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俺達の終戦記念日

ある雪解けの話

 ゆっくりと坂道を下りながらも恭平は胸の内から込み上げてくる熱さを抑えるのに必死だった。今と同じくらい興奮したのはいつ以来かと思い返してみると、最後のインターミドルの市内大会でライバルと良い勝負を演じた時だと思い出す。
 その試合は負けてしまったが、今回は勝ったという確かな手応えがあった。

(勉強の成果……あったな)

 振り返って自分が歩いてきた道筋を見上げると、住宅の合間から校舎が見える。自分が今、中学生にとっての最後のイベントである受験に挑んできた場所。
 春から通う予定の高校でのテストの出来は会心だったと拳を握る。同じ中学から受験する仲間達とはちょうど帰るタイミングがずれたのか一人であり、ちょうど良かったと思う。
 今は興奮を冷ましたいため、一人でいたかった。
 雪がまだ残る坂道を降りていくと徐々に冷えていき、体も心も落ち着くかもしれない。
 だが、考えた通りに気持ちが落ち着いてくると、自分が想像以上に疲れていることに気づかされた。ただ座って五教科のテストを受けるだけなのに、バドミントンの試合以上に頭を使ったことで体力まで持って行かれたのだろう。

(あとは、体力が落ちたってことだな)

 恭平が部活を引退して半年が過ぎようとしている。以前はバドミントンがない生活に耐えられるのかと不安に思っていたが、離れた最初は時々市民体育館で打ち合ったりしていたが、回数も減り、勉強の内容にスパートをかける十二月頃にはもうラケットバッグからラケットを取り出すことすらなくクローゼットの中にしまいこんでいた。
 雪が降って通学が徒歩になったとはいえ、学校の行き帰り以外はどこにも行かずに机に向かう。学校での体育の授業も勉強に支障が出ない程度にそつなくこなした結果が今の自分。腹筋や背筋など基礎的な筋トレは続けていたためバドミントンを高校から再開する準備はできていたが、体力面は一から鍛え直す必要があると改めて考える。

(桃華堂、寄っていくか)

 高校へ続く坂を下り、道なりに進んでいけば自分の家に辿り着く。時刻は午後四時を過ぎたあたりで、このまま帰ればゆったりと過ごせるはずだった。
 それでも、恭平はまっすぐ帰る気にはならなかった。
 家に帰れば夕食後にすることはおそらく寝るだけだろう。次の日に学校で答え合わせをすると聞いているため、その分、休めるだけ休む。ただ、せっかく大きなイベントが終わったのだからすんなり今日を終わらせたくないと思えた。
 桃華堂は以前から学生の集まる場所として人気があり、自分も部活帰りに寄ったことがある。今回も自分と同じように受験を終えた生徒達がいるのかもしれない。それでも、ワンクッション置いてから帰ろうと決めて、足を店の方へと向かわせた。
 桃華堂に着いて店内に入ると恭平と同じように考えたような学生が多かった。たいていは一人で、紅茶やお茶など飲みながら携帯電話をいじったり読書をしていたりする。中には持ち帰って良かったテスト問題を見て既に答え合わせらしきものをしている生徒もいた。空いている席を探そうとしたが、店員に相席ならばと告げられる。気分を落ち着けたい時に知らない相手と相席をするのは疲れると躊躇しているところに、声がかかった。

「あ、田野ー」

 声のする方向を見ると、そこには見知った顔があった。ちょうどよく二人掛けの席に一人で座っており、状況を把握したのか自分の向かいに座るように指を指す。恭平はそれに応じて店員に告げてから席へと向かった。自分を招いた人物の向かいに腰をかけて一息着くと同時に相手が声をかけてくる。

「受験お疲れさま」
「そっちもな、寺坂」

 寺坂知美は満面の笑みを恭平に向けてくる。笑顔から察するに、自分と同じように受験は成功したのだろう。恭平の受けた高校よりも数ランク学力は下がるが、寺坂からすれば十分入れる学力をキープしていたため、受ける前から不安になることはなかったと聞いていた。
 恭平の考えを肯定するように寺坂が口を開いた。

「けっこう会心の出来だったよ。たぶん、問題ないかな」
「俺もだよ。お互い、たぶん、無事に高校生ってことで」

 店員がやってきて水を置いたところでほうじ茶を注文する。甘味処といいつつ飲み物の類はコーヒーから日本茶まで幅広く扱っているのが桃華堂の利点。気分によって飲みたい物を変えられるのが恭平は好きだった。

「これでお前とも離れるのか」
「何? いきなり」
「だって、小学校一年から一緒だったろ? バドミントンやってたからっていうのもあるけど、そういう長い付き合いある奴って、実は寺坂くらいなんだ」
「そうなんだ。私は、バドミントン以外なら多分、何人かいた気がする」

 同じ小学校。同じ町内会のバドミントンサークル。そして同じ中学校。ダブルスのパートナーである竹内元気も、彼女である菊池里香も、中学から知り合った仲だ。恭平達の小学校から浅葉中学校へは転校しない限り百パーセント進学する。そこに、他の小学校から何割かの生徒が入ってくる。そのため、小学校一年から一緒という生徒は何人もいるが、友達という視点で見ると、恭平には寺坂しかいない。

「俺の場合、バド部の皆とも離れるしな。誰も一緒のところ行かないし」
「田野は私達の中でも頭良かったからねぇ。里香と離れるのは残念だろうけど、頑張ってね」
「人事だな」
「当然。でも、里香を泣かせたら許さないから」

 笑って冗談混じりに言っているが、寺坂の瞳は笑っていない。部活引退前に菊池を泣かせた前例があるため「大丈夫」と自信を持って反論できないところが弱い。だが、恭平も学校が違うからといって心まで離れる気はなかった。同じ市内なのだから。

「寺坂は誰かいないのかよ? そういうの。この前、学校で告ってる奴を見つけちゃったんだが」
「え、誰々? 私知ってる人?」
「そいつ等に悪いから教えない」

 卒業前の駆け込みカップルはいつの場合もいる。
 学校の体育大会や学校祭。クリスマスやバレンタインデーといったイベントの後で、それまで一緒にいなかった男女が一緒にいるようになったり、逆に離れているのを何組か見かけている。今回の受験前も勢いづかせたいのか、区切りをつけたいの恭平は何組かのそういった場面にぶつかっていた。結果を確認するのは野暮であり、誰かも同じ学年なら分かるが、追求するのは無粋だ。恭平がこれ以上情報開示しないことに寺坂は不服から頬を膨らませたが、息を吐いてしぼませる。

「皆、青春してるね」
「お前だって同い年だし、誰かに告白されたりとか、するだろ?」

 口に出すのは嫌だが、寺坂は小さい体格と可愛らしい顔から周りの男子の人気はある。それが付き合うという類なのか別の要素かは分からないが。風の噂で他校のバドミントン部の生徒から告白されたと聞いたこともある。誰なのか察しは付いていたが、追求すると後が怖そうなので止めておく。寺坂は「うーん」としばし唸ってから答える。

「今はね、充電期間。高校からそういうの、また考えようかなって。だから、中学卒業までは考えないことにして割り切ったの」

 寺坂はそう言って水を口に運ぶ。瞳は閉じていたが「これ以上この会話は続けるな」という気配を出していたため恭平も止める。人それぞれのペースがあるのだから、寺坂もいつかは誰かと一緒に歩いているのを見る日が来るかもしれない。同じバドミントンの仲間として一緒にいたからか、少しだけ胸の奥に穴が空き、冷たい風が吹き込む。

(それなりに長く一緒にいると、やっぱり寂しいよな)

 週刊誌の長期連載が終わった時の感覚と似ている。身も蓋もないたとえに自分で笑いそうになるが、水を飲んで誤魔化した。寂しいのは当たり前と言われてから寂しさについては耐性ができた。必要以上に落ち込むことはなくなり、受け入れることができるようになったのだ。それは今後に向けての成長となるかもしれない。

「話変わるけど。やっぱり田野はバドミントンは続けるんでしょ?」

 唐突に話を変えてきた寺坂に恭平は頷く。自分が高校でラケットを握っているのには何の疑問も持たなかった。パートナーを務めた竹内と離れても、自分はシャトルを打つ。高校からはシングルスだけでもいいかもしれないし、新たなパートナーとダブルスを組むかもしれない。自分の中学の進路は分かっても、他校は分からないため予想もつかないが。

「大場君は釜岩大付属行くみたいだよ。利君と一緒に」
「へぇ。やっぱりなって感じだよ」

 自分達の代で最も強いダブルスが私立のスポーツ優先の高校に行くのは自然な流れだと恭平は思う。市内では各高校に強者はいるものの、総合的な力では釜岩大付属高校が強く、団体戦で全道大会に出なかった年は恭平が知る範囲だとほとんどない。それでも一番強い選手はそれぞれの年で他校にいることもあるのだからレベルが高い。近年では自分の進む高校にもいる。王者である釜岩大付属を倒さんと他校がレベルをあげている、というような構図。

「一年の時は無理だろうけど、二年からはレギュラー掴みたいな。団体戦もやってみたいし。やりたいことはたくさんだ」
「私もそうかなー。私の場合はシングルス無理だろうけど」
「そうか? やってみたら案外ハマりそうな気がするけど」
「私、小さいし」

 身長が150くらいの寺坂にとってシングルスのコートは広いのだろう。そこで脳裏によぎるのは自分達と同じとして、寺坂とも体格が違って見えない全国レベルのシングルスプレイヤー。一緒にするのは酷かもしれないが、前例はある。

「苦手かもって逃げてたけど向かい合ってみたら実は得意になったってこともあるかもしれないし、選択肢には入れておいたら?」
「なんか含蓄ある言葉って感じ。経験あるの?」
「家庭科の授業は意外と楽しかったよ」

 大まじめに言った恭平の目には吹き出す寺坂の顔。釈然としないながらも運ばれたお茶を飲み、場を繋ぐ。楽しい会話の時間もすぐに終わる。受験も終わり自由登校になるため、もう学校にいくのは明日の採点と合格発表の時だろう。寺坂とも会うのはその二日くらい。クラスも違うため、会わないかもしれない。
 今が最後かもしれないと思った寂しさが顔に出たのか、寺坂は笑いを納めると恭平へと言う。

「そんな変な顔してないでさ。きっと大丈夫だよ」
「何がだよ」
「ひょっこり会って、おひさーとかなるってこと」

 寺坂の言葉に異論はなく、恭平も「そうだな」と言葉を返した。ずっと傍にいたからこそ、寺坂が今の台詞を言うような柄じゃなかったと分かっている。中学一年から今までの間に寺坂は成長したと感心する。目の前の寺坂と比較して、自分は成長できたのかと過去を思い出してみたが、良く分からなかった。

「さって、じゃあ、行こうか」
「そだな」

 ぬるくなったお茶を飲み干して、連れだって席から離れる。先に会計を終えて外に出ると、二月の空でも晴れ渡っていた。ここ最近は曇りが続いて雪が多かったが、前日から太陽光が覗く晴れ間が続いている。

「いい天気だね」
「いい天気だな」

 会計を終えて出てきた寺坂が背後で呟き、同じように答える。入り口から離れて歩き出すとすぐに横に並んできた。家の方向は一緒。恭平の方が先に家に辿り着く。雪を踏みしめる音を聞きながら進んでいくと、隣の寺坂が口を開く。

「お疲れさま」

 桃華堂の中でかけられた言葉と同じように聞こえるが、含まれるニュアンスは別物だった。もしかしたら同じかもしれないが、恭平は違うと決めつけて言葉を返す。言葉は重ねる必要はない。
 もう自分のやることは終わっている。

「ああ。寺坂も」
「うん」

 受験帰りの道はほんの少し重かったが、心は窮屈さを全く感じなかった。自分を取り巻いていたものがほぼ全てなくなり、終わりに向かうだけになった中学生の自分。既に次の始まりに向かおうとしているのも分かる。
 雲間から降りてくる日光の中、二人が踏む雪の音が静かに響いていった。
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