街は既に闇に包まれて街灯があちらこちらに灯っている。

 時刻は深夜に達しており、人の気配は少しも感じられない。ある宿屋にヴァイ達は泊

まっていた。

 ある一室ではルシータが、そしてその隣の部屋ではマイスが静かに寝息を立てている。

 だがその場にいるはずのヴァイとレイの姿はない。彼らは今、宿屋の前にある公園の

ベンチに腰掛けていた。

 長いベンチに人一人分の幅を残して二人は座っている。先ほどからずっと黙ったまま

二人は数刻を過ごしていた。

 まるで岩にでもなったかのように動かない。しかしその静寂はやがて破られた。

「俺達に近づいた目的は何だ?」

 ヴァイがそう呟いてもレイは少しも表情を変えなかった。そう言われるの既にわかっ

ていたと言わんばかりにふん、と鼻を鳴らす。

「どこから気づいた?」

 レイはヴァイの質問には答えず逆に問い返した。ヴァイはそれに少しいらだたしさを

感じながら答える。

「最初からだ。ただの傭兵にしてはこれまで起こった異常事態に冷静すぎたな」

「ルシータも俺並に落ち着いていたぜ。嬢ちゃんが落ち着いているのに傭兵が落ち着い

ていない訳がないと思わなかったか?」

 ヴァイは、レイの指摘は最もだと呟いて軽く笑った。そして言葉を続ける。

「本当の事を言うと、お前から来る雰囲気が普通の傭兵とは違ったのさ。それを確信し

たのはその剣を見てからだ」

 レイは自分の背にある剣を見た。実際は剣ではなく、物を切断できる鞭のようなもの

なのだがかなり特殊な武器である事は間違いなかった。

「そんな、ルラルタでも手に入らないような武器を携帯しているのを悟られた時点でば

れていたのさ。そうだろ? 《リヴォルケイン》」

 ヴァイがそう言うとレイは懐から何かを取り出した。それは三枚の翼を背に持つ四本

足の獣の姿だった。

《リヴォルケイン》の証である神獣フィニスである。

「何の目的で俺に近づいた?」

 ヴァイは再度同じ質問を繰り返した。今度はレイもはぐらかさずに質問に答えた。

「頼まれたんだよ。アイン隊長に、な」

「アイン、か……」

 アイン=フィスール――現《リヴォルケイン》六団長筆頭であり、ヴァイの一つ年上

の親友でもある。

 ヴァイは彼の顔を脳裏に浮かべながら先を促した。

「今、世界各地で異変が起きている。どれも秘密裏に行われているために一般市民に知

られる事はないが事態は深刻になっている……」

「《蒼き狼》か……」

 ヴァイが呟くとレイも嘆息と共に頭を縦に振る。

「ああ、《蒼き狼》の活動が以上に活発になっている。奴らはここに来て執拗に『古代

幻獣の遺産』を奪い取ろうとしている」

「答えになっていないぞ。どうして俺に近づいた?」

「……それは自分でもわかっているんじゃないか?」

 ヴァイはレイの言葉に声を詰まらせた。しかしすぐに気を取り直して答える。

「俺が『超人類』とかって奴だからか」

「その通り。アイン隊長はお前が『超人類』だと言う事を知っていた。そして《蒼き

狼》がそいつらを狙っているという事も知り、お前を助けて欲しいと俺に言ってきた」

 ヴァイはベンチから立ち上がり出口へと向かいだした。レイもそれを追い少し後ろか

ら歩いていく。ヴァイは公園の出口まで来るとレイの方に突如向き直り言った。

「まあ、俺を助けてくれるって言うなら俺もそれを断る理由はない。これからよろしく頼む」

 そう言ったヴァイの表情はまだ硬かったが、レイはそれに気づかぬ振りをして握手

を交わした。

 そしてその後、本当に言わなければならない事を切り出した。

「それとヴァイ、お前の姉が失踪した」

「……な、に……」

 ヴァイはレイの唐突な言葉に声を失った。レイは口早に続けてくる。

「失踪したのは今から一年前、そうちょうどお前が『何でも屋』を始めた頃だ。彼女は

どうやらお前の両親が殺された理由の一端を嗅ぎつけたらしい。ゴートウェルの仲間に

両親の死の真相を追うと言って姿を消したんだ」

「死の真相……」

 ヴァイはその言葉を繰り返して言った。自分が世界を回って、つい最近やっと<ク

レスタ>から真相の一部分を聞いたと言うのに姉は――レインは一年前にそれに近い位

置まで行っていたのか。

「俺の使命はお前を守る事とお前の姉を守る事。まあ、お前の姉さんを守るのはアイン

隊長の私的な理由だろうけどさ」

「……アインは姉さんの事が好きだったんだ」

 レイが笑いながら言ったのに対してヴァイも顔をほころばせながら返した。しかしす

ぐにその顔に厳しさが戻る。

「じゃあ、まずはゴートウェルに行って詳しい情報を得よう。姉さんの力は知っている。

そう簡単に死ぬ人じゃない」

 レイン=レイスターはヴァイと同じく類稀な魔術の才能を持っていた。魔術の腕だけ

ならはるかにヴァイよりも上だ。ヴァイはそんな姉が《蒼き狼》に殺されているなんて

少しも考えなかった。絶対に近いうちにまた会えると直感だが思っていたのだ。

「とりあえず、今は寝よう。明日からゴートウェルに向けて出発だ」

 ヴァイの顔には先ほど浮かんだ焦燥はなかった。さっきまでは自分が『超人類』だと

いうことで普通の人間と違うという事を新ためて認識してしまっていた。ゴーダとの戦

いではそれでも、自分は自分だと言ったがそうしていられる自信がなかったのだ。しか

し、姉が失踪したと聞いて自分の事よりも姉を探すという目的のほうが重要だと判断し、

今はその問題を後回しにしようと決めたのである。

(今のこの危機を乗り切れば答えは多分出るはずだ)

 ヴァイはそう自分に言い聞かせた。そうしていつものヴァイに戻ると二人は宿屋に入

っていった。





 それをから死角になる所で見ている人影が一つ。ひどく焦燥しきった顔のゴーダだった。

「……どうしてヴァイを見逃した?」

 そこに音もなく現れたのはミスカルデだった。ゴーダは彼女のほうを一瞥もせずに言う。

「あいつはあの時、傷を負っていた。それでは不公平だろう」

 ゴーダはそれだけ言うとゴーダはその場から消えうせた。

 ミスカルデはそれだけじゃないだろう、と声を出さずに口だけを動かして言うと、

ヴァイ達が入っていった宿屋を見つめた。

「しかし、本当に厄介なのはレイン=レイスターか……」

 ミスカルデはそう呟くとその姿を闇にまぎれさせた。もうそこに誰かがいたという形跡

は残ってはいない。そしてラスピンの夜は何事もなく更けていった。





 ヴァイ達はラスピンの入り口にある馬車に戻ってきていた。日は既に昇り、今日も暑く

なりそうな気配である。

「とりあえず、次の目的地はゴートウェルなのよね」

 ルシータが既に荷台に乗りつつヴァイへと尋ねた。ヴァイは首を縦に振って肯定の意味

を示すと街の方を振り返った。今、ヴァイの脳裏によぎっているのはレリスとの別れ際の

ことだった。





「もうここでいいわ。後は自分でいける」

 レリスは『魔鏡』に自分の持つ魔力のほとんどを吸い取られてしまったためにしばらく

動く事ができなかった。ヴァイ達はそれに付き合って事件が済んだ後もラスピンに留まり

続けたのだ。

「ありがとう。心配してくれたんでしょう」

「……何が?」

 今、この場にはヴァイとレリスしかいない。ルシータ達は既に馬車のところに向かわせ

て二人はあと数分歩いたところに治安警察所があるという場所にいた。

「とぼけないで。私が自殺すると思ってここにとどまっていたんでしょう?」

 ヴァイは押し黙ったままである。実際レリスの言った通りだった。自分の愚かさに気づ

き、甦ってきた弟の死という悲しみに耐え切れず命を投げ出すのではないかとヴァイは懸

念し、皆には適当な事を言ってごまかしていたのだ。

「……あんたが死ねば、姉さんが悲しむ」

 ヴァイはそう言って少し迷ってから言葉を続けた。

「もちろん、俺もな……」

 レリスはそれを聞いた瞬間、ヴァイの首にさっと両手を回してヴァイの頬に口づけた。

 ヴァイは無抵抗で立っている。しばらくその体勢を保った後、レリスは悪戯っぽい顔を

してヴァイから離れた。

 その瞳には涙が浮かんでいる。

「じゃあ、行くわ。きちんと罪を償ってくるよ。ヴァイス君……」

 その声と瞳はヴァイが思い出の中残しているレリスと同じ物だった。ヴァイは思わず言

っていた。

「また、いつか。レリス姉さん……」

 今度は皮肉でもない。心からこの言葉をかけることができた。レリスはそれを聞いて満

足そうに顔に笑顔を浮かべるとヴァイに背を向けて歩き出した。ヴァイはその背中をじっ

と見つめている。やがて姿が見えなくなるとヴァイはきびすを返してルシータ達が待つ場

所に向かった。これでこの街の事件はやっと終わったんだ、と胸中で思いながら。





「ヴァイ……もしかしてレリスにキスでもされたんじゃないの?」

「な……なんでそう思うんだ?」

 ルシータの鋭い問にヴァイは一瞬ぼろを出しそうになる。何とか自制して驚きを隠しな

がらヴァイはルシータを諭しにかかる。

「いいか、あくまで彼女は俺の尊敬していた人で別に恋愛対象じゃない……」

「わからないわよ。さっきからヴァイ、ぽーっとしてばっかだもん!!」

 ゆっくりと馬車が進んでいく道にルシータの甲高い声が響く。御者台には今、ヴァイと

ルシータの二人がいる。マイスとレイは馬車の中でおそらくこのやり取りを笑って聞いて

いるはずだ。

(気楽なもんだよ……)

 ヴァイはちらっと馬車の中を振り返りつつ思う。しかし、ルシータのこの表情を見てい

ると自分が今不安に押しつぶされそうになっているということを忘れてしまうような奇妙

な感覚が生まれるのも確かだ。

 ヴァイはレインの失踪を聞いてから得体の知れない不安に囚われていた。もちろんレイ

ンの失踪自体にではない。それを含んだ今世界に起こっていることが自分の手におえない

ような大事になる気がするのだ。それこそ、世界の滅亡クラスの災厄が自分に降りかかっ

てくる気がする。ルシータはそんな暗い気持ちでいるヴァイを察してこんな騒ぎをしてい

るのだろうか、とふと思ってしまうがすぐに訂正した。

(こいつはそんなことを考える奴じゃないか)

 ヴァイはそう考えて笑った。ルシータが自分の事を笑ったと思い抗議してくるのを適当

に流しつつヴァイは思う。

(どんな事でもくるならこい……俺は俺にできるだけの事をしてやるさ)

 ヴァイはとりあえず前向きに考える事にした。諦めなければどんな事にも活路が見える

という事を知っていたから、だから『魔鏡』の暴走も止められたんだ、と。

 馬車はゆっくりと進んでいく。日差しはやはり強く今日も暑くなりそうだ。

 そんな事を考えながらヴァイは流れていく景色を穏やかな目で見つめていた。



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