを威嚇するように睨んだ。だが、それは本来やろうとし

たことではない。

 彼女が持つ気配に押されてつい口に出してしまった言葉だ。ヴァイは体の奥底から来る

物に何とか耐えていた。

 それは一般にはこう呼ぶ。

 恐怖、と。

「そのつもりだったが今は止めておこう。彼女が幻獣の里に行くのなら我々にとってもプ

ラスになる」

「どういう事だ? 何故彼女が必要だ。お前達は『古代幻獣の遺産』を集めているだけじ

ゃないのか」

 ヴァイは怒鳴ろうとしたが押さえて言葉を紡ぐ。周りには何も知らずに歩いている民間

人がいる。そんな中でヴァイとミスカルデの姿はその場で世間話をしているようにしか見

えないだろう。

「我々はある目的のために『古代幻獣の遺産』を手に入れている。そして我々の探してい

る目的へ最も近いのが……お前の姉だ」

「!?」

 ヴァイが驚きの眼差しでミスカルデを見つめる。ミスカルデはそのとき初めて表情を崩した。

 それは冷笑だった。

 口の端を吊り上げて笑う。

 その美しさと正体不明の不気味さが混ざった笑みはヴァイを完全に縛り上げていた。

 心臓の鼓動が早まっていく。

「レイン=レイスターを探せ。そうすればおまえの疑問は全て解ける。我々が『古代幻獣

の遺産』を手に入れている目的も、この世界に今、何が起こっているのかも、おまえの両

親が殺された理由もな。そして……『エンドレス・ワルツ』の謎も」

「エンドレス・ワルツ?」

 ヴァイは視線をミスカルデに向けた。そう、ヴァイはいつのまにか下を向いていた。ミ

スカルデの姿を見るのを恐れたからかもしれない。ヴァイが視線を前方に向けたときには

ミスカルデの姿は遠く雑踏の中に消えていくところだった。ヴァイは憎々しげに呟く。

「『ゲイアス・グリード』か……」

 ゲイアス・グリード。

 古代幻獣語で皇帝の十字架、という意味だった。

 ヴァイはそれを思い出し体を振るわせた。

 自分よりも、確実に強い女の表情を心に浮かべながら……。





 フェナの出発はヴァイ達が出発するのと同時だった。ヴァイとレイの仕事は報酬が入り、

十分な蓄えとなったためにフェナの出発と合わせようとマイスが言ったのだ。

 ヴァイ達は一緒にスーラニティの町の外に出、ヴァイ達は馬車で、フェナは歩きでそれ

ぞれ別の道を行く事にする。

「途中まで乗っけてってあげるのに……」

 ルシータは最後まで名残惜しそうにフェナを見る。その腕にはレーテが抱えられている。

 フェナがルシータに絶対に役に立つからと言って預けたのだ。

 フェナは首を振り何度も繰り返した言葉を紡ぐ。

「やっぱり、自分の足でこの大地を歩きたい。それよりこの仔、大事にしてね」

 自分が目を背けてきた世界をしっかりと感じるために、フェナは自分の足でしっかりと

地面を踏みしめていく事を選んだ。別れの寂しさは微塵も出さない。ルシータはやっと納

得したようにレーテと共に馬車の中に引っ込み、顔を出さないままフェナに言った。

「さよならじゃないからね! いつか、また会おうね!!」

「キューイ!」

「……うん」

 レーテの声と共に来るルシータの別れの言葉を聞いて、フェナは涙を浮かべつつ笑って

いた。少しの間の付き合いだったがフェナとルシータの間には何かがあったのだとヴァイ

は思った。フェナはそのままヴァイ達に背を向けて歩き出す.その後姿はとても大きく見

えた。ヴァイ、レイ、マイスは手を振る。

 やがてその後姿さえも見えなくなりヴァイとレイはそろって御者台に乗り、マイスは馬

車の中に戻った。

「もう、いないぞ。出てきてもいいんだぜ」

 レイは馬車の中を覗かずにただ言った。ルシータは何も答えない。一緒にマイスがいる

はずだがマイスの声さえも聞こえてこない。よほど緊迫した状況なのだ。

「さあ、行こう」

 ヴァイはルシータには何も触れずに馬に軽く手綱を引く。馬はゆっくりと歩みを進めて

いきスーラニティの町を後にする。

(もう一人の自分、か……)

 ヴァイは最初に会った時のルシータの姿を思い出した。誰も信用しようとせず、一人で

生きていこうとしたルシータ。

 フェナの姿に自分の影を重ねていたのだろう。自分の半身が失われたように思って馬車

の中にいるのだろう。そう思うとヴァイも納得できた。

「カルアを救ったのは彼女だが、その彼女を救ったのは……お前だよ。ルシータ」

 レイはヴァイの言葉に意味が分からず首をかしげた。馬車はそのまましばらく進んでい

たが馬車の中から送れた返事がヴァイに返ってくる。

「……うん」

 その声はしっかりとしていた。泣いていた名残などまったくない。ヴァイが泣いていた

と思ったのは間違いじゃないかと思うくらい、自然な声だった。

 そして一行は道を行く。新たにカーバンクル・レーテを加えて。

 魔術都市、ゴートウェルへの道を。





 フェナは歩きながら自分の手に視線を落とす。

 そこには二つの指輪。自分が始めて助ける事ができた大切な人達の想いの結晶。

 フェナはいつまでもそれを見ていた。

 自分の想いを、確かめるように。

 そして呟く。

「また、会いましょう……レーテが、私達を導いてくれるわ」

 その声は吹いてきた風に吸い込まれていった。風は空高く舞い上がり雲一つない青空へ

と飛び込んでいった。そしてフェナは歩いていく。

 再び、邂逅する日を思いながら……。



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