俺達の終戦記念日
【あるけじめの話】
秋の気配がすっかり周囲を覆っていた。夏が過ぎて日差しが柔らかくなり、ずいぶんと外に出やすくなったと恭平は思う。半袖でも汗が滲み出てくるせいでTシャツに汗の跡がつき、背負ったラケットバッグのショルダーに併せて濃くなっているのを乾かしたりすることもそろそろ不要だと胸をなで下ろす。
街路樹には紅葉が目立ち、また道路へと散っている。いつの間にか綺麗になっているのは、市が清掃車を出しているのかもしれない。いつでも、誰かが動いて町を回している。自分達の気づかない内に。今回、自分が遭遇するイベントもそうした「裏」のイベントかもしれないと恭平は思えた。
自転車が進む先に見えてきたスポーツセンター。
中学に入ってから幾度と無く通った場所。私的な理由や、市内大会といった公的な理由。言い方をすればバドミントンに青春を賭けた場所の一つ。既に三年で、部活も引退している恭平には用のない場所だ。少なくとも、高校でバドミントンを再開するまでは。
だが、スポーツセンターの入り口にいる呼び出し相手の姿を見て、恭平は気を引き締める。部活を引退したのは七月中。夏休みの半分は受験勉強に当てていて、徐々に体もバドミントンがない生活に慣れ始める。それでも、ラケットバッグを背負い、対戦相手が待っているのを見ると、気分が高揚していく。眠っていた細胞が目を覚ますように。
待っている人影の傍まで近づいて、恭平は声をかけた。
「よっ。川岸」
「久しぶり」
川岸大輔。部活で一緒に汗を流した仲間。恭平達の代は男子が三人しか残らず、恭平がダブルスであるため必然的にシングルスとなり、他の二人より早く引退していた。それからは疎遠となり、部活の引退式の後も夏期講習に通う川岸と家で勉強している恭平は時間が合わず、学校が再開しても廊下で言葉を軽く交わす程度。小学校からの友人だが、バドミントンが間から抜けると一気に関わりが薄くなった。
「今日はどんな風の吹き回しだよ。試合したいとか」
「勉強ばっかで疲れちゃって。たまにはリフレッシュしたいなって」
「そっか。じゃあ自転車置いてくるわ」
久しぶりの会話にも違和感はない。疎遠になったからと言って互いに嫌ったということはなく、恭平の中では仲が良い方だ。それだけに今回の件は意外だとも思う。恭平の知っている川岸の思考からは少し外れている行動だったから。
(まさか、試合がしたいって言い出すなんてな)
川岸は引退式の時に「もうバドミントンはやらないかも」と言っていた。中学校から始めたが、きっかけは一つ学年が上の先輩の試合をたまたま一緒に見に行ったからだ。小学生の時に同じ町内会のサークルの先輩で、中学に入れば学校の先輩となる人の試合を見に行くのは恭平にとっては自然なことでも、川岸には珍しく映ったのか一緒に見に行くことになった。
そして、川岸は恭平以上に先輩達のプレイに圧倒された。
中学から始めたという割りには頑張って、川岸は最終的に多少は勝てるレベル、で終わった。身体能力が向上するという点で、中学から初めても小学校から続けている選手に勝てる可能性は十分にある。でも、同じくらい努力している相手には差が縮まらない。才能の上乗せがなければ。
結局、川岸はさして武器もなく、素人よりは上手くなったバドミントン選手として中学を終えたのだ。だからなのか、高校では別のことをするかもしれないとバドミントンへの未練はないように恭平には見えた。
「川岸と試合とか、新鮮だな」
自転車を止めてラケットバッグを背負い直し、呟く。言葉だけでも自分の中にこれまでにない感覚が広がっていく。選手としても戦うフィールドが違うため、川岸と試合をすることはなかった。練習の相手としても後輩のシングルスプレイヤーとの練習ばかりでやはり機会はない。部活の引退式はそもそも一年二年との試合。振り返って、川岸と試合をするのは入部当初以来ではないかと思うほど記憶になく、恭平は胸が躍った。
視線を入り口に向けると、川岸は律儀に恭平を待っており、駆け足で合流する。それからは互いの近況を語りあいながら中に入り、更衣室へと向かう。一連の流れの中でも会話は現役時代と変わらない。
着替えをすませてからコートを作り、準備運動や基礎打ちを終えると体は十分に暖まっている。勉強で机にかじり付いている分、筋肉の緊張がほぐれるまで時間はかかったがじわりと流れ出す汗が心地よく感じた。
「っし。やるか!」
「おっけい」
基礎打ち用に使っていた羽がぼろぼろのシャトルをコートの外に置いて、新品をケースから取り出す。購入したのは四月で、練習で全部ぼろぼろにすると誓ったことを思い出した。結局は、使い切る前に恭平の公式戦は終わったのだが、その後に何度か個人的に使用する場面があり、新品は残り一つまで減っている。
「最後の一個、か」
軽くラケットで頭上に跳ね上げながらコートに入り、サーブ権は譲る。川岸は特に不満も言わずにシャトルをもらい、早速サーブ体勢を取った。
「一ゲームでよろしくー」
「分かった」
ラケットを掲げてレシーブ体勢と取った恭平に川岸がシャトルを飛ばす。綺麗な弧を描いて自分の真上から落ちてくるシャトルに向けてラケットを振り、ハイクリアでコート奥へと打ち返すと川岸も不格好ながら後を追う。二年半、同じように練習したつもりでもフォームや足運びには個性が出てくる。恭平は教本に近いような整った構えだが、川岸は不格好になる。三歩で追いつくところを四歩。左手を掲げる高さが低いために上手く力を伝達できずにハイクリアが飛ばないなど、マイナス要素が生まれ、そこを突いて恭平は攻撃を仕掛ける。
あっという間に最初の得点を奪ってからは恭平の一方的な展開。三回から四回、シャトルを打ち合えば川岸に隙が生まれて、恭平がスマッシュを打ち込む。恭平も久しぶりに行うため、ネットにスマッシュをひっかけるなどミスがあったものの、大した影響はなく点差は開いていく。
「ポイント。エイティーンエイト(18対8)」
ポイントが大きく開いても、川岸の目からは闘争心が消えない。事ここに至り、恭平はこれがただの気軽なゲームではなく真剣勝負なのだと理解できた。気軽に言ってきても瞳はかつて試合の中で感じたものと同じ気迫がこもっている。
公式戦で当たったことはないため、おそらくは相手の選手が突きつけられていただろう闘志が恭平の体を振るわせる。
(川岸……なんのために?)
口ではもうやらないと言っていてもやはり恋しかったのか。それとも恭平との試合で何かを吹っ切ろうとしているのか。相手の思惑を考えても仕方がないと、頭を振ってサーブ体勢をとる。今は、川岸をどう倒すかだけ考えろと自分に言い聞かせた。
(あいつが真剣勝負を望んでるなら、そうすればいい)
恭平も試合を続ける内に、現役時代の感覚が戻ってくる。まだ経った三ヶ月くらいしか経っていないのに、遠い昔のように思えてくる。それでも体は更に作り替えられて、バドミントンプレイヤーに変化していった。
「一本!」
恭平が声に乗せる気合いに、川岸も体を震わせる。渾身の力で打ち上げたロングサーブはコートの端のライン上へと落ちていく。川岸は見送ることをせずに声を出しながらスマッシュを打ったが、恭平はコースを読んでいて一歩早くラケットを差し出す。慌てて前に詰めようとする川岸の行動を見た上で、頭上を軽く越えるように軌道の小さなロブを打った。川岸はタイミングを外されたことで硬直したままシャトルを見送った。
「ポイント。ナインティーンエイト(19対8)」
「ストップ!」
すぐにシャトルを拾って恭平へと返した川岸は気合いを込めて吼える。恭平もサーブの体勢から一度深呼吸をしてタイミングを計った上でロングサーブを放った。シャトルはより高く遠くへ、コートから出るかでないかというラインまで飛んでいく。
(こういうのはあと数ヶ月前にできてほしかったよな)
部活引退前でも打てなかったようなサーブが打てて、恭平は反射的に思う。ダブルスプレイヤーだったために使う機会はないのだが、今、試合をしている中での調子の良さはこれまでの自分の中でも最も高いように感じる。
「らあ!」
川岸は急降下してきたシャトルを渾身の力で打ち抜く。その音も恭平と同じように川岸の調子がいいことを物語るほど強く、空気の破裂音を伴ってサイドラインを強襲した。恭平はバックハンドでシャトルをとらえ、ネット前に落とす。だが、これまで以上に威力があったためシャトルへタッチした時の力加減を失敗してネット前に高くあがってしまった。
これまで試合を続けてきた中で川岸の最大のチャンス。前に飛び込んでラケットを振り切る川岸を見ずに、恭平はラケットを振り抜いた。
腕に走る衝撃と同時に感じる手応え。後追いで視線を上げた恭平に見えたのは川岸の唖然とする顔と、後方へと飛んでいくシャトル。そのまま川岸の背後にシャトルが静かに着地していた。
「ポイント。トゥエンティエイト(20対8)。マッチポイント、だな」
「今の凄い。どうやったんだ?」
「当てずっぽうに打っただけだよ」
川岸は切れた息の合間に恭平へと讃辞を送る。送られる側としては言った通りに返しただけだった。それでも、前に飛び込む川岸に左右に打ち分ける余裕はないと考えて、コート中央から動かずにラケットを振るくらいの予測はしていたのだが。川岸はゆっくりとシャトルへと近づいて、羽を整えてから打って返してきた。新品だったシャトルも二人のラリーによってボロボロになってきている。それでもあと一点では壊れないはずだった。
「ラスト一本。いくぞ」
「こい!」
一つ前と同様に力強くシャトルを打ち上げる。高く遠くに飛んでいくシャトルの真下に追いついた川岸は、同じように力を込めてシャトルをスマッシュで打ち込んだ。今度はストレートでバックハンド側。少しでも恭平が上手く取れる可能性を減らそうと思考した後が軌跡の後ろへ流れていく。だが、恭平も一つ前のラリーから判断して一歩前に出ながらバックハンドで構えていた。シャトルをよりタイミングが早い位置でとらえ、カウンターを狙う。
恭平の予想通りにシャトルが川岸の方へと打ち込まれ、恭平は予定通りに打ち返す。スマッシュを打ってコート中央に戻っていた川岸もシャトルを追うものの、自分がバックハンドで打つことになってしまい、不得手が露呈した。シャトルはネット前にあがり、恭平にとって絶好のシャトルとなった。
(これで、決める!)
前に飛び上がってシャトルへと狙いを定める。一瞬、直前のシチュエーションが脳内に再生されて自分が打ち返した時を思い出すが、恭平はかまわずに全力でシャトルへとラケットを叩きつける。打ち返されるならそれもあり。ただ、試合をしていく中で無性にシャトルをコートに打ち込みたい。渾身の力を込めた一撃を川岸の中に刻みたいと衝動的に思って、実践した。
「はあっ!」
ラケットが振り切られるのとほぼ同時にコートへ着弾するシャトル。そして、コースを狙うことはせずに川岸の真正面を狙って叩きつけたシャトルはコートから思い切り跳ねて、羽をまき散らす。
シャトルの終わりと共に、試合もまた終わりを告げた。
「ポイント。トゥエンティワンエイト(21対8)。俺の勝ちだな」
「はぁ。疲れた」
川岸は特にショックもないようでシャトルを拾い上げるとコートから出た。恭平も同じタイミングでコートから出て、先で握手を交わす。疲労しているように見えていたが、足を怪我するようなことはないようでほっとする。川岸は晴れ晴れとした笑顔を浮かべながら恭平に礼を言った。
「ありがとう。おかげで、俺も良い思い出できたよ」
「そういや、なんでこんなことを? 柄じゃないっていうか」
「竹内に聞いたんだよ。二人が、記念に試合したって」
三人目の三年生の名前が川岸の口から出てきたことで恭平は顔をしかめる。意図を察したのか、川岸は慌てて付け加えた。
「あ、結果は聞いてないよ。二人の間から漏らさないって約束なんだろ? 守ってたよあいつ」
「そっか……ばらされても別にいいんだけど、中学卒業するくらいまではなって思ってたからほっとした」
部活を引退する直前。恭平と竹内は個人的にシングルスの試合をしていた。結果は二人の中だけの秘密で言ってはいけないと釘はさしてある。それでも恭平は、隠すほどのものではないため言っても良いとは思っていた。ただ約束をして数年後ならまだしも、まだ今の時点で約束を反故にされるのは流石に怒るだろうと思っていた。
「それでさ、俺もそういうの、欲しいなって思って。だから田野と試合したんだよ」
「そっか」
話を聞いた竹内とではなく、自分と。その意味を恭平は雰囲気から察していた。小学校六年生の時にたまたま自分についてきて先輩達の試合を見たことでバドミントンへの扉を開いた川岸。彼のバドミントンは恭平と共に始まった。なら、中学での終わりを恭平に求めるのも分かる気がしていた。竹内もまたダブルスのパートナーとして終わりを自分に求めたように。
誰もが自分にとっての終わりを求め、消化していく。
終わりを求める相手に選ばれたことは名誉なことなのかどうか。面倒だと思う気持ちと、心地よいと感覚からの気持ちに苦笑を浮かべる。
「さて、どうする? 一試合ってわけにはいかないけど、もう少しできそうだけど」
「疲れたから休むわ。それに、羽、もうないだろ?」
川岸は恭平にシャトルを預けてからラケットバッグに近づいていく。おそらく財布を取り出して自動販売機に行くだろうと考えて、一言スポーツドリンクのペットボトルの名前を告げる。試合に負けたからおごると言いながら去っていく川岸の後ろ姿から視線を手元のシャトルに移した。
最後の一点の前までは羽にほころびが見える程度だったにも関わらず、今のシャトルは羽の一本の根本が折れていた。こうなると空気抵抗がおかしくなり、上手く飛ばなくなる。競技用のシャトルとしての寿命は尽きたことと同義。
個人練習のために自分で買ったシャトル。全てがその役目を終えたことに気づいて恭平は顔を崩した。
また一つ、自分の中で完結する「終わり」
部活を引退した後でも、次々と「中学での終わり」が来るのだろう。その都度、少しだけの寂しさと、開放感や達成感が生まれる。それは高校生としての自分を動かす原動力となるはずだ。
「お疲れさん」
労いと感謝の意味を込めて、シャトルに向けて呟き、シャトルケースに戻す。
一つの終わりと共に自分の中に刻まれた感情を反芻しながら川岸が戻ってくるのを待った。