レイディーズ・トイレット・オカルト

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 黒々としてわかめのようなニョロニョロとした髪の毛が天井から降りてきた時、斉藤希は両手を口に当てて悲鳴をあげないようにすることで精一杯だった。逃げることも、助けを求めることも可能な状況ではない。八方塞がりの事態に上乗せされるように髪の毛が垂れてきた。
 なんなのだこれは、という思いを乗せて視線が髪の毛を伝っていく。天井には穴はなく、何かが垂れてくる状況などあり得ない。やがて髪の毛の根本が現れ、希にとって見覚えのあるものが見えた。
 広い額。肌色から生えている毛。毛根を持つ頭部。いくかの遠回りな単語が頭の中をよぎったが、最終的には一言で終わる。
「あたま?」
 掌で覆われている口元から漏れる声。混乱を収めるためには必要な言葉は周りに聞こえない囁き。隣の個室にいる人にも聞こえない声に、髪の毛の主は反応した。
「お前の願いを叶えてやろう」
「――ッ!?」
 頭の中に野太い声が直接響いて希はまた悲鳴を押さえる。背にした扉が揺れてどだんっ! と大きな音を立て、希は動きをピタリと止めた。目の前の不思議より現在の状況。今の音に対して周りから何も反応がないことに安堵すると、目先に黒いワカメが垂れてきた。
「お前の願いを叶えてやろう」
(誰……)
「このトイレに住んでいる神、のようなものだ」
(思っただけで通じてる)
 トイレの神様らしきものとの意志疎通が出来たところで希の脳裏に浮かんだのは、学校の七不思議の一つだった。三年生のフロアの東の端にある女子トイレの二番目の個室に神様が現れて、願いごとを一つだけ叶えてくれるという。
 出没場所が女子トイレのため男子にはほとんど広まっておらず、願いを叶えられた主張する女子もいないため、噂の域を出ない。学校新聞での七不思議特集でも忘れられていたのをギリギリ思い出されて七つ目として掲載されている程度だ。
 噂の内容もレイプされた女子生徒が相手の死を願ったら捕まって、他の罪も重なって無期懲役になった、といった現実にあるようでないようなもの。女性の味方と主張するエピソードばかりのため、噂を作ったのが同年代の女子の仕業としか思われず、誰もまともに信じていない。そもそも七不思議自体が眉唾ものだが。
 だが、今の希には現実のほうが大事。現実問題、目の前には願いを叶えると言ってくる、人間ではない存在がいる。
(まさかほんとに……なら……)
「お前の願いを叶えてやろう。願いを言え」
(このトイレから、出してください)
 今の切実な願いを思いに乗せる。トイレの神様は一つ頷くと髪の毛が希へと被さってきた。
「分かった」
「うわぁあ!?」
 こらえていた悲鳴を上げて、希は両手を振った。すぐに髪の毛のヌルヌルした感触がなくなり、周りを見ると、個室の外にいた。隣には今、個室から出てきたという女子がいた。
「……斉藤君。何やってるの、女子トイレで」
 最初は驚きしかなかった女子の顔だったが、視線が希の顔から手に移ると、汚物を見るような苦々しいものへ変わる。希も追って視線を動かすと、右手に持ったままになっていたICレコーダーがある。
「どしたのー、明美ー」
「え、斉藤!? 女子トイレでなにを!? 変態!?」
 集まってくる女子の中で、希は何も言えなかった。トイレから出してほしいと念じて個室から出た結果、女子に見つかってしまった。
 トイレの神様のほうを向いた希は、耳元まで裂けるくらいに笑って消える。笑みの意味に気づいて希は肩を落とした。
 女子トイレの神様は、女子の味方。迫る女子達に噂話で聞いたレイプ犯の末路が自分に重なっていくのを感じつつ、希は女子の波に飲み込まれていった。


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