かりかり……とシャープペンの音が部屋に広がる。時計の針が刻む音との協奏曲を聞きながら、裕一の緊張は徐々に高まっていった。誰もいない家に、付き合い始めて一月の彼女と二人きり。時々煩わしそうに、彼女は少し茶色い髪を掻き揚げる。細くて、艶やかな、絹糸。手を伸ばそうか……否、と代りにシャープを走らせることに集中した。
「どしたの?」
 美月が裕一の挙動に気づいたのか、ノートに向けていた視線を上げた。瞬きに、長めのまつげが揺れる。
「何でもないよ、美月」
 意識的に笑んで誤魔化した。が、美月の視線は裕一から離れてくれない。回数を増していく心拍数。背筋を嫌な汗が流れ、喉が急速に渇いていく。そんな裕一を見て微笑みながら、美月は立ち上がった。
 美月は裕一に近づいてくる。こんな狭い部屋なのに、美月の動きはとっても遅く見える。
 ……酷くもどかしく感じる。
「疲れた? 休もうか」
 そう言いながら美月は裕一の隣へと近づき、腰を降ろす。普段は裕一の顎の辺りまでしかない美月の顔も、今の状況では真正面にある。
「あ、ああ……」
 一体何を考えているのだ。裕一は頭を軽く振って、自分の中の妄想を追い出そうと試みた。しかし、そんな裕一の姿が面白いのか、美月は更に身体を寄せてきた。
「そう言えば、今日で一月だよね、私達」
 お互い、高校に入って初めての恋人だからか、頬を少し染めて、美月は心底嬉しそうに呟く。
 美月は笑うとほんの少し笑窪が出来る。それが何とも可愛い。顔が可愛いから、という理由で好きになったではないが。じゃあ、どこが好きになったのかと言われると……非常に照れる。理由はいくつかあるけど、はっきりしていた。それを改めて思い、自然と腕が美月の身体を包んでいた。
「ゆ、裕一?!」
 少し怒ったような美月の声。……あえて裕一は美月の抗議を無視した。
「美月……柔らかいねぇ」
 初めて抱いた女の子の身体は裕一が思うよりも柔らかく、顔が昇った血によって紅く染まる。美月は驚きに動きを止めていたのは一瞬で、抱かれることの心地良さに身を任せる。
 時を刻む音さえも耳には届かない。あるのは、少し速くて強い鼓動。美月は目を閉じた。
「キス……して?」
 控えめに、しかし強い望みが込められた美月の声。裕一は美月の身体を離し、愛しい人の顔を視界に収めてから、ゆっくりと顔を近づけていく。
 美月の髪を少しすいてやる。裕一の思ったとおり、それは滑らかに彼の手を潜り抜けた。
 そしてそっと美月の唇に触れる。
 ぴくり、と震える美月がいつも以上にいとおしく感じられ、裕一は指と唇を交換した。
「――ぅん」
 触れ合うだけのキスだったが、裕一の思考は熱に浮かされて鈍っていく。
 柔らかくて、ほんのりと甘い。さっき二人で食べたホワイトチョコレートだけのせいではないようだ。このまま麻痺してしまわないよう、裕一は縋るように彼女を抱き竦めた。
「――ぅいち」
 少し苦しそうな美月の様子に気づき、裕一は自分の行動をようやく自覚した。恥ずかしさに「わっ」と声を上げて身体を離す。
 きょと、とした美月の瞳と目が合って、裕一は思わず顔を背けてしまう。
「……ゴメン」
 顔を背けたまま、裕一はぼそりと謝った。
「なんで謝るの?」
 美月の言葉が意外で視線を向けた裕一の視界に、彼女の顔が広がった。首の後ろに回された腕に固定され、唇が再び触れ合う。裕一の思考が追いつかない。しかし脳を支配する、痺れのような酔いのような……。何とも言い難いこの感覚に裕一は魅了された。
 どれだけの間、重ねあっていたのか分からない。裕一が正常な思考を取り戻した時は、すでに美月の顔はいつもの距離……いつもより、少しだけ近い距離にあった。頬だけではなく顔全体が真っ赤に染まり、次の行動を決めかねた表情を裕一へ向けている。
「――ふふ」
「……ははは……」
 二人の顔が崩れ、笑い声が唱和した。小さかった衝動はすぐに膨れ上がり、顔を羞恥の赤に染めながら腹の底から笑う。何がそこまで自分達を笑わせるのかは分からない。だが、裕一も美月も、身体の奥から湧き上がってくる衝動に身を任せた。
 しばらくして笑いが収まり、先に話し掛けたのは美月。
「もう少し休憩してから、勉強再開しようか」
 裕一の返事も聞かない内に、美月は鞄から買ってきたお菓子を取り出していた。勉強の前に食べたホワイトチョコレートの箱もあり、キスの味を思い出して裕一はまた頬を染める。美月はいくつかあるお菓子の中から、もう一つのチョコを取り出していた。
「またチョコか?」
「頭を使った後は糖分がいるんだよ〜」
 箱を開けて台形のイチゴチョコを取り出し、口に含む美月。甘さに顔までとろけそうになっている彼女の顔を見ながら、裕一は今、二人でこうしていることの幸福感をかみしめる。
(次の味はイチゴかな)
 ストロベリー味の幸福感に、裕一はまた顔を赤くした。




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